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  07 ,2014

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その14
ほんとはレールのくせに 今も、袋小路の多い町内で はじめから橋だった顔して とぼけてるんだろうなぁ。  このあと国道17号で通ったけど 隣の熊谷って多治見と並んで最高気温を出してたハズ。 今頃は暑っいよね 熱で伸びてレールだってバレてなきゃいいけど

ちょうど熊谷市役所前を通過する時、見覚えのある街角に 記憶がよみがえった 20年ぐらい前、今はもう無くなってしまった「第一家電」さんのお仕事で 何度かこの地に来た事があった 「第一家電」さんの本社はたしか新宿で、本社ビル内にゴルフの打ちっ放しがあっても そんなに驚かないぐらいのバブル後期。 打ち合わせの最後「いつまでに完成させましょう」と たずねた自分に、「うーんと 春一番が吹く頃まででいいよ」と小粋に答えてくれた オシャレな部長さん お元気でしょうか。

心配していた雨も待っててくれるようで 明るくなってきた空と懐かしさに目が細まり 国道140号に移ると SRは 秩父鉄道と競うように 荒川沿いを上る。 

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しばらくして東武東上線の玉淀駅の方に呼ばれて国道を離れ この辺りだと感じる場所が川原に降りられそうだったから 果敢にチャレンジしてみたけど 道の状態と視界の悪さで これ以上はビビって進めない 情けないオレ。 あの草むらに絶対なにかいる  仕方無いから また玉淀駅に戻って 別のアプローチで こんにちは「荒川橋梁」(東武東上線)。

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「荒川橋梁」(東武東上線)
竣工 1925年(大正14年)
上路の平行弦プラットトラス 47.6mが3連
+プレートガターが2連

結構ぉ古いね 長いことお疲れさまです そう云えば玉淀駅も見るからに古くて、かわいい駅だった だけど写真がない残念。 撮ったと思ったけどなぁ  まぁまた来ます  こっ来れるかな。

県道30号の「正喜橋」で荒川を渡り 県道でもない 田んぼの中の道をしばらく上流の方に進むと 正面の上空をいく 皆野寄居バイパスの大きな大きな「末野大橋」。 

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「末野大橋」
竣工 2004年(平成16年)
橋長 190.0m 幅員 8.5m
上路のアーチ 

アーチだけ赤色にした意味が知りたい やっぱりおめでたいつもり? 浮かれてるのかな  横を見ると そんな気分じゃない「折原橋」。

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「折原橋」
竣工 2000年(平成12年)3月
橋長 129m 幅員 17.2m
下路のローゼ 1連

クールな「折原橋」でまた荒川を渡り バイパスじゃない方の国道140号に出ると 道は 蛇行する荒川に付き合って大回りする。 しばらく進み 左「長瀞駅」の看板をくぐって もうちょっといくと 今度は「上長瀞駅」。 「上長瀞駅」には寄った。

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さっき調べたら「長瀞駅」の方が観光地にむいていて 郵便ポストも例の円柱の古いタイプが置かれて演出が効いてるけど「上長瀞駅」も洋寄りで なかなか素敵でしょう。 と「長瀞駅」を見逃してきた言い訳に聞こえるかもしれないけど 「上長瀞駅」に寄ったのも ついでで 駅前の商店街を抜けて川沿いにでると秩父鉄道の「荒川橋梁」のすぐ横をぐぐれるからなんだけどね

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すぐ横をくぐった時のは 木でよく見えない こんな写真しかないけど 見えるかな 貨物列車通過中。 横着して単車に乗ったまま撮ったのがいかんかった。

「荒川橋梁」のすぐ横の この道に架かってるプレートガター橋をくぐり また国道140号に出て 国道140号の「親鼻橋」で荒川を渡る橋上で 下流側に全貌を確認しました「荒川橋梁」(秩父鉄道)。

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「親鼻橋」を渡った付け根から 河川敷に車ごと降りられて かなりの数の ご家族連れがBBQをしてたけど 炭とか捨てっぱなしだったし ぱっと見、マナーはあまり良くない感じ。 バイクは河川敷使用の清掃協力金を支払らわなくてもいいそうで ラッキーはラッキーなんだけど 掃除する人に悪い気がしてなんかやだなと思った かといって 500円玉をそっと落としておいても掃除する人が拾うとは限らないし。 
  

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 少女も橋を見ていた。  結局、後ろ姿しか見てないけど きっと慈悲深きマリア様のような眼差しをむけているに違いない  橋が好きなのかな  姪っ子達に煎じて飲ませるために 耳かきで一さじ分ぐらい 爪の垢を分けて頂けないものだろうか  なんなら少しぐr 

