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  04 ,2017

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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淀川後編 その2
週末はご機嫌ナナメ。 な お天気がつづくこちら地方ですが 平日はあたたか だったりしたので「木曽川堤サクラ」は一気に満開になり 雨上がりの日は 風も強くて もうだいぶ散ってしまいました。 まるで自分を避けるようにこっそり咲き、目の前で見せつけるようにハデに散る。 この先 サクラと自分の関係性が改善されることはあるのでしょうか 本当に3度目は正直なのでしょうか(涙) 仕方がないので また ため息をつき 下を向いて花びらを数え 蕾もなかった春分の日の空を見上げます。

連休初日に都会に行くもんじゃないね 渋滞のおかげで「瑞光寺」を後にしたのは16時近く。 それでも もう一軒、気になっていた「お寺」に寄り 「新淀川橋」で淀川を渡って 大阪の街を縦断、 「新今宮駅」近くの 本日のお宿に到着したのは17時を少し回ってた

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翌朝7時16分

来た時は1階から入場したから 気づかなかったけど 健康ランドの2階にあるエントランスで振り返ると おぉー 初めましての通天閣 おはよーございます イメージではチンピラみたいな塔だと思っていたけど 実際に会ってみると以外と無口だし キチッとして背も高く 賢そうだった。  勝手に悪いイメージ持ってて ごめんなさいね  気になって漢字の意味を調べてみたら 通天は「天に届くこと。また、それほど高いこと。」 閣は「御殿・見晴らし台など、高く構えた建物」 とあった うん、とっても普通。

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通天閣と和解して キック一発 出発して 150mぐらい 「新今宮駅」の これはなんの部分だろう 跨線橋じゃぁないな ただの通路かな が!珍しい 「ハウトラス」だった 分格まで入ってる カッケー。  でも近くに自分より少し上ぐらいのおじさんが頭を上下になんども頷くように振ってブツブツ言いながら立ってたから ちょっと怖かった 絶対酔っ払い。 自分も人のこと言えないけどね  おじさんと目が合わないように こっそりと京セラドーム方面に向かう。 

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ナビの云うことを聞いて 新なにわ筋を北に向かい 頃合いを見て左折すると さっきまではコチコチに冷たかったであろう「大浪橋」が 朝日を浴び 目を細めて 弛緩しはじめていました おはようございます

「大浪橋」
竣工 1937年(昭和12年)3月
橋長 81.5m 幅員 21.7m
下路ブレースドリブタイドアーチの1連


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「大浪橋」で木津川を渡る橋上で 上流側のすぐお隣に 確認しました 大きな「木津川橋梁」(JR西日本大阪環状線)が磯の香りがする木津川を一跨ぎ。 新しく白く塗ってもらえたからか 斜めに架かっているからなのかな このダブルワーレントラスはアーガイル柄が素敵。

「木津川橋梁」(JR西日本大阪環状線)
芦原橋駅-大正駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 106m
下路ダブルワーレントラスの1連

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振り返って さっき渡ってきた「大浪橋」 の全貌。  両方ともにさようならを云い 方角を頼りに大正通りまで出て 高架の手前を左折すると この時間はのれんが掛かっていないけど 魅力的な高架下の飲食店を横目に 線路沿いを遡ること200m。  大きな船のような「岩崎運河橋梁」がこちらに船首を向けていました

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「岩崎運河橋梁」(JR西日本大阪環状線)
大正駅-弁天町駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 91m
下路ダブルワーレントラスの1連

以前来た時は さっきの「木津川橋梁」もこの「岩崎運河橋梁」と同じ松葉色をしていたんだけど 「岩崎運河橋梁」は塗ってもらえない 同じ会社で 同い年で 同じような体格をしてるのにね 朝晩の冷え込みは塗料一枚でも違うだろうに お気の毒さまです(涙)


「岩崎運河橋梁」から尻無川沿いをまた遡ること80mぐらい先にもう見えています すっかり主役の座を白鳥に奪われている「尻無川橋梁」。

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「尻無川橋梁」(JR西日本大阪環状線)
大正駅-弁天町駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 46.04m
下路ワーレントラスの1連 他

やっぱり「岩崎運河橋梁」だけひどいイジメにあっています(涙)  「岩崎運河橋梁」も今は尻無川を跨いでいることになってるけど 「尻無川橋梁」はどっかの駐車場にあって川さえ跨いでいない 上から見るとこの辺りだけ川の形が変だし 「岩崎運河橋梁」が架かっている辺りは妙にまっすぐになっているから 川の形を無理くり変えたのがわかる  まぁ しょげないで お元気でいてくださいよ さようなら


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一方通行だから ちょっと雰囲気のいい港町を大回りしていたら バイクさえ入っていけない細い袋小路に いじめられっ子がちょっとだけ見えていた いつもは白色がいいって云ってるオレだけど ここから見る「岩崎運河橋梁」は松葉色がいいって思った(本気)


