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  07 ,2019

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記 その5
雨音の催眠効果でコックリコックリやってたのか ガックってなって ハッと目覚めたら 職場のみんなはもう7月だって云うんです 本当なの? 先々週ぐらいがGWだったし 先々月ぐらいに奈良健康ランドで新年を迎えたハズなんだけど おかしいな オレだけ地軸がズレていて1日16時間ぐらいしかないのかな まぁ そういう理由で またGWのつづきをおしつけるんです ごめんなさいね

鳥取砂丘にサヨナラ云ったのが GW2日目、5月4日の午後2時をちょっと回ったぐらい なるべく日本海側を走りたいけど 山陰道と云うだけあって どうしても山あいを抜けて行くもんだから 水平線は途切れ途切れで トンネルも多い 「山陰」とか「トンネル」とか 文字にしちゃうと影が差すイメージだけど この日は澄みきったいい天気。 青空に鼻を突き出して 塩分濃度の高い清香に引っ張られるように 諸寄海水浴場まで下りてきた

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諸寄海水浴場から浜坂駅前を抜けて 岸田川の支流の田君川、土木学会選奨土木遺産のこの方「田君川橋梁」に呼ばれてきたのはいいんだけど めずらしく先客がお見えでした その方、三脚に本格なカメラをセットして「田君川橋梁」を撮影してたから 「何か研究されているんですか」と尋ねたら 「イヤただ橋梁の写真を撮ってるだけです」と電車目的でも無い様子。 世の中変わった人もいるもんだな ひょっとしたらこの業界(なんの?)のプリンスだったのかな 背中にサインしてもらえばよかった

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気を使ってどいてくれたんだけど なんか緊張しちゃって その方が写らないように こんな中途半端な写真しかない けど この写真を見るとコンクリートで嵩上げしたことがわかる 「ラチスガーター」っていうんだけど 初日に遠くから写した「竹野川橋梁」と同タイプ そう日本に3本しか現存しないうちの2本。 手間より鉄の材料代の方が高かった時代なんでしょうか

「田君川橋梁」(JR西日本山陰本線)
開通 1912年(明治45年)
橋長 38.40m 幅員 単線
1連上路格桁(ラチスガーター)2連上路プレートガーダー

ラチスガーターの方は1919年(大正8年)頃に増連とアル。 増連して またしばらくたってから嵩上げしたのか それぞれ物語(歴史)がありますね この年代の方々が古くから染められてきた「臙脂色」を纏うと説得力と文字どうり重みが増す また伺いたいものです


「山陰近畿自動車道」が開通したおかげで国道の番号を剥奪された「但馬漁火ライン」で しばらくは山の中を徐々に登っていき 桃観峠(ももみ)を桃観トンネルで越えて ゆるやかな坂を下り切ると 余部漁港、黒い瓦屋根が並ぶ漁師町につきあたる。 随分とおまたせしました「余部橋梁」が青空の中、新緑の衣に着替えた山を串刺しにして その漁師町をまたいでいました

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見えている 橋は2代目で 2010年(平成22年)8月12日に供用が開始された PC(プレスコンクリート)製のエクストラドーズド橋。 ほんとは現役中にお会いしたかった 初代「余部橋梁」、鋼製のトレッスル橋脚とプレートガーター桁の一部が保存されています

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自分が古い橋を廻る旅をはじめたのが 2010年(平成22年)のGW 。その時はもちろん「余部橋梁」は知らなかったんだけど 入れ違いだったんだな  上の写真、プレートガーター桁の部分の材料はドイツ 製の輸入鋼材で石川島造船所が製作 1911年(明治44年)9月に神戸から工事列車に乗ってやってきて お隣の鎧駅で組み立てられたそうです「梁」の字が常用漢字に含まれてないから ひらがな表記なんだ  

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トレッスル橋脚も部分保存とは云ってもこの大きさだから めちゃめちゃありがたい  橋脚の鋼材 652.496 t とアンカーボルト 12.72 t はアメリカン・ブリッジのペンコイド工場で製作されて一旦九州の門司港に運ばれてから 汽船「弓張丸」に積み替えられて余部沖に運ばれ、1910年(明治43年)8月に陸揚げされた。 ドイツの桁とアメリカの橋脚がドリーム共演だったのか

