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プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川
いろいろと反省や失敗もありましたけど 達成感と云う気持いい疲労と 幸福感と云う心地いい余韻が まだたっぷりと体中に残っています(笑)

年度末からガレージにつるされていたテルテル坊主が もうだいぶクタビレてきたぐらい まだかまだかとなんども指折りかぞえて待ち望んだ 後半のゴールデンウィーク。 ご存知のとおり(笑)全身全霊をかけた嫁孝行の甲斐もあって 4日間をフルに使った道程のおゆるしが出た。 フフフ 今年にかける意気込みはマーくんにも負けてない でもSRはストレートも遅いし 曲げようと思っても曲がらない (曲がらないのはオレのセイだけどね(涙) 現地の週間天気予報では5日の日が雨マークだけど オッケー,オッケー覚悟してる 逆に1日だけでいいのぉ って感じで その場で飛び上がって2回転半したぐらい 

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きれいにダブルアクセルを降りる夢を見て目覚めた 3日の午前4時50分。 何日も前から準備してあった着替えと夢の詰まったバックとカッパをSRに頑丈にくくって まだちゃんと明けきってない東の空に向って出発。 キックはほんの2、3発。 予報どおり天気は良さそうで 思ってたとおり寒いけど  国道19号に出る手前では 文字通り お日様の暖色に気分だけは暖められて 切望していた今年のGWが始まったぁーー

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去年の学習ができてなくてウインターグローブをもってこなかったから やっぱり指先は冷たいし この時間帯は自分の吐く息でシールドが曇る 今回は経験した事の無い長い道程だから 正直 昨晩は不安でマイナスのシーンばかり浮かぶし 背中に変に痛いところもあったけど 走り出してしまたっら なんてことはない どこも痛くなくなったし シールドが曇るのだって 常にニヤけてるからだと思う 天気は申し分ないんだから 幸先はいい。

国道19号は中津川を過ぎると木曽川沿いの道になる 今日は移動日と割り切っていたから 朝日をうけて霧に浮かぶ幾つもの名橋達には 敬礼だけで我慢した おはようございまっす いってきまっす

まだ車もそれほど走ってない国道19号。 運転の上手なビックスクーターの速い人の後ろに付いてたから 8時前には道の駅奈良井木曽の大橋に着いちゃった いい調子。

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前回見逃してたから寄ったけど 2014年GW、本日の橋1本目としては役不足感は否めんなぁ 鉄じゃないからだと思うけど それはオレの勝手な好みの問題で伝統的な技術や知恵をいかして途中の橋脚も無く木で奈良井川を一跨ぎしてる「木曽の大橋」にまったく罪はない  でも渡ってもいない ごめんね

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だんだんと車も多くなってきた国道19号。 道の端に取付けられてる温度計の数字は7℃、8℃、9℃、10℃と 進むにつれて1℃ずつ上がっていくから 寒いけど 自分のテンションもニヤつき加減も当然比例してUPする。 気のきいた国道19号にありがとうを云って 塩尻を過ぎると国道は20号に代わり 岡谷を通り過ぎると諏訪湖も眺めずにスルーする 結構ストイックなオレ。 

岡谷から国道は142号に代わってズンズンと標高を上げて行く感じ 中山道とアル。 風もなく青空も高い高い。 遠くポツンポツンと満開の一本桜達を眺めながら 鼻歌はやっぱり「渡良瀬橋」。 超いい加減に口ずさんで 時には歌詞の思いに涙しながら。  オレにも忘れられない女(ひと)がいる。

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新和田トンネルで和田峠とビーナスラインをくぐった。 トンネル内では自分達の影に何度も何度も追い抜かれておもしろかったけど ビーナスラインは来年あたりにリベンジしたい 


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中山道からナビの云う通り県道40号に移ってしばらくすると お久しぶりの千曲川に出たから再会を喜び合った。 フフン やさしい春の日差しをキラキラと一生懸命に運んでいく千曲川にうっとりしながら並走。 あなた全然かわらないね

ちょっとすると石積みの橋台を発見して急停止。 これはただ事じゃないな

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よく見ると向こう岸にも石積みの橋脚が立たされたままだし 川の中にも残骸がばらまかれてる。 石積みだから結構古いだろうし大きさから見て単線の鉄道橋だろうと見当を付けて調べてみると やっぱり「布引電気鉄道」の「千曲川橋梁」だった。 

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この私鉄は1926年12月に開業して わずか8年後の1934年には休業。そのまま廃止になった短命で気の毒な鉄道。 「千曲川橋梁」も当時は誇らしげに千曲川を跨いでいただろうに なんて無惨なお姿に(涙) 廃線の理由が電気代が払えなくて電気を止められたからなんだそう ううまた(涙)

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「スケッチパーク こ も ろ 」さんより写真拝借

名誉のために当時の写真をみつけた 写真からもわかるように 間違いなく「布引電気鉄道」は動いていたし「千曲川橋梁」だって当然がんばってた。

「千曲川橋梁」(布引電気鉄道)
押出駅ー布引駅間
竣工 1926年(たぶん大正15年)
上路のプレートガーターで4径間

千曲川は何度となく氾濫してるから川の中の橋脚が何年に流されたのかはわからなかったけど 橋脚の上に乗ってた箱桁の鉄の塊は廃線後にレール共々競売にかけられてはずされたそうなので ひょっとしたら どこか違う景色の中 今もがんばっているのかもしれない  がんばっててほしいな(遠い目)

「千曲川橋梁」の残骸に両手を合わせて さよなら云った。 機会があったらまた来ます

そのまま県道の40号を千曲川沿いに少し進むと 今度は大きなランガー橋をくぐる 別にめずらしくもないからスルーしようかと思ったけど すぐ上流側に前橋の吊り橋の主塔が残ってたから 急いでるのにうっかり停まっちゃった

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「大久保橋」
竣工 1969年(昭和44年)
橋長 97.9m 幅員 7.5m
下路のランガーで1連

なんか石碑も立ってたんだけど読んで来なかった 「大久保橋」で つつっと千曲川を渡ると 2014年のGW、短い間だったけど千曲川とはここで さようなら またお邪魔しますね


5月3日は移動日としてたけど結構あるな これはまた当然長くなる予感 まだ長野県だけど 渡良瀬川その2につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その2
川の水面も 抱きかかえてるタンクも 木葉のあいだから照らされるアスファルトだって この優しい日差しに ずーっと当たっていたいに違いない  もちろんオレも日照時間のゆるすかぎり照らされていたい 常に一歩前にある輝きを次々に追い抜いて こんな毎日がずーっとつづけばいいのにと やっぱりニヤけてしまう。 すれ違うドライバー達は ニヤけ面のおっさんに すごく気味が悪るかったと思うけど 旅の恥はかき捨てって云うし 知らない人だからどう思われても別にいいや。

でもこのあと大渋滞。 元々オレなんかが通ったらいけない おしゃれで牛丼屋とかは絶対にない 軽井沢をルートに選んでいたから ピンポイントに渋滞したんだと思う みんな巻き込んでごめんね   それでもなんとかいわれもない酷い仕打ちに耐えて 信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺でもある 碓氷峠に差し掛かると また自然に鼻歌も飛び出す素敵な道が始まった

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下りはじめこそ 道もボロボロで状態は悪いし とても国道18号とは思えない細い道だったけど これも中山道とアル。 古くから関東と信濃国や北陸とを結ぶ重要な場所と位置づけられてたので 早く鉄道も敷きたくて 明治も中頃になると上野駅から横川駅まで敷かれた鉄道と 直江津駅(新潟)から軽井沢駅まで開通した鉄道とを結ぶために 1893年4月1日 この中山道を串刺すように碓氷峠を越へていく、延長11.2km。18の橋梁と26のトンネルをもつ官営鉄道中山道線(後の国鉄信越線)が開通した とアル。

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新線が通り(今はその新線も廃止)、 この旧国鉄信越線は1963年(昭和38年)に廃止されたから とっくに使われていない。 このお方はそんなトンネルの一人。 いつもだったら恐怖を感じる 呪われそうな 古いレンガ積みのトンネルとは 目も合わせずに シッポを巻いて逃げ出すオレなのに 小ぶりなサイズとポカポカになってきたお日様のおかげで全然怖くないどころか かっこいいなと思ったほど。(この時は本当)

所々にこんな鉄道の遺構もあって 姿は見えないけど すぐ近くで ピーピケキョ。ってかわいい子が歌うし 体中に浴びる 真の木漏れ日のシャワーは天然のかけ流し状態。 しかもぬるめ。 クネクネ道は歯を食いしばるほどじゃなく適度だし 長くゆるやかに下って行く国道18号って もうっ最高。 季節のおかげだね 勝手に今のところの素敵な国道日本一に認定です 

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「碓氷第六橋梁」
竣工 1893年(明治26年)
長さ51.9m 高さ17.4m アーチ径間11.0m
隅角部を切石で補強した煉瓦造
国指定重要文化財


また少し下って 今度は「碓氷第五橋梁」。 これは当然、秋もいいだろね

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「碓氷第五橋梁」
竣工 1893年明治26年(明治26年)
長さ15.8m 高さ8.8m アーチ径間11.0m
煉瓦造
国指定重要文化財

写真向って左側はまたレンガ積みポータルのトンネルだったけど このトンネルは呪われそうな恐怖を感じたから写してやらなかった し「碓氷第四橋梁」は見逃してきたみたい(涙)

現在この線路跡は「アプトの道」と云うハイキングコースになっているようだけど「アプト」ってなに?  調べてみると スイス人の機械技術者アプトさんが考えたラック式鉄道の一つらしい ラック式鉄道ってのは 2本のレールとは別の中央に歯型のレール(歯軌条、ラックレール)を敷設して車両側の歯車とかみ合わせることで急勾配を登り下りするための推進力と制動力の補助とする鉄道のことであるとアル。 ジェットコースターって最初急な坂を登るとき あきらかに車輪とは別の駆動で登って行くけど あんな感じかな


またしばらく国道18号を下り 知らずに「碓氷第四橋梁」をスルーすると お待ちかねの「碓氷第三橋梁」通称めがね橋 をドドンと発見 会いたかったよぅ

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「碓氷第三橋梁」
国鉄信越本線 横川駅ー軽井沢駅間
竣工 1893年(明治26年)
橋長91m 高さ31m 
煉瓦造アーチ橋の4径間
使用された煉瓦は約200万個!!
国指定重要文化財

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文化財が泣いています。  設計者のパゥネルさんがイギリス人だから レンガもイギリス積みなんだそう でもオレにはオランダ積みとの違いがわからない

急勾配でアプト式のラックレールを用いるには列車の推進力を受ける道床に十分配慮する必要があったことから この頃流行の「鋼桁」ではなくて めんどくさいけどレンガ製のアーチ橋にしたんだそう。 なるほどね もしかして鋼橋だったら何だっただろうなぁ  バイクではクネクネ道が勾配を稼いでくれる分 国道18号は急勾配には感じなかったけどね
季節を変えてまた来ます どうかいつまでもお元気でいてください


「碓氷第三橋梁」にさよなら云って またしばらく国道18号を下ると 坂本ダムで塞き止められて出来た 碓氷湖 の標識にちょっと寄ってみた

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寄ってはみたものの 意外に駐車場は車が混雑してたし 心に響く出会いもなく すぐにUターン。 奥に見えてる 碓氷湖に架かるコンクリートの橋は「碓氷第三橋梁」をイメージしたんだそう。 まぁそーだろね

でもUターンした先には 降りていかなきゃ気づかなかった  ?号トンネルのポータルがいた(怖) 「こっちに来い」って云ってるみたいだけど どう見ても どこまでも暗闇。 一回入ったら出られないのはわかってる

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その手に乗るかと 急発進して逃げてきた  バックミラーには映らないかもしれないから 何度もうしろを振り返りながら また国道18号を下って行くと ここまでくればもう大丈夫だろうって場所に、 名称は後でわかったけど「碓氷峠鉄道文化村」があった。 屋外に車両がいっぱい展示してあったし、屋台も出ていて 結構家族連れがいるなーと その時は思っただけで もちろんスルーした


またちょっとくだって横川駅を過ぎて すぐ 大変賑わってるドライブインがあった 腹ぺこで喉か涌いてたから ちょうどいいやと即入店。 軽井沢で渋滞してる時から おなかはすいていたけど あの辺りはドレスコードがフォーマルなお店しかなかったし きっとバイクでも日本車じゃぁ 駐車さえできないだろうし(涙)

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なんの知識もないまま入店したドライブインが「峠の釜飯」で有名な「おぎのや」だった スゲーラッキー。 京王百貨店で毎年開催されていた「駅弁フェアー」。4階の階段室からもう並んでて 7階の催事場にたどり着くのさえ難しい大人気イベント。 その常連「おぎのや」の「峠の釜飯」がこの地だなんて思いもよらずに大感激。  そうか「峠の釜飯」の「峠」は今越えてきた碓氷峠だったんだと感慨深く うすい醤油だしで炊きあがった一粒一粒を 峠とは全く関係ない階段の踊り場での思い出とともに噛みしめた。  イヤ、うまかったです

