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  10 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その1
翌朝 大晦日 AM6時37分

やっぱり明け方に少し降ったみたい 霜が溶けたのかな アスファルトがより黒く染まってる 気温が6〜7度とそんなに低くないのがせめてもの救いだけど 大変な思いをさせてしまった ごめんなさいね

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大広間の食堂には舞台があって のど自慢が3人ぐらい 替わりばんこに様々なジャンルのカラオケを披露していたのも肴に お酒を飲んでる自分も ご飯を食べてるご家族も自然に笑顔で耳をすまし 知らない人なのに歌い終わるとみんなで大拍手したりして 一人旅でも楽しませてもらいました そしてお世話になりました

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東北本線の「川口駅」の東口を出た交差点でKさんを組み立てて 朝日に向かって出発。 しばらくして国道122号に右折して入る この国道122号は知ってる。 反対に北上すると利根川を渡り 長いこと渡良瀬川とわたらせ渓谷鐵道と並走し「銅街道(あかがねかいどう)」と呼ばれて 足尾を渡り 細尾峠をトンネルで越えると 日光までつづく大変素敵な道。 今も目を閉じればハッキリと思い出す 細いのに力持ちな「渡良瀬川橋梁」(東武佐野線)、鼻歌を歌った「渡良瀬橋」、淡い新緑に彩られた山間を貫く「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)。

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「晩翠橋」のリベンジかねてまた訪ねてみたい みなさんお元気でしょうか(遠い目)




南に向き直って国道122号の「新荒川大橋」で荒川を渡る時 右手に東北本線の「荒川橋梁」が見えたけど今日の目的は隅田川の制覇だから欲張ったらダメ。 でも昨日の「十条跨線橋」はあそこにいたんだ わりと近い引越しだな。 「新荒川大橋」で荒川だけを渡り Kさんとだから入れる側道から 荒川岩淵関緑地に降り立つと その色から「赤水門」と呼ばれた「旧岩淵水門」。メチャメチャ逆光だったので通り過ぎてから振り返って1枚

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また向き直って「新岩淵水門」。 「新岩淵水門」もやっぱりその色から通称「青水門」と呼ばれてる

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「新」って云ってもコアラが鼻水と涙を流しているような ちょっとレトロな雰囲気のオシャレさん  赤水門は1924年(大正13年)に竣工したんだけど 老朽化や地盤沈下などの問題と洪水調整能力の強化も含め 青水門建設を余儀無くされて 青水門竣工の1982年(昭和57年)にはお役御免となりました 青水門は200年に1回の大洪水にも耐え得るように作られているんだって こんな顔して結構やるね

荒川

「岩淵水門は荒川と隅田川とを仕切る水門。かつて「荒川放水路」と呼ばれた人工河川を現在は荒川と呼び、かつての荒川を「隅田川」と呼ぶ。この水門はこれらの分岐点にある。」とアル また、「荒川放水路は荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す。全長22 km、幅約500 m。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事であった」ともアル。 ここからの荒川は大阪の淀川と同じで大暴れする川を治水するために作られた人工河川だった このことから 意外だったんだけど「隅田川」って呼ばれるようになったのが昭和に入ってからってのも納得。

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記念すべき隅田川の一本目「新岩淵水門」で隅田川を渡って左岸側を下ると 隅田川は大きく右にカーブしていき荒川と離れて 配送センターや町工場が目立った町内、 中洲状になってしまった足立区新田地区を形成していて もっとも荒川と離れた場所に「都道318号環状七号線」が通る その「環七」が隅田川を渡る橋が「新神谷橋」。
 
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Kさんを担いで階段を登って歩道橋上には立てた 上の写真じゃわからないけど 上りと下りの2本並行して隅田川を跨いでいます いい天気。 もともと「宮堀の渡し」(神谷の渡しとも称された)があったところ その頃は「荒川放水路」は無かったわけだから もっと波うってて危険度も高かったハズ

「新神谷橋」
開通 1965年(昭和40年)2月12日
橋長 153.0 m 有効幅員 20.0 m(車道8.0 m、歩道2.0m)
カンチレバープレートガーダー
46.0 m + 61.0 m + 46.0 mの3径間


「新神谷橋」の橋上からまたKさんを担いで階段を降りると 浅いグレーで塗られた「隅田川右岸防潮堤」で遮られた歩道沿いを下ること600m 。 なんの為なのか この時すぐ隣で仮橋の仮設工事をしていた「新田橋」。

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「新神谷橋」の写真は「新田橋」の橋上から撮ったもので バレてると思うけど この「新田橋」の写真も もう一つ下流に架かってる橋の橋上から撮ったからちょっと遠かった  「新田橋」もやっぱり「野新田の渡し」(馬場の渡しとも)と云われた渡しの跡地に架けられた橋。 AM8時14分

「新田橋」
竣工 1961年(昭和36年)3月
橋長 114.0m 幅員 9.0m
5径間連続 鋼ガーター橋


「新田橋」から500m。 また「隅田川右岸防潮堤」で隔たれた歩道を進んで堤防に上がると「新田橋」の写真を撮った「新豊橋」に到着。

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この時間、南詰めに立つ大きなマンションの影が橋上を覆って艶を失う気の毒な橋。 新しい橋だし いい天気なのにね

「新豊橋」
竣工 2007年(平成19年)3月
橋長 105.0m 幅員 車道9.0m + 歩道3.75m×2
単純箱桁 アーチ複合橋

下流側を見ると 荒川が迫ってきて隅田川はまた大きく右にカーブしていく 次の橋は見えない お日様が完全に上がっているから Kさんとだと汗ばんでくるぐらいあったかい ここで手袋とニット帽をリュックにしまって大きく深呼吸 手首足首を回して 冬日和に感謝。


まだ隅田川4本目だけどヨシとして 隅田川 その2 につづく




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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その2
「新豊橋」に影を落としていた大きなマンションと隅田川の間には 赤いアスファルトで遊歩道が整備されていて 朝からジョギングしている人や Kさんよりもっとしっかりした いわゆるロードバイクの人達が 朝日を眩しそうにしていた。 大きく右に曲がっていくように見えた隅田川は もっとも荒川に近づいた地点でもう一度右にカーブしていき 半径300mぐらいの半円を描くことになって その半円の終点に「としまばし」も 水面とそんなに離れない位置に 若々しく架かっていました

PC310122 2

奥に見えている「首都高速中央環状線隅田川道路橋」が 我関せずと隅田川をしなやかに跨いで行く 上弦も下弦も利用して 上路プラス下路 ダブルデッキのワーレントラス。

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もう少し右に振ると「五色桜大橋」もいるんだけど「五色桜大橋」は荒川なんで今回は割愛。「豊島橋」の橋上で振り返ると 半径約300mの半円を描いた隅田川と荒川の堤防がもっとも接近したあたり、「天狗の鼻」とよばれる場所に鎌倉時代からつづく「六阿弥陀の渡し」(豊島の渡しとも)があった場所。 そこに1925年(大正14年)木橋の「初代豊島橋」が架けられ またそれも老朽化によって 1960年(昭和35年)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋の「2台目豊島橋」が架けられました
 
豊島橋

上が現在の地図 「3代目豊島橋」

「豊島橋」
竣工 2001年(平成13年)
橋長 106.7 m 幅員 15.0 m
下路のローゼ

旧豊島橋

図177-2 豊島橋、江北橋付近(1961年3月)出典:KT611YZ-2-247(1961年3月)国土地理院より拝借

1961年の航空写真には初代と2代目が同時に写ってる 現在団地になっているあたりで白く光っている大きな工場の屋根は「日産化学王子工場」で さっきの「新豊橋」が架かってるあたりから すげー煙吐き出してるのが「東伸製鋼東京製造所」とのこと。 この煙は高炉の煙なのか オレですら生まれてないけど イケイケな昭和の風景が見えます


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「豊島橋」で隅田川を渡り 今 地図で見ると Kさんとならいけそうな隅田川沿いの遊歩道は「左岸防潮堤耐震補強工事」のため この期間、この区画だけ封鎖されてたのか  現在位置からは「左岸防潮堤」と隅田川に沿って下ること 1k弱。 
 
なごりの川霧に艶をもらった「小台橋」が 冬空に輝きはじめていました 

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橋の中の両サイドに歩道があって 川側じゃなく車道側に水勾配が切ってあるのは桁に堰き止められてるからだろうな 欄干の縦格子一本一本に桜の花びらが彫ってあったし 片側2箇所、計4箇所に「納屋橋」ばりのバルコニーが設置してあるから この橋は急いで渡るんじゃ もったいない 一歩に3秒ぐらいかけて バルコニーではテーでも飲みながら 隅田川の水面に心の淵を映して ぼんやりと優雅にお過ごしください