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検討の結果維持費や落下物の危険性などが少ない、餘部駅側の橋脚3本を保存していただけた だけでなく その保存されている橋脚の横にガラス張りのエレベーターを設置したりして旧餘部駅の一部を展望施設「余部鉄橋「空の駅」として整備してくれました 兵庫県の偉い人に大感謝です

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三方を山に囲まれ 海に正面を向いた厳しい地形と 冬季は季節風や吹雪が吹き付ける環境で 完成3年後には早くも塗装作業が必要になったり 5年後は腐食した部品の交換が始められるほど常時保守が必要だったために 1917年(大正6年)から1965年(昭和40年)まで「鉄橋守」「橋守」「橋守工」と呼称される職人さんが常駐しての維持管理してくれていました 「橋守」ってかっこいいけど ヤモリみたいにペタペタと登ってはいけないから自分には無理だな 橋脚の組み立て時のプロの鳶さんだって 2人落下して亡くなられています 大変危険なお仕事だったと思います ありがとうございます

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塗装記録表に2012年(平成24年)12月とアルので ご覧のようにこの臙脂色にはまだ辛うじてグロスは残っているけどよく見ると 長い年月潮風にやられて 素地の表面はボッコボコ。 鉄道ファンでけじゃなく山陰地方を訪れる観光客にも「余部鉄橋」と親しまれ人気者だった一方 橋梁直下の地元の方は、列車通過時の騒音のほか、様々な落下物、ボルト・ナット・リベット・鉄粉などの鉄道部品、雨水・つらら・氷の塊・雪庇、ガラス・空き缶、さらに自殺者もいたり また降ってくる錆が車を傷めるなどの不安や苦労を抱えて生活していた ともありました

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1986年(昭和61年)12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中の客車列車(8両編成)が日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ 客車の全車両(7両)が転落。転落した客車は橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃して6名の方が亡くなり 6名の方が重傷を負う悲惨な事故が起きてしまいました。 2013年から毎年計画はしていたんだけど やっと慰霊碑に手を合わせてくることができました

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初代「余部橋梁」(JR西日本山陰本線) 鎧駅 - 餘部駅間
開通 1912年(明治45年)3月1日 2010年(平成22年)7月16日夜 運用を終了
橋長 310.59m 幅員 単線
下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m
上路のプレートガーター 23連
11基のトレッスル橋脚


さようなら「余部橋梁」 今度は電車で また来るね


「余部橋梁」が終わったらもういいだろって云われるかもしれないけど 西遊記 その6につづく

 

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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記 その4
オレ毎度「ハレマスヨウニ」と声を大にして鼻で歌っていますように 梅雨ってほんとうに嫌。 お日様が意地悪しているわけじゃないんだろうけど ここんところ週末にしか雨が降らないこちら地方、それでも梅雨ってことは覚悟しているんだから 平日は降ってもらっていいんですよ で、もしよろしければ日曜日に気をつかってもらえたら オレもそんなに嫌わないんですけどね お互い引くとこ引いたら このジメジメした関係にも晴れ間が見えてくるってもんですよ ←上手いこと云ったつもりで 間 が空いちゃったのをごまかしてるけど やっぱりGWのつづきなんです ごめんなさいね

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「神子畑鋳鉄橋」と神子畑川のせせらぎには丁重にさよならを云って再出発。 前を向いて国道429号を登りだしてわりとすぐ「神子畑選鉱場跡」と生野鉱山開発にご尽力頂いたフランス人鉱山技師の「セーム旧居」を(ちゃんと寄ったけど)横目に  発光した新緑達がつぎつぎに点灯していく山の中のくねくね道を木洩れ日達と並走。 ご覧のように誰も居ない 誰も通らない 国道429号  おかげで全部独り占めです ごちそうさまです

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国道429号、笠杉峠は笠杉トンネルで越えられたけれども 高野峠は通行止め。 仕方なく県道6号まで戻って15kmぐらいの大回り。 でもおかげで「安積橋」で揖保川を渡れて国道29号の「若桜街道」に出ると 今度は引原川沿いを北上。 一気に400番も数字は若くなった 国道29号「若桜街道」も新緑達が頂上に駆け上がっていく山あいの素敵な道 オレがこっそり嗅いだら訴えられそうな清涼感のある空気の香りだって国道429号に負けてないんだけど ただ交通量が多い