やっと淀川に向かいます 淀川後編 その3につづく


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淀川後編
今年はサクラが遅いです 昨日の木曽川堤サクラは 咲いてる木は咲いてるけど全体的には まだ三分咲き程度 春なのにね。

春なのに、 前日から大きな低気圧が停滞していて 当日は最低気温が3.6℃まで下がってた。 おかげで 軽くだけど二度寝したから 出発が7時をちょっと回ってしまった 花冷えの春分の日。(3月18日)  噂どうり大阪に行ってきた。

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春なのに 吐く息は白いから 思い切って ウインターグローブを選択。 天気もそんなに良くない 花曇りの国道22号、「新木曽川大橋」に取り付けられてる温度計は4℃を示していた。  スピードが乗る国道21号に合流すると 自分たちの影の方が少しだけ前を走る。 しばらくは日の温かみを背中に感じていたけど 関ヶ原の長い下り坂は まだ路面が濡れて光ってたから 頭の中で黄色い2つの回転灯が動き出して 冷たいビビリーセンサーはちゃんと感応した。

国道8号に合流して 米原駅の青いワーレントラスの跨線橋を横目に しばらくすると ムーミン谷に通じる 入り口の街に建っていそうな 近江鉄道の「鳥居本駅」を発見して寄ってみた

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今まで何度となく通ったことのある国道8号だけど 初めて気がついた。 調べてみたら「鳥居本駅」の一日平均乗車人員は年々減少していて 2012年では140人ってことだから 今頃は100人もいないんじゃないかな  なんにしろ昭和6年からずーっと動かずに建っているわけだから もう少し早く見つけてやればよかったなと ごめんなさいして 再出発。

この辺りの国道8号線沿いは特にラーメン屋さんが多い。 しばらくすると「愛知川橋梁」がいるんだけど 年末年始に膝を突き合わせて挨拶してきたばっかりだから 今日は敬礼だけしてスルーした。 同じ理由で京都の街は信号待ち以外に足を地面につけてない

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それでも すごく渋滞していたから 予定より2時間以上遅れて 大阪茨木の「ねじりマンポ」に到着。 上を通るのはJR東海道本線。 東海道本線の大阪-京都間の開通は1877年(明治10年)だ そうなので竣工もそうだと思うし これは鉄道のために造られたんだから トンネルじゃなくて橋梁だと思う この写真では 全然、ねじりマンポ感は伝わらないけど 実際は計算し尽くされたレンガの配置や数の多さに気が遠くなるほど 緻密。 現場で何も考えず 力まかせにレンガを積んでたんじゃ こんなに完璧な仕上がりになるはずもない 古いものだけど いつもみたいに怖さはなく エネルギーを内包しながらもクールな美しさを感じました。 ポーナルさんが来日する前だけど平積み部はイギリス積みだった フフン。

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そんな名もない「細道橋梁」をくぐり 堤防を挟んで すぐお隣にお見えになります 「元茨木川橋梁」。 元茨木川とアルけど川じゃなくて道路をまたいでいる。 今の「元茨木川橋梁」が架かった当初は文字どうり元茨木川をまたいでいたけど 元茨木川は昭和24年に廃川となって 今は、元茨木川をグリーンベルトとして「元茨木川緑地」ってサクラが綺麗な公園に整備されていた。 桜の木も写ってるけど この時は蕾も見えない 今頃は賑わってるのでしょうか

「元茨木川橋梁」(JR西日本 東海道本線) 
摂津富田駅-茨木駅間
竣工 1912年(大正元年)
橋長 28m
下路のポニーワーレントラス
橋台はやっぱり1877年(明治10年)の竣工のようです

奥に写ってる 上り線たちにも さよなら云って再出発 また伺いますね。  家を出る時は、大阪の天気予報は”ハレ”って云ってたのにどんどん機嫌が悪くなってきて 気温も上がらないから ウインターグローブを選んで間違いなかったし  春なのに涙がこぼれます。 

県道じゃないや 府道の15号で「安威川」を渡り 16号に移って「神崎川」を渡ると 小学校とかもある住宅の込み入った町内に「瑞光寺」はありました 

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手水舎で一連の作法を行い「雪鯨橋」で「弘済池」を渡って 振り返ってみた「雪鯨橋」。墓石の下で ツボに入って直視しないで済むならまだしも ”骨”むき出しですからね 現場はかなりゾクゾクっとします  こちらの四代目の住職さんが 捕鯨で生計を立てていた和歌山県の港町に遊びに行った時に 豊漁祈願を頼まれてしたら 本当に豊漁になって お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進されてしまったから 住職さんが供養のためにクジラの骨を使って橋を造ったことが、「雪鯨橋」の始まりとのこと。 もしオレのところに骨を18本も持ってこられたら 強い意志を持って 何が何でも断ってやる 30両も もちろんいらない。

気味が悪いだけで 怒ってはいません 春なのにため息また一つ。

淀川後編 その2につづく