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プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い
いやだぁ 雨のハッピーマンデー。 新成人おめでとうございます  こんな日は、タクシーに泥水かけられて折角の晴れ着を台無しにされた なんてニュースがそこらじゅうから聞こえて来そう  いい思い出になる事でしょう  まぁここに来て下さる方に新成人はいないだろうし きっとほとんどの方は、軽く2回は成人してると思いますけど(ごめんなさい ごめんなさい)

昨日の、この地方は 午後から曇ってきたものの 寒さも控えめだったんで近場物件の調査に出掛けた

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実は 走り始め じゃぁない 3日の日に大阪方面に向うも途中雪が降ってきて断念 命からがら引き返してきたから今年2回目の出陣。 そのおかげでキック3発と少なくすんで 8時25分出発。


いつもの国道22号 吐く息でシールドは曇るけど、朝日に向って走るからそんなに寒くは感じない 太陽エネルギーにプラス膝に貼ったホッカイロのおかげ   ホッカイロは商品名かな コピー機の事を未だにゼロックスと云う人がいるけど そんな感じ?

康生通りを左折して、浄心の辺り 空気中の見えない水分の一つ一つが太陽の光をもらいキラキラと輝いてた 天気が良ければ澄んでいる分 冬も悪くない   弁天通りを過ぎると「名城公園」に到着 文字通り名古屋城の公園。 ここから堀川と一緒に下って行こうと思う



記念すべき2013年 本日の橋一本目は「中土戸橋」

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あんまりコンクリートの橋に興味はないんだけど 避けては通れないし 一応やっとく

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「中土戸橋」(なかつちとはし)
 架設 1932年(昭和7年)
 コンクリート桁橋
と かなり古いけどランプ以外は、全国に2万本ぐらい架かってるんじゃないかなって思える欄干のデザイン。型を使い回してたりしてね さくらの咲く頃だともっと印象が違ったかもしれない



渡ってUターンしてまた堀川沿いに下る と すぐ次の橋発見。「堀端橋」。

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やったね これは間違いなく鋼橋。見えてるし だけど、方杖はついてるけどラーメンじゃないし なんだろな

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奥に居らせますのは「名古屋城」様であらせられます おはようございます

「堀端橋」(ほりばたはし)
竣工 1933年(昭和8年)
鋼桁
羊羹を立てた様な素っ気ない親柱には、わざわざ「昭和53年10月改築」と書かれた銘板がはめ込まれてた なんでそこを強調するのかは謎。



堀川は元々、1610年に福島正則さんが名古屋城築城に際して、資材運搬を目的とした水路として掘削したといわれてて その後、明治初期に庄内川からの取水が始まり庄内川水系に仲間入り 流れてない様に見えるし きちゃない川だけど何を隠そう一級河川。 折角立派になられたんだからもうちょっときれいになったほうがいいなと思いながら進むと 名古屋城のお堀の角のところに新たな橋発見。「筋違橋」。

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とんでもない親不孝をしでかしたのか、それとも関係ない人が死んでしまったのか とにかくなにかの不合理があったのは間違いない じゃないとこんな名前がつくはずがない この近辺で起きた誰かの不合理なエピソードを昔の人はおもしろがって橋にこんな名前を付けたのか それとも戒めのためなのか

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調べて見ると、東京にも大阪にも「筋違橋」は存在する 全国的な逸話なのか と思ってよく調べるとなんてことはない「スジチガイ」と読むから逸話も聞こえてきそうだけど「スジカイ」なら話は別 今ではあまり使われなくなったけど 建築業界では交差すると云う意味。 なんだぁちょっと残念

「筋違橋」(すじかいはし)
竣工 1933年(昭和8年)
方丈ラーメンと鋼桁(北側と南側で構造が違うみたい また行ってこなきゃな)

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とっても寒いのにお堀の周りをジョギングする人が沢山いた オレも正月太りをなんとかしないとSRの燃費に影響が出てるし  しかしこれは本当に一時的な正月太りなんだろうか   ちょっとその辺一走りして、腹筋してくるから

