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  01 ,2013

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その4
荘厳華麗な「桜橋」のすぐ南側 手が届きそうな位置に 次の「伝馬橋」は、打って変わって控えめな姿で堀川に影を映していました

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どこから見ても地味だけど「桜橋」より「伝馬橋」の方が歴史は古く 堀川に最初に架けられた「堀川七橋」のひとつ だから随分偉いはずなのに 見た目ちょっと不気味。 でも大丈夫、お地蔵さんは見当たらなかったから心配しないで

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あれあれ なになに 「美濃路」は、この「伝馬橋」を渡ってから北上してさっきの「五条橋」の西端を通り、枇杷島、清洲、起(一宮)経て 中山道垂井へ向うとアル。「五条橋」は「美濃路」をカスッてるだけで橋自体は「美濃路」脱落。 おしいけど 残念 悔しい事でしょう でも雰囲気的には「五条橋」の方が「美濃路」っぽいけど  まぁいいや

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向こうに渡ってもすぐ右折して堀川沿いに行かないと熱田神宮には着かないから「美濃路」は「五条橋」でもいいんじゃないかな くどいかな 

「伝馬橋」(てんまはし)
竣工 1920年(大正9年)
構造 RCアーチ
中部地方最古のRCアーチ橋である。とアル

けど、浜松に行った時に通った「本長篠」駅近くに架かってた「黄楊橋」(つげはし)は大正7年竣工だったぞ 最古は、あっちでしょう  



いろいろと疑惑の掛かる「伝馬橋」で堀川を渡り「木挽町通り」を南下すること200m。「錦橋」に到着 全然進まなーい

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出来上がったら思いのほかショボくて後から飾りを足したんじゃないのかな 「錦通りなんだからもうちょっとカッコ良くしてよ」って上からの圧力に負けて当初の予算内でやったから中途半端になちゃったんでしょうか

「錦橋」
竣工 1936年(昭和11年)
拡幅 1987年(昭和62年)
構造 RCアーチ橋
 


「錦橋」から次の大御所「納屋橋」までは石畳の敷かれた遊歩道が異国情緒をたっぷりと演出。 川はきちゃないし、もちろん行った事は無いけど セーヌ川沿いをちょっとだけ連想した セーヌ川?で良かったかなセーム川だったかな  おもいきって調べるのやめよう

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中央のテラスには、クロード・モネさんの「日傘の女性」があのまんまの格好で立ってそうな感じ

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久しぶりの鉄の橋だからうれしい。  一見ごちゃごちゃしてる様で実は、丁寧に装飾が施され ものすごい凝ってる 橋の強度にこの装飾は必要ないだろうから景観を考えてドラマを作り上げたんでしょう 素晴らしいな

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これも「堀川七橋」のひとつ。 1886年(明治19年)に広小路通が名古屋駅前まで延伸された時に鉄骨製の橋に改修され、1898年(明治31年)からは名古屋市電栄町線が橋上を走ってた 現在の橋は1921年(大正10年)に改築された橋をベースに、1981年(昭和56年)に架けかえられたもので、中央部にテラスを持つ青銅鋳鉄の欄干が特徴的なアーチ橋とアル。 欄干は大正10年の時のヤツそのまま使用

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親柱のすぐ横の建物は、1916年(大正5年)に建てられた 国の登録だけど有形文化財で「旧加藤商会」。元は貿易会社だったけど今はタイの国旗が掛かってるレストラン。

これしか写って無かったけど「納屋橋」を囲う遊歩道は、この街路灯にまで 生のパンジーを飾ったり遊歩道にプランターを並べたりして すごくきれいにしてた こんなに手間隙かけてもらって「納屋橋」は幸せ者だね 誇り高くいつまでもお元気でいて下さい
 

また400mぐらいしか進んでないんだけど 堀川沿い その5につづく


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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その3
五条橋の石畳をSRで踏みしめ そのゴツゴツ感をお尻に受けて さようなら  相変わらず自分の吐く息でシールドは曇るし 青空とまではいかないけど 近頃では十分、いい天気。

この辺りは橋上から川上を見れば前の橋が見えて 河口側を見れば次の橋が見える距離なんで 五条橋からも当然見えていました「中橋」。 やー古そうですね おはようございます

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その下にどなたか眠っていそうな親柱。まさか代用したんじゃないですよね 眠ってなんかいませんよね