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結構お高いのは 食べ終わったら持ち帰ってもいい 釜代込みの価格だからなのはわかってるし 持って帰ればいい旅の思い出にもなるでしょう  実際にキャンプとかの時にこの釜で一合のご飯が炊けて 利用価値があるのも知ってる。 でもバイク旅の初日にこれもらっても 重いし邪魔になるだけだから もったいないけど泣く泣く返却口に返したら 奥のおばさんニヤってしてた(笑)


群馬県に入ったから良しとして 渡良瀬川 その3につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その3
今になって聞けば聞くほど 峠の釜飯のドライブインを素通りしなくてよかったなぁと 一安心。 反対車線側だったし その時、たまたまパトカーも停まっていたから 入るのよそうかなと 一瞬思ったのは本当。 昔から悪い事もしてないのに パトカーと警官には構えてしまう癖がある(笑)  釜の再利用をクグっていると 無理してでも 持って帰ってくればよかったと反省もしています  いつかでっかい茶碗蒸しをつくってみたいし プリンもオシャレだと思う

おなかポンポンで出発。  おぎのやドライブインを出たのがちょうど13時34分。 またしばらく国道18号を進むと 信越本線の松井田駅にちょっと呼ばれた

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へー 1885年(明治18年)10月15日 開業の古い駅なんだ ふーん 昔はスイッチバック方式の停車場だったのか てのも そんなに興味はない  でも松井田駅、 跨線橋が古レールで出来たプラットトラスだったぁ スーゲェー。 いい色ですね

まぁでも松井田駅にも簡単にさよならいって すぐ近くの”本命”を探しに 少し下界に下りる感じで碓氷川に出ると とってもお会いしたかった 古老の「上碓氷川橋梁」が その淡くやさしい白緑色を 若い新緑達にからかわれているようでした

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SRを土手に留守番させて川原に下りてみた  碓氷川は水量も少なくて穏やかな流れ 水の色は 誰かが川上の方でバスクリンでも混ぜたのかなと 思うぐらい ちょっと蛍光がっかてた。

上の写真では 手前に上り線のプレートガーター橋が重なって見にくいけど くぐって反対から見る 下り線のプラットトラスは 現存する群馬県の鉄道橋では最古。 しかもパテントシャフト製の イギリス人 なるほど英国紳士的な出で立ち。 おじいさんでもピシィっとしてるね

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「上碓氷川橋梁」JR信越本線
松井田駅-西松井田駅間
竣工 1940年(昭和15年)
上路の平行弦プラットトラス 1連

製作されたのは1910年(明治43年)で 国内のどこかで使われたのち1940年(昭和15年)にこの地につきました この第二の故郷での生活の方が随分長いから それまで何処の景色を見てたのかは もう覚えてないみたい 一番左端には信越線が開通した当時の1885(明治18)年に竣工したレンガ積みの橋台も残ってる 130年の歴史。 文字通り「積み重ね」 ですね  是非また来たいと思います さようならー


待たせっぱなしで悪いなと あわてて戻ってきたのに意外に楽しそうなSR。

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天気もおりかえしをすぎて少し曇ってきたから ちょっとスピードを上げて 国道18号のまま高崎市に入ると すぐ国道17号にのりかえて 群馬県庁の方に呼ばれた この道「東国文化歴史街道」とアル  いくらなんでも大げさじゃない? かな

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「群馬大橋」
1953年(昭和28年)
下路のランガートラスで4連

「群馬大橋」は利根川なんだ 遠くまで来たなぁ。 また「東国文化歴史街道」を戻るかたちで 鳥川沿いに進んで 「聖石橋」や 高崎線の「鳥川橋梁」にも寄ったけど だいぶ端折って「柳瀬橋」。

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「柳瀬橋」
1930年(昭和5年)まず9連が竣工  日本橋梁製
1952年(昭和27年)に1連が延長  櫻田機械工業製 
下路の平行弦ポニーワーレントラス 10連

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右岸側にはなかったし なにをイメージしてるのかは 全くわからないけど 左岸側にはちょっとモダンな親柱が残ってる  違う種類の石を組み合わせてなかなかに凝った造り。 この年代のデザインに対する手探り感というか 迷いみたいなのは好感が持てる


雲行きが心配だから「柳瀬橋」にも簡単にさよなら云って 国道17号にまた戻ると ますます曇ってきて風も強くなってきた  今日の最後の橋と決めていた 鳥川と合体したばかりの利根川に架かる「坂東大橋」の橋上では強風に加えてポツポツと大粒の雨も降り出してきたけど 雨をなんとかこらえて 左岸側に渡ったさきに 部分保存されていました「旧坂東大橋」。

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「旧坂東大橋」
竣工 1931年(昭和6年)
橋長 917.5m 幅員5.5m
下路の曲弦ワーレントラス 62mが6連 
6連と18連のプレートガーター

2004年に新橋が架かるまで 戦前から川幅のある利根川を簡単に渡れて みんなから親しまれていた 長い長い橋も 今は切り詰められ ポリカボネードの屋根も付いたし ベンチが置かれて チャリダーさんも小粋に雨宿りする 憩いの場所となって ゆっくりと隠居生活をおくっていました  ほんとにお疲れさまでした。  オレにしてみれば こんなになっても 残っててくれるだけでもありがたい事 ありがとうございます また来ますね

写真を撮ってたら 雨も上がって チャリダーさんは猛ダッシュして行った あとを追うように新坂東大橋で利根川を渡り直して また国道17号に戻り 沿線の本日のお宿、サイタマ健康ランドに着いたのは17時半をまわった頃。  本日の走行距離は410km。  さすがに疲れた

初日終了  渡良瀬川 その4につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その4
年季の入った健康ランド。入口をくぐって中央の吹き抜けが大きな回り階段になってるのはどこも似たような造り。 もちろん天然温泉じゃぁないけど 明るいうちから露天風呂に入れるのはちょっとした贅沢。 ずーっと同じ恰好でこわばった股関節と どうにも痛いおしりがゆっくり弛緩していくのがわかる 昨年はGWの初日にネカフェ難民になってお風呂に入れなかったから 掃除の行き届いてない健康ランドだけど やっぱり一日の終わりにお風呂があるのとないのとじゃ大違いだと大感謝 ありがとうございまっす

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当然早めに出来上がって10時すぎには、イビキ対策なのか耳の横が大きくカバーされてるマットで寝てしまったから 朝5時38分に目が覚めた そしてハッとした おどろいたことに誰もイビキをかいてない 今まで仕事も含めて全国のいろんな健康ランドに泊まったオレだけど こんなことありえない 満席なのに音の無いレストルームに自分の耳の方を疑ったほど  埼玉県の人はお上品なんですね

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朝風呂に入って サービスで置いてある 簡単な使い捨ての歯ブラシで歯を磨き 嫁に「おはよう出発」とメールをしたのが6時21分。 昨日到着した時は誰もいなかったのに いつのまにか自転車にギュウギュウにはさまれて 困り顔のSR。 でもキック一発出発。

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やっぱりわりと都会なだけあって休日の早朝から車も多い ありがたい事に天気は良さそうだけど湿度は高くて まあまあ寒い 今日はパッチを履かずに出発したから なおさら。 メインイベントの渡良瀬川沿いに出る 朝飯前のご近所に1本呼ばれてる。
 
わわわ 寄り道のつもりがとんでもなかった。 始まったばかりの朝日に輝くハイグロスな深紅はマリリン・モンローのルージュの色。  朝から激甚なくちづけにもうメロメロ。 あんたも好きねぇ「見沼代用水橋梁」。

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「見沼代用水橋梁」(秩父鉄道)
東行田駅ー武州荒木駅間 
竣工 1921年(大正9年)
橋長 30.175m
下路の平行弦ポニーワーレントラス(ピントラス)の1連

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じゃぁこれもイギリス積みなのかな。 製作されたのは1885年(明治18年)から1890年(明治23年)ぐらいの間で、旧官設鉄道線あるいは旧日本鉄道線からの転用とアル。 縦桁にPS & A C0 LDの陽刻があるからイギリスのパテントシャフト社製品と考えてよかろう ともアル。 あれれ、確認して来なかった(涙)

なんにしろ目が覚めました おはようございます  結構15分ぐらい見ていたし 会ったばかりで名残惜しいけど 忘れられないひとリストに書き入れて「見沼代用水橋梁」にさよなら云った 一目惚れって信じます? また来るね


国道125号から県道の46号に移って「道の駅童謡のふる里おおとね」を横目に「埼玉大橋」で利根川を渡った。 全国にある童謡自体のふるさととしてまかされてる地域なのか 童謡に出てくるようなふるさとを目指してるのかどっちなんだろうか   まぁ どうでもいい。

利根川を渡った先を右に折れ 田んぼばかりの町内を抜けてしばらくすると 東武日光線の土手に架かるプレートガーター橋をくぐったから この辺りだろうとSRを停めて土手を登りはじめたら  みつけた。

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風もなく 少し気温も上がってきた5月4日の埼玉県加須市。 四葉のクローバーを探しはじめたら5分とかからない幸福感に満ち満ちた土手を上りきると 大変お会いしたかった「利根川橋梁」(東武日光線)と念願の初対面。 無骨な感じが素敵です

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「利根川橋梁」(東武日光線)
竣工 1929年(昭和4年)
橋長 637m
1連から5連と12連から14連が下路の平行弦ワーレントラス
6連から11連が下路の曲弦ワーレントラス

随分長い事頑張ってますね 小々次郎も四捨五入で50入り。いつかまた来れるかな  どうぞいつまでもお元気で。

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振り返った先の右手に よく見えないけど東北本線の利根川橋梁のワーレントラスが確かに写ってる これは次の日に近くを通る予定だから今日はいいやと思って寄らなかったけど 次の日ナビに任せてたら近くを通らずにスルーしてきた(涙)反対の左側につづいて行く土手は利根川のじゃなくて渡良瀬川の堤防。あの辺りで渡良瀬川は利根川と合流してる 「利根川橋梁」(東武日光線)と利根川にさよなら云って 渡良瀬川にむかう。

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埼玉県もこの辺りはたくさんお米を作ってた 田んぼには水を張ってるだけのと もう植えてあるのと半々ぐらい 眩しい水面に目を細めながら田園の畦道をストトトトーと駆け抜けると おぉ お待ちかねの渡良瀬川。 2014年のGW、記念すべき渡良瀬川の1本目 「新三国橋」。

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「新三国橋」
竣工 2000年(平成12年)
橋長 685m 幅員 10.5m
下路のニールセンローゼ 5連

埼玉県と茨城県と栃木県で三国ってことだろうけど実際には埼玉県と茨城県とを結ぶ国道354号の橋。新しい橋だけど記念だからね やっといた しかしやっと会えたのに 渡良瀬川は照れてるのか 水面も見せてくれない

一応、渡良瀬川に出たから良しとして 渡良瀬川 その5につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その5
その5にして まだGWの2日目(5月4日)で それも午前中のお話なんすが 世間は順調に6月に入ってますね(汗)。 あの優しかった日差しはもう見る影をひそめ、 る どころか 悪意をはらむように成長をつづけ 日曜日の岐阜の最高気温は36℃にものぼりました。 落ち着きの無いクソガキ 待ちきれない子供達は服を着たまま つぎつぎに川に飛び込んじゃうし 河原のお父さんやお母さん達は 瞬く間に焦げるお肉から上る煙と  汗で溶け出した日焼け止めに 目をシバシバさせながら苦笑い。  大変だなと思う反面 ニヤニヤしてる ちっぽけな自分に気づいたのは本当です ごめんなさいね。  口だけで簡単に反省をして 自分は目を瞑り、確かにあったGWの空を見上げて 思い出に浸るように渡良瀬川沿いにもどります ごめんあそばせ

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もちろん「三国橋」にも寄ったけど ずっと堤防の底の道だったから この県道9号上の「新開橋」に来て、やっと水面を見せてくれた渡良瀬川。 はじめましておはよーございます  この辺りは川幅もいっぱいだし意外に浅そうで ゆるやかな流れ  同時に第一釣り人を発見。 

「新開橋」で人生初となる渡良瀬川を渡り すぐ隣にいた東武日光線のワーレントラスを横目に その踏切をわたった。 しばらくして県道9号を離れると たいへん頼りない道になったけど なんとか渡良瀬川から離れないよう 多少強引に 長いこと辛抱強く進んでいくと  道はガタガタだけど堤防に上がれたから ハンドルをとられないように さらに慎重に進んでいった先に いました。  フフフーン  とんでもなくお会いしたかった「渡良瀬川橋梁」が その年齢に見合った白緑色と風格をまとい 大きな体と 大きな器量で ちっぽけな自分を迎えてくれました   いい天気。 

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この辺り、対岸にみえる土手の向こう側に平行して矢場川が流れているから ちょうど「渡良瀬川橋梁」の位置は2本分の川幅があってかなり広い でも渡良瀬川自体はそんなに広くないから 正確に云うと奥に見えるプレートガーター橋は繫がってるけど「矢場川橋梁」で 土手をはさんで手前が「渡良瀬川橋梁」になるんじゃないのかな 矢場川は「渡良瀬川橋梁」から400mぐらい下流で渡良瀬川と合体、晴れて渡良瀬川となる。 