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引原川は道路面より低い位置を流れているからいくら耳をすましてもせせらぎは届かない 引原トンネルを抜けてしばらくすると 引原ダムで堰き止められてできた音水湖はカヌー競技の真っ最中 奥の青磁色は「新三久安大橋」ランガーの1連。 こう云う静かな湖面でも湖の底に何が潜んでいるか わかったもんじゃないから 遊覧船ならまだしも オレビビってカヌーなんてオシャレなこと たぶん一生できないな

イヤ望めば叶うかもよと 自分を励ましながら 国道に戻ってどんどん登っていくと 兵庫県と鳥取県の県境であり、播磨灘と日本海の分水嶺でもある「戸倉峠」を”新”戸倉トンネルで越えたら はじめましての鳥取県。

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トンネルは新しくなっている と云っても もう24年も前だけど、 トンネル抜けてからの高低差のあるクネクネ道は 藩政期からつづく街道とそんなに変わってないんじゃないかな

国道29号を降りてきてしばらくすると 旧街道の入り口のような古い橋の親柱が おつかれさまですと迎え入れてくれました 「若桜橋」。 ありがとうございます

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コンクリートで出来ている橋だけど その狭い幅員とアール・デコからのちょっと間違えたニューウェーブ様式を確立している親柱の形状で 昭和の初め頃かなって思いながら八東川を渡たらせてもらったら やっぱりそうで おまけに文化財だった

「若桜橋」
竣工 1934年(昭和9年)7月31日
橋長 83.3m 幅員 5.5m
コンクリートアーチの3連


「若桜橋」から6〜700m進んだ場所にある「若桜駅」が「神子畑鋳鉄橋」の次にナビに入力した目的地。 「若桜橋」は知らなかったから ラッキーだった

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それで こちら若桜鉄道終着駅の「若桜駅」。 1930年(昭和5年)開業の旧国鉄特定地方交通線、今は第三セクターだけど古い終着駅には転車台があるハズだと ほんとに何の予備知識もないままやってきたら この駅本家に重要文化財のプレートが掲げてあったし ちゃんと転車台もあって その転車台も文化財。 しかも見慣れない色の蒸気機関車が優雅に回転ナウ

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現場で急激に心拍数が高くなっていくのを体験した ピンクじゃないよ桜色ってことだろうね この駅は他にもギリギリ写ってないけど 給水塔やら プラットホームやら いろいろと文化財だらけだし 入構券(大人300円)を買えば駅利用者じゃなくても構内に入れたことを 今知った(涙) きっとまた来ます

やっぱりちゃんと調べないとね この時は「若桜駅」の半分も理解できないままさよならしてる 距離を考えるともったいない 同じように文化財であられた沿線の各駅は全部スルー  だって「隼駅」にSRで行ったらボコボコにされるんでしょう? 


田園風景の国道428号を八東川と若桜鉄道の線路と並走して「隼駅」を遠目にしばらくすると いつの間にか国道は29号線に戻ってて 今度は因美線と並走 ちょっとすると街中になってきた そのまま鳥取駅前を横切って 国道9号に出た途端に大渋滞 この日だけで50万人は鳥取砂丘を訪れてるのは間違いない

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やっとの思いでたどり着いた鳥取砂丘に罪はないんだけど ラクダはいなかったし ちょうど最高気温に達して暑かったから ソフトクリームを買おうにも300人ぐらい並んで最後尾は霞んでいるし すぐにイヤになってきたから 滞在時間は20分程度。 人に合わせなくてすむからこういう時 ひとり旅はいいね

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鳥取砂丘から海岸に出ると しばらくいい風が吹く海岸沿いを走れて だいぶ気持ちも落ちついてきた 随分遠くの駐車場から歩いて鳥取砂丘に向かう人たちとすれ違って 逆に申し訳なくなってきた頃に 防風林を抜けた


失意のままだけど 折り返し地点を過ぎたから 良しとして 西遊記 その5につづく


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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記 その3
うちのココさん(猫)があんまりにも可愛いもんだから つい耳を軽く噛んじゃた そぉしたらギャーーって反撃されて鼻を思いっきり噛まれた ココさん(猫)の歯はキバだから痛いし深く入って 思いのほか血が吹き出たから 鼻セレブを何枚も使ってずーっとずーっとおさえてて やっと止まったかなぁと思ったら もう梅雨に入ってますね GWに鼻をハンドルより前に突き出して目一杯青空を吸い込んだ久美浜町も今頃は雨降ってるのかな  血の雨が降る梅雨が始まっちゃったけどGWのつづきなんです ごめんなさいね