堀川沿い その2につづく



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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その2
筋違いの疑いも晴れて再出発。 は、いいけど 堀川は次から次に橋が架かってるから 少し進んではストップの繰り返し これは徒歩か自転車の方が効率が良かったんじゃないだろうか とブツブツ云ってると 「大幸橋」発見。

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奥に名古屋城様がまだ見えてる  これもコンクリートの橋だけど、欄干に施された鉄の丸棒が一つおきに途中が膨らんでたりとデザインが細かくシンプルでフォーマルな装い  3匹のオットセイが鼻でボールを持ち上げた様なランプも どこかオリンピックなどを思わせる国際的な感じが特徴的で素敵。

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「大幸橋」(たいこうはし)
 竣工 1933年(昭和8年)3月
 構造 RC桁



「大幸橋」で堀川を渡り堀川沿いを100mも下ると今度は「朝日橋」。「大幸橋」からすでに見えてました 単車なのに いつもながら疾走感がなくてごめんなさいね

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うーん これは中路のプレートガーターになるのかな 支承の他に横づれ防止のツメが生えてるな リベットだらけでちょっと珍しい?  けど、東京と違って「下町の情緒」ってのは全く感じられないのが情けないところ 

「朝日橋」(あさひはし)
 竣工 1932年(昭和7年)
 構造 鋼桁

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朝日橋のすぐ南、左岸側に金シャチを乱用したを船着き場があった 割と新し目。 調べて見ると「サムライクルーズ」なる屋形船が人気の様で「春はお花見。夏は名古屋港の花火大会。秋は貸切の屋形船で観月会。年末年始は仲間たちと忘年会・新年会。」とアル   いいな 船から橋を見てみたい でも10名様からか きっと集まらんな (残念) なんで「サムライ」なのかをボカさずにちゃんと教えてほしい   奥に見えてるのは国道22号の「幅下橋」のプレートガーター。



朝日橋でまた堀川を渡り今度は右岸側を下ると  250mも走らないうちに「小塩橋」。別にスルーしてもよさそうな何の特徴も無い橋だけど  オレがそんな事を云っちゃいけない 

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交通量も少ないから大胆に駐車  よくみると欄干は地味にめんどくさい作りになってて ちゃんとしてますね


この日はじめて利用したのがオレなんじゃないだろうかと思うぐらい人気がない「小塩橋」でまた堀川を渡り今度は、左岸側からのアプローチで「景雲橋」を目指すも インチキして単車に乗ったまま撮ったから親柱も写ってないこんな写真しか無い 別にあわててないのにさぁ 

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でも、この写真から寒そうで「箱桁」なのは理解出来たからまぁいいや  「景雲橋」でもちゃんと堀川を渡ってるから次の



「五条橋」には 円頓寺商店街の方からたどり着いた。

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いきなり 今までとは年代もデザインも変わって古風な感じ SRが全然似合わない下駄の時代にタイムスリップ。

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なぜか石の敷き方がヨーロッパとかではポピュラーなフィッシュスケール。 魚の鱗に似ている事から名付けられた この敷石方法も 「五条橋」の欄干と合わせると 冷たい川面に打ちつけて次々に広がる雨の水紋の様に見えるのは、オレの思い違いだけではないはず  きっと制作者もそう感じていたんだと思いたい 

奥に見えるのが円頓寺商店街。  西からは、多くの旅人がここを抜け「中山道」垂井宿へと向う「美濃路」として盛んだったとアル。



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1610年、徳川家康さんの令により、数年で「清洲の町」が「名古屋」へ移された 世に言う「清洲越」の際、物流の為に開削された堀川にはじめから架けられた 七橋の内の一つがこの「五条橋」
元は清洲城下を流れる 五条川 に架かっていた木製の橋が1610年(慶長15年)にここに移築され その後1938年(昭和13年)に石橋に架けかえられて現在に至る 「五条橋」の名前は五条川時代からのもの。 