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親柱のランプも橋上の街路灯にもバロック建築あたりの雰囲気があるし 歩道には銀杏の葉型にくり抜かれた大理石が敷かれ 車道と歩道の間の欄干にも銀杏の葉が形どられてるのとか 独創性にあふれてる 一見似たような作りの「豊島橋」とは明らかに予算が違うな  調べてみたけど「小台橋みずき通り」が「パリのなんとか通り」と姉妹提携しているっていう噂も聞こえてこなかった

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バルコニーから下流側を見ると「尾久橋」と よく見えないけどその奥「日暮里・舎人ライナー隅田川橋梁」が とりすました水面に影を滲ませていました。 

「尾久橋」
竣工 昭和43年(1968年)5月
橋長 431.0m 幅員 24.0m
3径間連続鋼床鈑箱桁橋

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南詰めの上流側には この状態で空を見ると腹筋一番辛いんじゃないかな?  頑張っている「空を見る少女」像がマゼンダピンクのかわいい花に応援されていました 寒いのを我慢すれば今日の空は見上げるのに打って付けだけど 雨の日もあるよね

でも瞳を覗いてみたら 若いのに悟りの境地に達していた まさに開眼 心の奥までハレ渡ったような瞳だったから 意地悪なことを云ってごめんね

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「小台の渡し」(尾久の渡しとも称された)があった場所。 江戸時代より江北や西新井、草加方面への交通の要所として賑わっていた この地域は古くから洪水が多く 沿岸付近は他よりも台地になっていたから「小台」と名付けられたとアル。 明治、大正、昭和と時代の流れとともに交通量が増加して渡し船での輸送に限界がきているとして 1933年(昭和8年)初代「小台橋」(ゲルバー式鋼鈑桁橋) が完成すると小台は一躍新興商店街になりました やっぱり橋って偉大だ フフン。

「小台橋」(おだいばし)
竣工 平成4年(1992年)
橋長 122.0m 幅員 15.0m
下路の鋼ニールセンローゼ橋 1連

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「小台の渡し」 足立区のホームページから拝借


結局3本しか進まなかったけど 隅田川 その3につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その3
腹筋を鍛えるのに一生懸命すぎるために うわの空で「空を見る少女」にはさよならを云って  バイクは乗り入れ禁止だけど Kさんとなら通れる 隅田川沿いの「遊歩道」?とまでは云えない 通路を川の流れと合わせて下ること500m。 さっき「小台橋 」の橋上 から眺めた「尾久橋」と「日暮里・舎人ライナー 隅田川橋梁」をくぐった。

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上の写真右側、青竹色の箱桁が「尾久橋」の上りと下り。  左側の背高ノッポさんが「日暮里・舎人ライナー 隅田川橋梁」。 交通量が多い「尾久橋」だけど裏側は 隅田川の水面同様のんびりしている  ここからしばらく行った「尾久橋スカイハイツ」東側に設けてある「小台東公園」から先はこの通路が無くなってしまい「小台東公園」の中を通って これまた交通量が多い都道に追いやられてしまう  大きなトラックの大きなタイヤが耳元で回る都道の端を 小さなKさんとプルプルしながらおっかなびっくり進み 追い立てられるようにして「通り抜けできません」と書かれた公園に逃げ込んだ  その「尾竹橋公園」を"通り抜けた" 先に 「尾竹橋」が無風の冬の青空にも引けを取らない その青さを より高く誇っているようでした

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「尾竹橋」
竣工 1992年(平成4年)
橋長 130.3m 幅員 15.0m
ローゼ他

「小台橋」と同じバブリーな時代生まれなのに「豊島橋」とそっくりで地味目の橋。 イヤもともとローゼ橋自体はオシャレさんだから地味って云われる筋合いもないけど 同じ区なのにどうして「小台橋」だけがゴージャスなのか意味が知りたい。 「尾竹橋」も「尾竹の渡し」があった場所。 元々は足立区側にお茶屋があったから「お茶屋の渡し」と呼ばれていたんだけど そのお茶屋さんに「おたけさん」っていう看板娘がいたことから こう呼ばれるようになったとアル。 ベッピンさんというよりはチャキチャキ系だったんじゃないのかな

「おたけさん」にニヤッとなって「尾竹橋」にはさよなら云って下流側に向き直ると「おばけ煙突」のモニュメントを発見

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個人的にこち亀の両さんの少年時代を描いた「おばけ煙突が消えた日」は超名作だと思ってる そうか 子供の頃から知っている 両さんのナワバリに近づいてきたんだな   画像検索すると 欄干とランプがお洒落な「旧尾竹橋」のゲルバー桁橋から撮影された「おばけ煙突」の白黒写真が沢山出てくる  解体が決まってから 解体に反対する人が煙突によじ登って84時間も篭城したり 解体間際の1964年(昭和39年)8月26日には煙突の下で地元住民による「煙突とお別れの会」が開催されたそうで 両さんだけじゃなくてみんなから愛され親しまれていたことがわかる

案内板にプリントされた「おばけ煙突」と町内風景の白黒写真を見て ちょっとだけおセンチな気分になったけど 気を取り直して 小綺麗に整備された遊歩道と水面が見える隅田川に沿ってこぎだしたのはいいんだけど しばらくしたら また防潮堤が出てきて 住宅も混み合ってきたから ほんとはここ通っちゃいけない道なんじゃないの?

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途中Kさんを担いで階段を降りたり 木造3階建てが当たり前な町内に紛れ込んだりしちゃったけど なんとか 浅いグレーに塗られた防潮堤に食らいついていくと限られた視界の中、なんの罪もない青空の中にいる「隅田川橋梁」(京成本線)の鉄橋をくぐった。 この辺りは従来のいわゆるカミソリ堤防に阻まれて隅田川の水面は全く見えない

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「隅田川橋梁」(京成本線)をくぐったら否応なしに川沿いを離れ 何かの工場や住宅が混在する町内に迷い込む 曲がり角にある大きな和菓子屋の工場前に 道路に向いて設置してある自動販売機で小さくて冷たいお茶を買い 一気飲みするときに仰ぎみた工場のベランダで 従業員さんであろう作業服の男性がうまそうにタバコを吹かしていた 和菓子屋さんって年末も年始もないんだね お疲れ様です   やっと見えたカミソリ堤防の端っこは階段になってて またKさんを担いで堤防の向こうにまわり 振り返った「隅田川橋梁」(京成本線)。

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「荒川橋梁」(京成電鉄本線) 現「隅田川橋梁」(京成本線)
竣工 1931年(昭和6年)
橋長 115.37m 幅員 複線
下路曲弦ワーレントラスの2連

竣工時はまだ荒川だったんだ フフン。

チャチャっと行く
下流側に向き直ると この辺りはスーパー堤防が完成済みで カミソリ堤防の一部が石碑みたいに保存されていた 立ち退きとかいろいろ大変なんだろうね そういうのとか無理そうなところは「豊島橋」辺りのようにカミソリ堤防自体を補強する方向みたいだし

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「荒川橋梁」(京成電鉄本線)からは隅田川がまた蛇行しているから見えなかったけど 蛇行に沿って600mぐらい進んだ先、 その先にもまた大物が見えてるけど  とりあえずこちらの方は 人も電車も渡せない「東京電力荒川専用橋」そう電気が隅田川を渡る橋。 お名前に「荒川」とありますので さっきと同じように竣工時はまだ「荒川」だったのかとおもったけどはっきりしない 1957年の航空写真には写っていなくて 1961年の航空写真でお目見えになるので その間の架橋で間違いない この頃は昭和もしっとりと良い時代だから 昔の名前ぇーえで でてぇーいいまぁーあすぅー

「東京電力荒川専用橋」はランガー。

鼻歌を歌いながら下流側に向き直ると お待ちかねの「千住大橋」 とその手前(上流側)に「千住水管橋」がさっきから見えてて 鼻歌を歌ってごまかしてるけど 気が気じゃなかった

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映画にまでなった「荒川アンダー ザ ブリッジ」のブリッジ。 作者は元「荒川」だったのをご存知だったのか 国道4号(日光街道)が隅田川(荒川)を渡る橋を選ばられる辺り かなり精通されているとは思いますが 作中のアンダーさ加減は 実際よりかなり大きな広がりを感じます いやそれも橋の下への強い思いゆえなのでしょうか   またここから当時の「晩翠橋」にまで繋がってるのかと思うと ぢんとします

