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小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2013年10月13日 淀川前編

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淀川沿い
お仕事の予定と秋の空。 と 云う事で 前日に急遽予定が無くなった体育の日。 いいのか悪いのかはあまり考えずに 行く気満々で早起きして見た秋の空は もう隅々まで太陽の光が届いて 高いし 奥の宇宙の暗闇が透けて見えるぐらいに蒼かった。 絶好の運動会日和、イコール 絶好のツーリング日和。 少なくても天気は歓迎ムードだったから心配事をよそに浮かれることができた。  前日の夜に近所で花火大会が開催されてて SRに乗って行ったから 今日はキック一発。6時半頃出発。

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いつもの国道22号、新木曽川大橋の橋上に取付けてある温度計は14℃を示してた いつもの国道21号に合流すると いつものように速度が一段階UPするから 走っていると寒い寒い  でも、もうこの時間帯からすれ違う単車は多いし みんな今だけ寒さに耐えてニヤけてる はず。 いい天気だもん すぐ暖かくなるのはお見通し。

垂井を過ぎて片側1車線になった国道21号だけど まだ車も少なくて快走。 でも国道8号に合流する手前に取付けてあった温度計も14℃のまま そろそろお日様にも本気出してもらわないと 肩凝ってマジヤバい。 それでも国道8号に合流して彦根を順調にすぎると いつもこの辺りから威厳のたっぷりこもった低い声が聞こえてくる ここまで来たら無視できないジェントルマンにご挨拶。

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国道8号のすぐ横 近江鉄道本線の愛知川を渡すイギリス人 おひさしぶりです 低い声の持ち主とは思えないポップな出で立ちは相変わらずだけど かわい子ちゃんなのか頑固じいさんなのか判断が難しいところ ハイジに用があって行ったのに怒ってるオンジしかいなかった時みたい  だいぶペンキは剥げてきたけど元気そうで何よりです

「愛知川橋梁」
近江鉄道本線の愛知川駅-五箇荘駅間の愛知川に架かる橋
1897年(明治30年)ハンディサイド製
橋長 239m
下路で平行弦のポニーワーレントラス(ピントラス) 30.1m 1連
上路のプレートガーダー 22m 2〜9連

元々は木津川沿いで見に行った事のある関西鉄道の「木津川橋梁」の初代の1連か3連。斜橋を直橋に直して こちらにおいでなさったようです もう一人はどこにいったのかな それか直橋に直す時に2コ1にしたのかもしれない  近いんでまた来ますね  (もう一回 調べたら製作会社も違うし関西鉄道の「木津川橋梁」の初代は補強されてまだ現役みたい 調査中。)


「愛知川橋梁」にさよなら云って 前回、思いのほか時間がかかった失敗から 気持ちのいい湖岸道路はあきらめてそのまま国道8号を進み しばらくすると自然に国道1号になった この辺りは国道1号が2本あるけど、前回の宿題が残ってたから大津側の国道1号を選択した  大津駅を横目にしばらくすると 前回停まれなかった名神高速道路の「蝉丸橋」を発見。 発見はするんだけど やっぱり停まれるところが無くてくぐっちゃた くぐって少ししたら空き家があったんでなんとか停まれた フー。

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でもなんのイヤがらせなのか足場が組んであって良く見えない(大泣)。 写真左側が蝉丸トンネルで橋をはさんで大津トンネルにつづく。 小さいけど山と山の間のこの道が東海道。 国道1号になれたのが当然で実績のある 古くからの道なんです

「名神高速道路蝉丸橋」
上りも下りも 上路のスパンドルブレースアーチで1連
元はアーチ橋として架かり1991年に改良されて斜材が追加されたそうです


足場がバレた後にまた来ないといかんね  達成感もなく「蝉丸橋」をあとにして しばらく国道1号を進むと これも前回素通りしてきた「逢坂の関」。橋もトンネルもレンガの跨線橋だってみんな「蝉丸」なのに 前回は蝉丸と聞いてもピンとこないオタワケにはなんの変哲もない坂でした(涙)

