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  05 ,2013

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2013年05月03日 黒部峡谷

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本文: 20  Trackback: 0

黒部渓谷 その3
もう大丈夫。 5月も終盤に入ってしまったし 梅雨明けまでには終わらせなきゃ 夏は夏でいろんなところに呼ばれてる  いつまでもメソメソしてはいられない メソメソはこんな心にそっと入り込んで悲しい気持ちを少しでも引きずらせようとする困った生き物だったのを 思い出してよかった そしてまた一つ大人になった。


「藤波橋」の橋上から下流側を見ると さっき渡ってきた「西里橋」。色のせいか柔らかな表情がいいヤツそう この町では「藤波橋」ぐらい自己主張しないと 誰もあなたの良さをわかってくれませんよ

P5033395.jpg

「西里橋」
1951年(昭和26年)
橋長 71m 幅員 6m 
下路のタイドアーチで1連

振り返るとSRは なんの反省もしていないご様子。 

P5033397.jpg

だいたいあなたにあんなポテンシャルがあるなんて まだ信じられん いつもブルブルすごい振動するくせに。 いかん まだひきずってる

気を取り直して「藤波橋」に また青空のもとでの再会を約束して さようならをいい  貧乏くじばかり引いてる「西里橋」を労りの横目で敬意を表し  最初、閉鎖的に感じたのは自分の心の問題でこの町に罪はなく 茜色の板金屋根が並ぶ 小粋な城下町を後にした


しばらく高原川沿いを下ると「宝橋」を発見。 わかっていた事だけど この「宝橋」のすぐ上流側、写真手前には2006年(平成18年)12月1日に廃線になった神岡鉄道の「高原川橋梁」が架かっていたけど 今はもう いない。

P5033405.jpg

「宝橋」
1935年(昭和10年)
上路のコンクリートアーチで1連


神岡鉄道の「高原川橋梁」は いつもよく行く長良川鉄道の「第五長良川橋梁」のアメリカ人と同じタイプ。それもそのはず 元々は東海道本線の「大井川橋梁」の16連がバラバラになって各地について生き別れた 血のつながった兄弟。長良川鉄道の「第五長良川橋梁」はご存知の通り現役だけど「高原川橋梁」は解体撤去されて何も残っていない 少しの差で「高原川橋梁」が「第五長良川橋梁」だったかも知れないと思うと ぽっかりあいた空間を見て 涙がでる。 

P5033407.jpg

運か 

対岸の国道41号側にも橋台部のコンクリートの塊は残ってるな でもアメリカ人が乗っていた川の中の橋脚はきれいにハツられて存在しない

P5033406.jpg

神岡鉄道を廃線に追いやった 恩知らずの神岡鉱業側にもプレートガーター橋が乗っていた橋台が残っている  石垣に残る錆跡に流してきた血を思いかぶせる。 間違いなくここにいたね お会いしたかったです(涙)


ヤフー地図には在りし日の「高原川橋梁」がまだ写ってた! 上から見ても男前なのがわかる 左上が「宝橋」。

ス

大井川時代にみんなでわいわい賑やかにやっていた頃に思いを馳せ いつかその地を見てこようと誓った また来ます。


「宝橋」で高原川を渡り国道41号に右折して入ると ここからの国道沿いは民家もなくなり またどんどん高度を上げて行き 名前も越中東街道にかわった。

車もそんなに走っていない対面通行の道。 しばらくすると「割石温泉」の看板。 震災後に湯量が増えたと報道されてたのを思い出したけどスルーした。  遠くにまだ ぽつん ぽつんとサクラが咲いてる 山の中の国道41号をしばらく行くと ロックシェッドとロックシェッドの隙間にバチんと見えました「第二高原川橋梁」。

P5033414_20130521142537.jpg

これも神岡鉄道の橋梁で この方は元常磐線利根川橋梁。はるばる一人でこられたけども 今は使われていない可哀相な橋。

「第二高原川橋梁」は漆山駅-神岡鉱山前駅間に架かる橋
開通 1966年(昭和41年)
橋長 77m
下路 曲弦のプラットトラス 1連

製作は1922年(大正11年)?とあります

現役を退いたとは思えない肌艶だけど やっぱりどこか物悲しい雰囲気。 何年も誰とも会わず 一人、雨や雪に打たれつづけて すっかり冷たくなっているのかな

冷たくされてもまた来ますよ 
心を閉ざした「第二高原川橋梁」に踵を返し またしばらく国道41号を進むと 横山トンネルで峠をくぐり 川はお待ちかねの神通川になった  次のトンネルをくぐる手前で その神通川に注ぐ宮川に架かる 神岡鉄道の「宮川橋梁」が左側に見えたけど 後がつかえてて急停車も出来ずに素通りしてきた あーまたやっちゃった