「荒川橋梁」(秩父鉄道)
上長瀞駅 - 親鼻駅間 
1914年(大正3年) 
上路プレートガーダー
この橋は、イギリス積みで高く4段に積み上げたレンガの橋脚をお楽しみ下さい

逮捕される前に出発。  駐車可能といっても ご覧の様に河川敷は漬け物石ぐらいの大きさのグリ石で SRもガタガタの場所に丁寧に止めてた。 写真を撮って帰ってきたら SRのすぐ後に新しく何台か駐車してあったのはいいんだけど 前から出ようにも 前はちょっと登り坂で 足元も悪い。 こんなときSRは知らん顔して動こうとしないし 逆に力抜いて重くしてるんじゃないかと疑うぐらい。 うんしょ うんしょ とやってたら 見かねたんだろう 若者が どこかから現れてSRの後を押してくれたから すごく助かったし 涙が出るぐらいうれしかった 笑うと目が無くなるニッコリ好青年、あの時はありがとうございました  マナーが悪いって云ってごめんなさいね

国道には戻らずに 県道37号とかで なんとか荒川に近づこうと しらない道を走ってたら見つけた「栗谷瀬橋」。

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オレが胸熱だからか「栗谷瀬橋」もいいヤツそうに見える。 今だったらよく話も聞かずに お金振り込んじゃうかもしれないし おつりもいらない。

「栗谷瀬橋」(くりやぜばし)
竣工 1963年(昭和38年)
橋長 150.36m 幅員 5.50m
下路で曲弦のワーレントラス 2連
+プレートガーター1連

形状からもうちょっと年行ってるんじゃないかと 調べてみたら、元々は群馬県羽生市の利根川に架かってた「昭和橋」だったと 埼玉県のホームページにありました 「昭和橋」は竣工が1949年(昭和24年)だから やっぱりな 

いいヤツだと思ってたのに 14歳も年をごまかしてた どっかのママみたいな「栗谷瀬橋」にさよなら云って しばらく県道を行くと 割とすぐ 見つけた「皆野橋」。

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「皆野橋」
竣工 1935年(昭和10年)
橋長 105m 幅員 5.5m
上路のコンクリートアーチで3連

コンクリートの橋だけど この橋は、東京の隅田川に架かる「白鬚橋」や 確か、お会いできなかったけど長野県の天竜川に架かってた「天竜橋」など 戦前に数々の名”鋼”橋を設計された アーチ橋の魔術師、増田淳大先生の コンクリート作品。 希少価値が高いはずだけど 割とフツーかな イヤごめん でも見て、ご近所のお母さんが今も普段使いしてますよ いいですねぇ

増田淳大先生の事は また今度。(笑)  一回、荒川は渡ったけど「皆野橋」にさよなら云って Uターン。 県道44号のまま しばらく行くと 川面が見えなくなって 次に荒川を渡ったのが 新「秩父橋」だった。

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3代目「秩父橋」
竣工 1985年(昭和60年)
橋長 153m 幅員 10.50m
斜張橋

道も国道299号に自然にかわってる 現橋の3代目「秩父橋」の橋上から下流側を眺めると 2代目「秩父橋」も無事発見。 2代目は歩行者専用の橋上公園として整備されてた

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2代目の少し上流(手前)に残ってる橋脚は 当然初代「秩父橋」のもので 以前は上路のプラットトラスが乗ってたけど トラスは外されて 橋脚だけ木除け杭として立たされたまま。本人はヤだろうけど 見に来るオレなんかにしてみれば 歴史を感じれるし 空間的に初代トラスの大きさも想像できて ありがたいっす

2代目「秩父橋」
1930年(昭和5年)
134.6m
上路のコンクリートアーチで3連

でもまたコンクリートだから つつっと行きます さようなら  国道299号から久しぶりにに国道140号に戻ると 大渋滞。 なんだったかな 芝桜だったかな なにかが見頃で大変混んでた 辛抱強く渋滞を抜けて すぐ ぐらいに 国道140号で荒川の支流を渡る時の橋上、いつもの素早い左右確認で左側にチラッと見えた

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わかるかな 赤いの。  国道上からは、木でよく見えないし そんなに古くない上路のワーレントラスだろうと なんでかこの時 近づかなかったのがいかんかった ほんと大失敗。

今、調べててすごいショックを受けました(涙) 渡良瀬川 その15につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その13
「川島橋」はギリギリ茨城県。  自分の中で茨城県と云えば「水府橋」で、旅の計画をした時点は この日だけ少し距離的にも時間的にも余裕があるように思えたから ちょっと大回りになるけど「水府橋」には寄るつもりだった。 だけど直前でもう撤去された事を知って 廻らなかった ほんとうにギリギリ間に合わなかった(涙) 一応そっちの方向むいて さよならとお疲れさまだけは云ってきた(合掌)

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ナビに任せてても 国道4号は通るだろうと思ってたから 国道4号が利根川を渡る「利根川橋」と その上流側を通る東北本線の「利根川橋梁」にも当然お会いできるつもりでいた。 なのに「川島橋」の次に撮った写真が東武線の「多々良駅」って どういうこと?

