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  09 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 未分類

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本文: 9  Trackback: 0

三河國一之宮 砥鹿神社 奥宮
エアコンが壊れてから三回目の夏を無事今年も乗り切ったようです アチーアチーと云ってはタオルケットを蹴散らしていたのに 低く横広がりな風がモミアゲに心地いい季節となりました すっかりご無沙汰してますが みなさまおかわりなければ幸いです  なんかもうマスクも手洗いも慣れてきたと云うか完全に飽きました  やってますし つらい人には悪いですけどごめんなさいね 正直な気持ちです。

そんな中 自分もヌルッと 久しぶりにSRで県跨ぎ(正確には県内か)してきました それで見てもらいたい「モノ」があって これまた久しぶりにブログを更新しています

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「三河國一之宮 砥鹿神社 奥宮」 の駐車場。 「奥宮」おくのみや ってちょっと隠しているような 行きにくいような そんな秘密な響きがいいですね ここまでくるのにもそれなりのクネクネ道をできるだけバイクを傾けて登ってきましたし 帰り道も今きたクネクネ道しかないのかと思うと ちょっとした覚悟が必要です

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駐車場からも、 高い木に囲まれて薄暗くなった「さんどう」を1kmぐらい登ります 最初の大きくて赤い鳥居の足元にはリュックを背負った女性が一人腰掛けていたけど 目も合わせてくれない さらに登って2番目の石でできた鳥居が上の写真。 一礼してくぐり 人気のない古い建物を横目に 階段を登り始めて すぐ 真新しい朱色の鳥居が見えた時は 「ごめんなさい」って思わず謝った ほんとごめんなさい

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この赤い鳥居を少なくとも人間はいくら頭を下げてもくぐれない だって鳥居の先は切り立った崖と云っていいし だいぶ下の裾野には豊川沿いに「長篠」の様子まで伺える。  風に乗った神様だけがこの鳥居をくぐって 本来の神様の領域に戻ってくることができる 神様用の鳥居なんだと気づく。 やっぱりなんとなくおっかないからもう一回謝っといた

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その鳥居からもう少し登って 問題はこちら。 現場で2分20秒ぐらい 写真を撮ってもいいのか悩んだし 今も、下手に調べてもいないんだけど やっぱり何か封じ込めてるのかな 聞きたいような聞いたら後悔しそうな物語でもあるのかな 今も写真を見ると 背中を鳥の羽でくすぐられているような感じかします  オレ、ホラー映画を映画館で見ると悲鳴を上げて 周りの人にクスクス笑われるような人間なので 知ってる人でも怖いことなら教えてもらいたくないです キッパリ。

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オレなんかは先に謝っといたから 画像を載せても今のところ大丈夫だけど もし行かれるのであれば自己責任でお願いします

それと、近くのスパゲティハウス チャオの本店には(本店しかない)鉄板焼きのあんかけスパゲティがあるんですよ 鉄板に薄く溶き卵が敷かれてできたおこげが香ばしいし 本店に来たって云う特別な気持ちが いつもよりさらにおいしく感じさせるんです  フフン。


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 完結
本当に盆休みに入ってしまいました(涙) いっときは収束しかけていたウイルスも まるで別の生き方を見つけたように発散しつづけていますね そんな中でのお盆休みですから 里帰りできない人も多いはずだけど ご先祖様たちは無事にきゅうりの馬に乗って帰ってきているんでしょうか  隅田川沿いの下町ではお盆に藁を燃やして 先祖の霊があの世からこの世に来る際に故人が迷わないように「迎え火」を焚くんだとか。 そんな宗教的な慣わしでさえ「粋」に感じてしまう隅田川沿いに まただいぶ間があいちゃったけどシレッともどりますよ ごめんなさいね


「中央大橋」から新川二丁目の信号まで戻って「高橋」で亀島川を渡る時 下流側に 旧「両国橋」だった「南高橋」、明治生まれの古い橋が 新しくできたビルたちに夕日ももらえず追い詰められているようでした 逃げ場がない(涙)

