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  12 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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隅田川番外編その2 豊海橋
会社の窓から見える御嶽山の先っちょは もう真っ白な雪を羽織り 塵ひとつ映さない暖かそうな太陽をあびて 白馬の筋肉質な肌を思わせる 誇らしげな姿です 「コロナの影響はどうですか?」って最近よく聞かれますけど 仕事柄なのか 年末に向けても 年跨ぎの物件もあってフツーに忙しい日々を送っております ありがたいことです(感謝)

「豊海橋」に初めて会った日もこんな冬日和でした 「永代橋」の橋上 左岸から隅田川を渡る途中 高いビルに囲まれて日の当たらない”日本橋川”に架かる これまた日陰のゴツい橋。 アイ○ルの CMだと賑わって 渋滞もしているように作られていますが 実際には年末だったのに誰もいない 誰も渡らない 寂しそうな橋でした もう時代遅れなのかな

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隅田川にはたくさんの小さな川が注いでいて 神田川の「柳橋」もそうだったように 最河口、隅田川に一番近くに架かる橋は全部形状が違います。 これは震災復興で架橋された際に 隅田川側から橋の形を見ただけで川の名前がわかるようにとの措置だったとあります けど よっぽどの橋好きじゃないと 川の名前の方が先に出てくる人の方がほとんどなんじゃないかな

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「豊海橋」は1698年(元禄11年)に初めて架けられて 何度となく架け替えられてきましたけれど 江戸時代から永く隅田川の流れを見守ってきました 現在の橋は震災復興事業により 復興局が架設したもので ベルギーのフィーレンデール博士の考案によることから 形式名をフィーレンデールと云って 当時はアメリカにもイギリスにもない最新の技術でした
 案内板には「梯子を横にしたようなこの形は、名橋永代橋との均衡を保つようにデザインされたもので、我が国では本橋意外に数例しかなく、希少価値の高い橋です。」とアリます

「豊海橋」
竣工 1927年(昭和2年)9月
橋長 46.13 m 幅員 8.00 m
曲弦下路のフィーレンディールで1連

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上の写真は2013年(もう7年も前か)にトロッコに乗って会いに行った 富山県の黒部川第二発電所の建物につづく 1934年(昭和9年)竣工の「目黒橋」。 「目黒橋」の方がちょっとだけ若いけど橋長が75mと長い。 昭和一桁竣工のフィーレンディールはこの2本だけで 「目黒橋」の方は”平行弦”だと 写真を見て気づいたし トロッコ電車で欅平駅まで行けてなかったのを思い出した

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2019年の日も年も暮れていく「豊海橋」の橋上から細マッチョの「永代橋」を望む 

リベンジしたい場所ばっかりが増えていく(涙)


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柳橋
ここにスポンサーさんが付かなくなってから やっぱりより一層怠け者になった気はするんですけど またなんかこの時期変に忙しいんですよぉ  知らないうちに関節を摩ってちょっと寒いなって気づいたから 久しぶりに空を見上げると 奥の宇宙の暗闇が透けて見えるぐらいの蒼い空。 色のない風が気圧を押しやって もうとっくに冬を招き入れてしまっていますね  隅田川に架かる橋に会いに行ってからもうすぐ一年が経つ、 時代の流れについていけないからいつもバタバタしてるのかな  もうちょっと懐かしいけど 隅田川の番外編その1 「柳橋」。

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両国橋の袂、神田川が隅田川に注ぎ出る最河口に架かる橋。 界隈は江戸の中頃からある古い「花街」で 1928年(昭和3年)には料理屋62軒、芸妓336名と栄華を迎えていたんだけど 戦争で休業したり被害にあったり また東京オリンピック以降どんどん衰退していって 1999年(平成11年)最後の料亭「いな垣」が廃業して200年近くの長い歴史に終止符を打ちました

浅草橋

橋上から神田川の上流側に振り返ると 今でもビルに囲まれていたって隠せない情緒たっぷりな風景に 思わず鼻を突き出して 遠く今か昔かあやふやになって目が細まってしまいます 見えている橋はこれもまた有名な「浅草橋」。 この屋形船でランチとかあるみたい でも貸し切らないといけないのかな 神田川は三鷹市井の頭池が水源で荒川水系の一級河川。 延長24.6kmって隅田川よりも長いんだ 一回はやっときたいから またの機会がありマスヨウニ。

