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  06 ,2014

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その9
鉄道橋らしい松葉色をした「第一松木川橋梁」を一旦、SRとくぐると 薄い、薄紅藤色の空も手伝って一層人の気配を感じなくなる。 民家も、何かの工場だってあるけど 人だけ さらわれたような 音のしない通り。 空の重みをバックミラーで感じながら 控えめなはずのSRの排気音だけが響き渡る。 自然にゆっくりになって 慎重にしばらく進むと、 今はもう使われていない 妙にスネた「第二松木川橋梁」を発見。 そこら中に負のオーラをまき散らして身勝手な表情。 さっきから感じていた陰気の原因はあんたでしょう

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足尾鉄道時代から足尾駅 と 今は廃駅になってる足尾本山駅とをつないでいた立派な方。 なのに「間藤橋」のコンクリートアーチを子分に従えて すっかりヒネクレかえってる。 1987年(昭和62年)に足尾銅山の精錬所の貨物輸送終了と同時に廃橋って事なので まぁまだ元気そうだし これからって時に活躍の場を失ったわけですから 無理もないのかな お気の毒様ですね

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「第二松木川橋梁」旧JR東日本)足尾線
間藤駅 - 足尾本山駅間
竣工 1914年(大正3年)
上路のプレートガーダー1連と下路のプレートガーダー1連の計2連

手の付けられない暴れん坊ってわけでもないようだし 根はいいヤツそうだから なんにもしてあげられないけど 十字だけきってきた  アーメン。

振り返ると線路を遮断した 県道を挟んで当時の踏切が立たされたまま よく見ると線路もまだ残ってる そんな切り通しを駐車場に利用してる軽トラは宇都宮ナンバー。 そう云えば ここだけ人がいたな 

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県道に戻ると 普通に民家は並んでるんだけど やっぱり人影が無くなる しばらくして、駅前のロータリーのような開けた場所にでると、 たいへんお会いしたかった「古河橋」が どうにも漂っちゃう妖気を隠そうともせず 名のアル牢名主のように 鎮座しておりました  うーん ブルッときた

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奥に建つ穴ぼこだらけの工場も足尾精錬所の一部でこの大きな敷地の中に足尾本山駅もある 工場に突き刺さって見えるのが その足尾本山駅につづいてる「出川橋梁」。 今は、もちろん精錬所の工場も足尾本山駅も「出川橋梁」も使われていない

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登らなかったから わからないけど 上の写真左側の先に足尾本山駅跡がある ハズ。 1914年(大正3年)足尾鉄道の駅として開業とアル。 花崗岩の橋台を 今もなお染めつづける血の跡のような赤錆が 痛々しく その歴史を物語る。 自分の限界じゃ なくて 人の理由で使われなくなった物達の発する やり場のない情念のようなものが この地域を気欝に感じさせているのかも知れないな 「第二松木川橋梁」もそうか。

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「出川橋梁」(旧JR東日本)足尾線
間藤駅 - 足尾本山駅間
竣工 1914年(大正三年)
橋長54.82m
上路のプレートガーター 2連


「古河橋」にもどって精錬所の象徴でもある大煙突入の廃風景。 人っ子一人いない

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「足尾銅山鉱毒事件」。 ラッキーストライクの銅フィーバーで栄える一方、深刻な公害問題も 文字通り背景にある。 排煙に含まれる二酸化硫黄があたりをハゲ山にしたし 渡良瀬川だって不本意に汚されたんだそう

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「古河橋」
竣工 1891年(明治24年)
橋長 48.6m 幅員 5.2m
下路のボーストリングワーレントラス(ピントラス) 1連

元々は、古河鉱業(現・古河機械金属)足尾銅山の専用電気軌道で ハーコート社製のドイツ生まれ。 原位置で架かる 日本で最長老のお方。 そりゃ妖気も纏うハズ。 お会いできて光栄です  今は鎖がしてあって もう歩道橋としても使われていないようだけど 文化財だし 保存はしてくれるみたいだから よかった

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内側にちゃんとハーコート社の銘板が付いてるの わかるかな  渡良瀬川も今は十分きれいだし まだ小さいけどハゲ山にも木が植えられて しっかりと新緑が芽吹いてる。 でも少なくても 使われなくなった橋達は この移りゆく景色を喜んでいるようには見えなかった。 まだ働けるって感じだもんね  


全員にさよならをいい  今回は、空の都合もあって 悲しみや憂いに心がふさいでいるようにしか見えなかった 足尾町を後にする。 今度は10年後ぐらいに時間の余裕を持ってまた来てみたい その時はどうかハレマスヨウニ。