尾張の中心は、長らく織田家ゆかりの清洲城とその城下町だったけど、関ヶ原の戦い以降、大阪の豊臣氏の勢力に対抗しなければならない政治情勢や地形上清洲の地が水害に弱いことなどから「清洲越」が行われたとアル 

「伝馬制」にしても「清洲越」にしても家康さんは天下とってからも 臆病なぐらい神経使ってるな

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慶長七年と彫られたこの擬宝珠はレプリカで本物は名古屋城に展示してあるそうです 清洲城下では慶長七年に五条川に架けられたって事なのかな

堀川沿いは距離の割に架かってる橋の数が多いから ちっとも進まない 長くなる予感

堀川沿い その3につづく




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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その3
五条橋の石畳をSRで踏みしめ そのゴツゴツ感をお尻に受けて さようなら  相変わらず自分の吐く息でシールドは曇るし 青空とまではいかないけど 近頃では十分、いい天気。

この辺りは橋上から川上を見れば前の橋が見えて 河口側を見れば次の橋が見える距離なんで 五条橋からも当然見えていました「中橋」。 やー古そうですね おはようございます

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その下にどなたか眠っていそうな親柱。まさか代用したんじゃないですよね 眠ってなんかいませんよね

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幼い子がおもちゃのブロックで作ったように かわいく見えるのは欄干の柱まで塗ちゃった クレヨンの水色のせいかもしれない  塗り絵みたい  

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「中橋」(なかはし)
 竣工 1917年(大正6年)
 構造 鋼桁

小春日和のやさしい光に照らされた「中橋」の写真を撮ってたら背後にただならぬ妖気を感じて振り返ると 街中だからなのか押されぎみに小さくまとまった神社発見  どっ どなた様ですか

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浅間神社とアル 鳥居の上の桁が隣の建物に突き刺さるぐらい都会の隅に追いやられてちょっと気の毒 濃緑の立て看板を読むと樹齢300年を越えるクスノキやケヤキがこの敷地に7本もあって市の保護樹に指定されてるとアル。 きっとこれ以上神社が小さくならないように必死になって守ってるんだな あの妖気はこの人達に間違いない 雷にやられないように注意してこれからも頑張って下さい

なにげに横向くと なにここ すごい都会の真ん真ん中なんだけど この通りだけ空が近い 鎧張りと漆喰の蔵がつづいてく

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「四間道」と石碑が建ってた この小さくて赤い鳥居でなにかを封じ込めてるのかな はずすだけはずして一目散に南に逃げたい

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調べてみると、よんけんどう ではなくて「しけみち」らしい 1700年(元禄13年)の大火の後、尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、道幅を4間(約7メートル)に拡張した。このことから四間道と呼ばれるようになった とアル。 戦火を免れた古い街並が保存されているらしい らしいと云うのはここでUターンしたからよくしらないだけ(残念)

小さくて赤い鳥居だけは心残りだけど 前に進むと今度は ペッペペペーン「桜橋」。確かにファンファーレが聞こえた 

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贅をつくすとはこの事 芸術的と云うよりは 職人技の飾り細工のような行灯。 幾重にも重なり重厚感を保ちつつも柔らかく丸みを帯びた大理石の親柱。 今は、この桜橋の桜通りが名古屋駅前につづく道だからかな 予算が違うな うらやましい

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たわわに実ったランプだけど ほんとは桜の木をイメージしたんだろうな ぶどうかリンゴに見えるけど

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自転車が親柱によっかかってて ちょっとタイヤ入ちゃった  どいてくんない?

