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  01 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その2
「新豊橋」に影を落としていた大きなマンションと隅田川の間には 赤いアスファルトで遊歩道が整備されていて 朝からジョギングしている人や Kさんよりもっとしっかりした いわゆるロードバイクの人達が 朝日を眩しそうにしていた。 大きく右に曲がっていくように見えた隅田川は もっとも荒川に近づいた地点でもう一度右にカーブしていき 半径300mぐらいの半円を描くことになって その半円の終点に「としまばし」も 水面とそんなに離れない位置に 若々しく架かっていました

PC310122 2

奥に見えている「首都高速中央環状線隅田川道路橋」が 我関せずと隅田川をしなやかに跨いで行く 上弦も下弦も利用して 上路プラス下路 ダブルデッキのワーレントラス。

PC310126.jpg

もう少し右に振ると「五色桜大橋」もいるんだけど「五色桜大橋」は荒川なんで今回は割愛。「豊島橋」の橋上で振り返ると 半径約300mの半円を描いた隅田川と荒川の堤防がもっとも接近したあたり、「天狗の鼻」とよばれる場所に鎌倉時代からつづく「六阿弥陀の渡し」(豊島の渡しとも)があった場所。 そこに1925年(大正14年)木橋の「初代豊島橋」が架けられ またそれも老朽化によって 1960年(昭和35年)に下流の現在の位置にゲルバー式鋼製桁橋の「2台目豊島橋」が架けられました
 
豊島橋

上が現在の地図 「3代目豊島橋」

「豊島橋」
竣工 2001年(平成13年)
橋長 106.7 m 幅員 15.0 m
下路のローゼ

旧豊島橋

図177-2 豊島橋、江北橋付近(1961年3月)出典:KT611YZ-2-247(1961年3月)国土地理院より拝借

1961年の航空写真には初代と2代目が同時に写ってる 現在団地になっているあたりで白く光っている大きな工場の屋根は「日産化学王子工場」で さっきの「新豊橋」が架かってるあたりから すげー煙吐き出してるのが「東伸製鋼東京製造所」とのこと。 この煙は高炉の煙なのか オレですら生まれてないけど イケイケな昭和の風景が見えます


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「豊島橋」で隅田川を渡り 今 地図で見ると Kさんとならいけそうな隅田川沿いの遊歩道は「左岸防潮堤耐震補強工事」のため この期間、この区画だけ封鎖されてたのか  現在位置からは「左岸防潮堤」と隅田川に沿って下ること 1k弱。 
 
なごりの川霧に艶をもらった「小台橋」が 冬空に輝きはじめていました 

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橋の中の両サイドに歩道があって 川側じゃなく車道側に水勾配が切ってあるのは桁に堰き止められてるからだろうな 欄干の縦格子一本一本に桜の花びらが彫ってあったし 片側2箇所、計4箇所に「納屋橋」ばりのバルコニーが設置してあるから この橋は急いで渡るんじゃ もったいない 一歩に3秒ぐらいかけて バルコニーではテーでも飲みながら 隅田川の水面に心の淵を映して ぼんやりと優雅にお過ごしください

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親柱のランプも橋上の街路灯にもバロック建築あたりの雰囲気があるし 歩道には銀杏の葉型にくり抜かれた大理石が敷かれ 車道と歩道の間の欄干にも銀杏の葉が形どられてるのとか 独創性にあふれてる 一見似たような作りの「豊島橋」とは明らかに予算が違うな  調べてみたけど「小台橋みずき通り」が「パリのなんとか通り」と姉妹提携しているっていう噂も聞こえてこなかった

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バルコニーから下流側を見ると「尾久橋」と よく見えないけどその奥「日暮里・舎人ライナー隅田川橋梁」が とりすました水面に影を滲ませていました。 

「尾久橋」
竣工 昭和43年(1968年)5月
橋長 431.0m 幅員 24.0m
3径間連続鋼床鈑箱桁橋

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南詰めの上流側には この状態で空を見ると腹筋一番辛いんじゃないかな?  頑張っている「空を見る少女」像がマゼンダピンクのかわいい花に応援されていました 寒いのを我慢すれば今日の空は見上げるのに打って付けだけど 雨の日もあるよね

でも瞳を覗いてみたら 若いのに悟りの境地に達していた まさに開眼 心の奥までハレ渡ったような瞳だったから 意地悪なことを云ってごめんね

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「小台の渡し」(尾久の渡しとも称された)があった場所。 江戸時代より江北や西新井、草加方面への交通の要所として賑わっていた この地域は古くから洪水が多く 沿岸付近は他よりも台地になっていたから「小台」と名付けられたとアル。 明治、大正、昭和と時代の流れとともに交通量が増加して渡し船での輸送に限界がきているとして 1933年(昭和8年)初代「小台橋」(ゲルバー式鋼鈑桁橋) が完成すると小台は一躍新興商店街になりました やっぱり橋って偉大だ フフン。