Uターンして国道122号に戻ろうと また人気のない町内をストトトトーと一人通り過ぎ、 また「第一松木川橋梁」をくぐり直した時、 振り返って見た 風景が 2014年のGWで最後に見た渡良瀬川のお姿でした。

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渡良瀬川は、北関東を流れる利根川水系の一級河川。 延長は107.6km。 知らなければ良かったけど 日光を開山した勝道上人による命名で、勝道上人が川を渡ろうとした時に、渡るのにちょうど良い浅瀬があったからだとか。 もっと違う理由がよかったけど仕方ない。 でも 響きはいいし 森高さんの歌もあって、遠いし たくさんの名橋が架かる ずっと憧れてた川。 その前評判に負けない素敵な川でした 来れてほんとうによかった  またおじゃましますね  

さようなら渡良瀬川。     でも渡良瀬川その10 につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その8
この時は、お見それしてましたけど すでに文化財だった「第二渡良瀬川橋梁」にさよならを云って背を向ける と、ここからの国道122号は足尾の町内をバイパスしていくようだから 「左上矢印 足尾交番」と書かれた誘導看板に従い 国道を離れて 県道でもないし 夕方まで子供が遊んでいそうな町内の道路にお邪魔した。 それでも右側には渡良瀬川が十分な川幅をもって ゆっくりと付いて きてて いい感じ。 でも、反対の左側は小高い山々が割と近いのに 白々しい空のせいで せっかく芽吹いた新緑に元気とみずみずしさを感じなかった。やっぱり太陽って偉大。 だまって しばらく進むと さらに山側に抜ける奥に何本か見えたから ぷら〜っと寄ってみた

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一番上を行く、花崗岩を上手に積んだ橋台が立派な白緑色の方がわたらせ渓谷鐵道の「有越沢橋梁」。

「有越沢橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
原向駅 - 通洞駅間
竣工 1912年(大正元年)製作 1911年(明治44年)
橋長 14m 汽車製造合資会社(大阪)製
上路のプレートガーター 1連

そっけない顔してるからこの時は気づかなかったけど あとから国指定の文化財だと教えてもらってびっくり。 トラスじゃないから普段ならよっぽっど寄らないんだけど写真撮っててよかった 人は見かけに寄らないって ほんとだね

下の青いヤツは「中才橋」1975年(昭和50年)3月竣工 下路のプレートガーターの1連。 明治10年から足尾銅山に分け入った古河市兵衛が創業者の「古河鉱業株式会社」製とアル。まさか銅製?(嘘)

それから もう一本。 上の写真にもちょっと写ってる 下路のコンクリートアーチ。

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橋長は2mぐらいなのに丁寧に作ってある 実はこの時コレに一番驚いてた 自分の目利きの無さにちょっと反省 でも当然好みもあるし わたらせ渓谷鐵道自体や 足尾銅山の歴史には興味が薄くてごめんなさいよ

そうか、これぐらいの規模なら 上手、下手はおいといて がんばれば自分でも造れるかな。  洗濯機とトイレの排水管を跨ぐコンクリートアーチ!!  小さいとくぐるの大変だから上路式にしよっかなぁ やっぱり鉄橋がいいしなぁ 鋼アーチ橋とくれば当然、赤色だよねぇ  うふふふぅ  なんて考えながら また町内の道をストトトトトーと しばらく進むと 右側に有名な「通洞変電所」の おどろおどろしい廃墟。 おっかないからもちろんスルー。 反対側にさっきの「有越沢橋梁」と瓜ふたつな「通洞橋梁」が居たのもちゃんと確認はしたけど 廃墟におどされてスルーしてしまった  「通洞橋梁」も文化財の勲章持ちだった(涙)

また すぐ「通洞動力所」や「新梨子油力発電所」なんかの廃墟が並んでて この辺りは気味が悪い 保存してるって感じじゃなくて お化け屋敷にしか見えん。 「廃墟」が好きな人がいるのは知ってるし 実際写真を拝見すると美しいな とも思うのもある  そんな方達にはタマランのでしょうけど  オレは目も合わせずに加速して逃げてきた

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逃げ足だけは速いSRのおかげで「通洞駅」にすぐ到着。 足尾町町制100周年の記念として建てられた 銅のモニュメント。 空洞の部分は長い歴史を持った足尾銅山坑道を、上部は、足尾町の未来・発展を望む「飛翔」を表しています。   琺瑯製であろう駅名看板の 通と洞駅のあいだのスペースが気になったけど駅名が変わった記録はない。 足尾銅山観光や足尾歴史館の最寄駅ということで 結構人がいたしお祭りの期間中だよと のぼりが出ていた けど お決まりのスルーです ごめんなさいね 