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「勘弁してあげて」とは云ったものの 隅田川じゃないんでまた今度。 ちゃんと念入りに挨拶もしてるし渡ってもいるんだけど「南高橋」を横目に隅田川沿いに戻って しばらくすると「佃大橋」も欄干に足場が架かっていて工事中。

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やっぱり「佃の渡し」があった場所。 江戸時代、佃島は隅田川の河口にある島でした 漁民が島に渡る足として「佃の渡し」ははじまって、 明治に入り佃島をはじめ月島や石川島が工業地帯として発達してくると 交通機関としての重要性が高まり 民営だった渡しが公営になったりもして「佃大橋」が架橋されるまでの300年以上もつづいていた渡しでした 「佃大橋」は1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせた都市整備と 増大する「勝鬨橋」の交通量緩和がねらいだとアリます。

「佃大橋」
竣工 1964年(昭和39年)
橋長 476.3m 幅員 25.2m
3径間連続鋼床鈑箱桁橋

夕暮れ時が似合う「佃大橋」は渡らずにさよならを云い 次は久しぶりに会う「勝鬨橋」だから緊張を高めつつ夕日に向き直って レンガでできている防潮堤の内側の遊歩道にスロープで降りたら 大ショック(涙) 一旦見なかった事にして 大きな深呼吸で気持ちと息を整えながら Kさんを担いでゆっくり階段をのぼる

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入館料無料の「かちどき 橋の資料館」はこの日、火曜日にも関わらず営業していなかったのは すでに16時を回っていましたし 大晦日だから仕方ないですよ わかっています もともとは「勝鬨橋」の開閉に使われていた変電所だったことも知っています。

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そして「勝鬨の渡し」があった場所だったことや この「勝鬨の渡し」が1905年(明治38年)日露戦争で旅順を陥落させたことを祝して開設されたこと、今の橋名の由来になったことは 周知の事実です

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問題は 2019年12月31日、隅田川に架かる 今まで見てきたどの工事中の橋の中でも一番厳重に足場が架けてある悲劇です。 ご存知の方もいるとは思いますが こんなことがオレにはよくある(涙)

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足場さえ気にしなければ(できない涙) 鉄に温かみを感じられる いい時間帯じゃないですか  1970年(昭和45年)11月の開橋を最後に開かずの橋になった「勝鬨橋」だけど 今立っているこの部分が万歳するように跳ね上がる「跳開橋」だったのはご存知だと思います。 「一時期は年間403回の開橋記録もあったけどモータリーゼーションの波に勝てなかった。」 と云われがちですが 前出の岡部三郎先生は「もし隅田川が大型船舶の重要航路であれば無条件に高架にすべき。しかしながら大型船舶の航路としては陸上交通のように将来増加するとは思われない」とおっしゃっています そう最初から開かずの橋なることを見越していたんですね 惚れるわ。

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「勝鬨橋」(かちどきばし)
着工 1933年(昭和8年)6月
竣工 1940年(昭和15年)6月14日
長さ 246m
最大支間長 可動部 51.6m
固定部 86.0m
幅 22m
形式 可動部 - シカゴ型双葉跳開橋
固定部 - 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋

月島側アーチ橋 - 石川島造船所製
築地側アーチ橋 - 横河橋梁製作所製
跳開橋 - 神戸川﨑車輌製
と制作会社はバラバラ

前回「勝鬨橋」に会ったのは2012年12月の朝 その時は長くなった隅田川でも最河口に架かっていたんだけど 今日「勝鬨橋」の橋上から河口側を見ると 2015年(平成27年)に新しく架かった「築地大橋」が ちょうど夕日を取り込んでいる最中でした 

「築地大橋」 
竣工 2015年(平成27年)
橋長 245.00m 幅員 37.16m
中路の3径間連続バランスドアーチ

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匂わないけど潮風だとわかるいい風が波を立たせて キラキラと美しく夕日を映すのは凸っている部分だけど そのすぐ後ろで黒く影になって凹んでる部分がないと際立たないように 太陽の特徴を隅田川の水面はよく捉えています 隅田川の水面は 長い時間の流れと同じように 満腹のいい時代もあれば 戦争や災害で苦しんできた時間を交互に映してきたから輝いて見えるのでしょうか 今回の隅田川沿い、朝日とともに始まって夕焼けで締めくくる23.5kmの旅は出来過ぎです 影に隠れて見逃してきた部分もありますが どの時代にも居れた錯覚がする 思い出深い旅となりました きっとまた お邪魔します