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「花街」だった頃「柳橋」は船着場でもあったから ここでお酒を飲んでご飯を食べた後 船で吉原の遊郭に向かって隅田川をのぼり 山谷堀の「親不孝橋」(今戸橋)を潜るって流れ(逆流)でしょうか かっこいいなぁ 
案内板があって、案内板には「矢の倉橋」が「矢之城(やのき)橋」になってさらに「柳橋」。とか 柳原堤の末にあったからとか 橋の袂に柳の木があったことに由来するとか諸説あることが記されていました 

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「柳橋」
竣工 1929年(昭和4年)12月
橋長 37.948m 幅員 13.2m
下路のソリットリブタイドアーチ 1連

「柳橋」って云うわりにはゴツいけど台東区は「優美」といい張っています この橋も震災復興で架け替えられたそうで どうやら「永代橋」を真似た縮小版だから「永代橋」の「優美」をいただいているようです オレも「子猫って云うにはゴツいかな」が第一印象だったから 合ってるハズ。   「神田川」編の時にまたお邪魔しますね


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三河國一之宮 砥鹿神社 奥宮
エアコンが壊れてから三回目の夏を無事今年も乗り切ったようです アチーアチーと云ってはタオルケットを蹴散らしていたのに 低く横広がりな風がモミアゲに心地いい季節となりました すっかりご無沙汰してますが みなさまおかわりなければ幸いです  なんかもうマスクも手洗いも慣れてきたと云うか完全に飽きました  やってますし つらい人には悪いですけどごめんなさいね 正直な気持ちです。

そんな中 自分もヌルッと 久しぶりにSRで県跨ぎ(正確には県内か)してきました それで見てもらいたい「モノ」があって これまた久しぶりにブログを更新しています

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「三河國一之宮 砥鹿神社 奥宮」 の駐車場。 「奥宮」おくのみや ってちょっと隠しているような 行きにくいような そんな秘密な響きがいいですね ここまでくるのにもそれなりのクネクネ道をできるだけバイクを傾けて登ってきましたし 帰り道も今きたクネクネ道しかないのかと思うと ちょっとした覚悟が必要です

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駐車場からも、 高い木に囲まれて薄暗くなった「さんどう」を1kmぐらい登ります 最初の大きくて赤い鳥居の足元にはリュックを背負った女性が一人腰掛けていたけど 目も合わせてくれない さらに登って2番目の石でできた鳥居が上の写真。 一礼してくぐり 人気のない古い建物を横目に 階段を登り始めて すぐ 真新しい朱色の鳥居が見えた時は 「ごめんなさい」って思わず謝った ほんとごめんなさい

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この赤い鳥居を少なくとも人間はいくら頭を下げてもくぐれない だって鳥居の先は切り立った崖と云っていいし だいぶ下の裾野には豊川沿いに「長篠」の様子まで伺える。  風に乗った神様だけがこの鳥居をくぐって 本来の神様の領域に戻ってくることができる 神様用の鳥居なんだと気づく。 やっぱりなんとなくおっかないからもう一回謝っといた

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その鳥居からもう少し登って 問題はこちら。 現場で2分20秒ぐらい 写真を撮ってもいいのか悩んだし 今も、下手に調べてもいないんだけど やっぱり何か封じ込めてるのかな 聞きたいような聞いたら後悔しそうな物語でもあるのかな 今も写真を見ると 背中を鳥の羽でくすぐられているような感じかします  オレ、ホラー映画を映画館で見ると悲鳴を上げて 周りの人にクスクス笑われるような人間なので 知ってる人でも怖いことなら教えてもらいたくないです キッパリ。

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オレなんかは先に謝っといたから 画像を載せても今のところ大丈夫だけど もし行かれるのであれば自己責任でお願いします

それと、近くのスパゲティハウス チャオの本店には(本店しかない)鉄板焼きのあんかけスパゲティがあるんですよ 鉄板に薄く溶き卵が敷かれてできたおこげが香ばしいし 本店に来たって云う特別な気持ちが いつもよりさらにおいしく感じさせるんです  フフン。


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 完結
本当に盆休みに入ってしまいました(涙) いっときは収束しかけていたウイルスも まるで別の生き方を見つけたように発散しつづけていますね そんな中でのお盆休みですから 里帰りできない人も多いはずだけど ご先祖様たちは無事にきゅうりの馬に乗って帰ってきているんでしょうか  隅田川沿いの下町ではお盆に藁を燃やして 先祖の霊があの世からこの世に来る際に故人が迷わないように「迎え火」を焚くんだとか。 そんな宗教的な慣わしでさえ「粋」に感じてしまう隅田川沿いに まただいぶ間があいちゃったけどシレッともどりますよ ごめんなさいね


「中央大橋」から新川二丁目の信号まで戻って「高橋」で亀島川を渡る時 下流側に 旧「両国橋」だった「南高橋」、明治生まれの古い橋が 新しくできたビルたちに夕日ももらえず追い詰められているようでした 逃げ場がない(涙)