駅前でも 細い町内道路のきわきわまで軒をだし 連なる古い建物は、たいへん昭和なフレーバー。 江戸時代にこの地で寛永通宝が鋳造されて 繁栄を極め「足尾千軒」と云われた街並は ここじゃないみたい。 けして屈強ではないけど陽気な酔っぱらい達の笑い声を空耳に ストトトトーっと駆け抜けた 


またしばらく進むと 木が邪魔で振り返って確認した「足尾橋」。

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「足尾橋」
竣工 1950年(昭和25年)
上路のランガー 1連


渡良瀬川もきれいだね   つつっと行く。 足尾駅にも寄ったけど ピンぼけで割愛。 足尾駅を過ぎると 細い道の圧迫感がなくなって開けた場所にまた3本の橋。 現橋の「新渡良瀬橋」の橋上から 下流側に旧橋で歩行者専用になった「渡良瀬橋」欄干にはめ込まれた鋳造のデザインに西洋への憧れが見える ケーキ屋のロゴマークみたい

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「渡良瀬橋」
竣工 1935年(昭和10年)
上路のコンクリートアーチ 1連


今度は「新渡良瀬橋」の橋上で上流側を見ると 白緑色した水路橋が 渡良瀬川のせせらぎを子守唄に 眠たそう。 どこから来たのかピントラスだし 

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「水路橋」
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)の1連

アメリカ式だけど輸入品なのかな  なんかそうは見えないけど どこかからの転用でもなくて  アメリカ式に則ってこの辺りで造ったんじゃないのかな  実際、古河鉱業製と書いてあるところもあったりして 年代もあいまい  だけど 水路橋まで華奢でかわいいピントラスな足尾が素敵すぎる 遠いけど来れてよかった。

連れてかえりたい「水路橋」になんとかさよなら云うと 田元の信号を左折してつづく県道250号沿いにいました。 「水路橋」のご兄弟と思われる「田元橋」と わたらせ渓谷鐵道の「第一松木川橋梁」のダブルパンチにノックダウン。  すぐ立ち上がって まず「田元橋」。

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さっきの「水路橋」と同じで王道の7スパンだけど ヤフー地図の航空写真でパソコンの画面に定規をあてがってみたら 「田元橋」の方が幅も長さも大きかった

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1927年(昭和2年)竣工説と1936年(昭和11年)竣工説があって、元はガソリンカーの軌道が走っていたみたい。 古い方の1927年(昭和2年)説だって、 昭和になってからピントラスが造られたのは考えにくいってアル。 でも管理者の古河鉱業の台帳では1927年(昭和2年)てことなので、   ウヒヒ ひょっとしたら古河鉱業が内々で黙って昭和2年にアメリカ式のピントラスを造ちゃったんじゃないのかな  あーだったらいいのになぁ  アメリカ式のピントラスに憧れる気持ちは痛いほどわかるよぅ 

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「田元橋」
竣工 願いを込めて1927年(昭和2年)
橋長 45.23m 幅員 3.92m
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)の1連

「水路橋」もきっと同じ頃。


それで 「田元橋」のすぐ横、上流側に架かる「第一松木川橋梁」。 そう「松木川」。 今は渡良瀬川になったけど 昔の名前で出ています。

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橋脚の上の方、あんまりお目にかかれない トレッスル橋脚が パテント・シャフト社製のイギリス人。 製作されたのは 1888年(明治21年)で、日本鉄道(現・東日本旅客鉄道(JR東日本))の東北本線北部に多数架設したものから転用されたものである とアル。  

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桁を持ち上げつづけて 御歳126才 肩こってそうですね お疲れさまです。  曲げた鋼板を4枚合わせて リッベットで固定して柱を作ってるのがわかる 製作された頃は角パイプがなかったからだろうけど さすがイギリス製だけあって分厚い。

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「第一松木川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
足尾駅 - 間藤駅間
竣工 1914年(大正3年)8月25日
橋長 56.45m
上路のプレートガーダー 3連
トレッスル橋脚 2基


下の写真は、2012年に京都まで見に行った 木津川の支流に架かってる JR西日本の関西本線「下の川橋梁」のトレッスル橋脚。

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「下の川橋梁」は関西本線の開通年の1897年竣工だし 関西本線の「木津川橋梁」とかはパテント・シャフト社製だから「下の川橋梁」のトレッスル橋脚もパテント・シャフト社製だと思ってた  でも よく見ると随分違う。  まぁ9才も若いから 何とも云えないか