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幼い子がおもちゃのブロックで作ったように かわいく見えるのは欄干の柱まで塗ちゃった クレヨンの水色のせいかもしれない  塗り絵みたい  

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「中橋」(なかはし)
 竣工 1917年(大正6年)
 構造 鋼桁

小春日和のやさしい光に照らされた「中橋」の写真を撮ってたら背後にただならぬ妖気を感じて振り返ると 街中だからなのか押されぎみに小さくまとまった神社発見  どっ どなた様ですか

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浅間神社とアル 鳥居の上の桁が隣の建物に突き刺さるぐらい都会の隅に追いやられてちょっと気の毒 濃緑の立て看板を読むと樹齢300年を越えるクスノキやケヤキがこの敷地に7本もあって市の保護樹に指定されてるとアル。 きっとこれ以上神社が小さくならないように必死になって守ってるんだな あの妖気はこの人達に間違いない 雷にやられないように注意してこれからも頑張って下さい

なにげに横向くと なにここ すごい都会の真ん真ん中なんだけど この通りだけ空が近い 鎧張りと漆喰の蔵がつづいてく

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「四間道」と石碑が建ってた この小さくて赤い鳥居でなにかを封じ込めてるのかな はずすだけはずして一目散に南に逃げたい

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調べてみると、よんけんどう ではなくて「しけみち」らしい 1700年(元禄13年)の大火の後、尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、道幅を4間(約7メートル)に拡張した。このことから四間道と呼ばれるようになった とアル。 戦火を免れた古い街並が保存されているらしい らしいと云うのはここでUターンしたからよくしらないだけ(残念)

小さくて赤い鳥居だけは心残りだけど 前に進むと今度は ペッペペペーン「桜橋」。確かにファンファーレが聞こえた 

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贅をつくすとはこの事 芸術的と云うよりは 職人技の飾り細工のような行灯。 幾重にも重なり重厚感を保ちつつも柔らかく丸みを帯びた大理石の親柱。 今は、この桜橋の桜通りが名古屋駅前につづく道だからかな 予算が違うな うらやましい

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たわわに実ったランプだけど ほんとは桜の木をイメージしたんだろうな ぶどうかリンゴに見えるけど

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自転車が親柱によっかかってて ちょっとタイヤ入ちゃった  どいてくんない?

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宇宙からのメーッセージを読み取って形に変えた物を遺跡として発掘した様なレリーフや くどいぐらいの連続。 フランクロイドライトさんの造形や考え方はすごいインパクトとして世界中に波及し虜にしたから こんなところでも感じることができた もちろんオレもリスペクト どころか毎朝夕に拝んでます いいもの見れた ありがとうございます 

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「桜橋」(さくらはし)
竣工 1937年(昭和12年)
構造 RCアーチ

このときまだ午前中なんだけど時間配分的に 堀川沿い その4につづく



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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い その2
筋違いの疑いも晴れて再出発。 は、いいけど 堀川は次から次に橋が架かってるから 少し進んではストップの繰り返し これは徒歩か自転車の方が効率が良かったんじゃないだろうか とブツブツ云ってると 「大幸橋」発見。

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奥に名古屋城様がまだ見えてる  これもコンクリートの橋だけど、欄干に施された鉄の丸棒が一つおきに途中が膨らんでたりとデザインが細かくシンプルでフォーマルな装い  3匹のオットセイが鼻でボールを持ち上げた様なランプも どこかオリンピックなどを思わせる国際的な感じが特徴的で素敵。

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「大幸橋」(たいこうはし)
 竣工 1933年(昭和8年)3月
 構造 RC桁



「大幸橋」で堀川を渡り堀川沿いを100mも下ると今度は「朝日橋」。「大幸橋」からすでに見えてました 単車なのに いつもながら疾走感がなくてごめんなさいね

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うーん これは中路のプレートガーターになるのかな 支承の他に横づれ防止のツメが生えてるな リベットだらけでちょっと珍しい?  けど、東京と違って「下町の情緒」ってのは全く感じられないのが情けないところ 

「朝日橋」(あさひはし)
 竣工 1932年(昭和7年)
 構造 鋼桁

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朝日橋のすぐ南、左岸側に金シャチを乱用したを船着き場があった 割と新し目。 調べて見ると「サムライクルーズ」なる屋形船が人気の様で「春はお花見。夏は名古屋港の花火大会。秋は貸切の屋形船で観月会。年末年始は仲間たちと忘年会・新年会。」とアル   いいな 船から橋を見てみたい でも10名様からか きっと集まらんな (残念) なんで「サムライ」なのかをボカさずにちゃんと教えてほしい   奥に見えてるのは国道22号の「幅下橋」のプレートガーター。