隅田川 完結。 長々とすみません ありがとうございました



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Category: 2019年12月31日  隅田川

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本文: 16  Trackback: 0

隅田川 その9
いつか必ず会いに行こうと思っていた 古いアメリカ式のピントラス「第一球磨川橋梁」がお亡くなりになられたのをニュースで知りました(涙) 土地の面積はかわらないのに10日間で1年分の雨が降ったりなんかするもんなんですね だとしたらずーっと滝に打たれている状態なのかな 恐怖でしかないですね 逃げるが勝ちです 遅ればせながら被害に遭われた地域の方々にお見舞い申し上げます。 雨量とか気温とか ここのところ毎年悲しい記録を更新していますから 今までの考え方や備えも更新していかないといけませんね 


不謹慎かも知れませんが「第一球磨川橋梁」の供養のためにも コロナも大雨もなかった昨年の年末の話に戻ります ごめんなさいね 

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江戸時代の隅田川と近所の地図です 当時一番河口側に架かっている橋に「永代橋」と辛うじて読めると思います 中洲を横目に隅田川を遡って さっきの「新大橋」。 その上、隅田川で見えている一番上の橋が「両国橋」です。 「永代橋」と「新大橋」中間ぐらいが「中洲の渡し」があった場所 現在は中洲と挟む川が埋め立てられて内陸になり「清洲橋」が架けられました だから震災復興事業としてかけられたんだけど「清洲橋」は初代で間違いない 初代をいきなりケルンから発想を引っ張ってくるあたり 田中豊橋梁課長も只者じゃないな 1966年(昭和41年)から 橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与されている「土木学会 田中賞」は課長の名前からきています

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貴重な髪の毛を1本も風に持っていかれないようにボサボサ頭を手で抑えながら ゆっくり河口側に振り返ると スグ、 東京都道475号永代葛西橋線支線を通す「隅田川大橋」をくぐる。 先の方に箱崎JCTがあるからややこしく見えるけど「隅田川大橋」は2階建になってるのがわかるかな 上に首都高速9号深川線を通して、下の階に東京都道475号永代葛西橋線支線が通っています

「隅田川大橋」
竣工 1979年(昭和54年)
橋長 橋長 385.3m 幅員 30.0m
主径間 3径間連続鋼床鈑箱桁橋
高架部 7径間単純鋼床鈑箱桁橋


つつっと行く。

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日もだいぶ傾いてきたのと強風も手伝って少し冷えてきたし 波立っておどろおどろしい隅田川沿いになってきた 「隅田川大橋」をくぐって しばらくすると対岸(右岸側)に日本橋川が合流してくるのがわかる 見えている橋は「豊海橋」(とよみはし)。 富山県のトロッコ電車に乗った時に見た 黒部川第二発電所の建物につづく「目黒橋」と同じ 珍しい下路のフィーレンデール。 「豊海橋」の方が7歳年上で1927年(昭和2年)の竣工。 今ちょうどア○フルの CMでおかみさんが自転車で渡っていますね もちろんちゃんと挨拶してきたけど 隅田川じゃないんでまた今度。 


場所的に「豊海橋」より先に目には入っていたんだけど あらためて風上に向き直りKさんをまた担いで階段を上るとお待ちかね 今度は男だって噂の「永代橋」がネコ科の佇まい。