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宇宙からのメーッセージを読み取って形に変えた物を遺跡として発掘した様なレリーフや くどいぐらいの連続。 フランクロイドライトさんの造形や考え方はすごいインパクトとして世界中に波及し虜にしたから こんなところでも感じることができた もちろんオレもリスペクト どころか毎朝夕に拝んでます いいもの見れた ありがとうございます 

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「桜橋」(さくらはし)
竣工 1937年(昭和12年)
構造 RCアーチ

このときまだ午前中なんだけど時間配分的に 堀川沿い その4につづく



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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その4
荘厳華麗な「桜橋」のすぐ南側 手が届きそうな位置に 次の「伝馬橋」は、打って変わって控えめな姿で堀川に影を映していました

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どこから見ても地味だけど「桜橋」より「伝馬橋」の方が歴史は古く 堀川に最初に架けられた「堀川七橋」のひとつ だから随分偉いはずなのに 見た目ちょっと不気味。 でも大丈夫、お地蔵さんは見当たらなかったから心配しないで

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あれあれ なになに 「美濃路」は、この「伝馬橋」を渡ってから北上してさっきの「五条橋」の西端を通り、枇杷島、清洲、起(一宮)経て 中山道垂井へ向うとアル。「五条橋」は「美濃路」をカスッてるだけで橋自体は「美濃路」脱落。 おしいけど 残念 悔しい事でしょう でも雰囲気的には「五条橋」の方が「美濃路」っぽいけど  まぁいいや

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向こうに渡ってもすぐ右折して堀川沿いに行かないと熱田神宮には着かないから「美濃路」は「五条橋」でもいいんじゃないかな くどいかな 

「伝馬橋」(てんまはし)
竣工 1920年(大正9年)
構造 RCアーチ
中部地方最古のRCアーチ橋である。とアル

けど、浜松に行った時に通った「本長篠」駅近くに架かってた「黄楊橋」(つげはし)は大正7年竣工だったぞ 最古は、あっちでしょう  



いろいろと疑惑の掛かる「伝馬橋」で堀川を渡り「木挽町通り」を南下すること200m。「錦橋」に到着 全然進まなーい

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出来上がったら思いのほかショボくて後から飾りを足したんじゃないのかな 「錦通りなんだからもうちょっとカッコ良くしてよ」って上からの圧力に負けて当初の予算内でやったから中途半端になちゃったんでしょうか

「錦橋」
竣工 1936年(昭和11年)
拡幅 1987年(昭和62年)
構造 RCアーチ橋
 


「錦橋」から次の大御所「納屋橋」までは石畳の敷かれた遊歩道が異国情緒をたっぷりと演出。 川はきちゃないし、もちろん行った事は無いけど セーヌ川沿いをちょっとだけ連想した セーヌ川?で良かったかなセーム川だったかな  おもいきって調べるのやめよう

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中央のテラスには、クロード・モネさんの「日傘の女性」があのまんまの格好で立ってそうな感じ

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久しぶりの鉄の橋だからうれしい。  一見ごちゃごちゃしてる様で実は、丁寧に装飾が施され ものすごい凝ってる 橋の強度にこの装飾は必要ないだろうから景観を考えてドラマを作り上げたんでしょう 素晴らしいな

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これも「堀川七橋」のひとつ。 1886年(明治19年)に広小路通が名古屋駅前まで延伸された時に鉄骨製の橋に改修され、1898年(明治31年)からは名古屋市電栄町線が橋上を走ってた 現在の橋は1921年(大正10年)に改築された橋をベースに、1981年(昭和56年)に架けかえられたもので、中央部にテラスを持つ青銅鋳鉄の欄干が特徴的なアーチ橋とアル。 欄干は大正10年の時のヤツそのまま使用

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親柱のすぐ横の建物は、1916年(大正5年)に建てられた 国の登録だけど有形文化財で「旧加藤商会」。元は貿易会社だったけど今はタイの国旗が掛かってるレストラン。

これしか写って無かったけど「納屋橋」を囲う遊歩道は、この街路灯にまで 生のパンジーを飾ったり遊歩道にプランターを並べたりして すごくきれいにしてた こんなに手間隙かけてもらって「納屋橋」は幸せ者だね 誇り高くいつまでもお元気でいて下さい
 