この時は 大きさ的にもそっくりだと思って 西の空を見上げては「下の川橋梁」に思いを馳せて 一人でニヤニヤしてたけど  今は、そんな自分に お日様もおりかえしを遠に過ぎ 一層白々としてる事に早く気づいて 急いだ方がいいよと やさしく伝えてやりたい(涙)   渡良瀬川 その9につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その7
地図のセイにするつもりじゃないけど 渡良瀬川を渡った記念の10回目がいかんかった。 オレよくやることだけど 9回目、「草木橋」で渡良瀬川(草木湖)を渡って その先をすぐUターン。 渡り直して10回目達成、元の国道122号に戻ってくるという ただ橋を渡りたいだけで たいへん大回りな人生を送っています。 それは胸を張ってるんだけど このとき渡り直さずにそのまま対岸の県道343号を行けば「第一渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)を見逃さずにすんだかも知れない 今回地図をケチって関東一括りのヤツだから この辺りは大雑把。 しかも眉間にしわを寄せてだいぶ離さないとピントが合わないお年頃なので 見つけられなかった やっぱり地図のセイか。

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そうとは知らずに「草木橋」と草木湖にさよならをいい 国道にもどってすぐの 「お食事処こだま」 で昼食。 一目でお手製とわかるツユクサ色の暖簾に好感を持った。その暖簾を割って入ると さまざまな年齢だけど女性ばかりが働いている「家庭的な食堂」って風体。 外からはわからなかったけど結構お客さんがいて 注文を聞きに来た一番若そうなおかあさんは きっと待たせるのを申訳なさそうにお茶を置いて行ったから ちょっとおもしろかった 他のお客さんは全員うどん系を頼んでいたから たぶんオススメなんだろうけど  悩んだ末に唐揚げ定食にしたら 他の人より早く出てきてラッキー。 ただのうどん渋滞だった 唐揚げはフツー味だったけどごはんがおいしかった  ごちそうさまです

国道122号に戻り また渡良瀬川沿いを上る。 「第一渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)を知らずにスルーして しばらくすると「唐風呂橋」で渡良瀬川の支流を渡る。 どんな橋でも どんな川でも渡る時に素早く左右を確認する癖がついてるのは オレの一番いいところ。 右側はもちろん道路と平行する渡良瀬川。 反対の左側に廃橋を見つけた

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「旧唐風呂橋」
竣工 1958年(昭和33年)
上路のコンクリートアーチで1連

ね、曇ってきたでしょう  せっかくの新緑も淡くてたよりない。 廃橋って云うにはまだまだ若いけど この先を期待させる趣がある  いつかまた機会がありますように。  

ここでも対岸を行く線路にピントを合わせてるカメラマンが2人もいた。 すぐ後にキレーな廃橋がいるのに気がついてないみたいだし その大きなレンズでは近すぎて逆に見えないのかな  楽しそうだったからいいけどね  お先です。

さっきまでとは別人の国道122号。 急に空が白々してきて ぐっと川面とせせらぎが近づいた渡良瀬川を横目に またしばらく進むと お待ちかねの方がチラッと見えて ブルっと背中になんかはしった

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こんなところであわててカメラを出してないで もうちょっと行くと  空を曇らせた償いなのか それとも遠くまで一人できたご褒美なのか 3本の橋が密集する夢のような場所があった。 ヘルメットのおかげでほっぺたを抓れなかったから ほんとに夢だったのかもしれない 


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まずは国道122号の旧道、今は使われていない?「旧切幹橋」にSRを止めた。 割と和風寄りでずんぐりした親柱には親近感を覚える  銘板はやっぱり盗まれちゃったのでしょうか そして すぐ手前にお住まいの方は私有地が増えた程度にお考えなのでしょうか


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少し落ち着いて 横の現橋から下流側を望む。下を流れるのは庚申川。すぐ先で渡良瀬川と合流してる

「旧切幹橋」
上路のコンクリートアーチで1連


それで、 わかってるって  もーさっきからチラチラと チラリズム。 誘ってくるね「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)。

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足尾鉄道時代の明治から そのままの場所に架かりつづけて 今もなお現役でがんばってる尊老。 当時は蒸気機関車だったはずだから 現わたらせ渓谷鐵道の渡良瀬川橋梁の中では、煙かった時代をを知ってる唯一の方。 若作りなターコイズブルーが新緑達と微妙に反発し合い より若く、明るくみせる  お元気そうで何よりです

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設計は前出のクーパーさん。 クーパー型150ftトラス桁の国内で製作された3連の内の2連で東京石川島造船所製。 てりやきマックバーガーって感じの 和製アメリカ式ピントラス  橋脚も石積みで とがってるぅ〜