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時間帯によって上りと下りの車線数が変わるのか ネコにそんなこと覚えられるのかな 心配。 当時、復興局橋梁課長だった田中先生の上司だったのかな? 土木部長の太田圓三先生は土木学会での講演会で「永代橋、清洲橋の架橋地点付近は河畔低地にして人家密集のため、下路式の橋にするより仕方がない」とおしゃっています ”仕方ない”と表現しているように その頃は読売新聞で田舎者扱いされたり、「まるで檻に入っているよう」なんて云われて アーチやトラスが路上部にあり眺望を阻害する下路式の橋は嫌われてた でも実際に「永代橋」が架かると その力学的な麗しさに文句を云う人はいなくなったそうです 日本で初めて支間長が100mを超えるために 軍艦用の高級鋼材のデュコール鋼を使っているし アーチもごっつくなっていますから みんなが云うように筋骨隆々の「男橋」ってのもわからなくはないんだけど オレはニャンコでとおします


「永代橋」で隅田川を渡り 隅田川テラスの上の道を500mぐらい下ると 東京のウォータフロントを象徴する都会的な「中央大橋」がふんぞり返って威張っていました

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上の江戸時代の地図にも描かれている 石川島がかつて「兜島」とも呼ばれていたから このシンボリックな主塔は兜の飾りをイメージしてつくられたとアル。 建設当時バブル期だったこともあってか 隅田川とセーヌ川が姉妹河川になったことを記念して設計をパリ市へ委託する案もあったんだけど 叶わず 最終的にパリ市から贈られた「メッセンジャー」(航海の女神)の彫刻作品が橋上に飾られました セーヌ川沿いにも同じ彫刻が立っています。

「中央大橋」
竣工 1993年(平成5年)8月26日 レインボーブリッジと同じ誕生日
橋長 210.7m 幅員25.0m
二径間連続鋼斜張橋


おしゃれな「中央大橋」で隅田川を渡り おしゃれな高層ビル街を抜けて坂道を上ると「相生橋」が いよいよ沈んでいく夕日の光と影の中 斜に構えながらも憂う未来を見据えているようでした

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月島は1892年(明治25年)に東京湾の土砂を浚渫して誕生しました 政府の意向で工業団地として急速に発展したんけど交通手段が「月島の渡し」と「佃の渡し」しかなかったから 架橋は住人や労働者の念願だったとアル。 1903年(明治36年)にやっと中洲だった中の島を中継して長短2本の木橋が架けられると その姿を縁起のいい「相生の松」に見立てたのが橋名の由来 現在の橋は3代目。

「相生橋」
竣工 1998年(平成10年)
橋長 149.1m 幅員31.0m
三径間連続のプラットトラス

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「相生橋」の前の横断歩道を渡ると綺麗に整備された公園に降りられる 正面に現在も再開発が進む豊洲の高層ビル街。 見えている橋は晴海運河を渡す「春海橋」と この時は気づいてなかったけど明日(元旦)に会いに行こうと思っていた「晴海橋梁」のアーチが少し見えてる。

「相生橋」にさよなら云って Uターン。 またおしゃれな高層ビル街を抜けて「中央大橋」の主塔の付け根にあるバルコニーまで戻って来た 下の写真右側の黒い影が「メッセンジャー」(航海の女神)の太もものあたり 江戸時代は「永代橋」からこの辺りが河口だったんだね 小さな木の船で隅田川を下って来ていたら「永代橋」をくぐっると急に心細くなっただろうな

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江戸時代「永代橋」の場所には「深川の大渡し」があって物資を輸送する要所だったとアル その渡しに代わって初代「永代橋」は1698年(元禄11年)隅田川には4番目の木橋が架けられました 左岸の佐賀近辺は当時「永代島」と呼ばれていたことが橋名の由来なんだとか 水運の中心だった江戸湊に近いから沢山の船が行き来していて 大きな帆船でも通過できるように当時としては群を抜いた高さを誇った橋だったことが記録されています 納涼と眺望の名所としても賑わいを見せていたそうなので 高かったんでしょうね

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1719年(享保4年)幕府の財政が逼迫しているのもあって廃橋が決まったんだけど 近隣地域の住民の請願で民間が管理することになったのはいいんだけど 88年後の1807年(文化4年)深川八幡宮の祭礼に訪れた人々が一気に押し寄せ重みに耐えきれずに数間が崩れ落ち1500人余りの死傷者を出す大惨事がおきてしまい「永代橋」は再び幕府が管理する公用橋になった。 88年間だもんね武士以外の通行人からとる「橋銭」だけじゃ十分な管理もできないでしょうし。