また400mぐらいしか進んでないんだけど 堀川沿い その5につづく


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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その5
「納屋橋」(なやばし)
竣工 1981年(昭和56年)
構造 上路でソリッドリブアーチの1連

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結構 柳としてはデカいから 昔からの柳なのかな  また来ますね 


柳が似合う納屋橋にさよなら云ったら この辺りから急に人通りが少なくなる 川面はいっそうドス黒さを増すけどピタッと静まり返って悪魔の手鏡の様  鏡の底にも別の世界があって引きずり込まれるんじゃないかと ちょっとビビってきた。   川面と目を合わさないようにオソルオソル進むと「天王崎橋」発見

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名前は偉そうだけど なんて事はないコンクリートの橋。でもすごく役には立ってる  スピード注意は屋形船に云ってるのね 堀川って制限速度何キロだろ ノットか

「天王崎橋」(てんのうざきはし)
改築 1958年(昭和33年)12月
構造 RC桁橋

はい つつっと行きます 木挽町通りをさらに南下 木挽町って云うぐらいだから 丸太のまま運ばれてきた木曽檜はこの辺りで製材されたに違いない いい匂いがしてたんだろうな


次は「新洲崎橋」。 上を行く名古屋高速2号線のせいでほとんど日が当たらない可哀相な橋 もっと可哀想なのは何年竣工なのか反対側の銘板を見てこなかった  オレがこんなでどうする まぁまた今度だごめんね

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きっと新しい橋なんだろうけど 親柱は昭和初期ぐらい立派だしその頃を狙ったデザインで結構素敵 歩道のフィッシュスケールで貼られたタイルもお金掛かってる ほんとごめんね また来ます


「新洲崎橋」からすぐ 今度は「洲崎橋」。この方はなんにも障害がないので日は当たるんだけど いかんのは 空が曇ってきた。

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この辺りはさらに人通りが少なくなって、人目につかない完璧な出入り口を備えたラブホテルがサービス合戦を繰りひろげている始末。 名古屋じゃないみたい

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横から見るとかなり和風。 太鼓や古いタンスに取付られた装飾金物みたいなのが付いてて凝ってるな きっとその部分は最初黒かったんだと思う  名前からして昔はこの辺りからもう海だったのかもね

「洲崎橋」(すざきはし)
竣工 1935年(昭和10年)
改築 1986年(昭和61年)
構造 RC桁橋


「洲崎橋」で堀川を渡って カップルを起こさない様にストトトトーーっと今度は右岸側を下ること200m。やったね鋼橋のお出まし  リベットだらけの「岩井橋」が70年代の工業製品の様なシブイ鳶色をして にこやかに堀川に架かっていました ヤーやっと会えたね

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親柱はよく見るとダサイ いやカッコイイ やっぱりダサイと繰り返してしまう独特のひょうきんさを漂わせ ほのかに 和 のフレイバー  鉄と石は別々のデザイナーかな

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アーチにくり抜いたり 草の蔓を思わせるカールやダイヤのボタン。 強度にはなんにも関係ないし めんどくさいだけなのに 制作者の西洋への憧れにプラス独創性を感じます ありがとうございます
小さく付いてる銘板には「大正十一年 日本橋梁株式会社 大阪工場」と彫られてる

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「岩井橋」
竣工 1922年(大正11年) 日本橋梁製
橋長 30.0m 橋幅 29.5m
構造 上路でソリッドリブアーチの1連

今度は晴れた日にまた来ますよ さようなら


一回「岩井橋」で堀川を渡ってたんだけど また渡りかえして 今度も右岸側を下ってすぐ 見えていました「日置橋」。黄色い欄干の2つの歩道に支えられる様に老体にむち打って堀川に架かっていました

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日置橋周辺はかつては桜の名所として有名だったとアル  名古屋名所団扇絵集の「堀川花盛(はなざかり)」では、両岸に満開の桜が描かれてるともアル。 こんなばっちいとこで? 桜の木は戦火の餌食になって今はもうそんなに残ってない 堀川もその頃は水も澄んでたはずだからきれいだったことでしょう