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蝉丸さんはここ、逢坂の関に庵をむすんで、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだ歌人で音楽家。 勝手に女の人かと思ったけど全然違って坊さんっぽい 「東国へ旅立つ人も、その人を見送って引き返す人も、ここで別れを繰り返すし、知っている同士も、知らない同士も、ここで出逢いすれ違うんだなぁ」みたいな。 今はアスファルトが敷いてある坂道だけど幅は昔とそんなに変わってないんじゃないかな 日陰になりがちなゆっくりした下り坂を行く後ろ姿を涙ながらに見えなくなるまで見送った人や これからはじまる長い旅の先に思いを馳せ晴れやかに坂道を踏みしめた人。 それはそれは沢山のドラマがあった事でしょう

上の写真をもう少し右側に振るとちゃんと下り坂なんですよ いくら探しても坂が写った写真がない残念。 ほとんどは山の陰になってたけど ところどころに朝露がキラキラと日の光を反射して すこし怖いぐらい 情念渦巻く坂道でした(笑)

一つ賢くなって、今度はちゃんと蝉丸さんにさよなら云った。 そのまま国道1号で京都に入り 今回はスルーしようかなって 一瞬思ったけど見るだけでもと思いなおし やっぱり府道にのりかえて「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)に会いにいった どこにでもある街並はかわりなけど今回は渋滞もなくすんなり到着「澱川橋梁」。

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ちょっと見ないあいだにまた大きくなったんじゃないの? 今回は「観月橋」を渡らなかったから右岸側から接近 結構人がいる。 堤防の坂道を利用して一心不乱に体を鍛えてる人達は ここが元、帝国陸軍の架橋演習場(渡河訓練場)だった事を知ってて突き動かされているのかもしれない 「澱川橋梁」はどんなふうに映ってるんだろう 邪魔?

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大きな大きな体を支え続ける 支承部。やっぱりかなり大きい  1977年、この辺りに損傷が見つかって1983年に各部交換や補修が実施された以外 完成以来80年以上にわたりほぼ竣工時のままのお姿だから 近寄るとやっぱり年相応でリベットが沢山のイボイボ肌。 何回も何回も重ね塗りされたペンキでマカロンみたいになってるから もう最初に締めたときのスパナじゃ回せないでしょうね  抹茶じゃなくて青汁のマカロンだからまずそうだけど

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「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)
近畿日本鉄道京都線の桃山御陵前駅-向島駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 164.6mの1連の複線
下路曲弦プラット分格トラス(ペンシルバニアトラス)

右岸側からだとすごく近づけたし こちら側に文化財のプレートが付いてたのも確認できた チラッと見るだけのつもりで行ったのに 気づいたら30分ぐらい経ってた。  あなたやっぱり魅力ありすぎ なかなか離れられない

罪作りな「澱川橋梁」に なんとかさよなら云って 淀川沿い その2につづく



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Category: 2013年10月13日 淀川前編

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淀川沿い その2
天高く 橋もドテッと肥えて見える秋。 いえ「淀川橋梁」は何度見ても繊細。 で ありながらデッケー。 よくは知らないけどダビンチの天井画を見たときのように鷹揚なエネルギーを感じます  地元の方に教えて頂きました 夕日がきれいなんだって そうか夕日なんだ  遠くまで見わたせる河川敷。 夕焼けに染まりグラデーションが織り成す細かなトラスの輝き。 大きな大きな影を映す川面。 うわー また来ないかんね 寝袋もってまたきます 

「淀川橋梁」に そんなに無い後ろ髪を引かれたけど振り切って再出発。 なんとか宇治川沿いに走りたいけどうまく行かなくて曲がる度に感応式信号にひっかっかたりしたけど 無事「宇治川橋梁」(京阪本線)に再会できた

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いい天気 ヤー久しぶりー  いい色の7連ものプラットトラス。 ゾックっとくるね 途中でも見たプレートガーター橋もお隣の「木津川橋梁」も京阪本線の橋はみんなルージュ・サン。 太っててもキレキレに踊るおばさんが着てるドレスの色のイメージ チョコマカした感じは神経質なスッテップを連想させる  見た事ないけどね