その後架け直しや修復を繰り返して木橋の時代が終わり 1897年(明治30年)に道路橋としては日本初の3径間連続のトラス鋼橋に架け替えられた けどやっぱり関東大震災で損傷したので現在の「永代橋」にまた架け替えられました 鋼橋としては2代目ってこと 田中豊橋梁課長はドイツのライン川にかかる「ルーデンドルフ鉄道橋」をモデルにしたそうです 震災復興だからスピードも求められただろうし そんな中でメチャメチャ勉強したんだろうな ありがとうございます

「永代橋」
竣工 1926年(大正15年)
橋長 184.7m 幅員 22.0m
下路のバランスドタイドアーチ

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歌川広重「東都名所 永代橋全図」

広重さんの描いた絵には右奥に佃島が描かれていることから 右下に描かれている「豊海橋」が現在と違って「永代橋」の下流に位置していることがわかる 一番上の江戸時代の地図にもそう描かれているから間違いない 発見してちょっと嬉しい

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渓斎英泉「東都永代橋の図」

渓斎英泉さんの描かれた浮世絵は広重さんに比べると漫画っぽいというか赤福の包装紙みたいな画風だけど橋上の賑わいや 噂どうり橋脚の高さがわかります 観覧車に乗った気分じゃないかな 江戸時代に観覧車はないけどね。



隅田川 完結につづく



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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その8
性懲りも無く昨年末の話のつづきなんですけど どこにも出かけてないのも手伝って怠けてたから 順調に6月に入ってしまいました(涙)  東海三県中は3密を避ければ県をまたいでもいいよって云われるようになってきたのはいいんだけど 今度は梅雨に入りそう 「名古屋場所」に至っては中止になって 夏場所は「両国国技館」で しかも無観客で開催されるなんて この「両国橋」の親柱の写真を撮った時には想像もしてなかった 

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隅田川「昔、今、そして永遠の流れ」誰に宛てたメッセージなんだろう  やっぱり夜になると窓の部分が光るみたい  遠い未来にまさかのまさか 隅田川が「暗渠」になることがあったとしても 流れは「永遠」ってことだろうか  でも、万が一そんなことになったら 「江戸っ子」が黙っていないだろうとは思うけどね

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「両国橋」で隅田川を渡り 遊歩道に整備されている右岸側を400mぐらい下ると 「水神大橋」からずーっと左岸に影を落としていた「首都高速6号向島線」が 東の方から来た「首都高速7号」と一緒になって 隅田川を横断していく。 

「両国大橋」
竣工 1969年(昭和44年)
橋長 329.50m 幅員 13.00m
3径間連続鋼床版箱桁

やっぱり「足場」なのかな「橋脚」には一目でわかる「足場」が組んであるけど「桁」には銀マットを貼ったようなパネルが規則正しく並べられている  やっぱり「足場」かな?


右岸側に移って「首都高速6号向島線」の わざわざ影になった道を 隅田川の流れに合わせて また400mぐらい下ると「新大橋」が ゆっくりとかしいできた夕日を まぶしそうに受け止めていました

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江戸時代隅田川に架けられた五橋のうちの3番目、1693年(元禄6年)の架橋。 一番初めは最初に架けられた「千住大橋」が「大橋」だったんだけど 2番目に架けられた「両国橋」が完成すると「両国橋」が当時「大橋」と呼ばれるようになって千住の「大橋」に「千住」がつき 3番目に架けられた大橋に「新大橋」と名前がつきました。 勉強不足と形状から そんなに昔からの橋とは思わずにウッカリ渡って来なかったもんだから 東詰に保存されている 1912年(明治45年)架橋のピントラス式旧鋼橋の親柱を見逃してきた。 でもその鋼橋はうちの近くの博物館明治村に一部親柱とともに保存されていることは知ってる。 当日この「新大橋」と明治村にいる「新大橋」が脳内で結びつかなかった おバカさん(涙)