「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)
原向駅 - 通洞駅間
竣工 1912年(大正元年)製作 1911年(明治44年)
橋長 104.9m 
下路の平行弦プラットトラス(ピントラス)46.9mが2連
とプレートガーター1連

文化財じゃないのはなんでかな。(失礼 国の登録有形文化財でした) きっとまた来ますね その時はハレマスヨウニ。 いつかその時までお元気でいてください


「第二渡良瀬川橋梁」に、この時は簡単にさよならいって ここの交差点を左折。 時間は過ぎてく一方だけど 足尾温泉の方から声が聞こえる 一旦渡良瀬川沿いを離れて県道の293号で庚申川沿いを上る。

空は相変わらずしらっとしてるけど 国道よりも もう2段階ぐらい 道幅が細い頼りない道だから 新緑に手が届きそうで空気はうまい でもやっぱり誰ともすれ違わないし 物悲しい雰囲気。 なのに民家はたまにある

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道沿いの公園とまではいえない 東屋付きのベンチのある敷地で まだ桜ががんばってた 桜じゃないのかな。 もうしばらく進むと県道が庚申川をまたいだ時の左右確認の際、 奥に これまたコンクリートアーチの廃橋を発見してちょこっとUターン。 

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県道の現橋には「古足尾橋」とアルから「旧古足尾橋」。珍しくカップルが「旧古足尾橋」の橋上に立って何やら路面を観察していたので カップルが写らないギリギリを現橋からぱちり。百円玉でも転がっちゃたのかな  自分の足元近くには 家とつながれたわんこが尻尾フリフリして 遊んでほしそうだった

「旧古足尾橋」とわんこに手を振って また知らず知らずに登っていく感じ しばらくすると ゆるやかな上り坂の向こうに たいへんお会いしたかったハズの「旧小滝橋」なんですが 正直怖い。 せせらぎ以外に音は無いし 天気も手伝って不気味な雰囲気。 かわいそうに無間地獄で 間断のない苦しみに責めさいなまれているようでした。  親柱が墓石に見えるし

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いつもはニヤニヤしちゃうせせらぎも「旧小滝橋」を通して聞くと具合いがわるくなってくる 折角保存してくれてるのなら色ぐらい塗ってあげればいいのに 生き恥をさらしているようでとても気の毒。 でもなに色なら塗っても大丈夫かな  うーん なに色も想像できん。  結局、赤錆状態の方が凄みも説得力もあるのかな

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この橋の案内には、こだきばし と濁ったオクリガナがしてあって 明治20年に銅山便道として開削された「小滝路」に、唯一残された鋼製の橋 とアル。 

「旧小滝橋」
竣工 1926年(大正15年)
長さ 26.6m 巾 3.05m 
下路の平行弦ダブルワーレントラスの1連

大正15年だから日本製だと思う イギリス式じゃないダブルワーレントラスは はじめてみた。 一応鉄道橋なのに親柱もあるし 橋梁とも呼ばれてない 鉱山鉄道は何でもアリなのかな 一般的な鉄道会社とは関連するグループも考え方もまるっと違うのかも知れない  橋の左岸側にある「小滝坑跡」の案内看板には、1954年(昭和29年)合理化により廃止とアルので きっと「旧小滝橋」もその頃から使われてない。

いじましいお姿ですが 何にもしてあげられない 自分の小ささを悔やみ 両手を合わせてさよならいった  また来ますから ふてくされずにがんばってください。

この方だけの寄り道だから 当然来た道を戻る 途中、さっきの わんこがキョトンとしててかわいかった 滞在時間10分。 約35分の大回り。 

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国道122号の渡良瀬川沿いに戻るとバックミラーに「第二渡良瀬川橋梁」が映ったから もう一回ちゃんと さよならいった 

小々次郎の全国でお会いしたい橋NO1である この日の最後の橋は、まだここから100km先。急げ急げ

渡良瀬川 その8につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その6
もしかしたら森高さんの吐いた息がちょこっと残ってるかもしれないから 念のために大きく深呼吸をして「渡良瀬橋」で人生4度目の渡良瀬川をわたった。 渡良瀬川を渡るには、この橋が純正品だと思う。 だいぶ押し気味だけど「夕日がキレイな町」を朝の9時47分に眺めた。 でも望みは叶ったから きっと夕日にも負けてない 今日の高くて無味無臭の青空のもと「渡良瀬橋」にさよなら云えた  もう十分すぎるハズだけど一回り大人になれたらまた来ます。