もちろん「木津川橋梁」にも寄ったけど割愛。 前回うっかり素通りしちゃった「男山橋梁」を拝見したくて石清水八幡宮に寄ってみた

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着いたけど ここから「男山橋梁」はちっとも見えなくて近づくには登山するしかないらしい そうとは知らず山をなめたこんな軽装で来てしまった(涙) 遭難したらシャレにならないから今回はゴクンと涙を飲む また今度、嫁とケーブルカーにでも乗りにくることにして男山山上をあきらめた  今思うとやっぱりなんで行かないのか不思議 結構、現場で弱いんだよな

一方通行を大回りしながらUターンすると 偶然、前のポールが捨て身で守った八幡町の道路元標を発見。 ドブから生えてた草が事故当時の様子を身振り手振りで教えてくれました  大変だったね

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道路元標(どうろげんぴょう)は道路の起点、終点、経過地を標示するための標示物。旧道路法1919年(大正9年)により各市町村に1個設置することとされた道標。とアル 今は国道や県道に番号がついてお馴染みのひょろっとしたポールに薄っぺらい標識だけど 当時は石だもんね 小さくて低いから歩行者用だったのか 誰用でもなくただの記しだったのかな  結構いろんなところで発見するけど 有名なのは東京の日本橋に埋め込まれてる「日本国道路元標」あそこが日本の道路の始まり。 一回は見とかないとね

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引くとこんなに町内に馴染んでるから 逆に見つけにくいかもしれない どこにある道路元標でも大体こんな感じ。
  
前のポールを労らって府道に出てしばらく木津川沿いを行くと向こうから宇治川がやってきて合体。すぐに桂川も追いついてきて3本の川が全部で淀川になった。 晴れて淀川沿いに出世した府道の13号をしばらく進むと国道170号の「枚方大橋」を発見。対岸に呼ばれて淀川を渡ったすぐ隣 下流側に「淀川水管橋」がずっと見えていました

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「淀川水管橋]
竣工 1964年(昭和39年)
橋長 705m
ランガーの10連

さすがに体育の日 いい天気も手伝って 河川敷ではサイクリングやジョギングする人達で すごく賑わってた。 ここからちょっとだけ淀川沿いを離れて茨木市の街中に下りて行く事になってる 自分では記憶がないけど地図に印がしてあるから確かめに行く  このルートも本当は今年の正月に2泊3日で考えてた道程なのでしばらく空いちゃってたし今回急遽ひっぱりだしてきたからもう忘れてる 印には○○橋のメモもないからいってみるしかない 


印の近くに来てるはずなのにそれらしいと思える物件もなく 近所を20分ぐらいウロウロしてたら 一応変わった橋を発見した

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桁を2重にするぶん 少し細くしてあるのかな 普通のニールセンローゼ橋よりは ぱっと見、細く見えたけどどうかな 渡ってないし銘板も見てない。

しっくりこないけど 無駄に時間も過ぎるから もうこの辺はあきらめて淀川沿いに戻った。 帰ってきてから調べ直したら「茨木川橋梁」がこの辺りにあったはず でも間違いなく何度もこの辺は通ったけどな しょうがないまた行く。

気を取り直しての 淀川沿いは「鳥飼大橋」から。のはずなんだけど・・・ 1954年(昭和29年)に完成したカンチレバートラス橋は今年の始めに新橋に架け替えられ 2月に旧橋は完全に撤去されたあとでした(涙) 全然知らなかった 本来の予定通りに今年のお正月きていたら一部ぐらいは残っていたのかな ガックシ。 これは元「鳥飼大橋」のすぐ横の「淀川橋梁」(大阪高速鉄道モノレール)。

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「淀川橋梁」(大阪高速鉄道モノレール)南摂津駅-大日駅間 
竣工 1997年(平成9年)
橋長 632m
下路ニールセンローゼで5連

新しい橋だけど 真ん中のアーチが一番大きくて岸に近づくにつれて小さくなって行くリズムカルで遊び心のある橋でした 「鳥飼大橋」は残念だったけど  やるね。


淀川の右岸堤防で恨めしく「鳥飼大橋」跡地達をくぐり そのまま一方通行の右岸堤防道路をしばらく進むと「豊里大橋」に着いた

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斜張橋ってだけでアーバンなイメージをもってしまう田舎もんのオレだけど この方こう見えて結構古い 日本万国博覧会の関連道路の一環として整備された橋。 世界各国からいらっしゃるお客様のおもてなし為に当時としてはすごく背伸びしたんじゃないかな ちょっと微笑ましい感じ 主塔はA。かわいい。