「新大橋」
竣工 1977年(昭和52年)
橋長 170m 幅員24m
2径間連続の斜張橋

なんの緊張感も持たず「新大橋」をチャチャとやり過ごしてしまって Kさんを担ぎ 階段を登って 古い防潮堤の内側に整備されている公園を抜ける途中 対岸から小名木川が合流してくるのが見える

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見えている橋は浮世絵にも何度となく描かれている「萬年橋」。 写真左側北詰め手前に写っているのが「芭蕉庵史跡展望庭園」翌日の1月1日(元旦)はこの小名木川を調査してから帰ったんだけど とりあえず隅田川じゃないんでまた今度。 芭蕉さんがさっきの「新大橋」の俳句を3つも詠んでるのは「庵」が近かったのと 感謝の表れなのでしょう

下流側と一段と強くなってきた風に向き直ってしばらく進み またKさんを担いで階段を登ったら お待ちかねの「清洲橋」。 この大きさだからさっきから見えていたんだけどね

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関東大震災の震災復興事業として、復興局が新しく隅田川に架けた6橋「相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋」のうちの一つ。 「復興は橋より」これが関東大震災後の復興事業の合い言葉でしたとアル。 その中でも「震災復興の華」と呼ばれたのがこの「清洲橋」でした。  みんなが口を揃えて女性的だ女性的だというんだけど 塗ってもらったばっかりのコバルトブルーのせいか オレにはクールでぶっきら棒なお役人に見える どっちかっていうと男性的。 でも川端康成さんも女性だって云ってるから もうそれでいい。

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設計にあたっては橋の美観が重要視され、当時世界で最も美しいと賞賛されていたドイツのライン川にかかるケルンの吊り橋がモデル。 第二次世界大戦の戦禍でモデルとなったケルンの吊り橋は失われてしまい 世界的に見ても貴重な形式となり、2007年(平成19年)には「永代橋」と「勝鬨橋」とともに国の重要文化財に”指定”されました 何やってたんだろう だいぶ遅い指定だな その間何もなかったから まぁいいけど

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「清洲橋」が架かるまでは「中洲の渡し」があった場所。 現在の日本橋中洲は内陸にあるけど 渡船場があった頃は隅田川の分岐点で、江戸時代には川岸に料理茶屋が並ぶ 名お月見スポットだったとアル。 隅田川沿いはお花見もお月見もできて酒飲みにはほんといいところだな

「清洲橋」
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 186.3m 幅員 22.0m
自碇式鋼鉄製吊り橋


河口側からくる強風を睨みつけて 身を縮めながら「清洲橋」で隅田川を渡り 佐賀町河岸通りを風に向かいKさんをこぎ出して100mぐらい また橋の親柱に遭遇。 隅田川じゃないし 日は傾いていくばっかりだけど 別に慌ててはいないからね
 
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銘板は「上之橋」(かみのはし)と名乗っています 案内板には深川の仙台掘が隅田川と合流するところに架けられていた橋ですとアル。 親柱は4本とも保存されていて 地図で見るとすぐそこまで今も仙台堀川が存在している 仙台堀川の川幅からすると この親柱はほとんど正規の位置、架かってた当時と同じ位置なんじゃないかな

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また「今戸橋」と同じで生き埋めの刑にされているのかなと思ったら 案内板には下路式のタイドアーチが描かれているから 親柱以外は本当に撤去されてる 南に100mぐらい下って「中之橋」、さらに南に下って「下之橋」も架かっていたそうだけど親柱が保存されているのは「上之橋」だけ よかったね 


ぼーっと立っているだけだけど 橋の歴史を永くとどめている「上之橋」の親柱にさよならを云い また風と向き合ってしばらくすると 古い防潮堤の内側に降りられた

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大晦日冬日和の隅田川で15時01分に深呼吸。 波が立って水の色はおっかないけど ゆっくりと流れる水面と時間がとけあって 最高にいい気分  今は知らない人が水面も見ずに車で「清洲橋」を渡っていくけど いつの時代でも 今日のオレと同じ気分を味わった人は多いハズ あゝこれが「昔、今、そして永遠の流れ」なのか フフン。 