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橋脚も隅石のレンガ積みのままだし 川の流れに抵抗を少なくするために上から見ると両側が尖ったアーモンドみたいな流線型をしていた 古いレンガ積みの橋脚は補強でコンクリートを巻かれてしまう事が多いけど 他所で見ない この形状が長生きの秘訣かもしれない。 

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地元でよく行く 元大井川橋梁の「第五長良川橋梁」や 樽見線の「揖斐川橋梁」、ちょうど去年行った富山県の「新神通川橋梁」と同タイプ。 背筋がシャンとなるぐらい細い やっぱり銘板は無くなってるしね 

「渡良瀬川橋梁」(東武佐野線)
渡瀬駅ー田島駅間
竣工 1914年(大正3年) 
橋長 411m 
下路の曲弦プラットトラス(ピントラス) 62.4mの2連
アメリカンブリッジ製

アメリカンブリッジ社での設計者はクーパーさんだけど 元のドイツ人設計者の名前をもらってシュウェドラートラスってカッコイイ別名もある 支間の中央部が平行になってるのが特徴で19世紀から20世紀の初頭に多く輸入されて全国で92連も架設された高級ブランド品。 プラットトラス自体はプラットさんが特許を取ったんだけど また今度。 ややこしいけどみんなすごい人なのは間違いないです。


シュエドラートラスは特に華奢。 華奢なのに頑張ってる、頑張ってるって 見せないでクールな感じがまたいいんです  色男なのに力持ち。 完璧ですね  


まだ前半なのに 気づくと9時を回ってる 先も渡良瀬川も長いから行かなきゃな   

晴天の広い空間に冷静だけど 雄叫びが響きわたっているようでした この景色は絶対に忘れません。 

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じゃあね  ほんと もう行くね  これからもずーっとクールにお元気で  いつも思っています。 よく見るとコンクリートで巻かれて介護されてる奥の橋脚にも宜しくですよ  さようなら。

湿っぽいのも嫌だから 滲んだ涙がバレないように これ以上後を振り向かず なんとかさよなら云った 


上流の方を向いて またガタガタの道を堤防沿いに進んで行くと「高橋大橋」を発見。 青空と肩を並べる青磁色だから いいヤツなのは間違いない  気温も随分上がってきた

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「高橋大橋」
竣工 1994年(平成6年)
橋長 307.6m 幅員 10.75m

渡河部分が「ランガートラス」とアルけど「ローゼ」にしか見えないけどなぁ  まぁいいや


つつっと行く 「高橋大橋」に誘われて 人生二度目の渡良瀬川を渡る 渡ってすぐの右岸側をのぼり、国道50号の「渡良瀬川大橋」をくぐってしばらくすると 自然に県道8号にかわって走りやすくなった矢先に「福猿橋」を発見。

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「福猿橋」
竣工 1971年(昭和46年)
橋長 291.5m  幅員 7.0m
下路の平行弦ワーレントラス 2連

おもしろい名前だから なんか物語でもあるのかなと思ったけど なんにも引っかかってこなかった つつっと行く。

「福猿橋」で 人生で三回目の渡良瀬川をわたり 一旦渡良瀬川から少しはずれてどこにでもあるような町内を抜け また自然に渡良瀬川沿いに戻ったら すぐ。 これは珍しい「中橋」を発見 高山の赤い「中橋」は有名だけど 文字通り 街の中心に位置してるってことでしょうね

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「中橋」
竣工 1935年(昭和10年) 
橋長 295.1m 橋幅 11m
下路のブレースドリブタイドアーチ 65.7mが3連

キレーな橋だけど甲殻類じゃないかと疑ってしまう まぁ海老とかもキレイと云えばキレイか 天気のおかげで立体感がUPしてる 親柱が交差点とアーチのすぐ前にも 2ヶ所に設置されていた 橋はすぐ見えてるけど警告の為かな 

中橋から上流を見ると おまちかね あの有名な「渡良瀬橋」が見えた 本物だ。  今でもおキレイですが あの頃は圧倒的でした 世代的にも森高ファンなんです(笑)

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広い空とトラス越しの遠くの山々。間違いないです 「中橋」に比べると地味なフツーのワーレントラスなんだけど 歌の中の物語では、これぐらいフツーの方が真実味が増すってもんです さすがです 

下の写真の左端ぐらいが八雲神社。 たまたまなのか休日のこの日は、片側車線を塞いでて 一方通行だった  だからってわけでもないけど 床屋の角の電話ボックスは探さがしてこなかった 

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「渡良瀬橋」
竣工 1934年(昭和9年) 
下路の平行弦ワーレントラス 6連


先の「渡良瀬川橋梁」もそうだけど オレ地図上では、何度も何度も訪れてる場所だから 現実に自分の眼で見てる景色なのに 地図の中に入り込んで想像の物語に参加してるままのような不思議な感覚。 まぁ浮かれてるだけなんでしょうけど。

いい天気にめぐまれて忘れられない景色が増えていく。 渡良瀬川 その6につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その6
もしかしたら森高さんの吐いた息がちょこっと残ってるかもしれないから 念のために大きく深呼吸をして「渡良瀬橋」で人生4度目の渡良瀬川をわたった。 渡良瀬川を渡るには、この橋が純正品だと思う。 だいぶ押し気味だけど「夕日がキレイな町」を朝の9時47分に眺めた。 でも望みは叶ったから きっと夕日にも負けてない 今日の高くて無味無臭の青空のもと「渡良瀬橋」にさよなら云えた  もう十分すぎるハズだけど一回り大人になれたらまた来ます。

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いとま乞い、今度は右岸の堤防道路で渡良瀬川沿いをのぼる。 日差しが徐々に強くなってきたけど どこまでも見渡せる堤防道路で自分の前には誰もいないし 右手には絶えず悠々とたゆたう渡良瀬川のキラメキ。 追いかけて来る雲だっていない。 いつのまにか両腕にずっしりと風圧を感じ 速度が出過ぎてることに気づいて我にかえる始末。 すこしスピードを緩めると鼻歌がデカかったのにも気がついた おはずかしい。

何度かコンクリティな橋をやり過ごしてしばらくすると 県道68号が渡良瀬川をわたる橋のたもとに 奇形をみつけた なに?なに?だれ

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県道68号の橋は「錦桜橋」。群馬県桐生市の渡良瀬川をはさんで左岸側が「錦町」で右岸側が「桜木町」とアルから 雅な雰囲気はするけど良くやりがちなネーミング。 現在の橋は2002年(平成14年)に新しく架け替えられてる。 この奇形は1925年(大正14年)からそれまで架かっていた2台目「錦桜橋」の残骸を切った貼ったしてできてるオブジェなのかな

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ちょっと形状が違う気もするけど 群馬県のホームページから写真拝借。 

奇形だと思ったのは上の写真からもわかるとおり 使われてる部材の位置と方向、角度がメチャクチャだから  構造は全く関係なしで大体こんな感じ と作ってしまったみたい  部分保存してくれる場合、短くする事はよくあるけど こんなのはじめて見た 

錦桜橋
2009年開催当時の大川美術館案内より写真拝借

地元桐生市出身の写真家「石内 都」さんの写真集「上州の風にのって1976/2008」では この2代目錦桜橋と ご本人とのいい感じの思い出話と 上の写真が掲載されてる  写真をよく見るとランプも当時の物を再利用してるのがわかる

もっとクグってたら 旧橋にたいへん思い入れのある桐生市にお住まいの個人の方が街路灯モニュメントとして製作し、保存してくれていたのがわかった。  うわー 奇形って云ってごめんなさいね

オレもこのぐらい出来るようになりたいと今は尊敬してます  でもこの時は「ヘンなの」と思い 1枚写真を撮っただけで薄情なことをして つつっと行った。 ほんとごめんなさい

また気持ちのいい堤防道路を控えめな速度でしばらく行くと みなもが見えなくなって自然に国道122号にかわった  国道122号は東国文化歴史街道とアル。 ちょっと行って 右、「大間々駅」の看板に反応して右折すると案内通り「わたらせ渓谷鐵道」の大間々駅に到〜着。

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まずいな もう11時になろうとしてる。 この駅は駐車場もいっぱいだだったし たくさんの人で賑わってた この駅で車から鉄道に乗り換えて観光する方が多いのだそう。 駐車場はもちろん有料。 「わ鐵」にしてみれば なんの利益にもならない自分が だまってトイレだけ借りるのも悪いから ちゃんと自販機でお茶買って飲んだよ 

時間がやばいから すぐ出発したけど 駅裏に1本呼ばれてる。  国道122号の旧道と思われる大間々駅前をしばらく進んで 県道338号に右折すると すぐ 自分が思っていたのとは似てるけど違う ド派手な橋を発見

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左側に橋台だけ残ってるのがわかると思います 昭和9年に竣工した旧「高津戸橋」は残念ながら撤去されたあとでした(涙)

「高津戸橋」
竣工 2009年(平成21年)
橋長 87.0m 幅員 15.8m
中路のローゼ 1連

会えなかったのは残念だけど 旧橋は上路式ではあったものの 同じアーチ橋だったので 新橋もコンクリートにはしないで大体あわせてくれたんだと思う 色も同じ赤色だし ひょっとしたら新橋にかわってるのに気づいてない人もいるかもしれないぐらい。  なにより旧橋を思いやるハカライがいいね  群馬県の偉い人に感謝。

「高津戸橋」で人生5度目と6度目の渡良瀬川を渡った。  国道122号に戻って 国道が渡良瀬川に突き当たる先に見える若竹色は「福岡大橋」下路のローゼ。

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国道122号は、この「福岡大橋」を渡らずに 写真左側に直角に折れてつづいていく。 自分は息を整えるように「福岡大橋」で人生7度目と8度目の渡良瀬川を渡り 国道122号に戻ると  いよいよ道は、わたらせ渓谷鐵道と一緒に 上流を目指す細い道になって せせらぎの届く渡良瀬川沿いをのぼりだす

川沿いにのぼり始めた途端 山側の影も手伝って 温度が2、3度下がったのを感じた この時間、車もバイクも結構走ってて渋滞気味。 

それなのに ちらっと見えたんで コンクリートの廃橋を洗濯物干しの場所に使っている ご家庭を羨ましがりに寄り道したり

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わたらせ渓谷鐵道の水沼駅を横目に過ぎて 対岸に1本見えたから 踏切の無いのどかな線路を横断して会いに行ったりして 時間的に余裕ブッコいていたのが、 今思えばいかんかった

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「五月橋」はランガー。 橋上に三脚だけ立ててあって 場所取りをしているカメラマンが木陰に駐車した車の中で寝ていたから 起こさないように渡ってなくて 反対側の銘板を見てきてないので 年代はわからないけど たぶん昭和40年代のはじめ頃だと思う。

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なるほど線路が見える この辺をねらってるのかな  でもなかなか来ない車両を待ってるなんて たいへんなご趣味ですね 自分にはとても真似できません くれぐれも熱中症と寝過ごしには注意してがんばって下さい 

「五月橋」に手だけ振って  そーっと別れた。 国道122号に戻り また渋滞気味にゆっくりと渡良瀬川沿いを上って行くと 国道122号は草木湖湖畔の道になって より湿気をおびてきた 時間も12時をまわってる。 しばらくすると で〜たっ 巨大だけど細身でバランスのいい「草木橋」が さざ波の立つ草木湖に そのキレーな朱色をぼんやりと映していました  まだいい天気。

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「草木橋」
竣工 1976年(昭和51年)
上路のバランスドアーチで3径間

「草木橋」で人生9度目と10度目の渡良瀬川を渡った だいぶ慣れてきて ずーっといい天気だった渡良瀬川沿いだけど ここから先は歓迎されてないのか あかがね街道をいくほどに 雲行きもあやしくなっていく でもここで渡良瀬川徒渉、記念の10度目を踏んだので良しとして 渡良瀬川その7につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その7
地図のセイにするつもりじゃないけど 渡良瀬川を渡った記念の10回目がいかんかった。 オレよくやることだけど 9回目、「草木橋」で渡良瀬川(草木湖)を渡って その先をすぐUターン。 渡り直して10回目達成、元の国道122号に戻ってくるという ただ橋を渡りたいだけで たいへん大回りな人生を送っています。 それは胸を張ってるんだけど このとき渡り直さずにそのまま対岸の県道343号を行けば「第一渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)を見逃さずにすんだかも知れない 今回地図をケチって関東一括りのヤツだから この辺りは大雑把。 しかも眉間にしわを寄せてだいぶ離さないとピントが合わないお年頃なので 見つけられなかった やっぱり地図のセイか。

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そうとは知らずに「草木橋」と草木湖にさよならをいい 国道にもどってすぐの 「お食事処こだま」 で昼食。 一目でお手製とわかるツユクサ色の暖簾に好感を持った。その暖簾を割って入ると さまざまな年齢だけど女性ばかりが働いている「家庭的な食堂」って風体。 外からはわからなかったけど結構お客さんがいて 注文を聞きに来た一番若そうなおかあさんは きっと待たせるのを申訳なさそうにお茶を置いて行ったから ちょっとおもしろかった 他のお客さんは全員うどん系を頼んでいたから たぶんオススメなんだろうけど  悩んだ末に唐揚げ定食にしたら 他の人より早く出てきてラッキー。 ただのうどん渋滞だった 唐揚げはフツー味だったけどごはんがおいしかった  ごちそうさまです