「多々良駅」の位置を地図で確かめてみると 国道4号はちっとも通らずに 国道50号を長いこと走って2本とも見逃してきた事がわかった。 それに「渡良瀬大橋」で本当に最後の渡良瀬川を渡ってた事になる そう云えば「高橋大橋」を左側に見たような  なにしろ2ヶ月以上前の事、 メモにも無いし その時の気持ちが思い出せない(涙)

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「多々良駅」は群馬県。 同時に今回よく走らせてもらった栃木県ともお別れだった。 栃木県は、たまたまかもしれないけど オシャレな自転車屋さんがよく目に付いたし 閉店したパチンコ屋さんが多かった 流行ってるパチンコ屋さんはどこも「地域最大級」と看板を掲げ サイズにこだわっていたし つぶれて草ボーボーになってるお店はやっぱり小ぶりだからダメだったのかなぁと見てた。 その中でも絶妙な大きさと駐車場の数のバランスのいい物件は、独立のサインポールもうまく再利用して 西松屋に生まれ変わっていた どう見ても元パチンコ屋さんだとバレバレだけど 出店コストを抑えて その分、商品に反映させている西松屋の企業努力に好感をもった。 でも調べてみたら本社は兵庫県。 単に全国をまたにかけた手練れ集団なのか。  さようなら栃木県 いい道ばっかりでしたよ ありがとうございました

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「多々良駅」が可愛かったから まぁいいし、 途中イギリス積みの橋台も発見して東武線が結構古いこともわかったから良し としようと思ったけど相手が「利根川橋」と「利根川橋梁」じゃ 負けは負けなんだけどね 
でもこの時、この短いプレートガター橋に付いてた銘板の「櫻田機械工業株式会社」の文字に ピンときて 嬉しかったのを覚えてる。「櫻田機械工業株式会社」は前「櫻田機械製造所」。森高さんの「渡良瀬橋」やその隣の「中橋」なんかを制作された名門中の名門なんです

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「川島橋」の次の目的地として、JR高崎線の北鴻巣駅近くの住所を入力してた。 ナビはどうして国道4号を通らずに国道50号を選んだんだろう どう見ても大回りにしか見えんけどな オレにもう一回、渡良瀬川を見せたかったのかな だったらあんまり覚えてなくて悪いことしたな  そんなこんなでやっとたどり着いた その場所に お目当ての橋が見当たらない

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どうも架け替え中のご様子。 ここでSRのご当地ナンバーを見て 声を掛けてくれたおじさんに ここに古レールで出来た小さな橋がありませんでしたかと たずねたけど 「え〜そんなのあるの?」 との事。 単車に乗ってる時に 声を掛けてくれる人は 大抵、昔乗ってた か 乗りたかったけど親が反対したりして乗れなかったって、 聞いてもいないのに教えてくれる この方は後者。 どちらの方も 遠くからよく来たなと 労ってくれる  はいはい気をつけますよ ありがとうございます

おじさんが教えてくれた元荒川っていう川名と 控えてきたすぐ横の会社名は合ってるから この橋は残念だけど 近所に掛かっているだろう兄弟を捜しに再出発。 やっぱり大きな地図がないから結構迷った 迷った

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上流で傷ついたエイリアンが血を流しているのか 奇妙な水の色だけど 地元の方はいつものことのように 水の色に緊張する様子もなく渡っている「笹原橋」。 水の色を除けばかわいい橋だけどね

「笹原橋」
1932年(昭和7年)
上路のアーチ橋で 3連

昭和の初期に、この辺りにはこんなかわいい 古レールで出来た橋がたくさん架けられて 現存してるはずなのに 今回4本しか見てない ただ単に見つけられなかったのならいいけどね
 

忍川(おしかわ)にかわって 名も無い橋。

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かわいい橋その1
1933年(昭和8年)
上路のアーチ橋で3連

天気はなんとか保ってる。 あんまりにもかわいい橋だから 同じアングルのスマポ写真を嫁に送ったら「歴史を感じるね」と今までに無い 色よい返事で すごくびっくりした 熱でもあるのか。 そういえば今まで嫁に送った数々の名橋の写真はどう扱われているのかな 今度抜き打ちで見せてもらおう