朝日橋でまた堀川を渡り今度は右岸側を下ると  250mも走らないうちに「小塩橋」。別にスルーしてもよさそうな何の特徴も無い橋だけど  オレがそんな事を云っちゃいけない 

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交通量も少ないから大胆に駐車  よくみると欄干は地味にめんどくさい作りになってて ちゃんとしてますね


この日はじめて利用したのがオレなんじゃないだろうかと思うぐらい人気がない「小塩橋」でまた堀川を渡り今度は、左岸側からのアプローチで「景雲橋」を目指すも インチキして単車に乗ったまま撮ったから親柱も写ってないこんな写真しか無い 別にあわててないのにさぁ 

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でも、この写真から寒そうで「箱桁」なのは理解出来たからまぁいいや  「景雲橋」でもちゃんと堀川を渡ってるから次の



「五条橋」には 円頓寺商店街の方からたどり着いた。

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いきなり 今までとは年代もデザインも変わって古風な感じ SRが全然似合わない下駄の時代にタイムスリップ。

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なぜか石の敷き方がヨーロッパとかではポピュラーなフィッシュスケール。 魚の鱗に似ている事から名付けられた この敷石方法も 「五条橋」の欄干と合わせると 冷たい川面に打ちつけて次々に広がる雨の水紋の様に見えるのは、オレの思い違いだけではないはず  きっと制作者もそう感じていたんだと思いたい 

奥に見えるのが円頓寺商店街。  西からは、多くの旅人がここを抜け「中山道」垂井宿へと向う「美濃路」として盛んだったとアル。



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1610年、徳川家康さんの令により、数年で「清洲の町」が「名古屋」へ移された 世に言う「清洲越」の際、物流の為に開削された堀川にはじめから架けられた 七橋の内の一つがこの「五条橋」
元は清洲城下を流れる 五条川 に架かっていた木製の橋が1610年(慶長15年)にここに移築され その後1938年(昭和13年)に石橋に架けかえられて現在に至る 「五条橋」の名前は五条川時代からのもの。 

尾張の中心は、長らく織田家ゆかりの清洲城とその城下町だったけど、関ヶ原の戦い以降、大阪の豊臣氏の勢力に対抗しなければならない政治情勢や地形上清洲の地が水害に弱いことなどから「清洲越」が行われたとアル 

「伝馬制」にしても「清洲越」にしても家康さんは天下とってからも 臆病なぐらい神経使ってるな

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慶長七年と彫られたこの擬宝珠はレプリカで本物は名古屋城に展示してあるそうです 清洲城下では慶長七年に五条川に架けられたって事なのかな

堀川沿いは距離の割に架かってる橋の数が多いから ちっとも進まない 長くなる予感

堀川沿い その3につづく




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Category: 2013年01月13日 堀川沿い

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堀川沿い
いやだぁ 雨のハッピーマンデー。 新成人おめでとうございます  こんな日は、タクシーに泥水かけられて折角の晴れ着を台無しにされた なんてニュースがそこらじゅうから聞こえて来そう  いい思い出になる事でしょう  まぁここに来て下さる方に新成人はいないだろうし きっとほとんどの方は、軽く2回は成人してると思いますけど(ごめんなさい ごめんなさい)

昨日の、この地方は 午後から曇ってきたものの 寒さも控えめだったんで近場物件の調査に出掛けた

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実は 走り始め じゃぁない 3日の日に大阪方面に向うも途中雪が降ってきて断念 命からがら引き返してきたから今年2回目の出陣。 そのおかげでキック3発と少なくすんで 8時25分出発。


いつもの国道22号 吐く息でシールドは曇るけど、朝日に向って走るからそんなに寒くは感じない 太陽エネルギーにプラス膝に貼ったホッカイロのおかげ   ホッカイロは商品名かな コピー機の事を未だにゼロックスと云う人がいるけど そんな感じ?