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「勘弁してあげて」とは云ったものの 隅田川じゃないんでまた今度。 ちゃんと念入りに挨拶もしてるし渡ってもいるんだけど「南高橋」を横目に隅田川沿いに戻って しばらくすると「佃大橋」も欄干に足場が架かっていて工事中。

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やっぱり「佃の渡し」があった場所。 江戸時代、佃島は隅田川の河口にある島でした 漁民が島に渡る足として「佃の渡し」ははじまって、 明治に入り佃島をはじめ月島や石川島が工業地帯として発達してくると 交通機関としての重要性が高まり 民営だった渡しが公営になったりもして「佃大橋」が架橋されるまでの300年以上もつづいていた渡しでした 「佃大橋」は1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせた都市整備と 増大する「勝鬨橋」の交通量緩和がねらいだとアリます。

「佃大橋」
竣工 1964年(昭和39年)
橋長 476.3m 幅員 25.2m
3径間連続鋼床鈑箱桁橋

夕暮れ時が似合う「佃大橋」は渡らずにさよならを云い 次は久しぶりに会う「勝鬨橋」だから緊張を高めつつ夕日に向き直って レンガでできている防潮堤の内側の遊歩道にスロープで降りたら 大ショック(涙) 一旦見なかった事にして 大きな深呼吸で気持ちと息を整えながら Kさんを担いでゆっくり階段をのぼる

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入館料無料の「かちどき 橋の資料館」はこの日、火曜日にも関わらず営業していなかったのは すでに16時を回っていましたし 大晦日だから仕方ないですよ わかっています もともとは「勝鬨橋」の開閉に使われていた変電所だったことも知っています。

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そして「勝鬨の渡し」があった場所だったことや この「勝鬨の渡し」が1905年(明治38年)日露戦争で旅順を陥落させたことを祝して開設されたこと、今の橋名の由来になったことは 周知の事実です

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問題は 2019年12月31日、隅田川に架かる 今まで見てきたどの工事中の橋の中でも一番厳重に足場が架けてある悲劇です。 ご存知の方もいるとは思いますが こんなことがオレにはよくある(涙)

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足場さえ気にしなければ(できない涙) 鉄に温かみを感じられる いい時間帯じゃないですか  1970年(昭和45年)11月の開橋を最後に開かずの橋になった「勝鬨橋」だけど 今立っているこの部分が万歳するように跳ね上がる「跳開橋」だったのはご存知だと思います。 「一時期は年間403回の開橋記録もあったけどモータリーゼーションの波に勝てなかった。」 と云われがちですが 前出の岡部三郎先生は「もし隅田川が大型船舶の重要航路であれば無条件に高架にすべき。しかしながら大型船舶の航路としては陸上交通のように将来増加するとは思われない」とおっしゃっています そう最初から開かずの橋なることを見越していたんですね 惚れるわ。

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「勝鬨橋」(かちどきばし)
着工 1933年(昭和8年)6月
竣工 1940年(昭和15年)6月14日
長さ 246m
最大支間長 可動部 51.6m
固定部 86.0m
幅 22m
形式 可動部 - シカゴ型双葉跳開橋
固定部 - 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋

月島側アーチ橋 - 石川島造船所製
築地側アーチ橋 - 横河橋梁製作所製
跳開橋 - 神戸川﨑車輌製
と制作会社はバラバラ

前回「勝鬨橋」に会ったのは2012年12月の朝 その時は長くなった隅田川でも最河口に架かっていたんだけど 今日「勝鬨橋」の橋上から河口側を見ると 2015年(平成27年)に新しく架かった「築地大橋」が ちょうど夕日を取り込んでいる最中でした 

「築地大橋」 
竣工 2015年(平成27年)
橋長 245.00m 幅員 37.16m
中路の3径間連続バランスドアーチ

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匂わないけど潮風だとわかるいい風が波を立たせて キラキラと美しく夕日を映すのは凸っている部分だけど そのすぐ後ろで黒く影になって凹んでる部分がないと際立たないように 太陽の特徴を隅田川の水面はよく捉えています 隅田川の水面は 長い時間の流れと同じように 満腹のいい時代もあれば 戦争や災害で苦しんできた時間を交互に映してきたから 妖しくも輝いて見えるのでしょう。 今回の隅田川沿い、朝日とともに始まって夕焼けで締めくくる23.5kmの旅は出来過ぎです 影に隠れて見逃してきた部分もきっとあると思いますが どの時代にも存在できた錯覚がする 思い出深い旅となりました きっとまた お邪魔します