城崎温泉でひとっ風呂浴びて出たら 気温も下がっていて もういい時間 円山川沿いを10kmぐらい遡った豊岡駅前のビジネスホテルにチェックインできたのが17時30分ぐらい

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日本海沿いの漁師旅館でカニ三昧もいいなーと思ったんだけど この時期一人だとどこも泊めてくれないし GW中は一泊5万円ぐらいするもん(涙) 兵庫県北部の中心都市である豊岡市まで来るとビジネスホテルもたくさんあって予約もできたし 駅前には地のものを揃えた飲食店があることも調査済み この日の宿代は5,500円だったのに駅前の「大石屋食堂」で一人で6,500円以上食べて飲んじゃった 


翌朝 6時57分。 早いうちにくたばったから二日酔いでも全然ない

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前以てホテルにはバイクで一人で行くことを伝えてあったからか カラーコーンに自分の名前が書いてあった 何だろうこんなことでちょっと嬉しかったのか 同じ画像を嫁にも送った 「おはよー 出発。」

豊岡駅前の通りを突っ切って 円山川の堤防にスルッと上がり円山川沿いを遡る。 風もなく大変いい天気なのに少し肌寒く感じる円山川沿い 出石川と分離して1kmぐらい行ったところに発見! 本日の橋1本目はきらびやかな朝日を味方につけていやが上にも輝く「蓼川大橋」。 おはようございまーす

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普通って云ったら違うのかな 普通、真ん中のローゼ橋は「蓼川大橋」達の中でも主人公的な方なので川の水が流れている部分に架かるハズなんだけど 川の水じゃなくて休憩中の重機を跨いでいる不思議。 水の流れている部分が変わっていって河川敷が動いたようにも見えないけどな まぁいいや

「蓼川大橋」
竣工 1988年(昭和63年)
橋長 309m 幅員 
鋼ニールセンローゼ 連続鈑桁 合成鈑桁

円山川に架かってるのに「蓼川大橋」て云うのもなぁ  蓼食う虫も好き好きって云うし きっと昔の名前で出ている「蓼川大橋」にさよなら その「蓼川大橋」で円山川を渡り 鼻の穴を膨らませてしばらく進んだ先の「鶴岡橋」でまた円山川を渡る時、

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円山川に流れがないからか 旧橋の橋脚が 植えられた苗のように「前にならえ」をしていました 稲みたいに成長すれば未だしも 用もないのに立たされたままでお気の毒様だけど オレあんた達好きだなぁ 

おっさんから告白されて困惑している「旧鶴岡橋」の橋脚たちにはおかまいなしに 再会を約束して 再出発。

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また円山川沿いを鼻の穴を膨らませて遡っていたら 円山川も偉いね 「魚道」を発見。 治水の為に設けた堰だけど魚にしてみれば障害でしかないわけで お詫びに回遊する魚の里帰りをお手伝い。 視野の狭い自分ではこんな助けがあることにも気づかず ただ逆流に手向かって疲れちゃうだけ 魚のように世の中がまるく見える広い視野を持ちたいものです(涙)

世の中捨てたもんじゃないなとニンマリしながら またしばらく進むと 山陰本線の「大屋川橋梁」がお仕事中でした 朝からお疲れ様です

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「大屋川橋梁」山陰本線 八鹿駅ー養父駅間
1987年(昭和62年)架け替え
橋長 215.8m 幅員 単線
79.4m+79.4m+52.8の3連
下路 曲弦 ワーレントラス

無塗装仕様とアルので このトラスはペンキを塗ってもらってないみたい 冷え込む時期は辛いだろけど 無塗装仕様だから 下弦材上フランジと縦桁、横桁上下フランジが水勾配をつけてあって雨水とかが溜まらないようになってるんだって 冷たくされてるのか 大事にされてるのかよくわかんないな

ちょっと「M」っ気がある「大屋川橋梁」にもさよなら云ってUターン。 国道に戻ると国道が9号に変わってしばらくしたあたり 並走する山陰本線の踏切の向こうに 可愛いトラスが見えたら 誰だって寄るよね「糸井橋」。

