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  09 ,2019

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 未分類

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本文: 8  Trackback: 0

敬老の日
まだ敬われるにはちょっと早いかな。 自分の場合生きれたとして70歳になっても80歳になったとしても 敬ってくれる人っているのかな。  諸説ありますが人生を四季に例えると 16歳から30代前半が「青春」。 30代前半から50代後半が「朱夏 」。 50代後半から60代後半が「白秋」。 60代後半からが「玄冬」。って話なんで 随分見てくれと願望に近い心の中身に差があるようですが まだ私「夏真っ盛り」と云ったところでしょうか フフン。 注:暑苦しいとは別の意味

去年の敬老の日に会いに行ったのは 大阪の大川に架かる「桜宮橋」。 京阪の天満橋駅を出て 上の高速道路のおかげで日陰をつくっている「天満橋」を渡り 公園になっている遊歩道の入り口に古い銘板を見っけた

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お隣に文化財のプレートが埋め込まれた石碑と案内板が別々にあって 案内板の写真は旧「天満橋」その写真の橋門構の位置に上の現物が掲げられているのがわかる 当時の橋は1888年(明治21年)ドイツから輸入してかけられたもので パッと見でもプラットトラス とは云い切れない 誰かとコラボしたような複雑な構造に見える

大川沿いにその遊歩道を進むと 向こう岸に大阪城が見えたし植えられているのは 桜の木ばっかりだったからお花見の季節の演出はすでに整ってる公園。  この辺りは大川が大きくカーブしていてなかなか「桜宮橋」が見えてこなかったけど お待ちかねの「桜宮橋」。

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小走りに近づくと 実際には何も聞こえませんが オペラでもやっていそうなこのお方にあいました このお方古い煉瓦造りの螺旋階段 古いから中はちょっとオッカナイよ

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おっかなびっくりこの螺旋階段を登ると「桜宮橋」の橋上に出られる。 

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出たハズなのに大きな魚に丸呑みされたみたいな錯覚 もうちょっと進むとピノキオのおじいさんにばったり会えるかもね

「桜宮橋」国道1号の橋
竣工 1930年(昭和5年)10月30日
橋長 187.76m 幅員 22m
下路3ヒンジソリッドリブアーチ他3連

ボン休みもSWお仕事になってしまったのでどこにも行けていません故 ネタもありません 本当ならスポンサーがついてくれる時期だったけど付かなくなりましたね なんかますますサボって落ちぶれていく感じかな(涙)

いかんいかん ハレマスヨウニ!


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Category: 2019年05月03日  西遊記

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本文: 16  Trackback: 0

西遊記 完結
今回もGWのお話なんですけど とうとうおボン休みに突入してしまいました もう3ヶ月も前のことなんだな なんてことはない シコシコとお仕事つづけていますよと あの時の自分にそっと教えてあげたい そして一緒にため息をついてあげたい(涙)  目尻を下げさせ 口を半開きにさせた あの爽やかな風は 今頃どこを吹き流しているのかな 仕事なんてやめよーと本気で思わせた 桃源郷の世界にもう一回連れって行ってはもらえないでしょうか   ブッブーー 小々次郎 アウトーー ってハッキリ聞こえた(涙)


第一旭さんにごちそうさまを云って 目の前の府道8号「丹波大橋」で由良川を渡る時 上流側に架かる さっきの「綾部橋」に手をあげて ほんとのさよなら云い ドン突きの国道27号に乗りかえ京都市内に向かう 令和元年のこどもの日の京都は 山の中はもちろん市街地の国道だって 鼻が自然に歌を奏でる快走路でした
 
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自然に国道9号にかわってて 八木まで降りてきた この一本。 そんないい色してるのに全然爽やかに見えない「大堰橋」(おおいはし)綺麗だけどね