国道122号に戻り また渡良瀬川沿いを上る。 「第一渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)を知らずにスルーして しばらくすると「唐風呂橋」で渡良瀬川の支流を渡る。 どんな橋でも どんな川でも渡る時に素早く左右を確認する癖がついてるのは オレの一番いいところ。 右側はもちろん道路と平行する渡良瀬川。 反対の左側に廃橋を見つけた

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「旧唐風呂橋」
竣工 1958年(昭和33年)
上路のコンクリートアーチで1連

ね、曇ってきたでしょう  せっかくの新緑も淡くてたよりない。 廃橋って云うにはまだまだ若いけど この先を期待させる趣がある  いつかまた機会がありますように。  

ここでも対岸を行く線路にピントを合わせてるカメラマンが2人もいた。 すぐ後にキレーな廃橋がいるのに気がついてないみたいだし その大きなレンズでは近すぎて逆に見えないのかな  楽しそうだったからいいけどね  お先です。

さっきまでとは別人の国道122号。 急に空が白々してきて ぐっと川面とせせらぎが近づいた渡良瀬川を横目に またしばらく進むと お待ちかねの方がチラッと見えて ブルっと背中になんかはしった

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こんなところであわててカメラを出してないで もうちょっと行くと  空を曇らせた償いなのか それとも遠くまで一人できたご褒美なのか 3本の橋が密集する夢のような場所があった。 ヘルメットのおかげでほっぺたを抓れなかったから ほんとに夢だったのかもしれない 


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まずは国道122号の旧道、今は使われていない?「旧切幹橋」にSRを止めた。 割と和風寄りでずんぐりした親柱には親近感を覚える  銘板はやっぱり盗まれちゃったのでしょうか そして すぐ手前にお住まいの方は私有地が増えた程度にお考えなのでしょうか


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少し落ち着いて 横の現橋から下流側を望む。下を流れるのは庚申川。すぐ先で渡良瀬川と合流してる

「旧切幹橋」
上路のコンクリートアーチで1連


それで、 わかってるって  もーさっきからチラチラと チラリズム。 誘ってくるね「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)。

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足尾鉄道時代の明治から そのままの場所に架かりつづけて 今もなお現役でがんばってる尊老。 当時は蒸気機関車だったはずだから 現わたらせ渓谷鐵道の渡良瀬川橋梁の中では、煙かった時代をを知ってる唯一の方。 若作りなターコイズブルーが新緑達と微妙に反発し合い より若く、明るくみせる  お元気そうで何よりです

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設計は前出のクーパーさん。 クーパー型150ftトラス桁の国内で製作された3連の内の2連で東京石川島造船所製。 てりやきマックバーガーって感じの 和製アメリカ式ピントラス  橋脚も石積みで とがってるぅ〜

「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
原向駅 - 通洞駅間
竣工 1912年(大正元年)製作 1911年(明治44年)
橋長 104.9m 
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)46.9mが2連
とプレートガーター1連

文化財じゃないのはなんでかな。(失礼 国の登録有形文化財でした) きっとまた来ますね その時はハレマスヨウニ。 いつかその時までお元気でいてください


「第二渡良瀬川橋梁」に、この時は簡単にさよならいって ここの交差点を左折。 時間は過ぎてく一方だけど 足尾温泉の方から声が聞こえる 一旦渡良瀬川沿いを離れて県道の293号で庚申川沿いを上る。

空は相変わらずしらっとしてるけど 国道よりも もう2段階ぐらい 道幅が細い頼りない道だから 新緑に手が届きそうで空気はうまい でもやっぱり誰ともすれ違わないし 物悲しい雰囲気。 なのに民家はたまにある

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道沿いの公園とまではいえない 東屋付きのベンチのある敷地で まだ桜ががんばってた 桜じゃないのかな。 もうしばらく進むと県道が庚申川をまたいだ時の左右確認の際、 奥に これまたコンクリートアーチの廃橋を発見してちょこっとUターン。 

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県道の現橋には「古足尾橋」とアルから「旧古足尾橋」。珍しくカップルが「旧古足尾橋」の橋上に立って何やら路面を観察していたので カップルが写らないギリギリを現橋からぱちり。百円玉でも転がっちゃたのかな  自分の足元近くには 家とつながれたわんこが尻尾フリフリして 遊んでほしそうだった

「旧古足尾橋」とわんこに手を振って また知らず知らずに登っていく感じ しばらくすると ゆるやかな上り坂の向こうに たいへんお会いしたかったハズの「旧小滝橋」なんですが 正直怖い。 せせらぎ以外に音は無いし 天気も手伝って不気味な雰囲気。 かわいそうに無間地獄で 間断のない苦しみに責めさいなまれているようでした。  親柱が墓石に見えるし

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いつもはニヤニヤしちゃうせせらぎも「旧小滝橋」を通して聞くと具合いがわるくなってくる 折角保存してくれてるのなら色ぐらい塗ってあげればいいのに 生き恥をさらしているようでとても気の毒。 でもなに色なら塗っても大丈夫かな  うーん なに色も想像できん。  結局、赤錆状態の方が凄みも説得力もあるのかな

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この橋の案内には、こだきばし と濁ったオクリガナがしてあって 明治20年に銅山便道として開削された「小滝路」に、唯一残された鋼製の橋 とアル。 

「旧小滝橋」
竣工 1926年(大正15年)
長さ 26.6m 巾 3.05m 
下路の平行弦ダブルワーレントラスの1連

大正15年だから日本製だと思う イギリス式じゃないダブルワーレントラスは はじめてみた。 一応鉄道橋なのに親柱もあるし 橋梁とも呼ばれてない 鉱山鉄道は何でもアリなのかな 一般的な鉄道会社とは関連するグループも考え方もまるっと違うのかも知れない  橋の左岸側にある「小滝坑跡」の案内看板には、1954年(昭和29年)合理化により廃止とアルので きっと「旧小滝橋」もその頃から使われてない。

いじましいお姿ですが 何にもしてあげられない 自分の小ささを悔やみ 両手を合わせてさよならいった  また来ますから ふてくされずにがんばってください。

この方だけの寄り道だから 当然来た道を戻る 途中、さっきの わんこがキョトンとしててかわいかった 滞在時間10分。 約35分の大回り。 

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国道122号の渡良瀬川沿いに戻るとバックミラーに「第二渡良瀬川橋梁」が映ったから もう一回ちゃんと さよならいった 

小々次郎の全国でお会いしたい橋NO1である この日の最後の橋は、まだここから100km先。急げ急げ

渡良瀬川 その8につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その8
この時は、お見それしてましたけど すでに文化財だった「第二渡良瀬川橋梁」にさよならを云って背を向ける と、ここからの国道122号は足尾の町内をバイパスしていくようだから 「左上矢印 足尾交番」と書かれた誘導看板に従い 国道を離れて 県道でもないし 夕方まで子供が遊んでいそうな町内の道路にお邪魔した。 それでも右側には渡良瀬川が十分な川幅をもって ゆっくりと付いて きてて いい感じ。 でも、反対の左側は小高い山々が割と近いのに 白々しい空のせいで せっかく芽吹いた新緑に元気とみずみずしさを感じなかった。やっぱり太陽って偉大。 だまって しばらく進むと さらに山側に抜ける奥に何本か見えたから ぷら〜っと寄ってみた

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一番上を行く、花崗岩を上手に積んだ橋台が立派な白緑色の方がわたらせ渓谷鐵道の「有越沢橋梁」。

「有越沢橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
原向駅 - 通洞駅間
竣工 1912年(大正元年)製作 1911年(明治44年)
橋長 14m 汽車製造合資会社(大阪)製
上路のプレートガーター 1連

そっけない顔してるからこの時は気づかなかったけど あとから国指定の文化財だと教えてもらってびっくり。 トラスじゃないから普段ならよっぽっど寄らないんだけど写真撮っててよかった 人は見かけに寄らないって ほんとだね

下の青いヤツは「中才橋」1975年(昭和50年)3月竣工 下路のプレートガーターの1連。 明治10年から足尾銅山に分け入った古河市兵衛が創業者の「古河鉱業株式会社」製とアル。まさか銅製?(嘘)

それから もう一本。 上の写真にもちょっと写ってる 下路のコンクリートアーチ。

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橋長は2mぐらいなのに丁寧に作ってある 実はこの時コレに一番驚いてた 自分の目利きの無さにちょっと反省 でも当然好みもあるし わたらせ渓谷鐵道自体や 足尾銅山の歴史には興味が薄くてごめんなさいよ

そうか、これぐらいの規模なら 上手、下手はおいといて がんばれば自分でも造れるかな。  洗濯機とトイレの排水管を跨ぐコンクリートアーチ!!  小さいとくぐるの大変だから上路式にしよっかなぁ やっぱり鉄橋がいいしなぁ 鋼アーチ橋とくれば当然、赤色だよねぇ  うふふふぅ  なんて考えながら また町内の道をストトトトトーと しばらく進むと 右側に有名な「通洞変電所」の おどろおどろしい廃墟。 おっかないからもちろんスルー。 反対側にさっきの「有越沢橋梁」と瓜ふたつな「通洞橋梁」が居たのもちゃんと確認はしたけど 廃墟におどされてスルーしてしまった  「通洞橋梁」も文化財の勲章持ちだった(涙)

また すぐ「通洞動力所」や「新梨子油力発電所」なんかの廃墟が並んでて この辺りは気味が悪い 保存してるって感じじゃなくて お化け屋敷にしか見えん。 「廃墟」が好きな人がいるのは知ってるし 実際写真を拝見すると美しいな とも思うのもある  そんな方達にはタマランのでしょうけど  オレは目も合わせずに加速して逃げてきた

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逃げ足だけは速いSRのおかげで「通洞駅」にすぐ到着。 足尾町町制100周年の記念として建てられた 銅のモニュメント。 空洞の部分は長い歴史を持った足尾銅山坑道を、上部は、足尾町の未来・発展を望む「飛翔」を表しています。   琺瑯製であろう駅名看板の 通と洞駅のあいだのスペースが気になったけど駅名が変わった記録はない。 足尾銅山観光や足尾歴史館の最寄駅ということで 結構人がいたしお祭りの期間中だよと のぼりが出ていた けど お決まりのスルーです ごめんなさいね 

駅前でも 細い町内道路のきわきわまで軒をだし 連なる古い建物は、たいへん昭和なフレーバー。 江戸時代にこの地で寛永通宝が鋳造されて 繁栄を極め「足尾千軒」と云われた街並は ここじゃないみたい。 けして屈強ではないけど陽気な酔っぱらい達の笑い声を空耳に ストトトトーっと駆け抜けた 


またしばらく進むと 木が邪魔で振り返って確認した「足尾橋」。

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「足尾橋」
竣工 1950年(昭和25年)
上路のランガー 1連


渡良瀬川もきれいだね   つつっと行く。 足尾駅にも寄ったけど ピンぼけで割愛。 足尾駅を過ぎると 細い道の圧迫感がなくなって開けた場所にまた3本の橋。 現橋の「新渡良瀬橋」の橋上から 下流側に旧橋で歩行者専用になった「渡良瀬橋」欄干にはめ込まれた鋳造のデザインに西洋への憧れが見える ケーキ屋のロゴマークみたい

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「渡良瀬橋」
竣工 1935年(昭和10年)
上路のコンクリートアーチ 1連


今度は「新渡良瀬橋」の橋上で上流側を見ると 白緑色した水路橋が 渡良瀬川のせせらぎを子守唄に 眠たそう。 どこから来たのかピントラスだし 

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「水路橋」
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)の1連

アメリカ式だけど輸入品なのかな  なんかそうは見えないけど どこかからの転用でもなくて  アメリカ式に則ってこの辺りで造ったんじゃないのかな  実際、古河鉱業製と書いてあるところもあったりして 年代もあいまい  だけど 水路橋まで華奢でかわいいピントラスな足尾が素敵すぎる 遠いけど来れてよかった。

連れてかえりたい「水路橋」になんとかさよなら云うと 田元の信号を左折してつづく県道250号沿いにいました。 「水路橋」のご兄弟と思われる「田元橋」と わたらせ渓谷鐵道の「第一松木川橋梁」のダブルパンチにノックダウン。  すぐ立ち上がって まず「田元橋」。

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さっきの「水路橋」と同じで王道の7スパンだけど ヤフー地図の航空写真でパソコンの画面に定規をあてがってみたら 「田元橋」の方が幅も長さも大きかった

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1927年(昭和2年)竣工説と1936年(昭和11年)竣工説があって、元はガソリンカーの軌道が走っていたみたい。 古い方の1927年(昭和2年)説だって、 昭和になってからピントラスが造られたのは考えにくいってアル。 でも管理者の古河鉱業の台帳では1927年(昭和2年)てことなので、   ウヒヒ ひょっとしたら古河鉱業が内々で黙って昭和2年にアメリカ式のピントラスを造ちゃったんじゃないのかな  あーだったらいいのになぁ  アメリカ式のピントラスに憧れる気持ちは痛いほどわかるよぅ 