この子も名前が無い 

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かわいい橋その2
1933年(昭和8年)
上路のアーチ橋で3連

昭和の初め頃に古レールを建材として扱う業者さんが存在して 流通してたんだそう。 線路としては磨耗して耐用年数を過ぎたレールも この頃は溶かしてではなくて そのままの形状を加工して柱になったり橋になったして再利用されてる  JR有楽町駅のホームの屋根を支えてた柱をなにげなく見てて、 あっこれレールだと気づいたし もうすぐ撤去されちゃうけど 名古屋の神宮前駅に架かる「御田人道橋」は柱もトラス橋も古レールで出来てた よく見るといろんな所で、今もみんながんばってる

もう一本。 この方には不釣り合いに新しい銘板が付いてた 「前屋敷橋」。

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「前屋敷橋」
年齢不詳
上路のアーチ橋で3連

この次の橋も一応、探したんだけど・・・。 GWの真っ最中なのに 先のこの用水路を工事しているようで 通行止めになったり、 U字溝のばけものみたいに大きいのを重機で吊っていたから ひょっとしたら何本かは撤去されちゃったのかな

今まさに歴史が動こうとしてる中、折角会えたこの方達だけでも 少しでも長くつづいていきますように 祈ります たぶんもう来る事はないと思うけど いつも、いつまでも思っていますよ  さようなら



渡良瀬川はもう飽きた けど たぶんあと2〜3回だから頑張る。 渡良瀬川 その14につづく




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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その12
この感覚だと きっと おしりは横にも割れてる。 足の付け根はガチガチに固まってて無理に動かすと カクンカクンっていうし 腰から下が自分のじゃないみたい なのに 顔は不本意に ぬふぁふぁ と笑いの形になってしまう  たぶん無事到着した安堵感を表現してるんだと思う。 実にいっぱいいっぱいだった自分を 人気があって、あか抜けた健康ランドの 本日のお湯、 「菖蒲湯」が 時間をかけて だいぶ元に戻してくれた たいへん助かりました ありがとうございます
おまけに中の居酒屋さん、特に魚料理がおいしかったし 宇都宮餃子もはじめて食べれて 大満足。 ニラが決め手なんですね

翌朝、5月5日の午前5時18分。 誰かの悲鳴と地震の揺れで目が覚めた

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カブ先輩 おはようございます 結構ゆれましたね 自分、正直びびりました あなたもSRも倒れてなくてよかったです あんな中 ご主人はまだ寝てるんですかね 心細いかもしれませんけど 自分達は今日も急いでますんで お先に失礼しますよ

空は予報どおり いつ降り出してもおかしくないくらい曇ってるけど キックは1発。 ちょうど6時02分に出発。 宣言通りパッチは履いてるけどそれでもちょっと寒い。  昨夜はわからなかったけど 結構都会な宇都宮の駅前を抜けて 東北本線の高架をくぐり 国道123号で まず益子駅の方に呼ばれてる   途中、鬼怒川を渡るとき 上流側に問題なく見つけた 本日の橋一本目。「鬼怒橋」。

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間違いなく旧国道で 一時期は川幅のある鬼怒川をメインで担当されていたんだと 思うけど 150m下流のすぐ横に 頑丈な新橋が出来て国道の名を奪われたからか 曇り空も手伝って なんだか あきらめ顔。 

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当時は渡船でしょうけど 水戸の黄門様も通ったことのある 由緒ある場所。 それに15連も連なる 曲弦のプラットトラスは 他所で なかなか見ないし あなたは誇り高きトラス橋なんだから あきらめないでください

「鬼怒橋」
竣工 1931年(昭和6年)9月
橋長 559.4m 幅員 6.4m
下路の曲弦プラットトラス 36.6mが15連

もう雨が降ってるんじゃないかと錯覚してしまう 水戸黄門通り(仮称)。 うっかり「鬼怒橋」には さよならを云い忘れたけど その、のったりした巨体で たっぷりと鬼怒川を渡たらせてもらい 国道121号に移ってしばらくすると ちょっとややこしい町内に入っちゃった。 だけど ナビの云う事を素直に良く聞いてたら 無事、益子駅に到着。 だいたいナビは正しい事しか云わない

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まだちょうど朝の6時57分で 人もいないから大胆に駐車して記念撮影。 束石がやっぱり大谷石で出来てるし 奥の大きな壷は益子焼なんでしょうね  初日に食べた「峠の釜飯」の釜は この益子焼だとあった。 「峠の釜飯」があれだけ流行っていたから 益子焼も安泰だね 関連のあるこの辺りの方達は 決して碓井峠に足向けて寝ないようにと 小さい頃から 言い伝えられてるんだと思う