「豊里大橋」
竣工 1970年(昭和45年)
橋長 561.40m
3径間連続の箱桁斜張橋


河口側を向くと大都会がもうすぐそこ。 右端に写ってる石碑は「平田の渡し跡」と彫られてた

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帰ってから調べてみると 平田の渡しは1676年(延宝4年)から この「豊里大橋」が完成するまでの 約300年の歴史ある渡船場、淀川では最後の渡しだったとあった  万博がいやおうなしに運んできた新しい輝く未来 その影でひっそりと閉じる歴史。 その時、間違いなくこの場所がボーダーラインだった。 素通りの多い今日この頃、石碑に気づいてよかったぁ

 
このあと堤防沿いのホームセンターコーナンでトイレを借りて、革ジャンを脱ぎシートにくくって再出発したら いよいよ「赤川鉄橋」なんで 淀川沿い その3につづく




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Category: 2013年10月13日 淀川前編

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淀川沿い その3
当時は最先端だったのかもしれないけど やっぱりちょっとズングリして見える「豊里大橋」と 跡形もない「平田の渡し跡」にさよならいった。   堤防の法面を左側に見上げる感じで堤防のすぐ下、底の道を淀川沿いにしばらく下ると 大阪が本社のホームセンターコーナンがあって助かった  結局トイレだけ借りたかたち この借りはいつか必ず返す ごめんね   底の道にもどって500メートルぐらい。 底だった道がゆるやかに浮かんでいき 堤防と面一なる場所に踏切がみえる  もうずっと前から耳元でドラが鳴ってる。 踏切まで登る途中から見渡せる世界は 仲のいい家族を見てるような 暖かな雰囲気。 人も鳥も電車も この方を労りながら 頼りにしてる 信じ合うのが家族。愛の鉄の塊。 おまちかね「赤川鉄橋」 ジャーン。 

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もうみなさんご存知とおり「赤川鉄橋」は、おおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業により複線化のため この10月31日をもって人道橋が閉鎖されました  この日は10月13日。 「赤川鉄橋」自体が無くなるわけではないけど 電車と人が渡れためずらしい橋だから 折角なんで渡って橋上に立ってみたかった 忙しい時期だったし まさか、まさか閉鎖前に来れるとは思っていなかったのもあって感慨もひとしお(涙) 神様ありがとう 年末までなら何でも云う事聞くよ。    ではでは おじゃまします

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一歩踏み入れるとバシャと壊れたシンバルのような音がした 人道橋の欄干は噂通り木製だったけど床板は情報と違って縞鋼板が貼られていた これだと冬は滑って危険だったんじゃないのかな 入口に自転車は押して入れって書いてあったけどみんな乗ったままだったし 朝の通勤通学であっせってるとよけいだと思う 朝から痛い思いした人もおおいはず いい思い出だね

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もちろん強度もあって図面化されてると思うけど 平たい図面を見てこの鋼材が3次元に集まるところ、 ここに間隔等しくリベットの穴をあけた人は天才的な職人さんだな 汽車製造株式会社製作(現川崎重工㈱)とアル。 カワサキか(笑)

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欄干を乗り越えて線路側に入ったんでしょうか なんの組織かしらんし かっこよくもないから どうか歴史ある建造物に落書きはやめてくれ 思ったほど名は売れんでしょう  映画のステンドバイミーごっこがしたかったのかもしれないけどね 
 
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盗まれないように人道橋の銘板はもう外してあるらしい これは写真をプリントしてパウチしたものが貼っ付けてあるだけだった(涙) でもこれでもいいからほしい 本物はどこかに展示してくれるのかな

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左岸側に渡るとゲートがあって どうにも自転車を降りないと出られないようになってたから うっかりSRをつれてこないでよかったよ 自転車でもギリギリ。 SRが知恵の輪みたいにカッチリはまって取れなくなった姿が目に浮かんだ あぶねー