隅田川 完結。 長々とすみません ありがとうございました



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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その9
いつか必ず会いに行こうと思っていた 古いアメリカ式のピントラス「第一球磨川橋梁」がお亡くなりになられたのをニュースで知りました(涙) 土地の面積はかわらないのに10日間で1年分の雨が降ったりなんかするもんなんですね だとしたらずーっと滝に打たれている状態なのかな 恐怖でしかないですね 逃げるが勝ちです 遅ればせながら被害に遭われた地域の方々にお見舞い申し上げます。 雨量とか気温とか ここのところ毎年悲しい記録を更新していますから 今までの考え方や備えも更新していかないといけませんね 


不謹慎かも知れませんが「第一球磨川橋梁」の供養のためにも コロナも大雨もなかった昨年の年末の話に戻ります ごめんなさいね 

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江戸時代の隅田川と近所の地図です 当時一番河口側に架かっている橋に「永代橋」と辛うじて読めると思います 中洲を横目に隅田川を遡って さっきの「新大橋」。 その上、隅田川で見えている一番上の橋が「両国橋」です。 「永代橋」と「新大橋」中間ぐらいが「中洲の渡し」があった場所 現在は中洲と挟む川が埋め立てられて内陸になり「清洲橋」が架けられました だから震災復興事業としてかけられたんだけど「清洲橋」は初代で間違いない 初代をいきなりケルンから発想を引っ張ってくるあたり 田中豊橋梁課長も只者じゃないな 1966年(昭和41年)から 橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与されている「土木学会 田中賞」は課長の名前からきています

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貴重な髪の毛を1本も風に持っていかれないようにボサボサ頭を手で抑えながら ゆっくり河口側に振り返ると スグ、 東京都道475号永代葛西橋線支線を通す「隅田川大橋」をくぐる。 先の方に箱崎JCTがあるからややこしく見えるけど「隅田川大橋」は2階建になってるのがわかるかな 上に首都高速9号深川線を通して、下の階に東京都道475号永代葛西橋線支線が通っています

「隅田川大橋」
竣工 1979年(昭和54年)
橋長 橋長 385.3m 幅員 30.0m
主径間 3径間連続鋼床鈑箱桁橋
高架部 7径間単純鋼床鈑箱桁橋


つつっと行く。

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日もだいぶ傾いてきたのと強風も手伝って少し冷えてきたし 波立っておどろおどろしい隅田川沿いになってきた 「隅田川大橋」をくぐって しばらくすると対岸(右岸側)に日本橋川が合流してくるのがわかる 見えている橋は「豊海橋」(とよみはし)。 富山県のトロッコ電車に乗った時に見た 黒部川第二発電所の建物につづく「目黒橋」と同じ 珍しい下路のフィーレンデール。 「豊海橋」の方が7歳年上で1927年(昭和2年)の竣工。 今ちょうどア○フルの CMでおかみさんが自転車で渡っていますね もちろんちゃんと挨拶してきたけど 隅田川じゃないんでまた今度。 


場所的に「豊海橋」より先に目には入っていたんだけど あらためて風上に向き直りKさんをまた担いで階段を上るとお待ちかね 今度は男だって噂の「永代橋」がネコ科の佇まい。

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時間帯によって上りと下りの車線数が変わるのか ネコにそんなこと覚えられるのかな 心配。 当時、復興局橋梁課長だった田中先生の上司だったのかな? 土木部長の太田圓三先生は土木学会での講演会で「永代橋、清洲橋の架橋地点付近は河畔低地にして人家密集のため、下路式の橋にするより仕方がない」とおしゃっています ”仕方ない”と表現しているように その頃は読売新聞で田舎者扱いされたり、「まるで檻に入っているよう」なんて云われて アーチやトラスが路上部にあり眺望を阻害する下路式の橋は嫌われてた でも実際に「永代橋」が架かると その力学的な麗しさに文句を云う人はいなくなったそうです 日本で初めて支間長が100mを超えるために 軍艦用の高級鋼材のデュコール鋼を使っているし アーチもごっつくなっていますから みんなが云うように筋骨隆々の「男橋」ってのもわからなくはないんだけど オレはニャンコでとおします


「永代橋」で隅田川を渡り 隅田川テラスの上の道を500mぐらい下ると 東京のウォータフロントを象徴する都会的な「中央大橋」がふんぞり返って威張っていました

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上の江戸時代の地図にも描かれている 石川島がかつて「兜島」とも呼ばれていたから このシンボリックな主塔は兜の飾りをイメージしてつくられたとアル。 建設当時バブル期だったこともあってか 隅田川とセーヌ川が姉妹河川になったことを記念して設計をパリ市へ委託する案もあったんだけど 叶わず 最終的にパリ市から贈られた「メッセンジャー」(航海の女神)の彫刻作品が橋上に飾られました セーヌ川沿いにも同じ彫刻が立っています。