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なぁらぁんで♪ ひぃらぁいいてぇ♪ って 歌詞間違って遊んでたから「糸井橋」もこの陽気に浮かれてるんだと思う 
「糸井橋」
竣工 1968年(昭和43年)
橋長 108m 幅員 6m
下路 平行弦 ポニーワーレントラスの3連

幼稚園児かと思ったら同い年じゃないか この世代はもうちょっとしっかりしんといかんなと ほんとに思う 世代じゃなくてオレ個人の問題か ごめんなさい  しばらく遊びに付き合ったけど このままじゃダメになると思って なんとか振り切って逃げてきた

国道9号「一本柳」の交差点を大きく右折して また国道312号に戻り しばらくすると右側に「竹田城跡」。

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前回「竹田城趾」は登ってるから今回は麓の町内から見にくいけど一枚だけ。 
「竹田城跡」を横目にスルーして国道に戻り 随分と細くなってきた円山川沿いを またずんずん遡ってしばらくすると 反対車線側に「鉱石の道」と名づけられた 駐車場が8台分ぐらい用意してある簡単な公園? にお見えになります 「羽渕鋳鉄橋」。

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「羽渕鋳鉄橋」
開通 1885(明治18)年3月
橋長 18.27m 幅員 3.6m
鋳鉄上路スパンドレルアーチの2連

一先ず、国道312号をUターして1kmぐらい戻り 国道429号に左折してしばらく 神子畑川沿いを遡ると民家もしだいに少なくなって どんどん山に入っていきます この辺り、戦国時代からは神子畑鉱山として、 明治に入ると官営の銀山として栄えていたお土地柄。 その閉山後も 今度は北西約6キロに位置する養父市の明延鉱山の選鉱場として この地に「神子畑選鉱所」が建設されました

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「羽渕鋳鉄橋」から6kmぐらい山に入ったところに ご兄弟の「神子畑鋳鉄橋」も今は文化財になって大切に保存されています

「神子畑選鉱所」と それ以前から16キロ南東にあった生野鉱山併設の生野製錬所まで、 中継して その先にも鉱石を運ぶ道として 延長16.244m 幅員3.6m の「馬車道」 が整備されました。 その「馬車道」にかけられた五つの橋のうちの二本。「羽渕橋」は「県」指定の文化財になって移築保存されたけど「神子畑鋳鉄橋」は開通から現位置に架かっている「国」指定の文化財。 ちょっと差つけられちゃったね

「神子畑鋳鉄橋」
竣工 1885年(明治18年)3月
橋長 上流側 15.969m 下流側 15.997m 幅員 3.727m
鋳鉄製アーチ橋 1連

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生野鉱山開発に貢献したフランス人技師の影響なのか とっても おフランスな雰囲気 でも完全なる日本製。 現存する鉄橋としては日本で3番目に古くて、鋳鉄橋としては一番古い そしてなにより美しい。 130年以上も前 ここにレールが敷いてあって鉱石を乗せたトロッコを馬が引っ張って 神子畑川を渡って行ったんです 


遠い目をして 西遊記その4につづく


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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記 その2
北海道が39度ってどういうこと? 去年の夏は今まで経験したことがないくらいの猛暑つづきで 災害も多くて大変だったですもんね 今年は今からこんなだと どうなっちゃうのかな キャンプでも使えるはずだから「ポータブル電源」ての?検討してみようと思う なんにしろいろいろと心配になってくるような暑さででも 汗はいっぱいかくから代謝はいいはずなのに いまだに正月太りが解消しないってのが 本当にどういうこと?(涙)

体重のことは一旦置いといて(危機感0) 自販機の天ぷらうどん(一体なんの天ぷらだったんだろう)を5秒ぐらいでお出汁まで飲み干して(ぬるい) 「ドライブイン ダルマ」 を後にした日のつづき

国道178号に戻り 由良川沿いをいい風受けて 真正面というよりはだいぶ上の空の方を見ながら快走すること1kmぐらい

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単車なのにゆっくり動く景色の中 いっそうのんびりと架かる「由良川橋梁」が ハレわたった青空と日本海の水平線を分けていました   ご無沙汰しています ただいまです