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すごくまじめそうな支承部 投げ捨てられたコーヒーの缶のおかげで大体の大きさがわかると思うけど そんなに大きくはない でもいいとこの子なのはパッと見でわかる 品がいいもん この子はピンが貫通してるから横ズレの心配もないし まだまだイケそう。

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河川敷に下りて裏側に回ってみたら なんだ 噂通り床板は木だった そんなに痛んでるようには見えないけど 木をはがさずに上から縞鋼板を貼り付けてしまったのか カバー工法ってやつ? ゴミも出ないしその時はよかったかもしれないけど 結局、今回全部撤去するんだから同じ事だったね  もしかして冬は木の方が滑るのかな

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淀川橋梁(城東貨物線)吹田駅-放出駅間
竣工 1929年(昭和4年)
橋長 611m 
下路の平行弦ワーレントラス 33mが18連

またの名を「赤川鉄橋」。銘板の写真には「赤川仮橋」とありました 左岸側を越えた地域が赤川という名前なので納得のなまえなんだけど 地元の人は親しみと愛情を込めて「十八門鉄橋」と呼ぶそうです 一番上の写真、右岸側から見て右肩に18と数字が見えると思います 1つ33メートルの橋が18個連なっているこの橋を1、2、3と門をくぐるように数えながら 長い橋を楽しんで 渡っていたんでしょうね。 

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橋の真ん中辺りで上流側を眺めると「菅原城北大橋」と大きな団地が並ぶベットタウン。 遠くに見えるのが男山なのかな  上流からやってきて タプンタプンの川面を波立ててる 見えない風は 時々橋上の人達にも及んで髪やシャツや鼻先 必ずどこかをさわって この季節とこの場所がもたらす最高の心地よさと清々しさを何度となく感じさせながら 振り返った川面にまた波をおこし 吹き抜けていきました  超完璧な橋。 来れて、間に合ってほんとうに良かった
 
さようなら赤川鉄橋。 ありがとうございました


淀川沿い その4につづく





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Category: 2013年10月13日 淀川前編

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淀川沿い その4
ちょっとお仕事がきつい今日この頃(涙)。  うーんと 「赤川鉄橋」で満足しちゃったのか このあとは夕焼けの反射もきつくなってきて写真も少ない それなりにと云うか「赤川鉄橋」の人道部がこんな事にならなければ 全国クラスで主役を張れる方もお見えになる 引続きの淀川沿いなのに 当日の現地でも燃え尽きた感はハンパなかった。 今回は「赤川鉄橋」に会いたかっただけだから 仕方がないけど  淀川の穏やかな流れとはウラハラに感情の起伏は激しい道のり  本来、記録係は電卓の様にクールでいなければならないのにオレがこんなんでどうするの

「鉄と機械の関係」と云ってしまえば どこにも血はかよってないはずなのに 確かに感じたあの温もりや この倦怠感はなんだろう 「赤川鉄橋」以降の淀川沿いは、まるで親族のお葬式に参列した帰り道ようでした。 でもお仕事も淀川沿いもやらないと終わらない また(涙)


SRにかからないように塩を振って再出発。 
「赤川鉄橋」から下流側に見えてた水管橋かな? のランガーは見事にスルーしてる 残念。  対向2車線になって府道に昇格した底の道をしばらく行くと「淀川大堰」が見えたから堤防に登ってみた

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この手の堰の管理塔は窓がちょうど目になって、 愛嬌のあるロボット兵達が整列しているようにみえる 堰なのに上流側と下流川で水位が違うようには見えないし 穏やかだけど流れているようだから このロボット兵達はお仕事あるのかな ぼーっとしてないでちゃんと働いてよね 


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振り向くと 水管橋らしい水色のランガー橋。 その奥、すぐ下流側に「新淀川橋梁」(阪急千里線)竣工 1979年(昭和54年)9径間連続の下路で平行弦ワーレントラス。 さらに下流側にニールセンローゼ橋の「長柄橋」竣工 1983年(昭和58年)。の3本が密集して淀川をまたいでいました 