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「日置橋」(ひおきはし)
竣工 1938年(昭和13年)
構造 RC桁橋

黄色の欄干で挟まれても十分和風なのは擬宝珠のおかげか それとも黄色にも素質があるのかな違和感がない

  

つつっと行く 「日置橋」では堀川を渡らずにやってはならない橋上Uターンでまた右岸側から「松重橋」にアプローチ

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だめだ「松重橋」も銘板の写真がこれしかないから年代がわかんない 納屋橋から似た様なランプが付いてるけど発注が「納屋橋みたいな感じで」だったんじゃないだろうか  なんかのついでにまた来るね


「松重橋」の橋上で振り返ると「松重閘門」。久しぶり あーあーペンキ塗られちゃったね それ何色? 薄いピンク? 名古屋の偉い人 本気なのかな なんかのペンキ余ってたのかな

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頭からピンク色のペンキをかぶって、趣と威厳を失った「松重閘門」。 しかしあなたに罪は無い ただただ残念なだけです

「松重閘門」(まつしげこうもん)は、愛知県名古屋市中川区にある閘門で 現在は使用されていないかわいそうな閘門。  庄内川と都心をつなぐ堀川 と名古屋港と都心をつなぐ中川運河 とを結び近代期の名古屋を支えていた遺構であるとアル
中川運河と堀川では、水位が違うくって、40tもある水門を上げ下げして開閉することで区画(閘室)の水位を調節して、船を昇降させて運河内外の行き来を可能にしてきた 優れものの建物。

2010年7月19に来た時は、ご覧の様に どこかエキゾチックでいながら趣も威厳もたっぷりとその体に纏っていたはずなのに 

松

偉い人ぉ 色の会議とか開いてます? きれいにするのはたいへんありがたい事だけど 塗り終わって足場とネットを外した時の正直な気持ちを伺いたいものです

ガックリと肩をおとして 堀川沿い その6につづく



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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その6
一番 不本意なのは「松重閘門」本人だとは、わかってても 励ます言葉も見つからずに 滲んだ涙をぬぐい黙ってうなずいただけで お別れをした もう見に来てほしくないだろうな


じくじたる思いの「松重閘門」の横を抜けて名古屋高速都心環状線をくぐり ちょっと堀川沿いから離れる この近所に無視できない全国でも珍しい神社があるそうなので探してみたら 難なく発見。「鹽竃神社」。(しおがま神社)

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全国でも珍しいと云う事は世界中でも珍しいはず そう云えば個人的には初耳。

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名古屋城築城の際に工事遂行を祈願し、尾張藩士岩田藤忠が塩竈六所大明神を勧請し、堀川の淵に創建したとアル
 
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境内にはかっぱの神様「無三殿」が祀られてる 昔、この辺りの川にかっぱさんが住んでて夏には子供たちと水遊びをしたり、土手で甲羅干しをしていたんだって  かっぱさんはこの辺りに普通に実在していた川の神様。なの? また川神様は痔を治してくれる神様のようで、近くの山王橋で堀川の水面にお尻を映すと、悪い痔を治してくれるとか。 だから深刻な表情で堀川におしりをペロンと出してる人を見ても そっとしといてあげてね

頭の皿にいっぱい水をかけて みなさまの無病息災と交通安全を祈願してきましたから 今年は誰も転ばないでしょう  お皿に水がほしいなら運動会のテントは無くてもいいようだけど参拝者用なのかな


かっぱの神様にさよなら云って、ついでにもう1本寄り道。ここからほど近い黄金陸橋方面に呼ばれた

名鉄名古屋本線と東海道本線と東海道新幹線を一気にくぐって「猿子橋」で中川運河をわたり黄金陸橋の橋上で見つけた「向野跨線橋」。かわいらしい初恋カラーの割に すげーデケー図体で何本もの線路をひとまたぎのアメリカ人。