「由良川橋梁」 京都丹後鉄道 丹後神崎駅ー丹後由良駅間
竣工 1924年(大正13年)
橋長 551m
単線 上路のプレートガーターで24連

前は「北近畿タンゴ鉄道」だったけど2015年4月1日から「京都丹後鉄道」に変わったみたい 第三セクターで特に懐具合が良くないって噂だったから なんでかってあんまり聞かないであげてね 

心の中で静かに廃線を危惧し 大きな声で「由良川橋梁」にサヨナラ云った。 また来ますからね いつまでも居てくださいよ

「由良川橋梁」の横の土手を挟んだ「由良架道橋」をくぐって しばらく 香りはしないんだけど 潮風だとわかるいい風をまた受けて 西へ西へと進み  ほんとは寄るつもりだったけど付き合っていられないぐらい 多分「天橋立」へとつづく大渋滞中の車を横目にやり過ごし 国道が312号に変わって すぐぐらいだったと思う

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「この人とっても古いです」と その丸っこい人柄を新緑達に推薦されるように 石積みの高潔の士が 高々とプレートガーター橋を持ち上げていました  超ハンサムで力持ち
多分鉄橋部もそうだと思うけど この橋脚は国鉄時代の「丹後山田駅」(現 与謝野駅)開業の1925年(大正14年)7月31日から 次の駅、国鉄時代の「口大野駅」(現 京丹後大宮駅)開業の1925年(大正14年)11月3日までの間に竣工しているハズ。 きっと94歳。 もうちょっとでアンティークですね ほんとにお疲れ様です

「水戸谷川橋梁」の大きさのわりには控えめな影を遠慮がちに踏んずけて くぐらせてもらい 日本海に呼び寄せられるように それでも西に向かってズンズン進み 国道を逸れると また田んぼだらけの道になって いい天気 フフン。

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田植えはもう終わっているみたいで 雲も人もいないけど ニヤニヤしながらゆっくり走ったおかげで 土の匂いを久しぶりに嗅いだし どこまでも見渡せる空を見てたら30メートルぐらいなら飛べる気がしてきた。  ハッパキメなくてもぶっ飛べる京丹後市久美浜町の農道、 誰もいないから気兼ねなく スピッツに代わった鼻歌最大ボリュームで ストトトトーと駆け抜けた

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折り目正しい京丹後鉄道の「小天橋駅」。 今回のルートを考えているときに地図上で変わった地形を見つけて 寄ってみようと思った「小天橋」は 実際行ってみると 地図で見た方が変わってるのがわかりやすい これかぁっていう決め手がないからちょっとうろうろした

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小天橋海水浴場で泳いでる人はさすがにいなかったけど たくさんの人がビーチサンダルをはいてBBQ。その横を2メートルぐらいもある蛇が全身を反らしながら跳ねるようにあわてて移動して行った 蛇にしてみれば走ってるつもりなのかな 蛇も久しぶりに見たな  なんでも「天橋立」の小さい版だから「小天橋」っていうみたい

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小天橋で久美浜湾を半周して ”府”道11号に移って三原峠を越えると兵庫県に入ったからそのまま”県”道11号になって、この兵庫県道11号で円山川を渡る橋が「港大橋」。 円山川が津居山湾(日本海)に流れ出る少し手前に架かっている橋だから 塩分の取りすぎで 橋脚がサビサビの気の毒な橋

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気の毒って云えば ご覧の通り元々は跳開式の可動橋としてかけられたんだけど 今は体が固まって動けない状態(涙)

「港大橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 328m 幅員 
9径間連続 綱合成鈑桁橋
跳開式可動橋(現在は固定)

もう跳ね上がることはないのか 男としてはこんなに悲しいことはないな(涙) 立派に跳ね上がっていたあの頃を偲び「港大橋」に さようなら

「港大橋」で円山川を渡りきったドン突きを右折して 自分も走って来ましたよ 「但馬漁火ライン」 木が生い茂っているところは別として 高台から日本海のキラメキを見下ろしながらつづく素敵な道 福井県のしおかぜラインも素敵なんだけど 高いところを走ってるから飛んでるような錯覚 フフン。 でも 落ちたら死ぬ!!よ 間違いなく

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自分が潮風になったつもりで目が細まったり口が半開きになったりはするんだけど 調子には乗らなかったから 無事竹野海岸まで降りて来てちょっと行った「はさかり岩」。 日本海って深くて波が荒いのかな 色々とあきさせないね おかあさん

「はさかり」って「はさまり」の方言なのかな あなたなら歯と歯の間にはさかった物は何ですか?