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いとま乞い、今度は右岸の堤防道路で渡良瀬川沿いをのぼる。 日差しが徐々に強くなってきたけど どこまでも見渡せる堤防道路で自分の前には誰もいないし 右手には絶えず悠々とたゆたう渡良瀬川のキラメキ。 追いかけて来る雲だっていない。 いつのまにか両腕にずっしりと風圧を感じ 速度が出過ぎてることに気づいて我にかえる始末。 すこしスピードを緩めると鼻歌がデカかったのにも気がついた おはずかしい。

何度かコンクリティな橋をやり過ごしてしばらくすると 県道68号が渡良瀬川をわたる橋のたもとに 奇形をみつけた なに?なに?だれ

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県道68号の橋は「錦桜橋」。群馬県桐生市の渡良瀬川をはさんで左岸側が「錦町」で右岸側が「桜木町」とアルから 雅な雰囲気はするけど良くやりがちなネーミング。 現在の橋は2002年(平成14年)に新しく架け替えられてる。 この奇形は1925年(大正14年)からそれまで架かっていた2台目「錦桜橋」の残骸を切った貼ったしてできてるオブジェなのかな

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ちょっと形状が違う気もするけど 群馬県のホームページから写真拝借。 

奇形だと思ったのは上の写真からもわかるとおり 使われてる部材の位置と方向、角度がメチャクチャだから  構造は全く関係なしで大体こんな感じ と作ってしまったみたい  部分保存してくれる場合、短くする事はよくあるけど こんなのはじめて見た 

錦桜橋
2009年開催当時の大川美術館案内より写真拝借

地元桐生市出身の写真家「石内 都」さんの写真集「上州の風にのって1976/2008」では この2代目錦桜橋と ご本人とのいい感じの思い出話と 上の写真が掲載されてる  写真をよく見るとランプも当時の物を再利用してるのがわかる

もっとクグってたら 旧橋にたいへん思い入れのある桐生市にお住まいの個人の方が街路灯モニュメントとして製作し、保存してくれていたのがわかった。  うわー 奇形って云ってごめんなさいね

オレもこのぐらい出来るようになりたいと今は尊敬してます  でもこの時は「ヘンなの」と思い 1枚写真を撮っただけで薄情なことをして つつっと行った。 ほんとごめんなさい

また気持ちのいい堤防道路を控えめな速度でしばらく行くと みなもが見えなくなって自然に国道122号にかわった  国道122号は東国文化歴史街道とアル。 ちょっと行って 右、「大間々駅」の看板に反応して右折すると案内通り「わたらせ渓谷鐵道」の大間々駅に到〜着。

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まずいな もう11時になろうとしてる。 この駅は駐車場もいっぱいだだったし たくさんの人で賑わってた この駅で車から鉄道に乗り換えて観光する方が多いのだそう。 駐車場はもちろん有料。 「わ鐵」にしてみれば なんの利益にもならない自分が だまってトイレだけ借りるのも悪いから ちゃんと自販機でお茶買って飲んだよ 

時間がやばいから すぐ出発したけど 駅裏に1本呼ばれてる。  国道122号の旧道と思われる大間々駅前をしばらく進んで 県道338号に右折すると すぐ 自分が思っていたのとは似てるけど違う ド派手な橋を発見

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左側に橋台だけ残ってるのがわかると思います 昭和9年に竣工した旧「高津戸橋」は残念ながら撤去されたあとでした(涙)

「高津戸橋」
竣工 2009年(平成21年)
橋長 87.0m 幅員 15.8m
中路のローゼ 1連

会えなかったのは残念だけど 旧橋は上路式ではあったものの 同じアーチ橋だったので 新橋もコンクリートにはしないで大体あわせてくれたんだと思う 色も同じ赤色だし ひょっとしたら新橋にかわってるのに気づいてない人もいるかもしれないぐらい。  なにより旧橋を思いやるハカライがいいね  群馬県の偉い人に感謝。

「高津戸橋」で人生5度目と6度目の渡良瀬川を渡った。  国道122号に戻って 国道が渡良瀬川に突き当たる先に見える若竹色は「福岡大橋」下路のローゼ。

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国道122号は、この「福岡大橋」を渡らずに 写真左側に直角に折れてつづいていく。 自分は息を整えるように「福岡大橋」で人生7度目と8度目の渡良瀬川を渡り 国道122号に戻ると  いよいよ道は、わたらせ渓谷鐵道と一緒に 上流を目指す細い道になって せせらぎの届く渡良瀬川沿いをのぼりだす