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上の写真に自転車に乗ったジェントルマンが写っていますから 大体 人との大きさの対比がわかると思います すでに昔からあるからシレッとして見えますけど もっと周りに何にもない昭和の2年、こんな橋が現れた時の地域の方々の気持ちはどんなだったでしょうか(笑) 間違いなく頼りにしたことでしょうね 設計は鋼アーチ橋の魔術師 増田淳大先生、先生の作品は他にも隅田川沿いにもまだこれから出てくるし 渡瀬川の帰り道でお会いした「荒川橋」やもう居なくなってしまったけど「天龍橋」なんかはこの「千住大橋」とやっぱりよく似ています

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日光、水戸、奥州三街道へと繋がる江戸の玄関口、奥州街道が隅田川を渡る「千住大橋」は徳川家康が江戸に入府直後の隅田川初の橋として1594年(文禄3年) 伊奈忠次「橋奉行」がかけた橋。 当時橋の長さは120m  家康の入府が1590年だからめっちゃ最初の指示の架橋 関東各地へのアクセスが重要になると考えてのことだとわかる 銘板にも「大橋」とアルように当初は「大橋」とだけ呼ばれていたけど 「両国橋」架橋後から「千住大橋」と呼ばれるようになったともアル。

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「千住大橋」
橋長  91.6m 幅員  24.2m
竣工 昭和2年(1927年)12月12日
鋼ブレスドリブタイドアーチ

「千住水管橋」もランガー。

ついでに「荒川橋」の親柱はすごく立派だなと当時思い わざわざ?親柱だけの写真を撮ったのを覚えてる 今回「千住大橋」の親柱を見て 先生のこだわりが見えた気がしました アメリカで橋梁の設計を学んでどこかの会社に勤めるのでなく個人事務所を構えて頑張られていた先生は親柱に少し「和」の繊細さを表現したかったのかもしれません 親柱のデザインは別の人かもしれないけどね

この場所が 松尾芭蕉さんの大作「奥の細道」のスタート地点でもあります 来れて、いい天気でほんとによかった

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広重 千住の大橋

隅田川 その4につづく

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その4
「目ぇが赤くて喉がイガらっぽいから ”ンガンガ” 云ってるのはただの花粉症なのでその救急車には乗りません」 裏の堤防道路をピーポーピーポーピーポー鳴らしながら瀬戸際まで「黄色い救急車」が迎えに来ています 自分にもとうとう春が来ました 頭に(涙)。 年末のお話のつづきなんて もう春だからからどうでもいいって云われそうな気もしますけど 隅田川も最近の騒動もGWまでには終わらせないと後がつかえてくるハズなので お付き合いください ごめんなさいね

松尾芭蕉さんを見送って 遊歩道につづく階段をまたKさんを担いで降りたらすぐ 3本の「隅田川橋梁」が行儀よく並んで隅田川を跨いでいました 写ってはいないけど 可愛いカモ?達が水面の光を長く引き連れて優雅に泳いで行く フフン。 

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一番手前から

「隅田川橋梁」(上野東京ライン)
竣工 2005年(平成17年)銭高組さま HP情報
橋長 126.4m 幅員 9.7m
下路曲弦ワーレントラス 1連
 

真ん中の橋

「隅田川橋梁」(つくばエクスプレス)
竣工 2006年(平成18年)銭高組さま HP情報
橋長 126.4m 幅員 8.1m
下路曲弦ワーレントラス 1連


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くぐって 一人だけ容姿も色も違う昭和生まれの粋なヤツ

「隅田川橋梁」(東京メトロ日比谷線)
竣工 1962年(昭和37年)
橋長 131m 幅員  m
下路平行弦ワーレントラス 2径間連続


つつっと行く 下流側に向き直おると 廃タイヤを周りに取り付けた鉄で出来ている「筏」のような船が隅田川に浮かんでる その「筏」にはプレハブ小屋が建ててあって よく見ると小屋の上にはエアコンの室外機、外壁に添わしてプロパンガスのタンクや洗濯機まで置いてある 住んでるのかな 蛇口は見えるけど水はどうしてるんだろう 郵便物は届くのかな って、住所が文字どうり流動的だな ちょっと羨ましいと思うのは秘密基地っぽいからかな

つつっと行く 対岸の高層マンションを眩しんで 新品の遊歩道を隅田川の流れに合わせて下ること 今度は850mぐらい マーガリンみたいな色をした「千住汐入大橋」。

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やっぱりここも「汐入の渡し」があった場所 鐘淵紡績(旧カネボウ)の工員さんたちが通勤用に利用してたから昭和41年まで運行されていた隅田川最後の渡し。「汐入」だからこの辺りまで海水が来てるのかなって思ったら「汐」って云う漢字は「夕方」って意味 らしいから関係ない 

「千住汐入大橋」
竣工 2006年(平成18年)
橋長 158.6m 幅員 20.0m
2径間連続ゲルバー式鋼鈑桁橋


「千住汐入大橋」で久しぶりに隅田川を渡ると 隅田川はまた大きく右にカーブして行く 2本目の「天狗の鼻」と云っていい 汐入公園を抜けたら 薄っすらと見えてきました はじめまして?の「東京スカイツリー」。

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よく枝打ちされた「ツリー」と云うよりは仕舞われて立ってる「アンブレラ」って感じ  これくらいの位置の大きさなら差せそうな気もするけど 立場上「ハレマスヨウニ」としては「アンブレラ」じゃなくて「ツリー」を押しときます。 この方も鉄の塊で高い構造物だけど 重力のことを考えると構造的には「立てる」より「渡す」方がしんどいハズだから個人的には橋の方が偉いってことで終結しています(断固)

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塗ってもらったばっかりかな 手前に架かっております「水神大橋」様です 橋名の由来は左岸側にある「隅田川神社」(水神宮)に因むとアル。 ここもやっぱり「水神の渡し」があった場所。  この橋は陸上で組み立てて 橋桁を船に乗せ干満の差を利用して橋脚に乗せる 大変珍しい方法で架橋されたってことは 「千住汐入大橋」とも近いし 間違いなくこの辺りは海水が混ざってる

「水神大橋」
竣工 1989年(平成元年)3月
橋長 157.0m 幅員 17.0m
3径間連続ニールセンローゼ 他


と云うわけで「水神大橋」で隅田川を渡り 大きな団地(白鬚東アパート)の公園(東白鬚公園)を抜けて 参拝してきましたよ 近隣地域と隅田川一帯の総鎮守として人々の信仰を集めています「隅田川神社」。 ご近所の方たちは 年末のこの日 お札を納めに来ていました

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今地図で見ると「隅田川神社」の鳥居が団地(白鬚東アパート)の東側の離れた位置に立ってるのを発見してしまった 残念。でも入り口にも別の鳥居が立ってたから なんの疑いもなくその鳥居だけくぐったけどね   今年1年隅田川を守っていただいてありがとうございますと年末詣です アーメン。 


次は大変楽しみにしていた 前出の「千住大橋」を設計された鋼アーチ橋の魔術師 増田淳先生が手掛けられた「白鬚橋」。 なんだけど先の道は 首都高速6号 向島線の高架が影を落とす暗い道 スーパー堤防も手伝って隅田川の水面を見せないから独りでに早足になる ちょっと不安な気持ちでしばらく進むと 案の定 足場が架かっていました「白鬚橋」(涙)。

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足場男復活。どんな星のもとに生まれたらこんなことになるんだろう(涙)。 こんな汚れが星のもとなんて居心地良さそうなところに生まれてはいないけどね(絶対)。 足場の中を覗き見するともう塗装は仕上がってる 足場解体が仕事始めって感じ 一足違いだったから一段と悔しい 

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「白鬚橋」は「明治通り」を通す橋 この地には平安時代から渡しがあって北国への要所として栄えてたんだけど 奥州街道が「千住大橋」経由、水戸や佐倉への街道が「両国橋」経由になると ここの渡しは寂れてしまったから 歴史はあるけど この地にはじめて地元の名士たちの出資で木橋が架けられたのは大正3年になってから。 現在の橋が2代目で関東大震災後の震災復興事業の一環として架けられました 名前はやっぱり近くにある「白鬚神社」に因むとアル。 橋と神社って関わりがあるんだね