「小台橋」(おだいばし)
竣工 平成4年(1992年)
橋長 122.0m 幅員 15.0m
下路の鋼ニールセンローゼ橋 1連

d01000814_1.jpg

「小台の渡し」 足立区のホームページから拝借


結局3本しか進まなかったけど 隅田川 その3につづく


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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その1
翌朝 大晦日 AM6時37分

やっぱり明け方に少し降ったみたい 霜が溶けたのかな アスファルトがより黒く染まってる 気温が6〜7度とそんなに低くないのがせめてもの救いだけど 大変な思いをさせてしまった ごめんなさいね

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大広間の食堂には舞台があって のど自慢が3人ぐらい 替わりばんこに様々なジャンルのカラオケを披露していたのも肴に お酒を飲んでる自分も ご飯を食べてるご家族も自然に笑顔で耳をすまし 知らない人なのに歌い終わるとみんなで大拍手したりして 一人旅でも楽しませてもらいました そしてお世話になりました

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東北本線の「川口駅」の東口を出た交差点でKさんを組み立てて 朝日に向かって出発。 しばらくして国道122号に右折して入る この国道122号は知ってる。 反対に北上すると利根川を渡り 長いこと渡良瀬川とわたらせ渓谷鐵道と並走し「銅街道(あかがねかいどう)」と呼ばれて 足尾を渡り 細尾峠をトンネルで越えると 日光までつづく大変素敵な道。 今も目を閉じればハッキリと思い出す 細いのに力持ちな「渡良瀬川橋梁」(東武佐野線)、鼻歌を歌った「渡良瀬橋」、淡い新緑に彩られた山間を貫く「第二渡良瀬川橋梁」(わたらせ渓谷鐵道)。

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「晩翠橋」のリベンジかねてまた訪ねてみたい みなさんお元気でしょうか(遠い目)




南に向き直って国道122号の「新荒川大橋」で荒川を渡る時 右手に東北本線の「荒川橋梁」が見えたけど今日の目的は隅田川の制覇だから欲張ったらダメ。 でも昨日の「十条跨線橋」はあそこにいたんだ わりと近い引越しだな。 「新荒川大橋」で荒川だけを渡り Kさんとだから入れる側道から 荒川岩淵関緑地に降り立つと その色から「赤水門」と呼ばれた「旧岩淵水門」。メチャメチャ逆光だったので通り過ぎてから振り返って1枚

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また向き直って「新岩淵水門」。 「新岩淵水門」もやっぱりその色から通称「青水門」と呼ばれてる

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「新」って云ってもコアラが鼻水と涙を流しているような ちょっとレトロな雰囲気のオシャレさん  赤水門は1924年(大正13年)に竣工したんだけど 老朽化や地盤沈下などの問題と洪水調整能力の強化も含め 青水門建設を余儀無くされて 青水門竣工の1982年(昭和57年)にはお役御免となりました 青水門は200年に1回の大洪水にも耐え得るように作られているんだって こんな顔して結構やるね

荒川

「岩淵水門は荒川と隅田川とを仕切る水門。かつて「荒川放水路」と呼ばれた人工河川を現在は荒川と呼び、かつての荒川を「隅田川」と呼ぶ。この水門はこれらの分岐点にある。」とアル また、「荒川放水路は荒川のうち、岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川を指す。全長22 km、幅約500 m。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事であった」ともアル。 ここからの荒川は大阪の淀川と同じで大暴れする川を治水するために作られた人工河川だった このことから 意外だったんだけど「隅田川」って呼ばれるようになったのが昭和に入ってからってのも納得。

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記念すべき隅田川の一本目「新岩淵水門」で隅田川を渡って左岸側を下ると 隅田川は大きく右にカーブしていき荒川と離れて 配送センターや町工場が目立った町内、 中洲状になってしまった足立区新田地区を形成していて もっとも荒川と離れた場所に「都道318号環状七号線」が通る その「環七」が隅田川を渡る橋が「新神谷橋」。
 
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Kさんを担いで階段を登って歩道橋上には立てた 上の写真じゃわからないけど 上りと下りの2本並行して隅田川を跨いでいます いい天気。 もともと「宮堀の渡し」(神谷の渡しとも称された)があったところ その頃は「荒川放水路」は無かったわけだから もっと波うってて危険度も高かったハズ

「新神谷橋」
開通 1965年(昭和40年)2月12日
橋長 153.0 m 有効幅員 20.0 m(車道8.0 m、歩道2.0m)
カンチレバープレートガーダー
46.0 m + 61.0 m + 46.0 mの3径間


「新神谷橋」の橋上からまたKさんを担いで階段を降りると 浅いグレーで塗られた「隅田川右岸防潮堤」で遮られた歩道沿いを下ること600m 。 なんの為なのか この時すぐ隣で仮橋の仮設工事をしていた「新田橋」。

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「新神谷橋」の写真は「新田橋」の橋上から撮ったもので バレてると思うけど この「新田橋」の写真も もう一つ下流に架かってる橋の橋上から撮ったからちょっと遠かった  「新田橋」もやっぱり「野新田の渡し」(馬場の渡しとも)と云われた渡しの跡地に架けられた橋。 AM8時14分