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ピントラスだ 細いな 元は山陰本線の保津川に架かってたそうなので、地図で山陰本線をたどって見たら もしかして 保津峡駅前の橋だったのかな 確かに川幅が広いんで大きいのもうなずけるし 山間の結構、川面から高い位置だから きっとカッコ良かったんだろな 秋とか紅葉にカモフラージュして似合いそう  交差するトロッコ電車の保津川橋梁は今年会いに行くリストに入ってるからついでに見て来る

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プラットトラスの斜材には引張力しか生じないからこんなペラいのでも大丈夫。おかげで細くていい感じ

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名古屋駅方面。  線路ってすごく土地がいるんだな 都心だから土地代がバカにならんね 

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保津川橋梁時代の脱線事故で負った傷跡。 きれいに直ってるから痛々しくは感じない 血は出てるけど

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「向野跨線橋」
製作 1899年(明治32年)A&Pロバーツ ペンコイド製
竣工 1930年(昭和5年)
橋長 119m 橋幅 5.5m
下路で曲弦のプラットトラス(ピントラス) 85.3mの1連

近いのにはじめましてでした 挨拶もすんだのでこれからはちょくちょく来ますね  さようなら


さよなら云ったらちょうどお昼。 今日のお昼は、名古屋名物のあんかけパスタにしようと昨日の晩からから決めてた せっかくなんで あんかけパスタ発祥の「ヨコイのスパゲッティ」に行こうと太閤通りをストトトトーと走って 名古屋駅の高架下で信号待ちの時、マックの匂いがした 看板は見えないけど匂いだけで誘惑するマック。おなかもギューって鳴くし でもいかん、マックは近所にもある  マック臭を息を止めて必死にクリアした やっとの思いで栄のヨコイに着いたら  すげー100人の行列 なにあんたたち。 錦店はお休みだし行列に並んだら食べるの3時過ぎじゃないのかな うー もう昨日からあんかけパスタの口になってるから仕方ない 名古屋駅前まで戻って「チャオ」ってお店のあんかけパスタ。 混んでたけど一人だから中央のビックテーブルにすぐ座らせてくれたよ カタジケナイ

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わー体に悪そう じらされた分、大盛りになってるし 止せばいいのにハムエッグのトッピング。 気が動転して冷静な判断がつかなくなる時間帯だったし

ちゃんとスッパ味も感じるからトマトソース系だとは思います 黒い点は挽肉でしょうから旨みも甘みも感じますが ものすごくスパイシーなんです またこのソースが 揚げたんじゃないかってぐらい油ギッシュな太麺に相性ぴったしで おじさんになっても癖になるんだこれが  フー 命がけなんです

堀川沿いを脱線したままだけど 堀川沿い完結につづく



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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い 完結
美味しかったけど もう今年はいい。年に一回ぐらいにするか大盛りをやめないとダメだな 単独行動だと誰も見てないから調子に乗ってお腹いっぱい食べてしまう  私の生き方をときどき遠くで叱ってほしい

お腹ポンポンで出発。 名駅通りから「山王橋 」で堀川沿いにまた戻りしばらく下ると「古渡橋」に遭遇。ちゃんと屋根も窓もある親柱。入口さえあれば2時間ぐらいは住めそう 雨宿りには最高だと思う  この橋も堀川に最初に架けられた堀川七人衆の一人。

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この橋には本当に住人が居る 橋のすぐ横にブルーシートで上手に家を作って結構いい暮らしをしていた けど 堀川におしっこしてるのを目撃してしまった 逮捕だ あのヤロウ 市県民税も払ってないくせに 今度から小さい鳥居をいつも持ち歩こうと誓った 腫れちゃえ