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「白鬚橋」(しらひげばし)
竣工 1931年(昭和6年)8月8日
橋長 168.8m 幅員 22.1m
ブレーストリブ バランスド カンチレバー タイドアーチ

役がいっぱいついてる満貫な橋。  しなやかなアーチを描き 優美に横たわっているであろう御神体も 養生ネットでモザイク化され 足場で厳重に囲われていては どうやってもオレに勝ち目はない 涙の味がするって云う「塩水」で顔を洗って出直します  まぁ「白鬚橋」も窮屈そうで出たがって(オレに会いたがって)いたし 何よりキレイにしてもらったんだから 東京都の偉い人に感謝 ありがとうございます

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「白鬚橋」で隅田川を渡り さよならを云って 右岸側の防潮堤沿いの道を結構進んだ場所。 近づいているハズなのに霞んでいく「東京スカイツリー」はツンデレ? 何かの現象なのかな しょうがないからUターンしてまた「白鬚橋」こんにちは(照)

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葛飾北斎 雪月花 隅田


気を取り直して 隅田川 その5につづく



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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その5
バイクでひとり旅だとどこにも密はないハズだけど このままだとGWのお出かけは中止だな 4月中に車検を通してもらって 遠くまでSRに連れってってもらう約束はしているんだけど カッパを着ていけば大丈夫かな ってバカモノ! 自分自身も具合が悪くなる可能性だってあるから ルートだけ作って行けないけど ルート作ってる時が一番楽しいし ダメでも生きてればまたの機会に走ればいいから命優先 目には見えないけど 最近は空だけじゃなくて変な空気もハレマスヨウニと願っております

すっかり怖じ気ついていますけど また年末の話と足場の呪いがかかったままの「白鬚橋」まで戻ったつづきから シレッとはじめます 

「白鬚橋西詰」の交差点を左折して 隅田川とはワンブロック挟んだ道を流れに合わせてしばらく下ると 隅田公園の奥から歓声が聞こえてくる 年末なのに何かスポーツでもやってるみたい 観光バスが何台も路駐してるから プロっぽいスポーツなんだろうか と よそ見をしながらKさんを漕いでいたら 橋の親柱にぶつかりそうになって急ブレーキ。

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山谷堀にまだ水が流れていた頃 隅田川に出る直前にかかってた橋 下の写真で見ると上路の鋼アーチ橋だったことがわかる「今戸橋ブリッジ」。 今地図で見ると山谷堀は埋め戻されてグリーンベルトになっているし 高さから見てもアーチ部は発掘したらそのまま出てくるんじゃないかな 

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かわいそうに「生き埋めの刑」を受けているけど 山谷堀の跡の先には吉原大門の地名が残っているように 吉原通いの船(親不孝船)がこの橋をたくさん潜ったそうなので 「今戸橋」には罪はないハズなのに まだまだ実刑はつづくようです(涙) あんまりにも気の毒なんで隅田川の橋じゃないのに寄り道したった 

いつか罪がハレマスヨウニと願って またしばらく進み「言問橋」の橋上から上流側を振り返ると「桜橋」が 冷たそうな隅田川に マーガリン色をにじませているから そこだけ温そうだった

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真横から撮っているから全くわからないと思いますが 上から見ると Xの 形をしている 歩道橋だからちょっと遊んじゃった橋。「桜橋」って名前の橋は何本かお会いしたことがある 名古屋にもあるし 東京にはあと2本もある 会ったコトはないけど福島にも三重県にも岡山にも広島にも台湾にだってある 金沢の「桜橋」は「犀川大橋」から見えたし 近づいたとき「薄」っと思った そーいえば富山の「桜橋」はさっきの「今戸橋」に似ているな 名古屋以外はみんな桜の名所で間違いない

隅田川にかかる「桜橋」
竣工 1985年(昭和60年)4月11日
橋長 169.5m 幅員 中央部 20m 取付部 6m
3径間連続X形曲線箱桁橋

また正面の「東京スカイツリー」に向き直り「言問橋」で隅田川を渡りきった位置にあって 漢字の銘板がはめ込まれた親柱。 1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲では多くの方が橋上で焼死しています この時あまりの火の強さに縁石のほとんどが欠けたと云われています この親柱にも痛々しく焼け跡が残っているし剛熱で欠けている

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「言問橋」は国道6号線、東京都道319号環状3号線の”言問通り”を通す橋 関東大震災後の震災復興橋梁として架橋が計画され「両国橋」や大阪の「天満橋」と並んで三大ゲルバー橋と呼ばれたとあります 大阪の「天満橋」会ったことある ここに繋がるのか フフン。   前出の「豊島橋」や「小台橋」、「尾竹橋」の初代はみんなこの形式の小ちゃい版。 「言問」という橋名は在原業平の詠んだ、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌に因むとアル 「ちはやふる」の人だよね

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当時は軍艦色だったんだけど 戦争のなくなった今は年甲斐も無く(失礼)爽やかな淡水色に塗ってもらって 空と隅田川を分けています

「言問橋」
竣工 1928年(昭和3年)2月10日
橋長 238.66m 幅員 22m
鋼ゲルバー鈑桁橋 3径間
横河橋梁製作所 製

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「言問橋」を降りて下流側に進むと この辺りはまだ古い防潮堤がついてくる でも防潮堤の裏側はちゃんと遊歩道になっていて やっぱり薄着で走っている人が何人かいた  ここはKさんを担がなくても裏側の遊歩道に坂道で降りられたから 自転車もOKなんだと思う

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なんなのかさっぱりわかんないと思うけど また足場で囲われて視界が悪い「隅田川橋梁」 (東武伊勢崎線)。(涙)

「隅田川橋梁」 (東武伊勢崎線) 浅草駅 -とうきょうスカイツリー駅間
竣工 昭和6年5月25日
橋長 166m 幅員 複線
中路のカンチレバーワーレントラス

さっきまでゲルバーゲルバーって云ってたのにここはカンチレバー。 なんか理由があるのかな それにせっかく帝都復興院 橋梁課長 田中 豊先生の設計だけど 協力的じゃないのでつつっと行きます


気温は16℃まで上がったけど 少し風が出てきた隅田川沿いを河口側に進み 東武伊勢崎線の高架を潜って 親柱のランプが素敵な「枕橋」で北十間川を渡ったのはいいんだけど「枕橋」の全体が撮りたくて隅田川からだいぶ離れちゃったから 戻ろうと思って大回りしたら キンタマ が挟まってた。

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キンタマ横目に浅草通りまで出たら「吾妻橋」の目の前。 「吾妻橋」辺りは赤いから華やいで見えるけど なんか途中で足場解体をやめてほかってある状態(涙) 塗装は完璧に終わっているけどね 浅草寺に色を合わせてあるんだろうな 当然「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所。 初めてこの地に橋が架かったのは 1774年(安永3)江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋。
当時の橋名は「大川橋」としていたんだけど 架橋工事中から「あずま橋」と呼ばれるようになったようで 江戸の東の橋として「東」を「吾妻」に置き換えたとか、左岸側にある「吾妻神社」への道をつなぐ橋の意味を重ねた とかいう説があります

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「吾妻橋」
竣工 1931(昭和6)年6月
橋長 150.114m 幅員 20m
上路の2ヒンジソリッドリブアーチ 3径間 他

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広重 駒形堂 吾妻橋

左岸側の「浅草通り」から「吾妻橋」を渡ると「雷門通り」になるんだ 「吾妻橋」は「雷門通り」に属しているみたい 「吾妻橋」で隅田川を渡ったのが ちょうど12時08分 フフン


浅草の老舗の洋食店でランチなので 隅田川 その6につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その6
4月のはじめにAmazonさんにお願いしていたマスクがいまだ届きません「お荷物の状況を確認できません」って云ってる やっぱり詐欺なんでしょうか 割とお高めだったし 欲張って100枚も頼んじゃったから 結構な痛手  朝早くからドラッグストアーに並んでご苦労様ですなんて思っていたけど 現物を見て買う安心さをあらためて思い知りました  慣れきった通販な体質も改善しないとダメだな  負け犬は使い捨てのヤツも2回は洗濯して使っています(涙)

泣いてばかりもいられないし 外出も深呼吸もできませんので また「吾妻橋」からシレッとはじめますよ ごめんなさいね

「吾妻橋東詰」から隅田川を「吾妻橋」で渡りきると「浅草」の交差点。 向こう角に建つ「神谷バー」の洋館が懐かしい。 あなた全然変わらないね  30年近く前「電気ブラン」をチェイサーがわりに生ビールをよく飲んだものです 銘柄は当然ご近所の「アサヒビール」。 バーというよりはレストラン使いだったのを覚えてる