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「田元橋」
竣工 願いを込めて1927年(昭和2年)
橋長 45.23m 幅員 3.92m
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)の1連

「水路橋」もきっと同じ頃。


それで 「田元橋」のすぐ横、上流側に架かる「第一松木川橋梁」。 そう「松木川」。 今は渡良瀬川になったけど 昔の名前で出ています。

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橋脚の上の方、あんまりお目にかかれない トレッスル橋脚が パテント・シャフト社製のイギリス人。 製作されたのは 1888年(明治21年)で、日本鉄道(現・東日本旅客鉄道(JR東日本))の東北本線北部に多数架設したものから転用されたものである とアル。  

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桁を持ち上げつづけて 御歳126才 肩こってそうですね お疲れさまです。  曲げた鋼板を4枚合わせて リッベットで固定して柱を作ってるのがわかる 製作された頃は角パイプがなかったからだろうけど さすがイギリス製だけあって分厚い。

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「第一松木川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
足尾駅 - 間藤駅間
竣工 1914年(大正3年)8月25日
橋長 56.45m
上路のプレートガーダー 3連
トレッスル橋脚 2基


下の写真は、2012年に京都まで見に行った 木津川の支流に架かってる JR西日本の関西本線「下の川橋梁」のトレッスル橋脚。

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「下の川橋梁」は関西本線の開通年の1897年竣工だし 関西本線の「木津川橋梁」とかはパテント・シャフト社製だから「下の川橋梁」のトレッスル橋脚もパテント・シャフト社製だと思ってた  でも よく見ると随分違う。  まぁ9才も若いから 何とも云えないか

この時は 大きさ的にもそっくりだと思って 西の空を見上げては「下の川橋梁」に思いを馳せて 一人でニヤニヤしてたけど  今は、そんな自分に お日様もおりかえしを遠に過ぎ 一層白々としてる事に早く気づいて 急いだ方がいいよと やさしく伝えてやりたい(涙)   渡良瀬川 その9につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その9
鉄道橋らしい松葉色をした「第一松木川橋梁」を一旦、SRとくぐると 薄い、薄紅藤色の空も手伝って一層人の気配を感じなくなる。 民家も、何かの工場だってあるけど 人だけ さらわれたような 音のしない通り。 空の重みをバックミラーで感じながら 控えめなはずのSRの排気音だけが響き渡る。 自然にゆっくりになって 慎重にしばらく進むと、 今はもう使われていない 妙にスネた「第二松木川橋梁」を発見。 そこら中に負のオーラをまき散らして身勝手な表情。 さっきから感じていた陰気の原因はあんたでしょう

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足尾鉄道時代から足尾駅 と 今は廃駅になってる足尾本山駅とをつないでいた立派な方。 なのに「間藤橋」のコンクリートアーチを子分に従えて すっかりヒネクレかえってる。 1987年(昭和62年)に足尾銅山の精錬所の貨物輸送終了と同時に廃橋って事なので まぁまだ元気そうだし これからって時に活躍の場を失ったわけですから 無理もないのかな お気の毒様ですね

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「第二松木川橋梁」旧JR東日本)足尾線
間藤駅 - 足尾本山駅間
竣工 1914年(大正3年)
上路のプレートガーダー1連と下路のプレートガーダー1連の計2連

手の付けられない暴れん坊ってわけでもないようだし 根はいいヤツそうだから なんにもしてあげられないけど 十字だけきってきた  アーメン。

振り返ると線路を遮断した 県道を挟んで当時の踏切が立たされたまま よく見ると線路もまだ残ってる そんな切り通しを駐車場に利用してる軽トラは宇都宮ナンバー。 そう云えば ここだけ人がいたな 

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県道に戻ると 普通に民家は並んでるんだけど やっぱり人影が無くなる しばらくして、駅前のロータリーのような開けた場所にでると、 たいへんお会いしたかった「古河橋」が どうにも漂っちゃう妖気を隠そうともせず 名のアル牢名主のように 鎮座しておりました  うーん ブルッときた

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奥に建つ穴ぼこだらけの工場も足尾精錬所の一部でこの大きな敷地の中に足尾本山駅もある 工場に突き刺さって見えるのが その足尾本山駅につづいてる「出川橋梁」。 今は、もちろん精錬所の工場も足尾本山駅も「出川橋梁」も使われていない

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登らなかったから わからないけど 上の写真左側の先に足尾本山駅跡がある ハズ。 1914年(大正3年)足尾鉄道の駅として開業とアル。 花崗岩の橋台を 今もなお染めつづける血の跡のような赤錆が 痛々しく その歴史を物語る。 自分の限界じゃ なくて 人の理由で使われなくなった物達の発する やり場のない情念のようなものが この地域を気欝に感じさせているのかも知れないな 「第二松木川橋梁」もそうか。

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「出川橋梁」(旧JR東日本)足尾線
間藤駅 - 足尾本山駅間
竣工 1914年(大正三年)
橋長54.82m
上路のプレートガーター 2連


「古河橋」にもどって精錬所の象徴でもある大煙突入の廃風景。 人っ子一人いない

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「足尾銅山鉱毒事件」。 ラッキーストライクの銅フィーバーで栄える一方、深刻な公害問題も 文字通り背景にある。 排煙に含まれる二酸化硫黄があたりをハゲ山にしたし 渡良瀬川だって不本意に汚されたんだそう

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「古河橋」
竣工 1891年(明治24年)
橋長 48.6m 幅員 5.2m
下路のボーストリングワーレントラス(ピントラス) 1連

元々は、古河鉱業(現・古河機械金属)足尾銅山の専用電気軌道で ハーコート社製のドイツ生まれ。 原位置で架かる 日本で最長老のお方。 そりゃ妖気も纏うハズ。 お会いできて光栄です  今は鎖がしてあって もう歩道橋としても使われていないようだけど 文化財だし 保存はしてくれるみたいだから よかった

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内側にちゃんとハーコート社の銘板が付いてるの わかるかな  渡良瀬川も今は十分きれいだし まだ小さいけどハゲ山にも木が植えられて しっかりと新緑が芽吹いてる。 でも少なくても 使われなくなった橋達は この移りゆく景色を喜んでいるようには見えなかった。 まだ働けるって感じだもんね  


全員にさよならをいい  今回は、空の都合もあって 悲しみや憂いに心がふさいでいるようにしか見えなかった 足尾町を後にする。 今度は10年後ぐらいに時間の余裕を持ってまた来てみたい その時はどうかハレマスヨウニ。


Uターンして国道122号に戻ろうと また人気のない町内をストトトトーと一人通り過ぎ、 また「第一松木川橋梁」をくぐり直した時、 振り返って見た 風景が 2014年のGWで最後に見た渡良瀬川のお姿でした。

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渡良瀬川は、北関東を流れる利根川水系の一級河川。 延長は107.6km。 知らなければ良かったけど 日光を開山した勝道上人による命名で、勝道上人が川を渡ろうとした時に、渡るのにちょうど良い浅瀬があったからだとか。 もっと違う理由がよかったけど仕方ない。 でも 響きはいいし 森高さんの歌もあって、遠いし たくさんの名橋が架かる ずっと憧れてた川。 その前評判に負けない素敵な川でした 来れてほんとうによかった  またおじゃましますね  

さようなら渡良瀬川。     でも渡良瀬川その10 につづく




05

Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その10
巡る季節の中で あなたは なにを見つけるだろう。

人の気も知らずに 世間はオレに内緒でもう7月に入ってる  すでに2ヶ月も前の事だけど 今回、まだ5月4日の15時ぐらいからの話で(汗) 2014年のGWも あとまるまる2日分は残ってる(涙) この調子だと終わるの セプテンバーラブ? ほんとやばい 完結する頃の 巡る季節の中で 小さい秋 とか見つけたくないな  梅雨はいつ明けてもらってもいいけどね


渡良瀬川とは再会を約束して おわかれした。 上の方の渡良瀬川沿いは 天気のせいもあるけど この時期ちょっとひんやりとする癖がある 新緑を卷く風の匂いが湿気っていたり、意外に地味なせせらぎの音。 地図でしか知らなかった平坦な道が たいへん奥行のある 思い出にかわった。 

でももう15時。 ちょっと急ぐ。 国道122号に戻って ビルにしか見えない日足トンネルの入口をくぐり細尾峠を越えると 完全に足尾町ともお別れ。 長いトンネルを抜けて 国道120号とのT字路を左折すると日本ロマンチック街道。 その いろは坂を攻めると華厳滝や中禅寺湖がある 予定では当然チャレンジするつもりだったけど 日没まで3時間をきっちゃてるから涙を飲んで右折した。 決して腰が引けたわけじゃないよ まぁ元々ロマンチックでもないし。

右折した国道120号はロマンチック街道じゃなくて ただの清滝バイパス。 ただの清滝バイパスの国道120号をしばらく進むと 国道は大谷川に注ぎ込む荒沢を渡る。 そのなんでもない国道の橋上で いつもの素早い左右確認のとき  左側にみつけた。

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見えるかな  オレには廃橋がはっきりと見えたから ちょうどこの先で廃業してるガソリンスタンドにSRを停めさせてもらって 私有地のギリギリまで近づいてみた  もう自然にかえりつつあって ご自身も受け入れているようだけど ちゃんといました「荒沢橋梁」。

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この橋は1968年(昭和43年)に廃線になった 東武日光軌道線の成れの果て。 この場所で大正8年と昭和14年、昭和23年の3回も電車事故が起こってしまい 沢山の犠牲者を出しました 3回も事故を起こして縁起が悪いからか「荒沢橋梁」から「安良沢橋梁」と漢字をかえた ともあります  現場ではかなりぞくぞくっとしたのを覚えてる

「荒沢橋梁」(旧東武日光軌道線)
 日光町駅 - 馬返駅間 
開通は1910年(明治43年)
上路の3ヒンジソリッドリブアーチ 1連

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停めさせてもらった廃業しているガソリンスタンドの防火壁には 懐かしい星マークとCALTEXの文字がスケスケ。 って事は旧日本石油ですね  ESSOのペガサスとか、この年代のアメリカのガソリンスタンド関係のデザインがすごく好き でも 時間はどんどん過ぎるから つつっと行く。

「荒沢橋梁」には ちゃんと両手を合わせてさよなら云った。  荒沢を渡ると国道120号は清滝バイパスから 日本ロマンチック街道に名前を替えてしまうので 精一杯ロマンチストなフリをして しばらく進むと  今度は、やっぱり 大谷川に注ぐ田母沢(たもさわ)を渡る。 その国道の上りと下りの道路橋に挟まれてた「田母沢橋梁」も無事発見。

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この方も旧東武日光軌道線の橋梁。 さっきの「荒沢橋梁」と全くの同タイプ。 なんだけど 結構渋滞してるし居心地悪そうだね  めんどくさいからヘルメットをかぶったまま 渋滞する車の間を歩いて中央分離帯の「田母沢橋梁」まで来たけど 沢に降りてみようと さらに反対車線も手をあげて渡った もちろんヘルメットをかぶったままだから みんな なんだなんだ?って 顔してて おもしろかったけど 沢に降りるのは この日一番の勇気がいった

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勇気を出した甲斐あって 降りて見ると なにここ 上とは別世界じゃん 田母沢のせせらぎも ちゃんと聞こえるし 新緑達は下でこっそり笑ってた  なにより「田母沢橋梁」が楽しそうに見える 実は居心地いいんだね   オレも対岸の橋台前の平地にテントを張って 一日一緒に過ごしてみたいな  雨が振ってても いいかもね

「田母沢橋梁」(旧東武日光軌道線)
 日光町駅 - 馬返駅間 
開通は1910年(明治43年)
上路の3ヒンジソリッドリブアーチ 1連

この写真だと中央のヒンジがよくわかると思います あと両橋台にもヒンジがついてるから 3ヒンジ。とっても個性的な方なんです

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ちなみに道路脇のこんなところを降りてきた ウフフ。  ダメだ そんな場合じゃない  ウットリしちゃった自分も幾分か悪いけど「田母沢橋梁」のせいで また凄く時間をくってしまった し 日光東照宮渋滞がハンパない。 予定では図々しく日光東照宮も見学しようと思ってたけど スルーするしかなくなって 鬼怒川温泉に向う沿線の5本にも 呼ばれてたけど 日没が心配で あきらめた。  すべてを捨てて愛に生きる歳でもないけど 愛しいあの方に会えるなら これぐらいの犠牲フライは覚悟しなきゃな。  まぁ日光東照宮は改装中だっていうし 華厳の滝や鬼怒川温泉には 嫁と激安バスツアーで来れる機会もあるでしょう。と負け惜しみ ブツブツ云いながら 国道461号の日光北街道を北上。  えーっと 「たちサル」。

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国道4号に移ってさらに北上をつづける さっきからいろんな所で見かけるけどこの辺りは蔵が大谷石で出来てる 頑丈そうだなと思って見てた。