「長柄橋」は今でこそよく見かけるようになった形式のおしゃれな橋。 この時は気づきもしなかったけど南詰めに「橋姫」さんが祀られていたようでした。

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竜閑斎画『狂歌百物語』より「橋姫」写真拝借

嫉妬深い「橋姫」さんのお話は聞いた事はあったけど妖怪っぽいからビビって耳を塞いでた。  有名なのは宇治川に架かる「宇治橋」に祀られてる「橋姫」。 しまった今回も「宇治橋」をスルーしてきちゃった 勉強して出直します。


そうとは知らず普通に「長柄橋」で淀川を渡り 少し戻るかたちで 今度は左岸堤防の底の道に出て淀川沿いを下る。 底の道を下りはじめて割とすぐ 手作り感を否めない古そうな歩道橋をくぐった。 

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爽やかそうな淡水色をしてるけど なんども錆びを吹き出した肌は 表面がボコボコしてその年齢を隠しきれていない 帰ってきてから調べると この底の道は元々「長柄運河」だったとアル。

今の淀川は明治18年の大洪水をきっかけに明治30年から明治43年までかけて大改造された人工の川だったのか それ以前の淀川は細くて蛇行してたし 街中を流れてたから洪水がおきると被害がすごく大きかったために 街の中心部から離れた北側に新しい放水路を開削し 川幅を大きく拡げて、大雨の時に大量の水を直線的に海に流せるように造り変えられたんだって 川の底に沈んだ町内もあるだろうけど すごいこと考えるね

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淀川河川事務所より写真拝借。

掘削するときに大量に出る土砂を運ぶためと、新淀川開削で水源が無くなる正連寺川へ流水する目的で まず「長柄運河」が造られた。 でも昭和44年頃に埋め立てられて 今はご覧の様にただの空き地にってる

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この「豊崎一之橋」はその「長柄運河」を渡るために大正14年に架けられた橋。 下を水が流れなくなってからだってもう随分になるね 

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オレ的にはうれしいけど なんのために残されたのかな  誰も渡っていなかったし ご老体だから 正直、もうそんなに長くはなさそうだった(涙)  ここから淀川駅までの間に こんなふうに取り残された橋があと5本、この橋も入れて計6本 むなしく風だけが流れる空き地を跨いでいます
 
河口側に下って 順番に
「豊崎二之橋」

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「中津一之橋」これは半分新しくされてるな まだまだ必要ってこと?

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「中津二之橋」

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「鷺洲一之橋」

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「鷺洲二之橋」

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「中津一之橋」だけ半分新しくなってて真ん中に橋脚も新設されてるから2連になってるけど 元は全て下路の平行弦ポニーワーレントラスの1連。 1925年(大正14年)10月架設の日本橋梁大阪製。

今頃は下を流れる風にざわついていたススキも枯れて 一層、寂れた様子でふてくされているのでしょうか。 これからもここが運河だったという事を、生き証人として語り継いでいっていただけますように どうか長生きして下さい。  


途中、間、間にもいろんな橋があるんだけど「長柄運河」の歩道橋だけ先につづけてやっちゃった  ちょっと後悔しつつも 淀川沿い その5につづく




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Category: 2013年10月13日 淀川前編

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淀川沿い その5
ヘビで年賀状を考えてたのがついこの間のような気がしてるんだけど もう12月になってるし 会社では、来年はなに年?なんて会話が聞こえてくる始末  ほんと〜に1年が過ぎるの早いですね 淀川沿いを走ってからもう1月半も過ぎたからだいぶ忘れちゃったんだけど ちゃんと終わらせなきゃ今年なにしてたのか増々わからなくなってくる 

とぼとぼと淀川沿いにもどる。 先にやった「豊崎一之橋」と「豊崎二之橋」との間に東海道本線の線路が淀川を跨いでいます 上流側から下り線、上り線、と貨物線の3本 いずれも年代は違うけど一番若い人でも結構なおじいさん達



最上流側の一番若い下り線

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「上淀川橋梁」下り線
JR東海道本線 新大阪駅ー大阪駅間
竣工 1939年(昭和14年)
橋長 729.3m
プレートガーダーの22連

 