益子駅の位置がわかれば もう簡単。 方角の見当を付けて進むと いました「小貝川橋梁」。

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ちょうどいい感じに 錆がうっすらとまわり 曇り空にも なじんでたスカイブルー。 こんな歳のとり方も素敵ですね  昨日の朝一番にお会いした マリリンモンローのルージュ色の「見沼代用水橋梁」と同タイプ。 色で180° 印象が違う無上の例。 こうやって見ると考えさせられる。 自分の「いろ」ってなんだろう そもそもあるのかな。 「グンジョウ イロ キレーイ」って叫んでた人は個性的だったなぁ

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「小貝川橋梁」(真岡鐵道) 
北山駅 - 益子駅間
竣工 1913年(大正2年)転用された年。 制作は明治期
橋長 42.90m 
下路の平行弦ポニーワーレントラス(ピントラス) 29.97mの1連

小貝川は、よく氾濫を起こしたそうで 後に 洪水の水位の上昇に対処するために橋台、橋脚の嵩上げが行われたとアル よく見るとレンガで積んだ橋台、橋脚の上部を コンクリートで上手に固めて 高さを上げてあるのがわかる

下の写真は「小貝川橋梁」のすぐ益子駅側に架かってるプレートガター橋。 嵩上げ具合は、こっちのがわかりやすいかな

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真岡鐵道には、同タイプの橋梁がもう1本存在する。 「小貝川橋梁」には それなりにさよなら云って すぐ近所のそっちに向う。

今まさに田植えをしている 畦道を遠慮がちにストトトトーと通らせてもらった  国道294号に出てしばらく進み 真岡鐵道の線路を渡ったすぐ。 いました  一面の田園風景に シレッとたたずむイギリス人。 なんでこんなに田んぼが 似合うの「五行川橋梁」。 本当にイギリス人?  もう日本も長いもんね。 なになに?「ミト ナットウ モ ダイスキデース。」 あそう

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この「五行川橋梁」も「小貝川橋梁」も C.A.W,ポーナルさんの設計。 ポーナルさんは日本の幹線鉄道のために御尽力頂いた英国人技師長(当時の名称は建築師長)在日期間は 1882年(明治15年)~1896年(明治29年)。「五行川橋梁」には無いらしいけど「小貝川橋梁」に1894年パテントシャフト社製の銘板が付いてる ちなみに「見沼代用水橋梁」とも同じ制作会社。

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元々みなさん 日本のどこかの幹線鉄道の「なんとか川橋梁」だったんだけど 「五行川橋梁」と「小貝川橋梁」は真岡鐵道に、「見沼代用水橋梁」は秩父鉄道に里子に出され だまって今の地について ふて腐れる事無く 今まだ頑張りつづけています 橋も人々の生活もそういう時代だったんでしょうか 

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「五行川橋梁」(真岡鐵道)
北真岡駅 - 西田井駅間
竣工 1913年(大正2年)転用された年。 制作は明治期
橋長 42.71m 
下路の平行弦ポニーワーレントラス(ピントラス) 29.98mの1連

あなたが以前はどこに居たのか知らない世代ですし 田舎もんあつかいする気もないけど きっとこの場所の方がバッチリ似合ってますよ  今度は田んぼが黄金に輝く頃に またお会いしたいです  どうかいつまでもお元気で さようなら

オレが境遇を嘆いてるわけでもないけど 自然に鼻歌が「赤とんぼ」にかわって 今にも鼻をすすりそうな空模様に気を使いながら 国道294号をしばらく南下。 いつ雨が降りだしてもいいように、用心して国道沿いのエネオスで満タンにしてもらった 雨が降りだしてカッパを着ると 食事をするのも大変でめんどくさいから もう宿まで食事をしないつもりで 自分も念の為に エネオスの反対車線側にあった「山田うどん」に入店。 今回いろんなところで見かけて気になってた 調べてみたら やっぱり関東にしかないチェーン店。

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まだ朝の8時半頃だけど 営業していて この時間帯でもモーニングメニューだけでなく 全メニュー対応との事。 メニュー表を見ると ラーメンでもなんでもある。 ちょうどベトナムにある和食店はどこもこんな感じのラインナップ。 でも店名にあるから  うどんとかき揚げ丼のセットを注文した。 コシのあるうどんも好きだけど クタっとした このうどんも大好き かき揚げ丼は卵でとじてあったから こっちもカラッとはしてないけど 間違いのないお味。 安いし 近所にあったら週2は通ってしまいそう いいお店ですね
 