康生通りを左折して、浄心の辺り 空気中の見えない水分の一つ一つが太陽の光をもらいキラキラと輝いてた 天気が良ければ澄んでいる分 冬も悪くない   弁天通りを過ぎると「名城公園」に到着 文字通り名古屋城の公園。 ここから堀川と一緒に下って行こうと思う



記念すべき2013年 本日の橋一本目は「中土戸橋」

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あんまりコンクリートの橋に興味はないんだけど 避けては通れないし 一応やっとく

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「中土戸橋」(なかつちとはし)
 架設 1932年(昭和7年)
 コンクリート桁橋
と かなり古いけどランプ以外は、全国に2万本ぐらい架かってるんじゃないかなって思える欄干のデザイン。型を使い回してたりしてね さくらの咲く頃だともっと印象が違ったかもしれない



渡ってUターンしてまた堀川沿いに下る と すぐ次の橋発見。「堀端橋」。

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やったね これは間違いなく鋼橋。見えてるし だけど、方杖はついてるけどラーメンじゃないし なんだろな

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奥に居らせますのは「名古屋城」様であらせられます おはようございます

「堀端橋」(ほりばたはし)
竣工 1933年(昭和8年)
鋼桁
羊羹を立てた様な素っ気ない親柱には、わざわざ「昭和53年10月改築」と書かれた銘板がはめ込まれてた なんでそこを強調するのかは謎。



堀川は元々、1610年に福島正則さんが名古屋城築城に際して、資材運搬を目的とした水路として掘削したといわれてて その後、明治初期に庄内川からの取水が始まり庄内川水系に仲間入り 流れてない様に見えるし きちゃない川だけど何を隠そう一級河川。 折角立派になられたんだからもうちょっときれいになったほうがいいなと思いながら進むと 名古屋城のお堀の角のところに新たな橋発見。「筋違橋」。

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とんでもない親不孝をしでかしたのか、それとも関係ない人が死んでしまったのか とにかくなにかの不合理があったのは間違いない じゃないとこんな名前がつくはずがない この近辺で起きた誰かの不合理なエピソードを昔の人はおもしろがって橋にこんな名前を付けたのか それとも戒めのためなのか

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調べて見ると、東京にも大阪にも「筋違橋」は存在する 全国的な逸話なのか と思ってよく調べるとなんてことはない「スジチガイ」と読むから逸話も聞こえてきそうだけど「スジカイ」なら話は別 今ではあまり使われなくなったけど 建築業界では交差すると云う意味。 なんだぁちょっと残念

「筋違橋」(すじかいはし)
竣工 1933年(昭和8年)
方丈ラーメンと鋼桁(北側と南側で構造が違うみたい また行ってこなきゃな)

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とっても寒いのにお堀の周りをジョギングする人が沢山いた オレも正月太りをなんとかしないとSRの燃費に影響が出てるし  しかしこれは本当に一時的な正月太りなんだろうか   ちょっとその辺一走りして、腹筋してくるから

堀川沿い その2につづく



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Category: 未分類

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あけましておめでとうございます
出遅れました 年末のご挨拶をする暇もなくお休みに突入してダラダラと過ごし 死亡説が出はじめた今日が仕事はじめです ゆっくりさせてもらいました あらためまして あけましておめでとうございます 

年賀状2013家

普段 仕事で一日12時間ぐらいはパソコンの前にいるんですけど 家には嫁のWindowsしかなくて使い方もわからないから このお休みのおかげで随分視力が回復した感じ でもツーリングマップルは目からだいぶ離さなきゃいけないのは、また別の大人の問題だから聞かないで

正月早々 アルコールストーブで卵を12分茹でて、殻をむいたら白身はちゃんと固まってるけどプニョプニョ。 これはいい感じで黄身は半熟に出来たんじゃないかと期待して マヨネーズを探すけどマヨネーズが冷蔵庫にない。 仕方が無いので今度は塩を探すけど 嫁も出掛けてて塩の置き場もわからない 頼りっきりの自分が悪いんだけど 醤油もないし どぉやって料理してるのかなってちょっとイライラしながら冷蔵庫をあさってたら チュウブ入りのおろしニンニクを発見。 今、冷静に考えればわかるけどあの時は早く食べたい一心で冷静さを失っていたんだと思う  涎を飲み込みまだ温かいゆで卵にチュウブから直接たっぷりとおろしニンニクをつけて、一口パクリッ おおー ってところで目が覚めた 2013年の初夢 これはきっと縁起がいいはず
 

今年もよろしくお願い致します   小々次郎