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Kさんを押して「雷門」をくぐり  今では考えられないけど おしくらまんじゅうでもしているような大混雑の「仲見世商店街」を器用に抜け 「伝法院通り」を西にしばらく行くと 思った通りここにも行列ができていました「洋食ヨシカミ」。

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田舎者は謝られるほど美味しいって評判のお店にずっと憧れていたから 入り口の張り紙には45分待ちとアルけどしょうがない やっと念願叶うんだから 待ちますよって名前を記入してきた  店頭に並んでるだけじゃなくて30分ぐらいどっかぶらぶらしてる人もいるんじゃないかな  でも10分もしないうちにお一人様の小々次郎様って呼ばれて オレだけ先に入れてもらえたのは嬉しいんだけど 清潔感がない本当に狭い席だった(涙)

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両方ともピントが合ってないし 見た目よりは美味しかったんだけど  謝られるほどかと云うと「申し訳ないス!」の「ス!」のあたりにちょっとふざけてるような 気がしたり しなかったり。 エビフライは名古屋にある「はね海老」さんの圧勝。でもナポリタンのマッシュルームが缶詰のじゃなくて生なヤツだったし 謎が深まるインゲンもまぁまぁバランス取れてておいしかった パスタもモッチリと太麺で好みのタイプでしたよ ごちそうさまでした

また一段と多くなった席待ち客を横目に 混雑を避け「仲見世商店街」までは戻らずに アスファルトまでオレンジ色に塗ってある「オレンジ通り」で「雷門通り」まで出て渡り「駒形一丁目」の交差点を右折してしばらくすると、 あなたも塗ってもらったばっかりかな ビシッと決めた「駒形橋」が 頭上にいるお日様のおかげで 光沢と高い信頼を纏っていました

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「駒形橋」
竣工 1927年(昭和2年)
橋長 149.6m 幅員 22.9m
32.461+74.676+32.461mの3径間
 上路 + 中路 +上路
2ヒンジソリットリブアーチ

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隅田川はなんとセーヌ川と友好河川と云うだけあって 薄っぺらい顔した人間さえ写ってなければ ちょっとだけシャンゼリゼな風が吹いてる 気がしたり しなかったり。 街路灯にチョコンといる小鳥ちゃんもわかっていてそんな風を見つめているのかもしれない  昭和の2年の竣工ってことで 熟考を重ねた親柱のアール・デコ様式のデザインが頂点に達していてカッコイイ。 
 
駒形堂

ここもやっぱり江戸時代から「駒形の渡し」(竹町の渡し)があった場所。駒形の名は上の写真奥に写っている 「馬頭観世音」を安置している「駒形堂」に由来。 この堂宇は当初隅田川に向かって東向に建っていたのが現在は隅田川を背に西向きに建っている 江戸っ子は濁さずに「こまかた」と発音するとアル いまいち江戸っ子のルールがわかんないな

「駒形橋」で隅田川を往復して渡り 首都高速6号向島線が影を落とす暗い道を隅田川の流れに合わせて下ること400m。隅田川の上流から数えて27本目の橋は「厩橋」。

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ここにもやっぱり江戸時代から「御厩の渡し」があって人や物資の輸送に役立っていたとアル。橋名は浅草の米蔵に付属する「御厩」(馬屋)が かつてこの地にたくさんあったことに由来。 なので馬の意匠が随所に施されています

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大きな山アーチの終わりが落ちずにもう一度浮き上がるように小さな谷アーチが作ってある 遠くからなら連なった波を描いたように見えるハズ  美しいと云う人もいるでしょう  でも昭和の大型工業製品みたいな緑青色も手伝ってオレにはバタ臭く見える。 イヤ バタ臭くていい感じ。 街路灯の柱にもワントーン色を薄くして馬の彫刻が施されていて手がかかっているね

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「厩橋」の橋上で上流側に振り返って「駒形橋」の全貌。 こうして見ると「バランスドアーチ」だとわかる 隅田川の川幅は150mぐらい ここまで来ると風も強くなって波も騒がしくなってきた 磯の香りはしなかったけど もう完全に海の色だな 次回はカナブンみたいなあの船に乗ってみたい 「厩橋」の橋上13時36分。

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よく見えないけど 親柱にも馬のステンドグラスが嵌め込まれているから夜は綺麗なんだそう 「厩橋」が初めて架橋されたのが 1874年(明治7年)民間の有志による木橋が初代 1887年(明治20年)に東京府に移管され 1893年(明治26年)に鋼トラス橋に架け替えられた2代目は関東大震災で木製だった橋板が炎上して大破  現在の橋が3代目。

「厩橋」(うまやはし)
竣工 1929年(昭和4)年9月
橋長 151.4m 幅員 22.0m
45.720+54.864+45.720mの3径間
下路のタイドアーチ 3連

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葛飾北斎 富嶽三十六景「御厩川岸より両国橋夕陽見」


家でジッとして 隅田川 その7につづく

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その7
GWは家の大掃除をしていました Amazonの段ボール箱とかアルミ缶とか着なくなった服なんかを捨てさせてもらえる 街のリサイクル業者さんが設置してくれている無人のコンテナが近所にあって そこぐらいしか外出しなかったので  普段昼間にいない人がずーっと居るからか うちのココさん(猫)からウザがられて 令和になってから1番の悲しい思いもしました(涙) あの時からすると今は銭湯も営業してるし随分縛りが緩くなってきましたね 運が良ければボンにはどこか旅に出れるかな なんて夢見ています 無理かな

だからまた去年の年末の話だけど「隅田川」はボンまでに終わらせればいいやって 余裕もブッこいてます まぁ元々はその7ぐらいで完結するハズだったのに 余計なことばっかり云ってるからと まだ下流側に13本も残ってるのがいけないんだけどね  この調子だとボンまでも怪しくなってきたな

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シレッと「蔵前国技館」”跡地”を回り込むように「蔵前橋通り」に出てすぐ「浅草御蔵跡」の碑が建っていた ステンレス製の案内板によると「浅草御蔵は江戸幕府が全国に散在する直轄地 すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である」とアル。 「江戸中期から幕末まで浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた」とも「現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは、昭和九年のことである。」ともアリました

「浅草御蔵跡」の碑からすぐ 正面に向き直ると東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す「蔵前橋」。

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「蔵前橋」の西詰め、親柱の位置から隅田川テラスに降りられたから 降りてみた。 上路式のアーチは路面からだとただの道路にしか見えないから 蔵前だけに「稲穂のごとく黄金に輝く橋」は下から見ないともったいない 東京都の偉い人もその辺りのことをわかっていて隅田川テラスの遊歩道を整備してくれたんじゃないのかな 現場では「わかってるぅ〜」って口笛が出た 大感謝です。

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午後の折り返しを過ぎて やわらいできた日差しに水面を輝かせる隅田川。 「蔵前橋」はテラスに降りて この時間帯が一番綺麗に映えるんなんじゃないかと思う(夜ライトアップしてるみたい) でも不思議と女性らしさは感じない 「勘定奉行」っぽいからかな カタブツでおっさんおっさんしている。
 
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下流側に振り返ると NTT東日本蔵前通信ビルと対岸を結ぶ「蔵前専用橋」。通信ケーブルの他に水道橋も兼ねてるとアル。

「蔵前専用橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 155.4m
3径間連続鋼箱桁橋



「蔵前橋」の橋上に戻って「蔵前橋」で隅田川を渡る途中の欄干には蔵前の土地柄から力士のレリーフがデザインされていた パーマボサボサ薄毛がバレるから嫌だったんだけど コレしかピントが合ってないし 力士もあんまり強そうには写ってないね。 やっぱり「富士見の渡し」(御蔵の渡し)とも称された 渡しがあった場所 関東大震災の発生前まで運行されていたそうなので「蔵前橋」は現在の橋が初代。

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「蔵前橋」
竣工 1927年(昭和2年)11月
橋長 173.4m 幅員 22.0m
上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ3径間連続 他