「大堰橋」
竣工 1935年(昭和10年)6月
橋長 210.9m 幅員 5.5m
上路3径間連続カンチレバープラットトラス と他

この橋を渡った先に本物のビーナスちゃんがいたのか 残念 また今度。


さぁ覚悟を決めてお帰ります。

混んでるであろう 京都のほんとの街中は避けて 桂川沿いを南下 国道24号に移って ちゃんと「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)には膝を突き合わせて 最近どう? って挨拶したけど割愛。 そのまましばらくして「泉大橋」にもちゃんと挨拶したけど もちろん割愛 そしてUターン。 木津川沿いを登る

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木津川沿いのいろんな橋に頭を下げてしばらく進むと カップルで渡ると別れるって云う伝説の沈下橋にはカップルライダーがいた 伝説知らないのかな それともどっちかが縁を切りたがっているのかな どうでもいいけど邪魔してオレ降りられないなと よく見ると「恋路橋」じゃない方の「潜没橋」だった カップルにセーーーフ って云ったけどちゃんと聞こえたかな

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旧の方の国道25号に移って だんだんと見知った道になってきたってことは家に近づいてるってこと(涙)。 伊賀ドライブインではGWを終わらせない忍法はないものかと 相談に乗ってもらうつもりが よせばいいのに大きなオムライスを食べた

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旧国に戻って新緑とは縁も所縁もない 常緑の大和街道でも やっぱり大きく深呼吸。 松尾芭蕉さんはずーっと旅していたかったんだろうな 俳句は詠めませんけど その気持ちはわかります 芭蕉さんがこの道を旅した時は9月だったそうで しかも41歳。  オレ41歳の時はまだ単車にも乗ってないから 旅も始まってない

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「大和街道橋梁」
竣工 1889年(明治22年)
単線
レンガアーチの1連

注意、カーブミラーに写っている人は松尾芭蕉ではありません

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諦めが悪いのか このあと3km毎に停まって写真を撮ってる

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西遊記 完結。 3日間の走行距離 995km

また旅に出られるように お仕事がんがりますから その時もどうか ハレマスヨウニ!!



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Category: 2019年05月03日  西遊記

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本文: 8  Trackback: 0

西遊記 その6
昨日、今日はお日様頑張っているけど このところ日照時間が少ないから体調が悪いとか聞こえてきますね 名古屋場所も終わって梅雨も開けようかっていう 人も空気もジメジメしたこの時期に オレ一番暑苦しい人種だもんなぁ そりゃ具合も悪くなりますよ なんとか気圧の谷に橋はかけられないものか掛け合ってきます。 さりとて人種は今と変わりませんが 爽やかな晴れ間がつづいていた GWの話をまたしてもよかですか

「余部橋梁」にさよなら云ったら だいぶ傾いてきたお日様を背負い 県道4号に降格した「但馬漁火ライン」に戻って せっかくなんで香住海岸に寄っていこうと 兄弟みたいにそっくりで不気味な 三田トンネルと虫尾トンネル を足早につづけてくぐり 緩やかな下り坂をおりきったら 静かな海が見えた 振り返るとその香住海岸にそそぐ 矢田川の河口に大勢の橋脚達を従えてはいるけど こちらも静かに架かっていました「矢田川橋梁」。

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「矢田川橋梁」(JR西日本山陰本線)香住駅ー鎧駅間
開通 1912年(明治45年)
橋長 137m 幅員 単線
上路のプレートガーター6連

いつもだったらスルーする形式でも 愛嬌のある橋脚達に呼び止められたおかげで その古さを知ることができました ありがとうございます

「矢田川橋梁」の全員に手を振って駅前に出ると カニのマスコットが時を刻む「香住駅」は ”平成”31年9月30日まで改修工事中。

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駅の真ん前の通りは写真奥に向かって一方通行はいいんだけど 寂れまくってるね こんなで雪が降ったら泣けてくるかも知れないな  イヤたまたまだよね カニの時期はもっと賑わってますよね たぶん。 でもこのコーラの自販機は一日10本も売れてるかな

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カニに頼りっきりな町内を不安げに抜けて 海水浴場に出ても やっぱり誰もいないし 海しかないし もういい時間になったから 香住の町にもさようならした ベタだけどカニの季節にまたきます(電車)