けどUターンしてトンネルをくぐり直す気にもならずにもうちょっと行くと「神峡橋」が待っててくれました

P5033418.jpg

「神峡橋」
竣工 1969年(昭和44年)
上路のアーチ橋 1連

「神峡橋」で神通川を渡り すぐUターンして もう一回「神峡橋」で神通川を渡って国道41号に戻ると 随分前に手を振って別れた高山本線に再会。 高山本線はオレが切符をきられた事をしらない 


国道41号に戻って割とすぐ 川面が近づいてきたなぁと思った所に 巨大な橋脚の遺構が川の中に残っている

P5033420.jpg

コンクリートの橋台は川の中に6〜7m角が2台 見えないけど対岸にも塊がある この橋台の上に鋼橋がのっていて対岸の丘から鉄道を渡していたのは、昭和6年から昭和42年までの間。 「神岡軌道」の「神通川橋梁」としてがんばっていた。 2006年に廃線になった「神岡鉄道」と区別されるのは、 もっと前の鉄道で「三井鉱山株式会社」が敷設した鉄道。 当初は、鉱山専用軌道だった。 

dobokugahou.jpg
建設途中の神通川橋梁(土木建築工事画報 第7巻10号「竣功せる神岡軌道神通川橋梁」より)

「神通川橋梁」神岡軌道
供用が 1931年(昭和6年9月16日)
全長 294m
水面からの高さ 57mまで持ち上げた桁。
使用鉄骨  550t
トレッスル橋脚に乗ったカンチレバートラス

身長57m 体重550tと云えば そう コンバトラーVとまさかの一致。

ロマンいっぱい眺めてみても 実はコンクリートの塊はゴミにしかならないからハツるのめんどくさくて残ってるだけ でもいい こんな遺構でも残っていれば 次の世代の人も気にかけてくれるはずだから

 
国道41号に戻りまたほんのちょっと進んでロックシェットを抜けると 国道41号上の「猪谷橋」で神通川にそそぐ猪谷川を渡る

P5033428.jpg

奥に先程の橋台の遺構がチラリ。

「猪谷橋」
竣工 1958年(昭和33年)
上路のアーチ橋 1連


振り向くと高い位置に「高山本線の猪谷川橋梁」。眉間にシワを寄せて怒ってんの? 

P5033426.jpg

トラスの端に横の桁が無くて直接プレートガーターを持ち上げてるから台形になっちゃてる 超変わり種

「猪谷川橋梁」は猪谷駅と楡原駅間の猪谷川に架かる高山本線の橋梁。
供用 1930年(昭和5年11月27日)
橋長 103.28m
1、4、5連が上路のプレートガーター
2、3連が上路のワーレントラス
高い位置を渡してるんですから 怒ってないで くれぐれも横風には注意して 安全第一でお願いしますよ 
 

暖かくなったとは云っても気温は20℃に満たないと思う とメモ帳に書いてある。 そんでもうおなじみの国道41号に戻ってまたしばらく進むと また割とすぐだった 国道のすぐ横に「第二砂場橋梁」発見。なんでこんな名前なのかな 第二って事は当然 第一もあるはずだけど あるとしたら見逃してきた 

P5033437.jpg

「第二砂場橋梁」高山本線の猪谷駅ー楡原駅間 
供用 1932年(昭和7年)
上路のコンクリートアーチ 2連

川が流れてくる訳でもないのに真ん中の橋脚が三角に作ってある デザインされた橋なんですね ちょっとローマを感じました おしゃれさんです。

今気づいたけど ギリギリ右下に小さな祠の中にいるお地蔵さんが写ってた この辺りでなにか大きな事故でもあったのかな 気づいて手を合わせる事はできなかったけど あの時も無事故を祈りつづけてくれてたんですね ありがとうございます。


なんか切りがいいから 黒部渓谷 その4につづく



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