「田母沢橋梁」から一回も休憩しないで 黙々と? ブツブツと走って来た甲斐あって「右 那須塩原駅」の標識をくぐったのが 17時20分ごろ この日の日没は18時30分だから なんとか間に合った もうちょっとだけ国道4号を進んで 「左、那須塩原市街」県道303号の道路標識に従ってしばらくすると たいへんお待ちかねの「晩翠橋」が待っててくれました 実に自宅から670km。遠いよ もう 会いたかったよぉ

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まずはSRと「晩翠橋」で那珂川を2往復した 幸せって なるもんじゃなくて感じるものなんだね 「晩翠橋」は上路のアーチ橋だから その美しい鋼アーチ部は川原に降りないと見えない あなたの存在を知って惚れたのはいいけど 遠すぎるから一生会えないだろうと思ってた でもいろいろ努力して なんとか4日間の休みが取れたから2日かけて会いに来て2日かけて帰る道程を計画できた。 そう 今回はすべてはあなたのため イヤいいんですって フへへ

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立て看板の裏に 川原におりれる階段を見つけた  さすがに文化財、こまめなメンテナンスをしてもらってるようで一安心。 みんなにも愛されて大事にしてもらってるね しかし塗り直してもらうのに4,452万円もかかるのか 栃木県のえらい人にも何かとご心労をおかけします




ドキドキしながら 階段を何段か降りてみると

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あれ  なんだこれ  ちょっと頭がまわらない  えっ 塗装工事?  今日ってゴールデンウイークだよね なんで今日に限って足場が架かってるの?  ひょっとしてライトアップは?  なし?(大泣)

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天気はもった。 いろんなことをあきらめて なんとか日没にもまにあったよ  この奇跡の道程だって 改善された日頃の行いの賜物。 うそだ  うそだ  うそだ  どんな星のもとに生まれたら こんな事になるんだろう(涙) 



現実を受け止めることができないまま  渡良瀬川 その11につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その11
「小々次郎か!!」

わりと最近でも、 転車台が見たいがために 雪を押しのけて出かけて行った「梅小路蒸気機関車館」は休館日だった  まぁ それは よく調べてない自分が悪いんだけど 「蝉丸橋」もそうだし、 楽しみにしていた「九条跨線橋」にだって足場が架かってた  あの時は橋だけじゃなくて 清水寺にも平等院にも足場を架けておく念の入れよう。  行く先々の足場が視界を曇らせる 雨男ならぬ「足場男」。 あれっ 職人さんっぽくて ちょっとかっこいい?  それはおいといて、 時代の流れで 架け替えられる橋を見れないのは仕方ない事だけど 存在しつづけてる橋に足場が架かってる期間は、長い歴史の中でいったら すごくすごく短いはずなのに ピンポイントでお邪魔しちゃう残念なオレ。(涙)  自分でツッコミ入れたけど メンテナンスしてもらってるんだから強い事も云えないしね  また(涙) 

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へー  ライトアップ用のサーチライトには ペンキが垂れても大丈夫なように屋根がかけられてる  逆にこんな姿はなかなか見れないから ひょっとして 広い意味で云うと 運はいいのかな。   あーでも、鉄なのにしなやかで のびやかな感じ  やっぱり素敵だ「晩翠橋」。

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この支承なんて 枝をガッシリと鷲掴みしてるようでもありながら  いつでも飛び立てるように力が抜けてる状態のイーグルの足みたいで スゲーかっこいい  できるなら 甘噛みされてみたい  甘掴みか。

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今の「晩翠橋」は5代目。たもとの案内板には 歴代の「晩翠橋」や ライトアップされてる夜景、建設中の当時の白黒写真なんかが掲載されてて とっても読み応えがあったから この案内板だけでも見に行った甲斐があったってもんです

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奥に4代目が写ってる。 桁と橋脚は無くなってるけど 4代目の橋台は今も残ってた  よく見えないかも知れないけど この時代の建設足場は木で、作業員はヘルメットじゃなくて カンカン帽みたいなのしか かぶってないように見える し 胴綱もつけずに鉄柱の小口に人が立ってるのがわかる衝撃写真  お 恐ろしや どうか「晩翠橋」が誰の血も吸っていませんように 

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そう思うと 今の足場は見た感じ コストはかかるだろうけど しっかりしてて安全そう 「安全第一」になったのって いつ頃からだろう  それまでは何が第一だったのかな うわ ちょっとゾッとした。  セ○ムとかもそうだけど 安全安心が高額なのはわかってる そりゃ4452万円ぐらい掛かるはず

奥に見えてる 真っ赤な照れ屋さんは 東北本線の「那珂川橋梁」1919年(大正9年)竣工の 上路のプラットトラス。 と ついでに紹介するような方じゃない立派なご老人。  でも 撮った写真の中では これが一番写りがいい 残念。

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暗くて、半分ぐらいしか見えてないけど プラットトラスがよくわかるのは こっちの写真かな。  それで、これが残っていた 4代目の橋台。 1921年(大正12年)の竣工で、 5代目「晩翠橋」が架けられたのは昭和7年だから 11年しか使われなかった 影の薄い方。  使われなくなってからの方が長くなって 役立たずの自分がいまも居座りつづけてるのを恥じているようで  ちょっと気の毒。

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でも大丈夫。 5代目を眺めるには 4代目の橋台からが 一番よく見えるから ちゃんと役にたっていますよ

「晩翠橋」橋」
竣工 1932年(昭和7年)
上路のブレースドリブ バランスドアーチ 3径間


恋こがれて 何度も夢に出てきた麗しの君 やっぱり めちゃめちゃきれいな橋でした。 案内板にもあったけど 晩翠 は、冬になっても木々の緑が変わらない って意味らしい  何年経っても、冬になっても、足場が架かってても「晩翠橋」の美しさは変わらないって事で 間違いないです  化粧を直した姿を拝見しにまた来ますね  うーん さようなら


Uターンするとここからは帰路になる  結構スピードがのる 国道4号を寒さにに耐えながらひた走る。 走り出して15分もしないうちに すっかり日も沈んだし ますます寒くなって 明日は雨も降る事だしパッチを履こうと誓った  しばらくして真っ黒な鬼怒川を渡るとき 並走する東北本線「鬼怒川橋梁」のポニーワーレントラスが白っぽくぼんやりと浮かび上がっていたけど もう 寄らずに 手だけ上げてさよならした  また今度。

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宇都宮駅前にある 本日のお宿の健康ランドに到着したのは 20時ちょっと前 今日もよー走った。


長かった2日目がやっと終わたから良しとして 渡良瀬川 その12につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その12
この感覚だと きっと おしりは横にも割れてる。 足の付け根はガチガチに固まってて無理に動かすと カクンカクンっていうし 腰から下が自分のじゃないみたい なのに 顔は不本意に ぬふぁふぁ と笑いの形になってしまう  たぶん無事到着した安堵感を表現してるんだと思う。 実にいっぱいいっぱいだった自分を 人気があって、あか抜けた健康ランドの 本日のお湯、 「菖蒲湯」が 時間をかけて だいぶ元に戻してくれた たいへん助かりました ありがとうございます
おまけに中の居酒屋さん、特に魚料理がおいしかったし 宇都宮餃子もはじめて食べれて 大満足。 ニラが決め手なんですね

翌朝、5月5日の午前5時18分。 誰かの悲鳴と地震の揺れで目が覚めた

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カブ先輩 おはようございます 結構ゆれましたね 自分、正直びびりました あなたもSRも倒れてなくてよかったです あんな中 ご主人はまだ寝てるんですかね 心細いかもしれませんけど 自分達は今日も急いでますんで お先に失礼しますよ

空は予報どおり いつ降り出してもおかしくないくらい曇ってるけど キックは1発。 ちょうど6時02分に出発。 宣言通りパッチは履いてるけどそれでもちょっと寒い。  昨夜はわからなかったけど 結構都会な宇都宮の駅前を抜けて 東北本線の高架をくぐり 国道123号で まず益子駅の方に呼ばれてる   途中、鬼怒川を渡るとき 上流側に問題なく見つけた 本日の橋一本目。「鬼怒橋」。

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間違いなく旧国道で 一時期は川幅のある鬼怒川をメインで担当されていたんだと 思うけど 150m下流のすぐ横に 頑丈な新橋が出来て国道の名を奪われたからか 曇り空も手伝って なんだか あきらめ顔。 

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当時は渡船でしょうけど 水戸の黄門様も通ったことのある 由緒ある場所。 それに15連も連なる 曲弦のプラットトラスは 他所で なかなか見ないし あなたは誇り高きトラス橋なんだから あきらめないでください

「鬼怒橋」
竣工 1931年(昭和6年)9月
橋長 559.4m 幅員 6.4m
下路の曲弦プラットトラス 36.6mが15連

もう雨が降ってるんじゃないかと錯覚してしまう 水戸黄門通り(仮称)。 うっかり「鬼怒橋」には さよならを云い忘れたけど その、のったりした巨体で たっぷりと鬼怒川を渡たらせてもらい 国道121号に移ってしばらくすると ちょっとややこしい町内に入っちゃった。 だけど ナビの云う事を素直に良く聞いてたら 無事、益子駅に到着。 だいたいナビは正しい事しか云わない

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まだちょうど朝の6時57分で 人もいないから大胆に駐車して記念撮影。 束石がやっぱり大谷石で出来てるし 奥の大きな壷は益子焼なんでしょうね  初日に食べた「峠の釜飯」の釜は この益子焼だとあった。 「峠の釜飯」があれだけ流行っていたから 益子焼も安泰だね 関連のあるこの辺りの方達は 決して碓井峠に足向けて寝ないようにと 小さい頃から 言い伝えられてるんだと思う

益子駅の位置がわかれば もう簡単。 方角の見当を付けて進むと いました「小貝川橋梁」。

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ちょうどいい感じに 錆がうっすらとまわり 曇り空にも なじんでたスカイブルー。 こんな歳のとり方も素敵ですね  昨日の朝一番にお会いした マリリンモンローのルージュ色の「見沼代用水橋梁」と同タイプ。 色で180° 印象が違う無上の例。 こうやって見ると考えさせられる。 自分の「いろ」ってなんだろう そもそもあるのかな。 「グンジョウ イロ キレーイ」って叫んでた人は個性的だったなぁ

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「小貝川橋梁」(真岡鐵道) 
北山駅 - 益子駅間
竣工 1913年(大正2年)転用された年。 制作は明治期
橋長 42.90m 
下路の平行弦ポニーワーレントラス(ピントラス) 29.97mの1連

小貝川は、よく氾濫を起こしたそうで 後に 洪水の水位の上昇に対処するために橋台、橋脚の嵩上げが行われたとアル よく見るとレンガで積んだ橋台、橋脚の上部を コンクリートで上手に固めて 高さを上げてあるのがわかる

下の写真は「小貝川橋梁」のすぐ益子駅側に架かってるプレートガター橋。 嵩上げ具合は、こっちのがわかりやすいかな

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真岡鐵道には、同タイプの橋梁がもう1本存在する。 「小貝川橋梁」には それなりにさよなら云って すぐ近所のそっちに向う。

今まさに田植えをしている 畦道を遠慮がちにストトトトーと通らせてもらった  国道294号に出てしばらく進み 真岡鐵道の線路を渡ったすぐ。 いました  一面の田園風景に シレッとたたずむイギリス人。 なんでこんなに田んぼが 似合うの「五行川橋梁」。 本当にイギリス人?  もう日本も長いもんね。 なになに?「ミト ナットウ モ ダイスキデース。」 あそう

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この「五行川橋梁」も「小貝川橋梁」も C.A.W,ポーナルさんの設計。 ポーナルさんは日本の幹線鉄道のために御尽力頂いた英国人技師長(当時の名称は建築師長)在日期間は 1882年(明治15年)~1896年(明治29年)。「五行川橋梁」には無いらしいけど「小貝川橋梁」に1894年パテントシャフト社製の銘板が付いてる ちなみに「見沼代用水橋梁」とも同じ制作会社。

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元々みなさん 日本のどこかの幹線鉄道の「なんとか川橋梁」だったんだけど 「五行川橋梁」と「小貝川橋梁」は真岡鐵道に、「見沼代用水橋梁」は秩父鉄道に里子に出され だまって今の地について ふて腐れる事無く 今まだ頑張りつづけています 橋も人々の生活もそういう時代だったんでしょうか 

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「五行川橋梁」(真岡鐵道)
北真岡駅 - 西田井駅間
竣工 1913年(大正2年)転用された年。 制作は明治期
橋長 42.71m 
下路の平行弦ポニーワーレントラス(ピントラス) 29.98mの1連

あなたが以前はどこに居たのか知らない世代ですし 田舎もんあつかいする気もないけど きっとこの場所の方がバッチリ似合ってますよ  今度は田んぼが黄金に輝く頃に またお会いしたいです  どうかいつまでもお元気で さようなら