はさかり岩でUターンして本日の「但馬漁火ライン」はここまでで 竹野川に一本呼ばれてる 
山陰本線と並走して竹野川沿いを遡ること5kmぐらい すごく注意してみてたから難なく発見! 大変お会いしたかった「竹野川橋梁」。
 
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発見したのはいいんだけど遠い。 手前で畑仕事をしていたおかあさんに断って ギリギリまで近ずいてもここまでだった(涙) 思いついて向こう岸に渡ってみたけど向こう岸からは見えなかったし 大きな鹿が死んでいて うまそうじゃない感じの ドライエイジングがだいぶすすんでいたから うっかり思いついて行かなきゃよかった

「竹野川橋梁」(JR西日本山陰本線)
城崎駅ー竹野駅間
開通 1911年(明治44年)
橋長 101.21m 幅員 単線
1,2,3,5連が上路プレートガーダー 4連が上路格桁

1両目と2両目の車両が乗っかってる部分の桁は日本で3本しか現存しない貴重な桁なんだけど やっぱりよく見えない(涙) 望遠鏡を持ってまた来ます
 
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死んだ目をした 死んでる鹿に見送られ 気をたしかに持ってUターン やっぱり山陰本線と並走して竹野川沿いを1kmぐらい下り 静かな山陰本線の踏切を渡った県道9号で 鹿がいっぱい居そうでちょっとおっかない鋳物師戻峠をトンネルで越えた 今でも時々あの死んだ目を思い出して吐きそうになる アーメン。

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鋳物師戻峠をスルスルと下ってきたら 楽しみにしていた城崎温泉街に到着 日帰り温泉の「さとの湯」に浸かってきたんだけど ただ単に自分が疲れてただけかも知れないけど ドーンと疲れるちょっと硬い温泉だった。 さとの湯の男湯では10人に3人の割合で外国人と混浴したし10人に2人の割合で刺青背負った日本人と混浴した いろんな意味で目のやり場に困ったッス。


さっぱりしたからよしとして 西遊記 その3につづく 


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Category: 2019年05月03日  西遊記

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西遊記
前回うっかり いらないこと書いて ご心配をおかけしたんですけど 「即位の日」に神奈川県の病院まで嫁を迎えに行って来た そんなに心配はしていなかったんだけど 無事元気に退院したから真面目な顔もこの日で終了。

なんか久しぶり 行きますかー

前日まで時々グズグズしていた雨も完全に上がり 最高気温も27度まで上がった 令和元年の憲法記念日、 約束どうり太陽に背を向けて 6時23分、キック一発でにんにきにきにきにんにきにきにき♪と出発。

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最初から良すぎると調子に乗ってコケちゃうオレに気を使って お日様は控え目で雲が多目な いつもの国道22号、「新木曽川大橋」の橋上に取り付けられている温度計は非表示だったけど 体感では12度ぐらい いつものように国道21号に合流して一段階速度が上がると 曇り空も手伝って寒い寒い。 国道365号に分技しても気温は上がらず 国道両脇に広がった田んぼには 苗が冷たそうに並んで立っていた

田んぼ

今朝植えたばっかりかな 

お腹は空いていても マックもすき家もスルーして来たのは ナビに最初に打ち込んだ目的地の「つるやパン」で噂の「サラダパン」デビューしてやろうと企んでいたんだけど GWだからなのかお休みだった(涙)
営業していたとしてもこの様子じゃイートインスペースはないよね まだ見てないけど「カメラを止めるな!」の監督さんはこの辺りの出身なんだ 基本ビビリなんで多分このまま見ないと思うけど 「つるやパン」にはまた来ます

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国道8号線に変わり 賤ヶ岳をトンネルでくぐって琵琶湖沿いに出ても 空のご機嫌はナナメに傾いたままだったんだけど 「塩津」で国道303号に乗り換えて、またしばらくして国道161号に左折すると 予報どおり空も明るくなってきて この辺りで道路脇に取り付けられていた温度計の23℃って数字を見た途端に口角が上がり 鼻歌のスイッチが入った

ニヤニヤし始めて わりとすぐだったと思う 押しボタン信号の交差点左側に赤いトラクターが信号待ちしていたから この辺りも今日植えたのかな なんてぼんやり見てたら 手前の電柱に寄り添うようにチャーミングな後ろ姿を発見! 間違いない!