香住の町内にいるときは全然分からなかったけど 今、地図で見ると温泉旅館がたくさんあってちょっと安心した

「但馬漁火ライン」に戻って また昨日と同じ「さとの湯」に浸かって また昨日と同じ豊岡駅前のビジネスホテルに18時ごろチェックインして また昨日と同じ「大石屋食堂」で 一人で6500円以上飲んで食べちゃった でも顔は覚えられてなかったと思う


翌朝、 2日間お世話になった 豊岡駅前のOホテルの朝食バイキングで無茶をして恩を仇で返し 朝一番で 出石神社に参拝して3日間共いい天気にしてくれたことのお礼を云ってきた 

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上の写真にも写ってる 鳥居の向こう 門の前にしゃがんでいる ブツブツと独り言の声が大きいおばさん、世の中を恨んでいるのはいいんだけど オレが横を通る時 もちろん初対面なんだけど ピントの合わない目つきでオレを見て「一番嫌い!」って云った ハッキリ聞こえた なんなんだあのおばさん オレも嫌いだ 0番に嫌いだ ちきしょう(涙)

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知らない初対面の人に嫌われても気を取り直せば せっかくの天気のいいGW、知らない道をどう走ったって、目的がなくても ただの帰り道でも ものす〜ごく気持ちがいいもんだから 国道426号を快走して 国道9号に出た頃には なんに腹を立ててたのかも忘れて 口が半開きなってるから オレも大したもんだな なんなら1曲歌ってもいいし

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その国道9号線沿いでは、かっぱのしんちゃんさんところで 6年前にこのネーミングはアウトだろって評判になってた「クロンボ」を発見して小躍りしてる   でもまだ営業してないから豚玉を食べられなかったのは残念。

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福知山の市街地に入ると 府道8号に乗り換えて 山陰本線の「土師川橋梁」と「土師川水管橋」と「福知山城」のスリーショット!!って叫びながら写真撮った。   あゝSRも写ってるから正確には何て云うのかな 4人から云い方違うよね
 
府道の8号で 綾部駅前を通ったら「綾部」の文字に1本思い出して 文化財の「綾部橋」にもちゃんと寄れた

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昭和になってからの架橋だし「松尾鉄骨橋梁(株)」製の銘板がついてたから日本製だけど ボーストリングトラスは1890年代にドイツのハーコート製ものがたくさん輸入されて 各所にまだ残っている うちでも、栃木県の「古河橋」や長野県の「りんどう橋」は紹介したんですけど 今はもう製作されていない絶滅危惧種。 でもメーカーは違うけど1800年代後半から昭和の初め頃まで長い間製作されていました 消えゆくトラス形式もあっただろうけど この形式はすごい実績ですね

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「綾部橋」
竣工 1929年(昭和4年)8月
橋長 209.8m 幅員4.5m
下路ポニーボーストリングトラスの7連

実は紹介してないだけでジュニアでも訪れたことがある SFチックな「綾部橋」にも また再会を約束してさよならを云い いそいそと 念願の「第一旭」さんでラーメンをいただきました

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もう3ヶ月ぐらい前のことなんで味は忘れちゃったけど 当日、「来来亭」さんに似てるって云うと「第一旭」さんは怒るかも知れないな との感想を持ちました いや美味かったですよ たぶん。


前倒しして完結しようと思ったけど やっぱり西遊記 完結につづく


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Category: 2019年05月03日  西遊記

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本文: 10  Trackback: 0

西遊記 その5
雨音の催眠効果でコックリコックリやってたのか ガックってなって ハッと目覚めたら 職場のみんなはもう7月だって云うんです 本当なの? 先々週ぐらいがGWだったし 先々月ぐらいに奈良健康ランドで新年を迎えたハズなんだけど おかしいな オレだけ地軸がズレていて1日16時間ぐらいしかないのかな まぁ そういう理由で またGWのつづきをおしつけるんです ごめんなさいね