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歌川国芳 江都勝景中洲より三つまた永代ばしを見る図

奥に見えてるのが「永代橋」当時の隅田川が分岐していることや川岸に料理茶屋が並ぶ様子がわかりますね

隅田川 その9につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その7
GWは家の大掃除をしていました Amazonの段ボール箱とかアルミ缶とか着なくなった服なんかを捨てさせてもらえる 街のリサイクル業者さんが設置してくれている無人のコンテナが近所にあって そこぐらいしか外出しなかったので  普段昼間にいない人がずーっと居るからか うちのココさん(猫)からウザがられて 令和になってから1番の悲しい思いもしました(涙) あの時からすると今は銭湯も営業してるし随分縛りが緩くなってきましたね 運が良ければボンにはどこか旅に出れるかな なんて夢見ています 無理かな

だからまた去年の年末の話だけど「隅田川」はボンまでに終わらせればいいやって 余裕もブッこいてます まぁ元々はその7ぐらいで完結するハズだったのに 余計なことばっかり云ってるからと まだ下流側に13本も残ってるのがいけないんだけどね  この調子だとボンまでも怪しくなってきたな

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シレッと「蔵前国技館」”跡地”を回り込むように「蔵前橋通り」に出てすぐ「浅草御蔵跡」の碑が建っていた ステンレス製の案内板によると「浅草御蔵は江戸幕府が全国に散在する直轄地 すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である」とアル。 「江戸中期から幕末まで浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた」とも「現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは、昭和九年のことである。」ともアリました

「浅草御蔵跡」の碑からすぐ 正面に向き直ると東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す「蔵前橋」。

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「蔵前橋」の西詰め、親柱の位置から隅田川テラスに降りられたから 降りてみた。 上路式のアーチは路面からだとただの道路にしか見えないから 蔵前だけに「稲穂のごとく黄金に輝く橋」は下から見ないともったいない 東京都の偉い人もその辺りのことをわかっていて隅田川テラスの遊歩道を整備してくれたんじゃないのかな 現場では「わかってるぅ〜」って口笛が出た 大感謝です。

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午後の折り返しを過ぎて やわらいできた日差しに水面を輝かせる隅田川。 「蔵前橋」はテラスに降りて この時間帯が一番綺麗に映えるんなんじゃないかと思う(夜ライトアップしてるみたい) でも不思議と女性らしさは感じない 「勘定奉行」っぽいからかな カタブツでおっさんおっさんしている。
 
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下流側に振り返ると NTT東日本蔵前通信ビルと対岸を結ぶ「蔵前専用橋」。通信ケーブルの他に水道橋も兼ねてるとアル。

「蔵前専用橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 155.4m
3径間連続鋼箱桁橋



「蔵前橋」の橋上に戻って「蔵前橋」で隅田川を渡る途中の欄干には蔵前の土地柄から力士のレリーフがデザインされていた パーマボサボサ薄毛がバレるから嫌だったんだけど コレしかピントが合ってないし 力士もあんまり強そうには写ってないね。 やっぱり「富士見の渡し」(御蔵の渡し)とも称された 渡しがあった場所 関東大震災の発生前まで運行されていたそうなので「蔵前橋」は現在の橋が初代。

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「蔵前橋」
竣工 1927年(昭和2年)11月
橋長 173.4m 幅員 22.0m
上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ3径間連続 他

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「蔵前橋」の橋上からさっき渡った「厩橋」の全景。 波打ってるように見えますね 後からできた首都高速6号 向島線が「厩橋」のアーチを避けるように気持ち浮き上がっているのがわかる  落ち着きのない首都高速6号 向島線に比べて「厩橋」は鈍臭そうだけど渋い緑青色も手伝って 堂々として見えるのは 下路式の3連アーチは隅田川では他にないから。 オレなんかは橋の上にアーチが見えてる方が大好きだけど 当時景色を隠す上路式アーチは嫌われていて でも「厩橋」の両岸は土地が低くてどうしても上路式にしなければならないために アーチをつなぐ上横構材を少なくして出来るだけ空が見えるように工夫して設計したそうです 当時の橋梁課長 谷井陽之介先生も与えられた条件の中で大変でしたね ありがとうございます