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初めまして会いたかったよぅ ビーナスちゃん。 この辺りにもお見えになるんですね 真っ赤な口紅引いて大人っぽく振舞っているけど よく見ると片手に指は2本しかないし 背中に背負ってるのはランドセルかな 連れて帰りたいけど未成年だとさすがにオレ逮捕されちゃうよね その場合窃盗の方が罪は軽いとしても裁判官は誘拐と判断せずにはいられないだろうな その気持ちもわかる。

仕方がないので 罪つくりなビーナスちゃんとは再会を約束してお別れした 大人になった頃に花束持ってまたきます

鼻歌が燃える男の赤いトラクターから いつでも探しているよ〜どっかに君の姿を〜♪ に変わってしばらく進み 今津で琵琶湖に背を向けて国道303号の鯖街道をしばらく行くと 山間の一本道になって 新緑の清々しい水分に満ちた水坂峠を水坂トンネルで超えた そのまま福井県にはいってすぐ「若狭熊川宿」に到着。

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京都島原の太夫は表向き京都出身者しかなれないハズなんだけど 当時は内緒で小浜とかの貧しい家の女の子達が京都島原に買われていったと云う 哀しい話をどっかで読んだ 京都に上るとき この「若狭熊川宿」に泊まったことも書かれていた 4、5歳の女の子だもんな 心細かっただろうね(涙)

貧しさ故 運命に翻弄され 身をえぐられるような決断をしなければならなかった母親の気持ちにも思いをつのらせ ゆっくりと街道を抜けた 

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ふもとに降りると今回もエンゼルラインを選択して 小浜駅を遠目に交通量の多い国道27号線で 磯の香りが届かない海沿いを 西へ西へとずんずん進み 前回初対面を果たしていたから今回はスルーしよっかなと思ったけど 前回はジュニアと一緒だったから SRはまだ会ったことないって云うからさぁ

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「若狭高浜駅」の 使われなくなった古いレールで製作された「ハウトラス」の跨線橋にも会ってきた ご無沙汰してますー。 竣工はわからないけど駅の開業は1921年(大正10年)4月3日。 

また夏あたりに寄れると思うから 挨拶も早々に国道27号に戻り 一旦海から離れて 福井県と京都府の県境でもある吉坂峠を小浜線がトンネルで越えたすぐの辺りに架かってる コンクリートブロックで積み上げられた「青葉橋」。この方も竣工はわからないけど この区間の開業は1922年(大正11年)とのこと。

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何年もかわらず どこにでもありそうな田んぼだらけの道になって動かない大正生まれのおじいさんは 若いキミドリ色達にからかわれていることさえ知らずに またひとつ新しい時代を迎えたことも 気づいてないだろうな 「青葉橋」にしてみれば何度元号が変わろうとも ずーっと続いている一つの時代  いつかまたお邪魔しますね


国道にもどり 緩やかな下り坂を降りてきた町内で 久しぶりに「萬代橋」をクグって与保呂川を渡った お元気そうで何よりです

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「萬代橋」
竣工 1955年(昭和30年)
アーチ橋の1連


また国道にもどって しばらくした舞鶴港は何かイベントが始まりそうな雰囲気 軍艦?に大勢の人だかりができているのを横目に 西港の「舞鶴とれとれセンター」もスルーして ズンズン西に進み「大川橋」で由良川を渡ったドンツキを右折して国道178号 由良川沿いの快走路を駆け上がって しばらくするとありました「ドライブイン ダルマ」。

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懐かしい自動販売機のうどん 最近見ないね この手のものに反応してしまうのは 大抵単独行動のおっさんばかり この日も自分と似たような歳カッコのおっさんがあと三人。 大きなテーブルの四隅にひとりずつ 簡単な椅子に腰掛けて ニコッともせず無言で それぞれ何かを啜っていました(涙) 


美味しかったかな? とりあえずやっとお腹が満たされたのでよしとして 西遊記その2につづく