鳥取砂丘にサヨナラ云ったのが GW2日目、5月4日の午後2時をちょっと回ったぐらい なるべく日本海側を走りたいけど 山陰道と云うだけあって どうしても山あいを抜けて行くもんだから 水平線は途切れ途切れで トンネルも多い 「山陰」とか「トンネル」とか 文字にしちゃうと影が差すイメージだけど この日は澄みきったいい天気。 青空に鼻を突き出して 塩分濃度の高い清香に引っ張られるように 諸寄海水浴場まで下りてきた

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諸寄海水浴場から浜坂駅前を抜けて 岸田川の支流の田君川、土木学会選奨土木遺産のこの方「田君川橋梁」に呼ばれてきたのはいいんだけど めずらしく先客がお見えでした その方、三脚に本格なカメラをセットして「田君川橋梁」を撮影してたから 「何か研究されているんですか」と尋ねたら 「イヤただ橋梁の写真を撮ってるだけです」と電車目的でも無い様子。 世の中変わった人もいるもんだな ひょっとしたらこの業界(なんの?)のプリンスだったのかな 背中にサインしてもらえばよかった

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気を使ってどいてくれたんだけど なんか緊張しちゃって その方が写らないように こんな中途半端な写真しかない けど この写真を見るとコンクリートで嵩上げしたことがわかる 「ラチスガーター」っていうんだけど 初日に遠くから写した「竹野川橋梁」と同タイプ そう日本に3本しか現存しないうちの2本。 手間より鉄の材料代の方が高かった時代なんでしょうか

「田君川橋梁」(JR西日本山陰本線)
開通 1912年(明治45年)
橋長 38.40m 幅員 単線
1連上路格桁(ラチスガーター)2連上路プレートガーダー

ラチスガーターの方は1919年(大正8年)頃に増連とアル。 増連して またしばらくたってから嵩上げしたのか それぞれ物語(歴史)がありますね この年代の方々が古くから染められてきた「臙脂色」を纏うと説得力と文字どうり重みが増す また伺いたいものです


「山陰近畿自動車道」が開通したおかげで国道の番号を剥奪された「但馬漁火ライン」で しばらくは山の中を徐々に登っていき 桃観峠(ももみ)を桃観トンネルで越えて ゆるやかな坂を下り切ると 余部漁港、黒い瓦屋根が並ぶ漁師町につきあたる。 随分とおまたせしました「余部橋梁」が青空の中、新緑の衣に着替えた山を串刺しにして その漁師町をまたいでいました

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見えている 橋は2代目で 2010年(平成22年)8月12日に供用が開始された PC(プレスコンクリート)製のエクストラドーズド橋。 ほんとは現役中にお会いしたかった 初代「余部橋梁」、鋼製のトレッスル橋脚とプレートガーター桁の一部が保存されています

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自分が古い橋を廻る旅をはじめたのが 2010年(平成22年)のGW 。その時はもちろん「余部橋梁」は知らなかったんだけど 入れ違いだったんだな  上の写真、プレートガーター桁の部分の材料はドイツ 製の輸入鋼材で石川島造船所が製作 1911年(明治44年)9月に神戸から工事列車に乗ってやってきて お隣の鎧駅で組み立てられたそうです「梁」の字が常用漢字に含まれてないから ひらがな表記なんだ  

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トレッスル橋脚も部分保存とは云ってもこの大きさだから めちゃめちゃありがたい  橋脚の鋼材 652.496 t とアンカーボルト 12.72 t はアメリカン・ブリッジのペンコイド工場で製作されて一旦九州の門司港に運ばれてから 汽船「弓張丸」に積み替えられて余部沖に運ばれ、1910年(明治43年)8月に陸揚げされた。 ドイツの桁とアメリカの橋脚がドリーム共演だったのか

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検討の結果維持費や落下物の危険性などが少ない、餘部駅側の橋脚3本を保存していただけた だけでなく その保存されている橋脚の横にガラス張りのエレベーターを設置したりして旧餘部駅の一部を展望施設「余部鉄橋「空の駅」として整備してくれました 兵庫県の偉い人に大感謝です