川沿いにのぼり始めた途端 山側の影も手伝って 温度が2、3度下がったのを感じた この時間、車もバイクも結構走ってて渋滞気味。 

それなのに ちらっと見えたんで コンクリートの廃橋を洗濯物干しの場所に使っている ご家庭を羨ましがりに寄り道したり

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わたらせ渓谷鐵道の水沼駅を横目に過ぎて 対岸に1本見えたから 踏切の無いのどかな線路を横断して会いに行ったりして 時間的に余裕ブッコいていたのが、 今思えばいかんかった

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「五月橋」はランガー。 橋上に三脚だけ立ててあって 場所取りをしているカメラマンが木陰に駐車した車の中で寝ていたから 起こさないように渡ってなくて 反対側の銘板を見てきてないので 年代はわからないけど たぶん昭和40年代のはじめ頃だと思う。

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なるほど線路が見える この辺をねらってるのかな  でもなかなか来ない車両を待ってるなんて たいへんなご趣味ですね 自分にはとても真似できません くれぐれも熱中症と寝過ごしには注意してがんばって下さい 

「五月橋」に手だけ振って  そーっと別れた。 国道122号に戻り また渋滞気味にゆっくりと渡良瀬川沿いを上って行くと 国道122号は草木湖湖畔の道になって より湿気をおびてきた 時間も12時をまわってる。 しばらくすると で〜たっ 巨大だけど細身でバランスのいい「草木橋」が さざ波の立つ草木湖に そのキレーな朱色をぼんやりと映していました  まだいい天気。

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「草木橋」
竣工 1976年(昭和51年)
上路のバランスドアーチで3径間

「草木橋」で人生9度目と10度目の渡良瀬川を渡った だいぶ慣れてきて ずーっといい天気だった渡良瀬川沿いだけど ここから先は歓迎されてないのか あかがね街道をいくほどに 雲行きもあやしくなっていく でもここで渡良瀬川徒渉、記念の10度目を踏んだので良しとして 渡良瀬川その7につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その5
その5にして まだGWの2日目(5月4日)で それも午前中のお話なんすが 世間は順調に6月に入ってますね(汗)。 あの優しかった日差しはもう見る影をひそめ、 る どころか 悪意をはらむように成長をつづけ 日曜日の岐阜の最高気温は36℃にものぼりました。 落ち着きの無いクソガキ 待ちきれない子供達は服を着たまま つぎつぎに川に飛び込んじゃうし 河原のお父さんやお母さん達は 瞬く間に焦げるお肉から上る煙と  汗で溶け出した日焼け止めに 目をシバシバさせながら苦笑い。  大変だなと思う反面 ニヤニヤしてる ちっぽけな自分に気づいたのは本当です ごめんなさいね。  口だけで簡単に反省をして 自分は目を瞑り、確かにあったGWの空を見上げて 思い出に浸るように渡良瀬川沿いにもどります ごめんあそばせ

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もちろん「三国橋」にも寄ったけど ずっと堤防の底の道だったから この県道9号上の「新開橋」に来て、やっと水面を見せてくれた渡良瀬川。 はじめましておはよーございます  この辺りは川幅もいっぱいだし意外に浅そうで ゆるやかな流れ  同時に第一釣り人を発見。 

「新開橋」で人生初となる渡良瀬川を渡り すぐ隣にいた東武日光線のワーレントラスを横目に その踏切をわたった。 しばらくして県道9号を離れると たいへん頼りない道になったけど なんとか渡良瀬川から離れないよう 多少強引に 長いこと辛抱強く進んでいくと  道はガタガタだけど堤防に上がれたから ハンドルをとられないように さらに慎重に進んでいった先に いました。  フフフーン  とんでもなくお会いしたかった「渡良瀬川橋梁」が その年齢に見合った白緑色と風格をまとい 大きな体と 大きな器量で ちっぽけな自分を迎えてくれました   いい天気。 

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この辺り、対岸にみえる土手の向こう側に平行して矢場川が流れているから ちょうど「渡良瀬川橋梁」の位置は2本分の川幅があってかなり広い でも渡良瀬川自体はそんなに広くないから 正確に云うと奥に見えるプレートガーター橋は繫がってるけど「矢場川橋梁」で 土手をはさんで手前が「渡良瀬川橋梁」になるんじゃないのかな 矢場川は「渡良瀬川橋梁」から400mぐらい下流で渡良瀬川と合体、晴れて渡良瀬川となる。 

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橋脚も隅石のレンガ積みのままだし 川の流れに抵抗を少なくするために上から見ると両側が尖ったアーモンドみたいな流線型をしていた 古いレンガ積みの橋脚は補強でコンクリートを巻かれてしまう事が多いけど 他所で見ない この形状が長生きの秘訣かもしれない。 