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「蔵前橋」の橋上からさっき渡った「厩橋」の全景。 波打ってるように見えますね 後からできた首都高速6号 向島線が「厩橋」のアーチを避けるように気持ち浮き上がっているのがわかる  落ち着きのない首都高速6号 向島線に比べて「厩橋」は鈍臭そうだけど渋い緑青色も手伝って 堂々として見えるのは 下路式の3連アーチは隅田川では他にないから。 オレなんかは橋の上にアーチが見えてる方が大好きだけど 当時景色を隠す上路式アーチは嫌われていて でも「厩橋」の両岸は土地が低くてどうしても上路式にしなければならないために アーチをつなぐ上横構材を少なくして出来るだけ空が見えるように工夫して設計したそうです 当時の橋梁課長 谷井陽之介先生も与えられた条件の中で大変でしたね ありがとうございます

「蔵前橋」で隅田川を渡り 「蔵前橋」にさよならを云って 国技館通りを河口側にしばらく進むと アーチ型の窓が素敵な洋館の「両国駅」を発見した 1923年9月1日に発生した関東大震災で駅舎は倒壊しなかったものの 壊れたのをだましだまし営業していて 今のこの駅舎(当時新駅舎)が営業を開始したのは1929年12月30日とのこと。 昨日が90歳の誕生日だったのか おめでとうございます

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その「総武線」の高架をくぐった先を右折して 隅田川の防潮堤に上がる階段を何段か登って見つけました「隅田川橋梁」(総武本線)。 アーチ部より桁の方が太くて アーチ部材が補剛の形式をランガーといいます オーストリア人の考案者ランガーさん由来  今でこそどこかしこで拝見する形式ですが 日本で初めてこの形式を採用したのがこの「隅田川橋梁」(総武本線)。 当時は珍しいし 現在の方がよく見るからか 古く感じず若く見えますね またこの辺りに「横網の渡し」があったそうです

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「隅田川橋梁」(総武本線)両国駅-浅草橋駅間
竣工 1932年3月(昭和7年)
橋長 172m 複線
支間 38m + 96m + 38m
下路のゲルバー桁のランガー 3径間

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階段を何段か降りて マンションとマンションの間の一方通行を200mぐらい逆走すると 一際大きくて丸い「両国橋」の親柱が迎えてくれる 対岸の隅田川の右岸側には神田川が合流してくるのがわかる 見えている橋はかんざし飾りの「柳橋」。その奥には有名な「浅草橋」も現役。 でも「神田川」だからまた今度ゆっくり紹介するんだけど 江戸時代からの水運の様子が目に浮かびますね

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今の「両国橋」を架けたのは東京市の歴代の橋梁課長でただ一人、国(内務省)から東京市に来た岡部三郎先生。 東京帝都大学を首席で卒業し のちに「勝鬨橋」を架けた優秀な技術者です 「両国橋」は震災復興計画では当初架け替えずに1904年(明治37年)に竣工した旧橋を使用する計画だったけど 旧橋の幅員が前後の道路の半分の11mしかなくて 将来交通の障害になると考えた先生は 再度復興局に掛け合って難航の末 補助金や予算を引っ張り出して計画を変更させ 復興事業最後の橋として事業化しました この親柱の球は地球儀を表しています 先生は「両国橋の名前の由来になった、武蔵、下総の国境というよりは、もっと大きな意味で両国を結ぶという気分のものであった」とおっしゃています 頭のいい人は行く末が見えているから 説得力が増すんでしょうね 

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「厩橋」みたいに景色を隠す下路式は嫌われて 復興局が架けた上路式の「言問橋」が評判が良かったのもあってゲルバー桁が採用されたけど当時「言問橋」の工事費が180万円に対して「両国橋」の工事費は86万円。形式は同じ 橋長、幅員もほとんど変わらないのに半値でできたのは 「両国橋」は1904年(明治37年)に竣工した旧橋の橋台と橋脚を補強して再利用したから。 先生はやりくり上手でもあったんです  撤去された旧橋の1連は改造して「南高橋」と名前を変え 先の隅田川に流れ出る 亀島川に現在も架かっています  


「両国橋」
竣工 1932年(昭和7年)11月
橋長 164.5m 幅員 24.0m
ゲルバー式鋼鈑桁橋の3径間


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広重 新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図

江戸時代に隅田川にかけられた5橋のうち「千住大橋」の次1661年(寛文元年)?に架けられた橋だから これまた江戸時代からつづく隅田川花火大会の様子が浮世絵にもおおく描かれていて 「両国橋」からは歴史ロマンの旅にも出かけられます

なかなか進まないけど着実に 隅田川 その8につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その8
性懲りも無く昨年末の話のつづきなんですけど どこにも出かけてないのも手伝って怠けてたから 順調に6月に入ってしまいました(涙)  東海三県中は3密を避ければ県をまたいでもいいよって云われるようになってきたのはいいんだけど 今度は梅雨に入りそう 「名古屋場所」に至っては中止になって 夏場所は「両国国技館」で しかも無観客で開催されるなんて この「両国橋」の親柱の写真を撮った時には想像もしてなかった 

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隅田川「昔、今、そして永遠の流れ」誰に宛てたメッセージなんだろう  やっぱり夜になると窓の部分が光るみたい  遠い未来にまさかのまさか 隅田川が「暗渠」になることがあったとしても 流れは「永遠」ってことだろうか  でも、万が一そんなことになったら 「江戸っ子」が黙っていないだろうとは思うけどね

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「両国橋」で隅田川を渡り 遊歩道に整備されている右岸側を400mぐらい下ると 「水神大橋」からずーっと左岸に影を落としていた「首都高速6号向島線」が 東の方から来た「首都高速7号」と一緒になって 隅田川を横断していく。 

「両国大橋」
竣工 1969年(昭和44年)
橋長 329.50m 幅員 13.00m
3径間連続鋼床版箱桁

やっぱり「足場」なのかな「橋脚」には一目でわかる「足場」が組んであるけど「桁」には銀マットを貼ったようなパネルが規則正しく並べられている  やっぱり「足場」かな?


右岸側に移って「首都高速6号向島線」の わざわざ影になった道を 隅田川の流れに合わせて また400mぐらい下ると「新大橋」が ゆっくりとかしいできた夕日を まぶしそうに受け止めていました

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江戸時代隅田川に架けられた五橋のうちの3番目、1693年(元禄6年)の架橋。 一番初めは最初に架けられた「千住大橋」が「大橋」だったんだけど 2番目に架けられた「両国橋」が完成すると「両国橋」が当時「大橋」と呼ばれるようになって千住の「大橋」に「千住」がつき 3番目に架けられた大橋に「新大橋」と名前がつきました。 勉強不足と形状から そんなに昔からの橋とは思わずにウッカリ渡って来なかったもんだから 東詰に保存されている 1912年(明治45年)架橋のピントラス式旧鋼橋の親柱を見逃してきた。 でもその鋼橋はうちの近くの博物館明治村に一部親柱とともに保存されていることは知ってる。 当日この「新大橋」と明治村にいる「新大橋」が脳内で結びつかなかった おバカさん(涙)

「新大橋」
竣工 1977年(昭和52年)
橋長 170m 幅員24m
2径間連続の斜張橋

なんの緊張感も持たず「新大橋」をチャチャとやり過ごしてしまって Kさんを担ぎ 階段を登って 古い防潮堤の内側に整備されている公園を抜ける途中 対岸から小名木川が合流してくるのが見える

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見えている橋は浮世絵にも何度となく描かれている「萬年橋」。 写真左側北詰め手前に写っているのが「芭蕉庵史跡展望庭園」翌日の1月1日(元旦)はこの小名木川を調査してから帰ったんだけど とりあえず隅田川じゃないんでまた今度。 芭蕉さんがさっきの「新大橋」の俳句を3つも詠んでるのは「庵」が近かったのと 感謝の表れなのでしょう

下流側と一段と強くなってきた風に向き直ってしばらく進み またKさんを担いで階段を登ったら お待ちかねの「清洲橋」。 この大きさだからさっきから見えていたんだけどね

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関東大震災の震災復興事業として、復興局が新しく隅田川に架けた6橋「相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋」のうちの一つ。 「復興は橋より」これが関東大震災後の復興事業の合い言葉でしたとアル。 その中でも「震災復興の華」と呼ばれたのがこの「清洲橋」でした。  みんなが口を揃えて女性的だ女性的だというんだけど 塗ってもらったばっかりのコバルトブルーのせいか オレにはクールでぶっきら棒なお役人に見える どっちかっていうと男性的。 でも川端康成さんも女性だって云ってるから もうそれでいい。

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設計にあたっては橋の美観が重要視され、当時世界で最も美しいと賞賛されていたドイツのライン川にかかるケルンの吊り橋がモデル。 第二次世界大戦の戦禍でモデルとなったケルンの吊り橋は失われてしまい 世界的に見ても貴重な形式となり、2007年(平成19年)には「永代橋」と「勝鬨橋」とともに国の重要文化財に”指定”されました 何やってたんだろう だいぶ遅い指定だな その間何もなかったから まぁいいけど