上の写真でもモロ見えだけど すぐ下流側、下の写真向って左側の上り線

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この方は複線化に伴ないルートが少し変わって開通した1901年から ずーっとこの位置で今もバリバリの現役。 さすがにレンガ積みの橋脚はコンクリートで被ったんだろうし 横ズレ防止の爪が後付けされてるみたい

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それでも橋台は一部コンクリで補強されてるものの レンガが顔を見せてる ラッキーはラッキーなんだけど 重要文化財に落書きしたことわかってるのかな なにを表現してるのか全く理解できんし 確か死刑だよね。  手前のブルーシートもめくって来ればよかった

「上淀川橋梁」上り線
JR東海道本線 新大阪駅ー大阪駅間
1901年(明治34年)竣工
橋長 729.3m 
下路の平行弦プラットトラス 31.6mが22連
後にアメリカンブリッジ社と統合するA&Pロバーツ ペンコイド製



そして1番下流側の貨物線

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この時は知らなかったけど諸先輩方の研究によると 4連と5連だけちょっと大きいみたい 上の写真でもよく見ると背が高いのがわかるかな 奥の方 わかんないかなぁ そんな事も知らないから右岸側からの写真がない残念。

4と5連

でもヤフー地図でよくわかった ありがとうございます  今までの勝手なオレの統計だと、左岸側から1連、2連、3連って数えると思ってたんだけど違うのかな  最近で云うと富山県で見た北陸本線の「庄川橋梁」もそうだったし ほら「赤川鉄橋」も最右岸側の18の文字がその証拠。 とりあえず仮にオレだけ17連と18連って呼ぶ事にしよぉ 

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これも後から知ったんだけど写真右側貨物線の支承部が入口側と出口側で形状が違う 暗くてみにくいけど一つの橋脚に違う形の支承が乗っかってるのがわかる。 あれー 左側の上り線に20の文字が見えるから間違いないのか
汽車製造会社さんと川崎造船所製。 隣のアメリカ人をよく研究して真似たんでしょうけど 垂直材の編み目は日本製の方が細かくて素敵

「上淀川橋梁」貨物線
竣工 1923年(大正12年) 
下路の平行弦プラットトラス  4連と5連の47.396mが2連
下路の平行弦プラットトラス  1から3連と6から21連の31.623mが19連

こんなに立派な方々なのになんかごめんなさいね もう一回ちゃんと勉強して 出直します  上流側を見上げると さっき渡ってきた 淀川の新エース「長柄橋」が光ってた。 風が来て川面もきらびやかになびく これが人工の川だとは、云われないとわかんないよね 

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「上淀川橋梁」三銃士に面目無くさよなら云ったら すぐに 例の人道橋が架かってる その「豊崎二之橋」から「上淀川橋梁」達を振り返ると ここからの方が夕日を上手に受け止めてる分 若く見えた  いい天気。

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ますます傾むいてきたお日様が人道橋の影をぼんやりと伸ばしてる 運河に水はなくなったけど ずーっとこんな景色なんでしょうね  「豊崎二之橋」を渡って下りた河川敷からは、国道423号線の新御堂筋線に挟まれた「新淀川橋梁」が ガリバーの様に身動きできなくなってるのに どこかのんきにあくびでもしているようでした

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「新淀川橋梁」大阪市営地下鉄御堂筋線 中津駅-北中島南方駅間
竣工 1964年(昭和39年)
下路のランガー 1連(中央部) 



単車でビューーじゃないよ 結構歩く。 淀川左岸堤防の底の道をまたしばらく進むと 今度は水管橋をくぐった  この人も随分昔からここにいるんだろうな 橋台がレンガ積みですよ

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さっきの落書き人と同一人物だろうか だとしたらこっちの落書きの方が完成度がたかいな イヤなんの完成度? 文化財の橋台で練習して こっちが本番?  おじさんは悲しい。

調べてみるとこの水管橋は今は使われてないようで 解体もきまり あとは実行を待つばかりだそうです よく見ると道路に大きくはみ出してるし 無理もないな 

ゆっくりゆっくり沈んでく夕日をうけて 気だるさがだけが加速する  もう落書きなんか気にしてないのかもね   初日終了できるかと思ったけど 淀川にはこんな 憂いに沈む登場人物が多すぎて なかなか進まない   淀川沿い その6につづく