気を取り直してまたしばらく進むと「尾頭橋」。この近くにJRAがあるからなのか昼間から酔った人が多い いやJRAに罪は無いし 博徒はもっと誇り高い。 はず

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「尾頭橋」(おとうばし)も堀川に最初に架けられた七橋のひとつで「佐屋街道」とある
「佐屋街道」は、東海道の宮宿と桑名宿とを結んでいた道。 普通なら宮宿と桑名宿間は「七里の渡し」を利用しなければならなかったけど 天候次第で船が出ない日もあったり、船酔いをする人や、犯罪に巻き込まれやすい女性や子供の旅人からは敬遠されてて、「七里の渡し」の迂回路として盛んに利用されたのが、この佐屋街道であるとアル。ようは遠回りの脇道。 オレもこっちを利用したい 東海道の「七里の渡し」は、今は天下の国道1号。フンダンに鉄を使った「尾張大橋」となって大出世をはたす よっ

実は「古渡橋」も「尾頭橋」も渡ってなくて、今の橋が何年に竣工されたのか見てきてない お腹いっぱいなのは、いろんな緊張感を解いてしまうからだめだな  まぁ自分の目で見る事が目的だし当然好みもあるからね


きっと次の鋼橋がもう見えてたんで上の空だったんだと思う 次の橋は「住吉橋」。午後からの曇り空に機嫌を悪くしたのか ぶすっとした表情で川面におなかを映していました ちょっと冷えてきたね

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なんでだろ親柱が2つづつ 計4つもある 両サイドのコンクリートアーチは、後から拡張したのかな しかしなにがあっても絶対に飛び込みたくない川の色。 とは対照的に 鉄の冷たくて固いイメージを ほんわかした優しい雰囲気にかえてくれる浅緑色。 やっぱり色って大事だね 「尾頭橋」から250mぐらいなのに治安もよくなった

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メリーゴーランドみたいに回わちゃいそうなランプはどっかと交信できそうだし 欄干にはめ込まれた鋳鉄の装飾もダサくてかっこいい デザインはこの時代に出尽くしてるな

「住吉橋」(すみよしはし)
竣工 1937年(昭和12年) 
橋長 30.4m 橋幅 24.5m
構造 上路でソリッドリブアーチの1連
   コンクリートアーチの2連

晴れた日は印象が違うでしょうね また来ます さようなら


ストトトトー(SRはこんな音がして頼りない)とつづけて左岸側を走ると「熱田記念橋」。

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片持ちの吊り橋で 主塔が1本しかないからちょっとめずらしい橋 堀川も川幅が広がってきた いよいよ海に出るけどこの先に興味のある橋はないんで「白鳥橋」から国道1号を通って ずーっと呼ばれ続けてたけど行けてなかった「神宮前駅」に初到着。

本日のメインイベント とってもお会いしたかった「御田人道橋」。手作り感満載のそのお姿は夢にまで見ていました

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すぐ下の名鉄神宮前1号踏切とJR東海御田踏切が合体している踏切は 「開かずの踏切」として超有名だった 国土交通省では「開かずの踏切」を「ピーク時の遮断時間が1時間あたり40分以上となる踏切」と定義してる  この名物踏切も2012年6月30日廃止。 トラ柵で封鎖されてたのはいいけど 問題はそのトラ柵に貼ってあった案内。

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踏切跡に新しい歩道橋が出来るとアル。 あーあ「御田人道橋」撤去確実だな 平成28年完成とアルから それまでに出来る限り 何度でも弁当を持って通う覚悟がかたまった。

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JR東海道線を跨ぐのは 下路でボーストリングストラスの1連

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名鉄名古屋本線を跨ぐのは 下路で平行弦のワーレントラスの1連


どちらもいろんな国製の古くなったレールを再利用してつくられてて 今も健気に人の役に立っていました この満身創痍の姿故 哀切このうえない思いではありますが もう休ませてあげるのも愛。

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支柱も古レールを上手に曲げて再利用。 こんなかわいい跨線橋が大好物 今度は錆び止め塗料でも持って また近いうちに必ず伺います(涙)


長々とごめんなさい 本日の走行 73km