オレが境遇を嘆いてるわけでもないけど 自然に鼻歌が「赤とんぼ」にかわって 今にも鼻をすすりそうな空模様に気を使いながら 国道294号をしばらく南下。 いつ雨が降りだしてもいいように、用心して国道沿いのエネオスで満タンにしてもらった 雨が降りだしてカッパを着ると 食事をするのも大変でめんどくさいから もう宿まで食事をしないつもりで 自分も念の為に エネオスの反対車線側にあった「山田うどん」に入店。 今回いろんなところで見かけて気になってた 調べてみたら やっぱり関東にしかないチェーン店。

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まだ朝の8時半頃だけど 営業していて この時間帯でもモーニングメニューだけでなく 全メニュー対応との事。 メニュー表を見ると ラーメンでもなんでもある。 ちょうどベトナムにある和食店はどこもこんな感じのラインナップ。 でも店名にあるから  うどんとかき揚げ丼のセットを注文した。 コシのあるうどんも好きだけど クタっとした このうどんも大好き かき揚げ丼は卵でとじてあったから こっちもカラッとはしてないけど 間違いのないお味。 安いし 近所にあったら週2は通ってしまいそう いいお店ですね
 
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初めてだけど馴染みのあるように感じたのは 濃いめの味付けのおかげかな 名古屋人にはウケると思うけどな ごちそうさまでした。 


まだギリギリ雨は降ってないから カッパを着ずに そのまま再出発。 国道294号から国道50号に移って しばらくすると国道は鬼怒川を渡る 2本並んだ反対車線側の橋が割と古そうに見えたので 先をUターンしてもどり その橋で鬼怒川を渡った 

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「川島橋」
竣工 1951年(昭和26年) 
橋長 447.2m 橋幅 5.5m
下路の曲弦ワーレントラス 3連

今の国道50号は、上りと下りが別々で 一方通行だから 結局さっき渡った隣の橋でまた鬼怒川を渡り直おすと 2014年のGW 鬼怒川ともこれでお別れ。 予定していた鬼怒川温泉近くの名橋を時間の問題でスルーしてきたから だいぶ中途半端になった鬼怒川沿い。 またお邪魔しますね

今度は鬼怒川をメインにして 新潟から阿賀野川沿いに会津に出て 会津若松から 会津鉄道と並走して 最上流から鬼怒川沿いを下るコースを考えてみようかな

いつかの鬼怒川沿い完全制覇を夢見て 渡良瀬川 その13につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その13
「川島橋」はギリギリ茨城県。  自分の中で茨城県と云えば「水府橋」で、旅の計画をした時点は この日だけ少し距離的にも時間的にも余裕があるように思えたから ちょっと大回りになるけど「水府橋」には寄るつもりだった。 だけど直前でもう撤去された事を知って 廻らなかった ほんとうにギリギリ間に合わなかった(涙) 一応そっちの方向むいて さよならとお疲れさまだけは云ってきた(合掌)

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ナビに任せてても 国道4号は通るだろうと思ってたから 国道4号が利根川を渡る「利根川橋」と その上流側を通る東北本線の「利根川橋梁」にも当然お会いできるつもりでいた。 なのに「川島橋」の次に撮った写真が東武線の「多々良駅」って どういうこと?

「多々良駅」の位置を地図で確かめてみると 国道4号はちっとも通らずに 国道50号を長いこと走って2本とも見逃してきた事がわかった。 それに「渡良瀬大橋」で本当に最後の渡良瀬川を渡ってた事になる そう云えば「高橋大橋」を左側に見たような  なにしろ2ヶ月以上前の事、 メモにも無いし その時の気持ちが思い出せない(涙)

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「多々良駅」は群馬県。 同時に今回よく走らせてもらった栃木県ともお別れだった。 栃木県は、たまたまかもしれないけど オシャレな自転車屋さんがよく目に付いたし 閉店したパチンコ屋さんが多かった 流行ってるパチンコ屋さんはどこも「地域最大級」と看板を掲げ サイズにこだわっていたし つぶれて草ボーボーになってるお店はやっぱり小ぶりだからダメだったのかなぁと見てた。 その中でも絶妙な大きさと駐車場の数のバランスのいい物件は、独立のサインポールもうまく再利用して 西松屋に生まれ変わっていた どう見ても元パチンコ屋さんだとバレバレだけど 出店コストを抑えて その分、商品に反映させている西松屋の企業努力に好感をもった。 でも調べてみたら本社は兵庫県。 単に全国をまたにかけた手練れ集団なのか。  さようなら栃木県 いい道ばっかりでしたよ ありがとうございました

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「多々良駅」が可愛かったから まぁいいし、 途中イギリス積みの橋台も発見して東武線が結構古いこともわかったから良し としようと思ったけど相手が「利根川橋」と「利根川橋梁」じゃ 負けは負けなんだけどね 
でもこの時、この短いプレートガター橋に付いてた銘板の「櫻田機械工業株式会社」の文字に ピンときて 嬉しかったのを覚えてる。「櫻田機械工業株式会社」は前「櫻田機械製造所」。森高さんの「渡良瀬橋」やその隣の「中橋」なんかを制作された名門中の名門なんです

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「川島橋」の次の目的地として、JR高崎線の北鴻巣駅近くの住所を入力してた。 ナビはどうして国道4号を通らずに国道50号を選んだんだろう どう見ても大回りにしか見えんけどな オレにもう一回、渡良瀬川を見せたかったのかな だったらあんまり覚えてなくて悪いことしたな  そんなこんなでやっとたどり着いた その場所に お目当ての橋が見当たらない

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どうも架け替え中のご様子。 ここでSRのご当地ナンバーを見て 声を掛けてくれたおじさんに ここに古レールで出来た小さな橋がありませんでしたかと たずねたけど 「え〜そんなのあるの?」 との事。 単車に乗ってる時に 声を掛けてくれる人は 大抵、昔乗ってた か 乗りたかったけど親が反対したりして乗れなかったって、 聞いてもいないのに教えてくれる この方は後者。 どちらの方も 遠くからよく来たなと 労ってくれる  はいはい気をつけますよ ありがとうございます

おじさんが教えてくれた元荒川っていう川名と 控えてきたすぐ横の会社名は合ってるから この橋は残念だけど 近所に掛かっているだろう兄弟を捜しに再出発。 やっぱり大きな地図がないから結構迷った 迷った

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上流で傷ついたエイリアンが血を流しているのか 奇妙な水の色だけど 地元の方はいつものことのように 水の色に緊張する様子もなく渡っている「笹原橋」。 水の色を除けばかわいい橋だけどね

「笹原橋」
1932年(昭和7年)
上路のアーチ橋で 3連

昭和の初期に、この辺りにはこんなかわいい 古レールで出来た橋がたくさん架けられて 現存してるはずなのに 今回4本しか見てない ただ単に見つけられなかったのならいいけどね
 

忍川(おしかわ)にかわって 名も無い橋。

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かわいい橋その1
1933年(昭和8年)
上路のアーチ橋で3連

天気はなんとか保ってる。 あんまりにもかわいい橋だから 同じアングルのスマポ写真を嫁に送ったら「歴史を感じるね」と今までに無い 色よい返事で すごくびっくりした 熱でもあるのか。 そういえば今まで嫁に送った数々の名橋の写真はどう扱われているのかな 今度抜き打ちで見せてもらおう

この子も名前が無い 

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かわいい橋その2
1933年(昭和8年)
上路のアーチ橋で3連

昭和の初め頃に古レールを建材として扱う業者さんが存在して 流通してたんだそう。 線路としては磨耗して耐用年数を過ぎたレールも この頃は溶かしてではなくて そのままの形状を加工して柱になったり橋になったして再利用されてる  JR有楽町駅のホームの屋根を支えてた柱をなにげなく見てて、 あっこれレールだと気づいたし もうすぐ撤去されちゃうけど 名古屋の神宮前駅に架かる「御田人道橋」は柱もトラス橋も古レールで出来てた よく見るといろんな所で、今もみんながんばってる

もう一本。 この方には不釣り合いに新しい銘板が付いてた 「前屋敷橋」。

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「前屋敷橋」
年齢不詳
上路のアーチ橋で3連

この次の橋も一応、探したんだけど・・・。 GWの真っ最中なのに 先のこの用水路を工事しているようで 通行止めになったり、 U字溝のばけものみたいに大きいのを重機で吊っていたから ひょっとしたら何本かは撤去されちゃったのかな

今まさに歴史が動こうとしてる中、折角会えたこの方達だけでも 少しでも長くつづいていきますように 祈ります たぶんもう来る事はないと思うけど いつも、いつまでも思っていますよ  さようなら



渡良瀬川はもう飽きた けど たぶんあと2〜3回だから頑張る。 渡良瀬川 その14につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その14
ほんとはレールのくせに 今も、袋小路の多い町内で はじめから橋だった顔して とぼけてるんだろうなぁ。  このあと国道17号で通ったけど 隣の熊谷って多治見と並んで最高気温を出してたハズ。 今頃は暑っいよね 熱で伸びてレールだってバレてなきゃいいけど

ちょうど熊谷市役所前を通過する時、見覚えのある街角に 記憶がよみがえった 20年ぐらい前、今はもう無くなってしまった「第一家電」さんのお仕事で 何度かこの地に来た事があった 「第一家電」さんの本社はたしか新宿で、本社ビル内にゴルフの打ちっ放しがあっても そんなに驚かないぐらいのバブル後期。 打ち合わせの最後「いつまでに完成させましょう」と たずねた自分に、「うーんと 春一番が吹く頃まででいいよ」と小粋に答えてくれた オシャレな部長さん お元気でしょうか。

心配していた雨も待っててくれるようで 明るくなってきた空と懐かしさに目が細まり 国道140号に移ると SRは 秩父鉄道と競うように 荒川沿いを上る。 

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しばらくして東武東上線の玉淀駅の方に呼ばれて国道を離れ この辺りだと感じる場所が川原に降りられそうだったから 果敢にチャレンジしてみたけど 道の状態と視界の悪さで これ以上はビビって進めない 情けないオレ。 あの草むらに絶対なにかいる  仕方無いから また玉淀駅に戻って 別のアプローチで こんにちは「荒川橋梁」(東武東上線)。

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「荒川橋梁」(東武東上線)
竣工 1925年(大正14年)
上路の平行弦プラットトラス 47.6mが3連
+プレートガターが2連

結構ぉ古いね 長いことお疲れさまです そう云えば玉淀駅も見るからに古くて、かわいい駅だった だけど写真がない残念。 撮ったと思ったけどなぁ  まぁまた来ます  こっ来れるかな。

県道30号の「正喜橋」で荒川を渡り 県道でもない 田んぼの中の道をしばらく上流の方に進むと 正面の上空をいく 皆野寄居バイパスの大きな大きな「末野大橋」。 

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「末野大橋」
竣工 2004年(平成16年)
橋長 190.0m 幅員 8.5m
上路のアーチ 

アーチだけ赤色にした意味が知りたい やっぱりおめでたいつもり? 浮かれてるのかな  横を見ると そんな気分じゃない「折原橋」。

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「折原橋」
竣工 2000年(平成12年)3月
橋長 129m 幅員 17.2m
下路のローゼ 1連

クールな「折原橋」でまた荒川を渡り バイパスじゃない方の国道140号に出ると 道は 蛇行する荒川に付き合って大回りする。 しばらく進み 左「長瀞駅」の看板をくぐって もうちょっといくと 今度は「上長瀞駅」。 「上長瀞駅」には寄った。

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さっき調べたら「長瀞駅」の方が観光地にむいていて 郵便ポストも例の円柱の古いタイプが置かれて演出が効いてるけど「上長瀞駅」も洋寄りで なかなか素敵でしょう。 と「長瀞駅」を見逃してきた言い訳に聞こえるかもしれないけど 「上長瀞駅」に寄ったのも ついでで 駅前の商店街を抜けて川沿いにでると秩父鉄道の「荒川橋梁」のすぐ横をぐぐれるからなんだけどね

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すぐ横をくぐった時のは 木でよく見えない こんな写真しかないけど 見えるかな 貨物列車通過中。 横着して単車に乗ったまま撮ったのがいかんかった。

「荒川橋梁」のすぐ横の この道に架かってるプレートガター橋をくぐり また国道140号に出て 国道140号の「親鼻橋」で荒川を渡る橋上で 下流側に全貌を確認しました「荒川橋梁」(秩父鉄道)。

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「親鼻橋」を渡った付け根から 河川敷に車ごと降りられて かなりの数の ご家族連れがBBQをしてたけど 炭とか捨てっぱなしだったし ぱっと見、マナーはあまり良くない感じ。 バイクは河川敷使用の清掃協力金を支払らわなくてもいいそうで ラッキーはラッキーなんだけど 掃除する人に悪い気がしてなんかやだなと思った かといって 500円玉をそっと落としておいても掃除する人が拾うとは限らないし。 
  

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 少女も橋を見ていた。  結局、後ろ姿しか見てないけど きっと慈悲深きマリア様のような眼差しをむけているに違いない  橋が好きなのかな  姪っ子達に煎じて飲ませるために 耳かきで一さじ分ぐらい 爪の垢を分けて頂けないものだろうか  なんなら少しぐr 