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初めてだけど馴染みのあるように感じたのは 濃いめの味付けのおかげかな 名古屋人にはウケると思うけどな ごちそうさまでした。 


まだギリギリ雨は降ってないから カッパを着ずに そのまま再出発。 国道294号から国道50号に移って しばらくすると国道は鬼怒川を渡る 2本並んだ反対車線側の橋が割と古そうに見えたので 先をUターンしてもどり その橋で鬼怒川を渡った 

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「川島橋」
竣工 1951年(昭和26年) 
橋長 447.2m 橋幅 5.5m
下路の曲弦ワーレントラス 3連

今の国道50号は、上りと下りが別々で 一方通行だから 結局さっき渡った隣の橋でまた鬼怒川を渡り直おすと 2014年のGW 鬼怒川ともこれでお別れ。 予定していた鬼怒川温泉近くの名橋を時間の問題でスルーしてきたから だいぶ中途半端になった鬼怒川沿い。 またお邪魔しますね

今度は鬼怒川をメインにして 新潟から阿賀野川沿いに会津に出て 会津若松から 会津鉄道と並走して 最上流から鬼怒川沿いを下るコースを考えてみようかな

いつかの鬼怒川沿い完全制覇を夢見て 渡良瀬川 その13につづく



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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その11
「小々次郎か!!」

わりと最近でも、 転車台が見たいがために 雪を押しのけて出かけて行った「梅小路蒸気機関車館」は休館日だった  まぁ それは よく調べてない自分が悪いんだけど 「蝉丸橋」もそうだし、 楽しみにしていた「九条跨線橋」にだって足場が架かってた  あの時は橋だけじゃなくて 清水寺にも平等院にも足場を架けておく念の入れよう。  行く先々の足場が視界を曇らせる 雨男ならぬ「足場男」。 あれっ 職人さんっぽくて ちょっとかっこいい?  それはおいといて、 時代の流れで 架け替えられる橋を見れないのは仕方ない事だけど 存在しつづけてる橋に足場が架かってる期間は、長い歴史の中でいったら すごくすごく短いはずなのに ピンポイントでお邪魔しちゃう残念なオレ。(涙)  自分でツッコミ入れたけど メンテナンスしてもらってるんだから強い事も云えないしね  また(涙) 

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へー  ライトアップ用のサーチライトには ペンキが垂れても大丈夫なように屋根がかけられてる  逆にこんな姿はなかなか見れないから ひょっとして 広い意味で云うと 運はいいのかな。   あーでも、鉄なのにしなやかで のびやかな感じ  やっぱり素敵だ「晩翠橋」。

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この支承なんて 枝をガッシリと鷲掴みしてるようでもありながら  いつでも飛び立てるように力が抜けてる状態のイーグルの足みたいで スゲーかっこいい  できるなら 甘噛みされてみたい  甘掴みか。

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今の「晩翠橋」は5代目。たもとの案内板には 歴代の「晩翠橋」や ライトアップされてる夜景、建設中の当時の白黒写真なんかが掲載されてて とっても読み応えがあったから この案内板だけでも見に行った甲斐があったってもんです

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奥に4代目が写ってる。 桁と橋脚は無くなってるけど 4代目の橋台は今も残ってた  よく見えないかも知れないけど この時代の建設足場は木で、作業員はヘルメットじゃなくて カンカン帽みたいなのしか かぶってないように見える し 胴綱もつけずに鉄柱の小口に人が立ってるのがわかる衝撃写真  お 恐ろしや どうか「晩翠橋」が誰の血も吸っていませんように 

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そう思うと 今の足場は見た感じ コストはかかるだろうけど しっかりしてて安全そう 「安全第一」になったのって いつ頃からだろう  それまでは何が第一だったのかな うわ ちょっとゾッとした。  セ○ムとかもそうだけど 安全安心が高額なのはわかってる そりゃ4452万円ぐらい掛かるはず

奥に見えてる 真っ赤な照れ屋さんは 東北本線の「那珂川橋梁」1919年(大正9年)竣工の 上路のプラットトラス。 と ついでに紹介するような方じゃない立派なご老人。  でも 撮った写真の中では これが一番写りがいい 残念。

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暗くて、半分ぐらいしか見えてないけど プラットトラスがよくわかるのは こっちの写真かな。  それで、これが残っていた 4代目の橋台。 1921年(大正12年)の竣工で、 5代目「晩翠橋」が架けられたのは昭和7年だから 11年しか使われなかった 影の薄い方。  使われなくなってからの方が長くなって 役立たずの自分がいまも居座りつづけてるのを恥じているようで  ちょっと気の毒。