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地元でよく行く 元大井川橋梁の「第五長良川橋梁」や 樽見線の「揖斐川橋梁」、ちょうど去年行った富山県の「新神通川橋梁」と同タイプ。 背筋がシャンとなるぐらい細い やっぱり銘板は無くなってるしね 

「渡良瀬川橋梁」(東武佐野線)
渡瀬駅ー田島駅間
竣工 1914年(大正3年) 
橋長 411m 
下路の曲弦プラットトラス(ピントラス) 62.4mの2連
アメリカンブリッジ製

アメリカンブリッジ社での設計者はクーパーさんだけど 元のドイツ人設計者の名前をもらってシュウェドラートラスってカッコイイ別名もある 支間の中央部が平行になってるのが特徴で19世紀から20世紀の初頭に多く輸入されて全国で92連も架設された高級ブランド品。 プラットトラス自体はプラットさんが特許を取ったんだけど また今度。 ややこしいけどみんなすごい人なのは間違いないです。


シュエドラートラスは特に華奢。 華奢なのに頑張ってる、頑張ってるって 見せないでクールな感じがまたいいんです  色男なのに力持ち。 完璧ですね  


まだ前半なのに 気づくと9時を回ってる 先も渡良瀬川も長いから行かなきゃな   

晴天の広い空間に冷静だけど 雄叫びが響きわたっているようでした この景色は絶対に忘れません。 

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じゃあね  ほんと もう行くね  これからもずーっとクールにお元気で  いつも思っています。 よく見るとコンクリートで巻かれて介護されてる奥の橋脚にも宜しくですよ  さようなら。

湿っぽいのも嫌だから 滲んだ涙がバレないように これ以上後を振り向かず なんとかさよなら云った 


上流の方を向いて またガタガタの道を堤防沿いに進んで行くと「高橋大橋」を発見。 青空と肩を並べる青磁色だから いいヤツなのは間違いない  気温も随分上がってきた

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「高橋大橋」
竣工 1994年(平成6年)
橋長 307.6m 幅員 10.75m

渡河部分が「ランガートラス」とアルけど「ローゼ」にしか見えないけどなぁ  まぁいいや


つつっと行く 「高橋大橋」に誘われて 人生二度目の渡良瀬川を渡る 渡ってすぐの右岸側をのぼり、国道50号の「渡良瀬川大橋」をくぐってしばらくすると 自然に県道8号にかわって走りやすくなった矢先に「福猿橋」を発見。

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「福猿橋」
竣工 1971年(昭和46年)
橋長 291.5m  幅員 7.0m
下路の平行弦ワーレントラス 2連

おもしろい名前だから なんか物語でもあるのかなと思ったけど なんにも引っかかってこなかった つつっと行く。

「福猿橋」で 人生で三回目の渡良瀬川をわたり 一旦渡良瀬川から少しはずれてどこにでもあるような町内を抜け また自然に渡良瀬川沿いに戻ったら すぐ。 これは珍しい「中橋」を発見 高山の赤い「中橋」は有名だけど 文字通り 街の中心に位置してるってことでしょうね

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「中橋」
竣工 1935年(昭和10年) 
橋長 295.1m 橋幅 11m
下路のブレースドリブタイドアーチ 65.7mが3連

キレーな橋だけど甲殻類じゃないかと疑ってしまう まぁ海老とかもキレイと云えばキレイか 天気のおかげで立体感がUPしてる 親柱が交差点とアーチのすぐ前にも 2ヶ所に設置されていた 橋はすぐ見えてるけど警告の為かな 

中橋から上流を見ると おまちかね あの有名な「渡良瀬橋」が見えた 本物だ。  今でもおキレイですが あの頃は圧倒的でした 世代的にも森高ファンなんです(笑)

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広い空とトラス越しの遠くの山々。間違いないです 「中橋」に比べると地味なフツーのワーレントラスなんだけど 歌の中の物語では、これぐらいフツーの方が真実味が増すってもんです さすがです 

下の写真の左端ぐらいが八雲神社。 たまたまなのか休日のこの日は、片側車線を塞いでて 一方通行だった  だからってわけでもないけど 床屋の角の電話ボックスは探さがしてこなかった 

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「渡良瀬橋」
竣工 1934年(昭和9年) 
下路の平行弦ワーレントラス 6連


先の「渡良瀬川橋梁」もそうだけど オレ地図上では、何度も何度も訪れてる場所だから 現実に自分の眼で見てる景色なのに 地図の中に入り込んで想像の物語に参加してるままのような不思議な感覚。 まぁ浮かれてるだけなんでしょうけど。

いい天気にめぐまれて忘れられない景色が増えていく。 渡良瀬川 その6につづく