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「清洲橋」が架かるまでは「中洲の渡し」があった場所。 現在の日本橋中洲は内陸にあるけど 渡船場があった頃は隅田川の分岐点で、江戸時代には川岸に料理茶屋が並ぶ 名お月見スポットだったとアル。 隅田川沿いはお花見もお月見もできて酒飲みにはほんといいところだな

「清洲橋」
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 186.3m 幅員 22.0m
自碇式鋼鉄製吊り橋


河口側からくる強風を睨みつけて 身を縮めながら「清洲橋」で隅田川を渡り 佐賀町河岸通りを風に向かいKさんをこぎ出して100mぐらい また橋の親柱に遭遇。 隅田川じゃないし 日は傾いていくばっかりだけど 別に慌ててはいないからね
 
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銘板は「上之橋」(かみのはし)と名乗っています 案内板には深川の仙台掘が隅田川と合流するところに架けられていた橋ですとアル。 親柱は4本とも保存されていて 地図で見るとすぐそこまで今も仙台堀川が存在している 仙台堀川の川幅からすると この親柱はほとんど正規の位置、架かってた当時と同じ位置なんじゃないかな

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また「今戸橋」と同じで生き埋めの刑にされているのかなと思ったら 案内板には下路式のタイドアーチが描かれているから 親柱以外は本当に撤去されてる 南に100mぐらい下って「中之橋」、さらに南に下って「下之橋」も架かっていたそうだけど親柱が保存されているのは「上之橋」だけ よかったね 


ぼーっと立っているだけだけど 橋の歴史を永くとどめている「上之橋」の親柱にさよならを云い また風と向き合ってしばらくすると 古い防潮堤の内側に降りられた

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大晦日冬日和の隅田川で15時01分に深呼吸。 波が立って水の色はおっかないけど ゆっくりと流れる水面と時間がとけあって 最高にいい気分  今は知らない人が水面も見ずに車で「清洲橋」を渡っていくけど いつの時代でも 今日のオレと同じ気分を味わった人は多いハズ あゝこれが「昔、今、そして永遠の流れ」なのか フフン。 

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歌川国芳 江都勝景中洲より三つまた永代ばしを見る図

奥に見えてるのが「永代橋」当時の隅田川が分岐していることや川岸に料理茶屋が並ぶ様子がわかりますね

隅田川 その9につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その9
いつか必ず会いに行こうと思っていた 古いアメリカ式のピントラス「第一球磨川橋梁」がお亡くなりになられたのをニュースで知りました(涙) 土地の面積はかわらないのに10日間で1年分の雨が降ったりなんかするもんなんですね だとしたらずーっと滝に打たれている状態なのかな 恐怖でしかないですね 逃げるが勝ちです 遅ればせながら被害に遭われた地域の方々にお見舞い申し上げます。 雨量とか気温とか ここのところ毎年悲しい記録を更新していますから 今までの考え方や備えも更新していかないといけませんね 


不謹慎かも知れませんが「第一球磨川橋梁」の供養のためにも コロナも大雨もなかった昨年の年末の話に戻ります ごめんなさいね 

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江戸時代の隅田川と近所の地図です 当時一番河口側に架かっている橋に「永代橋」と辛うじて読めると思います 中洲を横目に隅田川を遡って さっきの「新大橋」。 その上、隅田川で見えている一番上の橋が「両国橋」です。 「永代橋」と「新大橋」中間ぐらいが「中洲の渡し」があった場所 現在は中洲と挟む川が埋め立てられて内陸になり「清洲橋」が架けられました だから震災復興事業としてかけられたんだけど「清洲橋」は初代で間違いない 初代をいきなりケルンから発想を引っ張ってくるあたり 田中豊橋梁課長も只者じゃないな 1966年(昭和41年)から 橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与されている「土木学会 田中賞」は課長の名前からきています

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貴重な髪の毛を1本も風に持っていかれないようにボサボサ頭を手で抑えながら ゆっくり河口側に振り返ると スグ、 東京都道475号永代葛西橋線支線を通す「隅田川大橋」をくぐる。 先の方に箱崎JCTがあるからややこしく見えるけど「隅田川大橋」は2階建になってるのがわかるかな 上に首都高速9号深川線を通して、下の階に東京都道475号永代葛西橋線支線が通っています

「隅田川大橋」
竣工 1979年(昭和54年)
橋長 橋長 385.3m 幅員 30.0m
主径間 3径間連続鋼床鈑箱桁橋
高架部 7径間単純鋼床鈑箱桁橋


つつっと行く。

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日もだいぶ傾いてきたのと強風も手伝って少し冷えてきたし 波立っておどろおどろしい隅田川沿いになってきた 「隅田川大橋」をくぐって しばらくすると対岸(右岸側)に日本橋川が合流してくるのがわかる 見えている橋は「豊海橋」(とよみはし)。 富山県のトロッコ電車に乗った時に見た 黒部川第二発電所の建物につづく「目黒橋」と同じ 珍しい下路のフィーレンデール。 「豊海橋」の方が7歳年上で1927年(昭和2年)の竣工。 今ちょうどア○フルの CMでおかみさんが自転車で渡っていますね もちろんちゃんと挨拶してきたけど 隅田川じゃないんでまた今度。 


場所的に「豊海橋」より先に目には入っていたんだけど あらためて風上に向き直りKさんをまた担いで階段を上るとお待ちかね 今度は男だって噂の「永代橋」がネコ科の佇まい。

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時間帯によって上りと下りの車線数が変わるのか ネコにそんなこと覚えられるのかな 心配。 当時、復興局橋梁課長だった田中先生の上司だったのかな? 土木部長の太田圓三先生は土木学会での講演会で「永代橋、清洲橋の架橋地点付近は河畔低地にして人家密集のため、下路式の橋にするより仕方がない」とおしゃっています ”仕方ない”と表現しているように その頃は読売新聞で田舎者扱いされたり、「まるで檻に入っているよう」なんて云われて アーチやトラスが路上部にあり眺望を阻害する下路式の橋は嫌われてた でも実際に「永代橋」が架かると その力学的な麗しさに文句を云う人はいなくなったそうです 日本で初めて支間長が100mを超えるために 軍艦用の高級鋼材のデュコール鋼を使っているし アーチもごっつくなっていますから みんなが云うように筋骨隆々の「男橋」ってのもわからなくはないんだけど オレはニャンコでとおします


「永代橋」で隅田川を渡り 隅田川テラスの上の道を500mぐらい下ると 東京のウォータフロントを象徴する都会的な「中央大橋」がふんぞり返って威張っていました

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上の江戸時代の地図にも描かれている 石川島がかつて「兜島」とも呼ばれていたから このシンボリックな主塔は兜の飾りをイメージしてつくられたとアル。 建設当時バブル期だったこともあってか 隅田川とセーヌ川が姉妹河川になったことを記念して設計をパリ市へ委託する案もあったんだけど 叶わず 最終的にパリ市から贈られた「メッセンジャー」(航海の女神)の彫刻作品が橋上に飾られました セーヌ川沿いにも同じ彫刻が立っています。

「中央大橋」
竣工 1993年(平成5年)8月26日 レインボーブリッジと同じ誕生日
橋長 210.7m 幅員25.0m
二径間連続鋼斜張橋


おしゃれな「中央大橋」で隅田川を渡り おしゃれな高層ビル街を抜けて坂道を上ると「相生橋」が いよいよ沈んでいく夕日の光と影の中 斜に構えながらも憂う未来を見据えているようでした

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月島は1892年(明治25年)に東京湾の土砂を浚渫して誕生しました 政府の意向で工業団地として急速に発展したんけど交通手段が「月島の渡し」と「佃の渡し」しかなかったから 架橋は住人や労働者の念願だったとアル。 1903年(明治36年)にやっと中洲だった中の島を中継して長短2本の木橋が架けられると その姿を縁起のいい「相生の松」に見立てたのが橋名の由来 現在の橋は3代目。

「相生橋」
竣工 1998年(平成10年)
橋長 149.1m 幅員31.0m
三径間連続のプラットトラス

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「相生橋」の前の横断歩道を渡ると綺麗に整備された公園に降りられる 正面に現在も再開発が進む豊洲の高層ビル街。 見えている橋は晴海運河を渡す「春海橋」と この時は気づいてなかったけど明日(元旦)に会いに行こうと思っていた「晴海橋梁」のアーチが少し見えてる。