「蔵前橋」で隅田川を渡り 「蔵前橋」にさよならを云って 国技館通りを河口側にしばらく進むと アーチ型の窓が素敵な洋館の「両国駅」を発見した 1923年9月1日に発生した関東大震災で駅舎は倒壊しなかったものの 壊れたのをだましだまし営業していて 今のこの駅舎(当時新駅舎)が営業を開始したのは1929年12月30日とのこと。 昨日が90歳の誕生日だったのか おめでとうございます

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その「総武線」の高架をくぐった先を右折して 隅田川の防潮堤に上がる階段を何段か登って見つけました「隅田川橋梁」(総武本線)。 アーチ部より桁の方が太くて アーチ部材が補剛の形式をランガーといいます オーストリア人の考案者ランガーさん由来  今でこそどこかしこで拝見する形式ですが 日本で初めてこの形式を採用したのがこの「隅田川橋梁」(総武本線)。 当時は珍しいし 現在の方がよく見るからか 古く感じず若く見えますね またこの辺りに「横網の渡し」があったそうです

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「隅田川橋梁」(総武本線)両国駅-浅草橋駅間
竣工 1932年3月(昭和7年)
橋長 172m 複線
支間 38m + 96m + 38m
下路のゲルバー桁のランガー 3径間

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階段を何段か降りて マンションとマンションの間の一方通行を200mぐらい逆走すると 一際大きくて丸い「両国橋」の親柱が迎えてくれる 対岸の隅田川の右岸側には神田川が合流してくるのがわかる 見えている橋はかんざし飾りの「柳橋」。その奥には有名な「浅草橋」も現役。 でも「神田川」だからまた今度ゆっくり紹介するんだけど 江戸時代からの水運の様子が目に浮かびますね

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今の「両国橋」を架けたのは東京市の歴代の橋梁課長でただ一人、国(内務省)から東京市に来た岡部三郎先生。 東京帝都大学を首席で卒業し のちに「勝鬨橋」を架けた優秀な技術者です 「両国橋」は震災復興計画では当初架け替えずに1904年(明治37年)に竣工した旧橋を使用する計画だったけど 旧橋の幅員が前後の道路の半分の11mしかなくて 将来交通の障害になると考えた先生は 再度復興局に掛け合って難航の末 補助金や予算を引っ張り出して計画を変更させ 復興事業最後の橋として事業化しました この親柱の球は地球儀を表しています 先生は「両国橋の名前の由来になった、武蔵、下総の国境というよりは、もっと大きな意味で両国を結ぶという気分のものであった」とおっしゃています 頭のいい人は行く末が見えているから 説得力が増すんでしょうね 

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「厩橋」みたいに景色を隠す下路式は嫌われて 復興局が架けた上路式の「言問橋」が評判が良かったのもあってゲルバー桁が採用されたけど当時「言問橋」の工事費が180万円に対して「両国橋」の工事費は86万円。形式は同じ 橋長、幅員もほとんど変わらないのに半値でできたのは 「両国橋」は1904年(明治37年)に竣工した旧橋の橋台と橋脚を補強して再利用したから。 先生はやりくり上手でもあったんです  撤去された旧橋の1連は改造して「南高橋」と名前を変え 先の隅田川に流れ出る 亀島川に現在も架かっています  


「両国橋」
竣工 1932年(昭和7年)11月
橋長 164.5m 幅員 24.0m
ゲルバー式鋼鈑桁橋の3径間


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広重 新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図

江戸時代に隅田川にかけられた5橋のうち「千住大橋」の次1661年(寛文元年)?に架けられた橋だから これまた江戸時代からつづく隅田川花火大会の様子が浮世絵にもおおく描かれていて 「両国橋」からは歴史ロマンの旅にも出かけられます

なかなか進まないけど着実に 隅田川 その8につづく