「中央大橋」
竣工 1993年(平成5年)8月26日 レインボーブリッジと同じ誕生日
橋長 210.7m 幅員25.0m
二径間連続鋼斜張橋


おしゃれな「中央大橋」で隅田川を渡り おしゃれな高層ビル街を抜けて坂道を上ると「相生橋」が いよいよ沈んでいく夕日の光と影の中 斜に構えながらも憂う未来を見据えているようでした

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月島は1892年(明治25年)に東京湾の土砂を浚渫して誕生しました 政府の意向で工業団地として急速に発展したんけど交通手段が「月島の渡し」と「佃の渡し」しかなかったから 架橋は住人や労働者の念願だったとアル。 1903年(明治36年)にやっと中洲だった中の島を中継して長短2本の木橋が架けられると その姿を縁起のいい「相生の松」に見立てたのが橋名の由来 現在の橋は3代目。

「相生橋」
竣工 1998年(平成10年)
橋長 149.1m 幅員31.0m
三径間連続のプラットトラス

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「相生橋」の前の横断歩道を渡ると綺麗に整備された公園に降りられる 正面に現在も再開発が進む豊洲の高層ビル街。 見えている橋は晴海運河を渡す「春海橋」と この時は気づいてなかったけど明日(元旦)に会いに行こうと思っていた「晴海橋梁」のアーチが少し見えてる。

「相生橋」にさよなら云って Uターン。 またおしゃれな高層ビル街を抜けて「中央大橋」の主塔の付け根にあるバルコニーまで戻って来た 下の写真右側の黒い影が「メッセンジャー」(航海の女神)の太もものあたり 江戸時代は「永代橋」からこの辺りが河口だったんだね 小さな木の船で隅田川を下って来ていたら「永代橋」をくぐっると急に心細くなっただろうな

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江戸時代「永代橋」の場所には「深川の大渡し」があって物資を輸送する要所だったとアル その渡しに代わって初代「永代橋」は1698年(元禄11年)隅田川には4番目の木橋が架けられました 左岸の佐賀近辺は当時「永代島」と呼ばれていたことが橋名の由来なんだとか 水運の中心だった江戸湊に近いから沢山の船が行き来していて 大きな帆船でも通過できるように当時としては群を抜いた高さを誇った橋だったことが記録されています 納涼と眺望の名所としても賑わいを見せていたそうなので 高かったんでしょうね

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1719年(享保4年)幕府の財政が逼迫しているのもあって廃橋が決まったんだけど 近隣地域の住民の請願で民間が管理することになったのはいいんだけど 88年後の1807年(文化4年)深川八幡宮の祭礼に訪れた人々が一気に押し寄せ重みに耐えきれずに数間が崩れ落ち1500人余りの死傷者を出す大惨事がおきてしまい「永代橋」は再び幕府が管理する公用橋になった。 88年間だもんね武士以外の通行人からとる「橋銭」だけじゃ十分な管理もできないでしょうし。

その後架け直しや修復を繰り返して木橋の時代が終わり 1897年(明治30年)に道路橋としては日本初の3径間連続のトラス鋼橋に架け替えられた けどやっぱり関東大震災で損傷したので現在の「永代橋」にまた架け替えられました 鋼橋としては2代目ってこと 田中豊橋梁課長はドイツのライン川にかかる「ルーデンドルフ鉄道橋」をモデルにしたそうです 震災復興だからスピードも求められただろうし そんな中でメチャメチャ勉強したんだろうな ありがとうございます

「永代橋」
竣工 1926年(大正15年)
橋長 184.7m 幅員 22.0m
下路のバランスドタイドアーチ

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歌川広重「東都名所 永代橋全図」

広重さんの描いた絵には右奥に佃島が描かれていることから 右下に描かれている「豊海橋」が現在と違って「永代橋」の下流に位置していることがわかる 一番上の江戸時代の地図にもそう描かれているから間違いない 発見してちょっと嬉しい

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渓斎英泉「東都永代橋の図」

渓斎英泉さんの描かれた浮世絵は広重さんに比べると漫画っぽいというか赤福の包装紙みたいな画風だけど橋上の賑わいや 噂どうり橋脚の高さがわかります 観覧車に乗った気分じゃないかな 江戸時代に観覧車はないけどね。



隅田川 完結につづく