「相生橋」にさよなら云って Uターン。 またおしゃれな高層ビル街を抜けて「中央大橋」の主塔の付け根にあるバルコニーまで戻って来た 下の写真右側の黒い影が「メッセンジャー」(航海の女神)の太もものあたり 江戸時代は「永代橋」からこの辺りが河口だったんだね 小さな木の船で隅田川を下って来ていたら「永代橋」をくぐっると急に心細くなっただろうな

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江戸時代「永代橋」の場所には「深川の大渡し」があって物資を輸送する要所だったとアル その渡しに代わって初代「永代橋」は1698年(元禄11年)隅田川には4番目の木橋が架けられました 左岸の佐賀近辺は当時「永代島」と呼ばれていたことが橋名の由来なんだとか 水運の中心だった江戸湊に近いから沢山の船が行き来していて 大きな帆船でも通過できるように当時としては群を抜いた高さを誇った橋だったことが記録されています 納涼と眺望の名所としても賑わいを見せていたそうなので 高かったんでしょうね

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1719年(享保4年)幕府の財政が逼迫しているのもあって廃橋が決まったんだけど 近隣地域の住民の請願で民間が管理することになったのはいいんだけど 88年後の1807年(文化4年)深川八幡宮の祭礼に訪れた人々が一気に押し寄せ重みに耐えきれずに数間が崩れ落ち1500人余りの死傷者を出す大惨事がおきてしまい「永代橋」は再び幕府が管理する公用橋になった。 88年間だもんね武士以外の通行人からとる「橋銭」だけじゃ十分な管理もできないでしょうし。

その後架け直しや修復を繰り返して木橋の時代が終わり 1897年(明治30年)に道路橋としては日本初の3径間連続のトラス鋼橋に架け替えられた けどやっぱり関東大震災で損傷したので現在の「永代橋」にまた架け替えられました 鋼橋としては2代目ってこと 田中豊橋梁課長はドイツのライン川にかかる「ルーデンドルフ鉄道橋」をモデルにしたそうです 震災復興だからスピードも求められただろうし そんな中でメチャメチャ勉強したんだろうな ありがとうございます

「永代橋」
竣工 1926年(大正15年)
橋長 184.7m 幅員 22.0m
下路のバランスドタイドアーチ

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歌川広重「東都名所 永代橋全図」

広重さんの描いた絵には右奥に佃島が描かれていることから 右下に描かれている「豊海橋」が現在と違って「永代橋」の下流に位置していることがわかる 一番上の江戸時代の地図にもそう描かれているから間違いない 発見してちょっと嬉しい

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渓斎英泉「東都永代橋の図」

渓斎英泉さんの描かれた浮世絵は広重さんに比べると漫画っぽいというか赤福の包装紙みたいな画風だけど橋上の賑わいや 噂どうり橋脚の高さがわかります 観覧車に乗った気分じゃないかな 江戸時代に観覧車はないけどね。



隅田川 完結につづく



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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 完結
本当に盆休みに入ってしまいました(涙) いっときは収束しかけていたウイルスも まるで別の生き方を見つけたように発散しつづけていますね そんな中でのお盆休みですから 里帰りできない人も多いはずだけど ご先祖様たちは無事にきゅうりの馬に乗って帰ってきているんでしょうか  隅田川沿いの下町ではお盆に藁を燃やして 先祖の霊があの世からこの世に来る際に故人が迷わないように「迎え火」を焚くんだとか。 そんな宗教的な慣わしでさえ「粋」に感じてしまう隅田川沿いに まただいぶ間があいちゃったけどシレッともどりますよ ごめんなさいね


「中央大橋」から新川二丁目の信号まで戻って「高橋」で亀島川を渡る時 下流側に 旧「両国橋」だった「南高橋」、明治生まれの古い橋が 新しくできたビルたちに夕日ももらえず追い詰められているようでした 逃げ場がない(涙)

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「勘弁してあげて」とは云ったものの 隅田川じゃないんでまた今度。 ちゃんと念入りに挨拶もしてるし渡ってもいるんだけど「南高橋」を横目に隅田川沿いに戻って しばらくすると「佃大橋」も欄干に足場が架かっていて工事中。

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やっぱり「佃の渡し」があった場所。 江戸時代、佃島は隅田川の河口にある島でした 漁民が島に渡る足として「佃の渡し」ははじまって、 明治に入り佃島をはじめ月島や石川島が工業地帯として発達してくると 交通機関としての重要性が高まり 民営だった渡しが公営になったりもして「佃大橋」が架橋されるまでの300年以上もつづいていた渡しでした 「佃大橋」は1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせた都市整備と 増大する「勝鬨橋」の交通量緩和がねらいだとアリます。

「佃大橋」
竣工 1964年(昭和39年)
橋長 476.3m 幅員 25.2m
3径間連続鋼床鈑箱桁橋

夕暮れ時が似合う「佃大橋」は渡らずにさよならを云い 次は久しぶりに会う「勝鬨橋」だから緊張を高めつつ夕日に向き直って レンガでできている防潮堤の内側の遊歩道にスロープで降りたら 大ショック(涙) 一旦見なかった事にして 大きな深呼吸で気持ちと息を整えながら Kさんを担いでゆっくり階段をのぼる

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入館料無料の「かちどき 橋の資料館」はこの日、火曜日にも関わらず営業していなかったのは すでに16時を回っていましたし 大晦日だから仕方ないですよ わかっています もともとは「勝鬨橋」の開閉に使われていた変電所だったことも知っています。

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そして「勝鬨の渡し」があった場所だったことや この「勝鬨の渡し」が1905年(明治38年)日露戦争で旅順を陥落させたことを祝して開設されたこと、今の橋名の由来になったことは 周知の事実です

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問題は 2019年12月31日、隅田川に架かる 今まで見てきたどの工事中の橋の中でも一番厳重に足場が架けてある悲劇です。 ご存知の方もいるとは思いますが こんなことがオレにはよくある(涙)

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足場さえ気にしなければ(できない涙) 鉄に温かみを感じられる いい時間帯じゃないですか  1970年(昭和45年)11月の開橋を最後に開かずの橋になった「勝鬨橋」だけど 今立っているこの部分が万歳するように跳ね上がる「跳開橋」だったのはご存知だと思います。 「一時期は年間403回の開橋記録もあったけどモータリーゼーションの波に勝てなかった。」 と云われがちですが 前出の岡部三郎先生は「もし隅田川が大型船舶の重要航路であれば無条件に高架にすべき。しかしながら大型船舶の航路としては陸上交通のように将来増加するとは思われない」とおっしゃっています そう最初から開かずの橋なることを見越していたんですね 惚れるわ。

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「勝鬨橋」(かちどきばし)
着工 1933年(昭和8年)6月
竣工 1940年(昭和15年)6月14日
長さ 246m
最大支間長 可動部 51.6m
固定部 86.0m
幅 22m
形式 可動部 - シカゴ型双葉跳開橋
固定部 - 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋

月島側アーチ橋 - 石川島造船所製
築地側アーチ橋 - 横河橋梁製作所製
跳開橋 - 神戸川﨑車輌製
と制作会社はバラバラ

前回「勝鬨橋」に会ったのは2012年12月の朝 その時は長くなった隅田川でも最河口に架かっていたんだけど 今日「勝鬨橋」の橋上から河口側を見ると 2015年(平成27年)に新しく架かった「築地大橋」が ちょうど夕日を取り込んでいる最中でした 

「築地大橋」 
竣工 2015年(平成27年)
橋長 245.00m 幅員 37.16m
中路の3径間連続バランスドアーチ

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匂わないけど潮風だとわかるいい風が波を立たせて キラキラと美しく夕日を映すのは凸っている部分だけど そのすぐ後ろで黒く影になって凹んでる部分がないと際立たないように 太陽の特徴を隅田川の水面はよく捉えています 隅田川の水面は 長い時間の流れと同じように 満腹のいい時代もあれば 戦争や災害で苦しんできた時間を交互に映してきたから 妖しくも輝いて見えるのでしょう。 今回の隅田川沿い、朝日とともに始まって夕焼けで締めくくる23.5kmの旅は出来過ぎです 影に隠れて見逃してきた部分もきっとあると思いますが どの時代にも存在できた錯覚がする 思い出深い旅となりました きっとまた お邪魔します


隅田川 完結。 長々とすみません ありがとうございました