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三方を山に囲まれ 海に正面を向いた厳しい地形と 冬季は季節風や吹雪が吹き付ける環境で 完成3年後には早くも塗装作業が必要になったり 5年後は腐食した部品の交換が始められるほど常時保守が必要だったために 1917年(大正6年)から1965年(昭和40年)まで「鉄橋守」「橋守」「橋守工」と呼称される職人さんが常駐しての維持管理してくれていました 「橋守」ってかっこいいけど ヤモリみたいにペタペタと登ってはいけないから自分には無理だな 橋脚の組み立て時のプロの鳶さんだって 2人落下して亡くなられています 大変危険なお仕事だったと思います ありがとうございます

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塗装記録表に2012年(平成24年)12月とアルので ご覧のようにこの臙脂色にはまだ辛うじてグロスは残っているけどよく見ると 長い年月潮風にやられて 素地の表面はボッコボコ。 鉄道ファンでけじゃなく山陰地方を訪れる観光客にも「余部鉄橋」と親しまれ人気者だった一方 橋梁直下の地元の方は、列車通過時の騒音のほか、様々な落下物、ボルト・ナット・リベット・鉄粉などの鉄道部品、雨水・つらら・氷の塊・雪庇、ガラス・空き缶、さらに自殺者もいたり また降ってくる錆が車を傷めるなどの不安や苦労を抱えて生活していた ともありました

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1986年(昭和61年)12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中の客車列車(8両編成)が日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ 客車の全車両(7両)が転落。転落した客車は橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃して6名の方が亡くなり 6名の方が重傷を負う悲惨な事故が起きてしまいました。 2013年から毎年計画はしていたんだけど やっと慰霊碑に手を合わせてくることができました

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初代「余部橋梁」(JR西日本山陰本線) 鎧駅 - 餘部駅間
開通 1912年(明治45年)3月1日 2010年(平成22年)7月16日夜 運用を終了
橋長 310.59m 幅員 単線
下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m
上路のプレートガーター 23連
11基のトレッスル橋脚


さようなら「余部橋梁」 今度は電車で また来るね


「余部橋梁」が終わったらもういいだろって云われるかもしれないけど 西遊記 その6につづく

 

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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記 その4
オレ毎度「ハレマスヨウニ」と声を大にして鼻で歌っていますように 梅雨ってほんとうに嫌。 お日様が意地悪しているわけじゃないんだろうけど ここんところ週末にしか雨が降らないこちら地方、それでも梅雨ってことは覚悟しているんだから 平日は降ってもらっていいんですよ で、もしよろしければ日曜日に気をつかってもらえたら オレもそんなに嫌わないんですけどね お互い引くとこ引いたら このジメジメした関係にも晴れ間が見えてくるってもんですよ ←上手いこと云ったつもりで 間 が空いちゃったのをごまかしてるけど やっぱりGWのつづきなんです ごめんなさいね

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「神子畑鋳鉄橋」と神子畑川のせせらぎには丁重にさよならを云って再出発。 前を向いて国道429号を登りだしてわりとすぐ「神子畑選鉱場跡」と生野鉱山開発にご尽力頂いたフランス人鉱山技師の「セーム旧居」を(ちゃんと寄ったけど)横目に  発光した新緑達がつぎつぎに点灯していく山の中のくねくね道を木洩れ日達と並走。 ご覧のように誰も居ない 誰も通らない 国道429号  おかげで全部独り占めです ごちそうさまです

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国道429号、笠杉峠は笠杉トンネルで越えられたけれども 高野峠は通行止め。 仕方なく県道6号まで戻って15kmぐらいの大回り。 でもおかげで「安積橋」で揖保川を渡れて国道29号の「若桜街道」に出ると 今度は引原川沿いを北上。 一気に400番も数字は若くなった 国道29号「若桜街道」も新緑達が頂上に駆け上がっていく山あいの素敵な道 オレがこっそり嗅いだら訴えられそうな清涼感のある空気の香りだって国道429号に負けてないんだけど ただ交通量が多い