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でも大丈夫。 5代目を眺めるには 4代目の橋台からが 一番よく見えるから ちゃんと役にたっていますよ

「晩翠橋」橋」
竣工 1932年(昭和7年)
上路のブレースドリブ バランスドアーチ 3径間


恋こがれて 何度も夢に出てきた麗しの君 やっぱり めちゃめちゃきれいな橋でした。 案内板にもあったけど 晩翠 は、冬になっても木々の緑が変わらない って意味らしい  何年経っても、冬になっても、足場が架かってても「晩翠橋」の美しさは変わらないって事で 間違いないです  化粧を直した姿を拝見しにまた来ますね  うーん さようなら


Uターンするとここからは帰路になる  結構スピードがのる 国道4号を寒さにに耐えながらひた走る。 走り出して15分もしないうちに すっかり日も沈んだし ますます寒くなって 明日は雨も降る事だしパッチを履こうと誓った  しばらくして真っ黒な鬼怒川を渡るとき 並走する東北本線「鬼怒川橋梁」のポニーワーレントラスが白っぽくぼんやりと浮かび上がっていたけど もう 寄らずに 手だけ上げてさよならした  また今度。

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宇都宮駅前にある 本日のお宿の健康ランドに到着したのは 20時ちょっと前 今日もよー走った。


長かった2日目がやっと終わたから良しとして 渡良瀬川 その12につづく


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Category: 2014年05月03日 渡良瀬川

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渡良瀬川 その10
巡る季節の中で あなたは なにを見つけるだろう。

人の気も知らずに 世間はオレに内緒でもう7月に入ってる  すでに2ヶ月も前の事だけど 今回、まだ5月4日の15時ぐらいからの話で(汗) 2014年のGWも あとまるまる2日分は残ってる(涙) この調子だと終わるの セプテンバーラブ? ほんとやばい 完結する頃の 巡る季節の中で 小さい秋 とか見つけたくないな  梅雨はいつ明けてもらってもいいけどね


渡良瀬川とは再会を約束して おわかれした。 上の方の渡良瀬川沿いは 天気のせいもあるけど この時期ちょっとひんやりとする癖がある 新緑を卷く風の匂いが湿気っていたり、意外に地味なせせらぎの音。 地図でしか知らなかった平坦な道が たいへん奥行のある 思い出にかわった。 

でももう15時。 ちょっと急ぐ。 国道122号に戻って ビルにしか見えない日足トンネルの入口をくぐり細尾峠を越えると 完全に足尾町ともお別れ。 長いトンネルを抜けて 国道120号とのT字路を左折すると日本ロマンチック街道。 その いろは坂を攻めると華厳滝や中禅寺湖がある 予定では当然チャレンジするつもりだったけど 日没まで3時間をきっちゃてるから涙を飲んで右折した。 決して腰が引けたわけじゃないよ まぁ元々ロマンチックでもないし。

右折した国道120号はロマンチック街道じゃなくて ただの清滝バイパス。 ただの清滝バイパスの国道120号をしばらく進むと 国道は大谷川に注ぎ込む荒沢を渡る。 そのなんでもない国道の橋上で いつもの素早い左右確認のとき  左側にみつけた。

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見えるかな  オレには廃橋がはっきりと見えたから ちょうどこの先で廃業してるガソリンスタンドにSRを停めさせてもらって 私有地のギリギリまで近づいてみた  もう自然にかえりつつあって ご自身も受け入れているようだけど ちゃんといました「荒沢橋梁」。

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この橋は1968年(昭和43年)に廃線になった 東武日光軌道線の成れの果て。 この場所で大正8年と昭和14年、昭和23年の3回も電車事故が起こってしまい 沢山の犠牲者を出しました 3回も事故を起こして縁起が悪いからか「荒沢橋梁」から「安良沢橋梁」と漢字をかえた ともあります  現場ではかなりぞくぞくっとしたのを覚えてる

「荒沢橋梁」(旧東武日光軌道線)
 日光町駅 - 馬返駅間 
開通は1910年(明治43年)
上路の3ヒンジソリッドリブアーチ 1連

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停めさせてもらった廃業しているガソリンスタンドの防火壁には 懐かしい星マークとCALTEXの文字がスケスケ。 って事は旧日本石油ですね  ESSOのペガサスとか、この年代のアメリカのガソリンスタンド関係のデザインがすごく好き でも 時間はどんどん過ぎるから つつっと行く。