「荒川橋梁」(秩父鉄道)
上長瀞駅 - 親鼻駅間 
1914年(大正3年) 
上路プレートガーダー
この橋は、イギリス積みで高く4段に積み上げたレンガの橋脚をお楽しみ下さい

逮捕される前に出発。  駐車可能といっても ご覧の様に河川敷は漬け物石ぐらいの大きさのグリ石で SRもガタガタの場所に丁寧に止めてた。 写真を撮って帰ってきたら SRのすぐ後に新しく何台か駐車してあったのはいいんだけど 前から出ようにも 前はちょっと登り坂で 足元も悪い。 こんなときSRは知らん顔して動こうとしないし 逆に力抜いて重くしてるんじゃないかと疑うぐらい。 うんしょ うんしょ とやってたら 見かねたんだろう 若者が どこかから現れてSRの後を押してくれたから すごく助かったし 涙が出るぐらいうれしかった 笑うと目が無くなるニッコリ好青年、あの時はありがとうございました  マナーが悪いって云ってごめんなさいね

国道には戻らずに 県道37号とかで なんとか荒川に近づこうと しらない道を走ってたら見つけた「栗谷瀬橋」。

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オレが胸熱だからか「栗谷瀬橋」もいいヤツそうに見える。 今だったらよく話も聞かずに お金振り込んじゃうかもしれないし おつりもいらない。

「栗谷瀬橋」(くりやぜばし)
竣工 1963年(昭和38年)
橋長 150.36m 幅員 5.50m
下路で曲弦のワーレントラス 2連
+プレートガーター1連

形状からもうちょっと年行ってるんじゃないかと 調べてみたら、元々は群馬県羽生市の利根川に架かってた「昭和橋」だったと 埼玉県のホームページにありました 「昭和橋」は竣工が1949年(昭和24年)だから やっぱりな 

いいヤツだと思ってたのに 14歳も年をごまかしてた どっかのママみたいな「栗谷瀬橋」にさよなら云って しばらく県道を行くと 割とすぐ 見つけた「皆野橋」。

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「皆野橋」
竣工 1935年(昭和10年)
橋長 105m 幅員 5.5m
上路のコンクリートアーチで3連

コンクリートの橋だけど この橋は、東京の隅田川に架かる「白鬚橋」や 確か、お会いできなかったけど長野県の天竜川に架かってた「天竜橋」など 戦前に数々の名”鋼”橋を設計された アーチ橋の魔術師、増田淳大先生の コンクリート作品。 希少価値が高いはずだけど 割とフツーかな イヤごめん でも見て、ご近所のお母さんが今も普段使いしてますよ いいですねぇ

増田淳大先生の事は また今度。(笑)  一回、荒川は渡ったけど「皆野橋」にさよなら云って Uターン。 県道44号のまま しばらく行くと 川面が見えなくなって 次に荒川を渡ったのが 新「秩父橋」だった。

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3代目「秩父橋」
竣工 1985年(昭和60年)
橋長 153m 幅員 10.50m
斜張橋

道も国道299号に自然にかわってる 現橋の3代目「秩父橋」の橋上から下流側を眺めると 2代目「秩父橋」も無事発見。 2代目は歩行者専用の橋上公園として整備されてた

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2代目の少し上流(手前)に残ってる橋脚は 当然初代「秩父橋」のもので 以前は上路のプラットトラスが乗ってたけど トラスは外されて 橋脚だけ木除け杭として立たされたまま。本人はヤだろうけど 見に来るオレなんかにしてみれば 歴史を感じれるし 空間的に初代トラスの大きさも想像できて ありがたいっす

2代目「秩父橋」
1930年(昭和5年)
134.6m
上路のコンクリートアーチで3連

でもまたコンクリートだから つつっと行きます さようなら  国道299号から久しぶりにに国道140号に戻ると 大渋滞。 なんだったかな 芝桜だったかな なにかが見頃で大変混んでた 辛抱強く渋滞を抜けて すぐ ぐらいに 国道140号で荒川の支流を渡る時の橋上、いつもの素早い左右確認で左側にチラッと見えた

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わかるかな 赤いの。  国道上からは、木でよく見えないし そんなに古くない上路のワーレントラスだろうと なんでかこの時 近づかなかったのがいかんかった ほんと大失敗。

今、調べててすごいショックを受けました(涙) 渡良瀬川 その15につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その15
もう8月って事は知っています(涙)

随分前から計画していた 今回の旅の道程の中で、わりと出発直前になってから この、秩父を抜けて山梨県に出るルートだけ変更したのがいかんかった。 昔から下仁田方面にも呼ばれていたし 山梨経由は最終日の走行距離が長くなる。 でも下仁田の延長上での宿泊先が決まらずに迷ってて 結局、どんなときもでも安心の24時間営業、年中無休の健康ランドがある山梨県甲府市の石和を急遽、本日のお宿に決定してた。  ようは、勉強不足だったって事です。

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でも、違う角度の写真がもう一枚あった。 この写真を見ても、普通のワーレントラスじゃないって事はすぐわかるのに なにやってんだかな。 たしかこの時 この辺りはミスト状の雨が降っていたし 若い女子3人組が前を歩いてて 後をつけてるように思われるのがイヤでドキドキしたから 平静を装う為に手首を回したり伸ばしたりして、 逆に行動がギクシャクしたのを覚えてる。 こう云う場合、頭に手を組んで空を見上げがちに口笛を吹けば怪しまれないのかな  まぁ曲にもよるよね  ようは、云い訳ばかりしています。

一応やっとく
「浦山川橋梁」(秩父鉄道)
浦山口駅 - 武州中川駅間
1930年(昭和5年)磐越西線阿賀野川当麻橋梁を移設
制作は1913年(大正2年)アメリカンブリッジ社製
橋長 93.2m 
上路の平行弦プラットトラス(ピントラス)62.4mが1連
+プレートガーター他

クーパーさんの設計だし。 たくさん役がついてる(涙)


この時は何もしらないで ナナメになってきた 空のご機嫌をなだめながら 先を急だ。 車もそんなに走ってない 国道140号を自主規制の速度でしばらく進み 荒川にそそぐ支流をまたいだ時  えッ!!

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今度は、あからさまだから めちゃめちゃ驚いた。 実際、耳から何かが吹き出たし。 「どうしてボルチモアトラスがここに!!!ーー」と叫んで バックミラーを一旦見て、フルブレーキ。 もちろんABSはついてないからフルブレーキは云い過ぎた  ようは、興奮しているんです。

「安谷川橋梁」(秩父鉄道)
武州中川駅 - 武州日野駅間
1930年(昭和5年)磐越西線阿賀野川当麻橋梁を移設
制作は1913年(大正2年)アメリカンブリッジ社製
橋長 76m 
上路の平行弦プラットトラス(ピントラス)62.4mが1連
+プレートガーター

さっきの「浦山川橋梁」と同じ。 なのに ここでこの単品に驚いただけで、ひょっとしたらさっきの橋もボルチモアトラスだったのかもしれないと 関連付けて疑う頭がない 残念。 でもよっぽど嬉しかったのか 同じ角度の同じ写真が20枚もある

もう一つ驚いたのが 「安谷川橋梁」の手前、国道140号の旧道部に架かってた「安谷橋」。

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「安谷橋」
竣工 1923年(大正12年)
1958年(昭和33年)に補強
橋長 65.3m 橋幅 7.5m
上路の平行弦?プラットトラス 45.9mの1連

上の写真は現国道140号の橋から撮ったもので、位置関係がわかると思います 自主規制の速度で走ってて、こんな方達がいきなり出てきたら 誰だってびっくりしてフルブレーキですよ 「魅力橋注意」。手前に警告看板がほしいところです。

苗字は同じだけど血のつながってないご兄弟とは 再会を約束して なんとか さよなら云った。 国道に戻って またしばらくすると 今度はお待ちかねの「荒川橋」で荒川を大きく渡る  入口で神社にある灯籠ような 立派な親柱が迎えてくれました

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上路式だと道路にしか見えないから きっと、遠くからでもわかるように 親柱の背が高くなって 明かりも灯ったんだと思う 人を思いやる機能をデザインしたら 使いみちは一緒だし 自然に灯籠っぽい形になったのかな そんな中にも職人同士が競い合う心意気も感じます いい仕事してますね

渡って 新しく と云っても1986年(昭和61年)に増設した方(下り線)の「荒川橋」から見た 古い方(上り線)の「荒川橋」。ご覧の通りすごく近くて全貌が見えにくいのがタマにキズですが 物はいいんです

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「荒川橋」
竣工1929年(昭和4年)
橋長 156.15m 総幅員 6.1m
上路のブレーストリブ バランスドアーチの3径間 4?
設計は前出の増田淳大先生

荒川の川底から橋面までの高さは53.2mもある 大きな橋。ブレーストリブ バランスドアーチと云えば そう「晩翠橋」。「荒川橋」(上り)と「晩翠橋」は、設計者は違うし 会ったことはないと思うけど 日本では2人しかいない 種族なんです

心の底から心配してたけど 足場が架かってなくて 本当によかった。  そっと胸を撫で下ろして「荒川橋」にさよなら云った  今、地図でたしかめると下に降りられる道を発見したし  もう1本近くに架かっていたらしい 秩父鉄道のバルチモアトラスを見逃してきた  ようは、再訪決定って事です(涙)

そんな事とは ちっとも知らずに いい物見れたとニヤニヤしてた(汗) 気持ちとはウラハラな曇り空を背負い 国道140号をズンズン上る。 しばらくすると 谷が深くなっていき 民家も少なくなってきた頃 「左矢印 三峰口駅」の道路標識に反応して寄ってみる  左折した先は「白川橋」だった。

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「白川橋」
竣工 1963年(昭和38年)
橋長 115.2m 幅員6.0m
上路のアーチ橋で1連

「白川橋」で高い位置から荒川を渡ると すぐ 秩父鉄道の終着駅を発見。

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三峰口駅。 地図で見てたときは 薄暗い地域で人も居ないだろうと 勝手にイメージしていた。 駅舎は古そうだけど なかなかポップな いでたち。 というか フランスの伝統色なのかな またベトナムを思いだしたし 全然”アリ”な配色だなぁと 色を決めた人のセンスと勇気を讃えます。

また「白川橋」で荒川を渡り直して国道140号にもどると 道は、じわじわと標高を上げていく  相変わらず空はねずみ色だけど さっきまで街中を走っていたのが うそみたいに緑が濃くなって 空気にうまみを感じはじめた 荒川の上流沿いは曇っていても 個性的でとっても素敵な道でした。 ごちそうさまです


地図

鼻歌のボリュウームがMAXにさしかかった頃「バイク弁当」の袖看板を確認した。 バイクの弁当? ってことはガソリンが入った帯行缶でも売ってるのか と 一時、へへへと ひねくれたった。  ヘルメットの中で悪い顔しながら もうしばらく行くと 上の地図。 地図で見てたときは この○はなんだろうと思ってた

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正解はこちら。 めちゃめちゃおしりがムズムズした(笑)  上の写真を撮った「滝沢ダム」の堰からまた国道140号にもどると 車が結構混んできた 遅い車を先頭に オレの前に10台、後にも10台ぐらい連なっていて 道も狭いし信号もないから一定の速度でみんなで移動。 いくつか橋も架かってたんだけど 停まれずにスルーするしかなかった  それでも一ヶ所、崖崩れなのか 交互通行区間の工事用信号で停車した場所から 2本同時に撮れてラッキー。

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手前の赤いのが
「豆焼橋」(まめやきばし)
橋長 220.0m 幅員 9.25m
上路のローゼ

奥の黄色いのが
「雁坂大橋」(かりさかおおはし)
橋長 248.6m 幅員 15.50m

どちらも1998年(平成10年)の竣工

国道140号は「彩甲斐街道」とアル。 奥の黄色い「雁坂大橋」を渡ると 長い長い「雁坂トンネル」が大口を開けて待ち構えてる。 すでに標高は1000mを越えた「彩甲斐街道」。 文字通り 彩の国、埼玉県から甲斐の国、山梨県へと「雁坂トンネル」で雁坂峠を難なく越えた。  また来るね埼玉県

真ん中にポールが立ってるだけの 片側1車線の対向トンネルでは、まる裸の単車のオレは恐怖を感じる 長くて先が見えないと すごく心細い。 辛抱強くやり過ごして やっとトンネルを抜けたら 雨だった  でも、料金所を抜けて カッパを着る場所を探してたら 雨は止んでくれて、山梨県は歓迎ムード。

しばらく進み 国道140号を離れて「笛吹川」沿いにでると いました「亀甲橋」。

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「亀甲橋」
竣工 1923年(大正12年)
下路のソリッドリブタイドアーチ 3連

アーチに高さがあって半円に近い丸みが とってもチャーミング 架かってる川の名前もムーミン谷っぽいのに肝心のお名前が「亀甲橋」。 まぁお年を召されてますからね  色も塗ってもらったばっかりだし 橋脚も補強してもらったようで お元気になられてなによりです

山梨県1本目だけど 前日からの疲れもあって この日は明るいうちに この近くの健康ランドに逃げ込んだ。

3日目終了で あとは帰るだけ。 長かった 渡良瀬川 完結につづく