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引原川は道路面より低い位置を流れているからいくら耳をすましてもせせらぎは届かない 引原トンネルを抜けてしばらくすると 引原ダムで堰き止められてできた音水湖はカヌー競技の真っ最中 奥の青磁色は「新三久安大橋」ランガーの1連。 こう云う静かな湖面でも湖の底に何が潜んでいるか わかったもんじゃないから 遊覧船ならまだしも オレビビってカヌーなんてオシャレなこと たぶん一生できないな

イヤ望めば叶うかもよと 自分を励ましながら 国道に戻ってどんどん登っていくと 兵庫県と鳥取県の県境であり、播磨灘と日本海の分水嶺でもある「戸倉峠」を”新”戸倉トンネルで越えたら はじめましての鳥取県。

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トンネルは新しくなっている と云っても もう24年も前だけど、 トンネル抜けてからの高低差のあるクネクネ道は 藩政期からつづく街道とそんなに変わってないんじゃないかな

国道29号を降りてきてしばらくすると 旧街道の入り口のような古い橋の親柱が おつかれさまですと迎え入れてくれました 「若桜橋」。 ありがとうございます

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コンクリートで出来ている橋だけど その狭い幅員とアール・デコからのちょっと間違えたニューウェーブ様式を確立している親柱の形状で 昭和の初め頃かなって思いながら八東川を渡たらせてもらったら やっぱりそうで おまけに文化財だった

「若桜橋」
竣工 1934年(昭和9年)7月31日
橋長 83.3m 幅員 5.5m
コンクリートアーチの3連


「若桜橋」から6〜700m進んだ場所にある「若桜駅」が「神子畑鋳鉄橋」の次にナビに入力した目的地。 「若桜橋」は知らなかったから ラッキーだった

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それで こちら若桜鉄道終着駅の「若桜駅」。 1930年(昭和5年)開業の旧国鉄特定地方交通線、今は第三セクターだけど古い終着駅には転車台があるハズだと ほんとに何の予備知識もないままやってきたら この駅本家に重要文化財のプレートが掲げてあったし ちゃんと転車台もあって その転車台も文化財。 しかも見慣れない色の蒸気機関車が優雅に回転ナウ

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現場で急激に心拍数が高くなっていくのを体験した ピンクじゃないよ桜色ってことだろうね この駅は他にもギリギリ写ってないけど 給水塔やら プラットホームやら いろいろと文化財だらけだし 入構券(大人300円)を買えば駅利用者じゃなくても構内に入れたことを 今知った(涙) きっとまた来ます

やっぱりちゃんと調べないとね この時は「若桜駅」の半分も理解できないままさよならしてる 距離を考えるともったいない 同じように文化財であられた沿線の各駅は全部スルー  だって「隼駅」にSRで行ったらボコボコにされるんでしょう? 


田園風景の国道428号を八東川と若桜鉄道の線路と並走して「隼駅」を遠目にしばらくすると いつの間にか国道は29号線に戻ってて 今度は因美線と並走 ちょっとすると街中になってきた そのまま鳥取駅前を横切って 国道9号に出た途端に大渋滞 この日だけで50万人は鳥取砂丘を訪れてるのは間違いない

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やっとの思いでたどり着いた鳥取砂丘に罪はないんだけど ラクダはいなかったし ちょうど最高気温に達して暑かったから ソフトクリームを買おうにも300人ぐらい並んで最後尾は霞んでいるし すぐにイヤになってきたから 滞在時間は20分程度。 人に合わせなくてすむからこういう時 ひとり旅はいいね

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鳥取砂丘から海岸に出ると しばらくいい風が吹く海岸沿いを走れて だいぶ気持ちも落ちついてきた 随分遠くの駐車場から歩いて鳥取砂丘に向かう人たちとすれ違って 逆に申し訳なくなってきた頃に 防風林を抜けた


失意のままだけど 折り返し地点を過ぎたから 良しとして 西遊記 その5につづく