「荒沢橋梁」には ちゃんと両手を合わせてさよなら云った。  荒沢を渡ると国道120号は清滝バイパスから 日本ロマンチック街道に名前を替えてしまうので 精一杯ロマンチストなフリをして しばらく進むと  今度は、やっぱり 大谷川に注ぐ田母沢(たもさわ)を渡る。 その国道の上りと下りの道路橋に挟まれてた「田母沢橋梁」も無事発見。

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この方も旧東武日光軌道線の橋梁。 さっきの「荒沢橋梁」と全くの同タイプ。 なんだけど 結構渋滞してるし居心地悪そうだね  めんどくさいからヘルメットをかぶったまま 渋滞する車の間を歩いて中央分離帯の「田母沢橋梁」まで来たけど 沢に降りてみようと さらに反対車線も手をあげて渡った もちろんヘルメットをかぶったままだから みんな なんだなんだ?って 顔してて おもしろかったけど 沢に降りるのは この日一番の勇気がいった

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勇気を出した甲斐あって 降りて見ると なにここ 上とは別世界じゃん 田母沢のせせらぎも ちゃんと聞こえるし 新緑達は下でこっそり笑ってた  なにより「田母沢橋梁」が楽しそうに見える 実は居心地いいんだね   オレも対岸の橋台前の平地にテントを張って 一日一緒に過ごしてみたいな  雨が振ってても いいかもね

「田母沢橋梁」(旧東武日光軌道線)
 日光町駅 - 馬返駅間 
開通は1910年(明治43年)
上路の3ヒンジソリッドリブアーチ 1連

この写真だと中央のヒンジがよくわかると思います あと両橋台にもヒンジがついてるから 3ヒンジ。とっても個性的な方なんです

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ちなみに道路脇のこんなところを降りてきた ウフフ。  ダメだ そんな場合じゃない  ウットリしちゃった自分も幾分か悪いけど「田母沢橋梁」のせいで また凄く時間をくってしまった し 日光東照宮渋滞がハンパない。 予定では図々しく日光東照宮も見学しようと思ってたけど スルーするしかなくなって 鬼怒川温泉に向う沿線の5本にも 呼ばれてたけど 日没が心配で あきらめた。  すべてを捨てて愛に生きる歳でもないけど 愛しいあの方に会えるなら これぐらいの犠牲フライは覚悟しなきゃな。  まぁ日光東照宮は改装中だっていうし 華厳の滝や鬼怒川温泉には 嫁と激安バスツアーで来れる機会もあるでしょう。と負け惜しみ ブツブツ云いながら 国道461号の日光北街道を北上。  えーっと 「たちサル」。

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国道4号に移ってさらに北上をつづける さっきからいろんな所で見かけるけどこの辺りは蔵が大谷石で出来てる 頑丈そうだなと思って見てた。

「田母沢橋梁」から一回も休憩しないで 黙々と? ブツブツと走って来た甲斐あって「右 那須塩原駅」の標識をくぐったのが 17時20分ごろ この日の日没は18時30分だから なんとか間に合った もうちょっとだけ国道4号を進んで 「左、那須塩原市街」県道303号の道路標識に従ってしばらくすると たいへんお待ちかねの「晩翠橋」が待っててくれました 実に自宅から670km。遠いよ もう 会いたかったよぉ

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まずはSRと「晩翠橋」で那珂川を2往復した 幸せって なるもんじゃなくて感じるものなんだね 「晩翠橋」は上路のアーチ橋だから その美しい鋼アーチ部は川原に降りないと見えない あなたの存在を知って惚れたのはいいけど 遠すぎるから一生会えないだろうと思ってた でもいろいろ努力して なんとか4日間の休みが取れたから2日かけて会いに来て2日かけて帰る道程を計画できた。 そう 今回はすべてはあなたのため イヤいいんですって フへへ

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立て看板の裏に 川原におりれる階段を見つけた  さすがに文化財、こまめなメンテナンスをしてもらってるようで一安心。 みんなにも愛されて大事にしてもらってるね しかし塗り直してもらうのに4,452万円もかかるのか 栃木県のえらい人にも何かとご心労をおかけします




ドキドキしながら 階段を何段か降りてみると

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あれ  なんだこれ  ちょっと頭がまわらない  えっ 塗装工事?  今日ってゴールデンウイークだよね なんで今日に限って足場が架かってるの?  ひょっとしてライトアップは?  なし?(大泣)

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天気はもった。 いろんなことをあきらめて なんとか日没にもまにあったよ  この奇跡の道程だって 改善された日頃の行いの賜物。 うそだ  うそだ  うそだ  どんな星のもとに生まれたら こんな事になるんだろう(涙) 



現実を受け止めることができないまま  渡良瀬川 その11につづく