「新田橋」
竣工 1961年(昭和36年)3月
橋長 114.0m 幅員 9.0m
5径間連続 鋼ガーター橋


「新田橋」から500m。 また「隅田川右岸防潮堤」で隔たれた歩道を進んで堤防に上がると「新田橋」の写真を撮った「新豊橋」に到着。

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この時間、南詰めに立つ大きなマンションの影が橋上を覆って艶を失う気の毒な橋。 新しい橋だし いい天気なのにね

「新豊橋」
竣工 2007年(平成19年)3月
橋長 105.0m 幅員 車道9.0m + 歩道3.75m×2
単純箱桁 アーチ複合橋

下流側を見ると 荒川が迫ってきて隅田川はまた大きく右にカーブしていく 次の橋は見えない お日様が完全に上がっているから Kさんとだと汗ばんでくるぐらいあったかい ここで手袋とニット帽をリュックにしまって大きく深呼吸 手首足首を回して 冬日和に感謝。


まだ隅田川4本目だけどヨシとして 隅田川 その2 につづく




08

Category: 未分類

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野宿
毎年恒例になってきている 「奈良健康ランド」での1人年越しを 今年も嫁に申し出たところ どうも今年のこの時期自分には方角が悪いとのこと。 自分は29日の午前中までお仕事をしていたから その日先行している嫁達を追いかけて 一人、愛知県の蒲郡市にある「三谷温泉」の最寄駅に Kさんを担いで降り立ったのが ちょうど15時47分。

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これも恒例になりつつある 「これで新年の挨拶とか省こうよ」 な 「第3回年末嫁家族との懇親会」に参加したのはいいんだけど いい加減食べて飲んでから すぐ近くの「ラグーナ蒲郡」極寒のイルミネーション&花火を見に連行されて 完全に酔いが覚めた。 コンビニの幟はクリスマスが終わった途端「恵方巻き」に変わるのに ラグーナのイルミネーションはクリスマス仕様のままだった 

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翌朝30日、普段朝ごはんはヨーグルトとフルーツしか食べないのに 朝食バイキングだと どうしてあんなに食べちゃうのかな 冷静に考えれば冷めた焼きそばなんて競って食べるもんじゃないのにね

チェックアウトが済んだら車で来ている「嫁家族」に最寄駅まで送ってもらい「良いお年を」と云って別れ 1人「豊橋駅」から「こだま」に乗った。

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小ちゃいって云っても 折りたたんだ状態でワイドが650mm高さが590mmのKさんだから 指定席は1番先頭の通路側を確保。 都内に入って 京浜東北線の「王子駅」までは1番後ろの車両の端っこにKさんを置いて 自分はKさんを庇うように立って乗せてもらった

そして大変お会いしたかった  古いレールを優雅なアーチ橋にまで高められた「飛鳥山下人道跨線橋」さまです(感激) ははじめましてでございます

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ずっと電車に乗ってたから分からなかったけど ついさっきまで冷たい雨に打たれていたのかな 夏の暑い時期は伸びちゃうレールのご出身でしょうけど 今日は冷たく収縮に身を削った最小形態でしょうか シュッとしていますね

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わずかだけど ブレスで編んだアーチのリブが 中央に向かうにつれて細くなっていき 美しさを際立てているのがわかると思います  

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「飛鳥山下人道跨線橋」
竣工 1925年(大正14年)
橋長 38.9m 幅員 3.7m
中路ブレースドリブアーチ 1連

よっぽど嬉しいのか 写真に写っている少年は橋上でほとんど飛び跳ねてた 気持ちはわかるけど なにぶんご老体なので自分は我慢しましたよ 今度は天気のいい日にまたお邪魔しますね

何気に「王子駅」のホームの屋根を支える柱も古いレールでできててラッキー 「飛鳥山下人道跨線橋」にさよなら云って 次の「東十条駅」にも一本呼ばれた  「東十条駅」の南口を出て1秒。「ビョウ」

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「十条跨線橋」。 明治の初めから中頃にたくさん輸入されたイギリス式のポニーワーレントラス(ピントラス)。 うちでも紹介したことがある「小貝川橋梁」(真岡鐵道)や「五行川橋梁」(真岡鐵道)とか「見沼代用水橋梁」(秩父鉄道)などと同種。いずれもどこかからの転用だから 東北線旧荒川橋梁の一部だったのがここに転用され道路橋として「十条跨線橋」に生まれ変わってもそんなに不思議じゃないとは思う ただここにあげた4本のポニーワーレントラス中「十条跨線橋」だけ制作会社が違う 近所に同じ苗字の人が住んでるけど親戚じゃないって感じ? ちょっと違うか

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初めて見た「十条跨線橋」にはコクラン社の銘板がついてた 「小貝川橋梁」も「五行川橋梁」も「見沼代用水橋梁」も製作はパテント・シャフト社だったけど たまたまだったんだな 設計はポーナルさん系で間違いないんだろうけどね

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「十条跨線橋」
竣工 1931年(昭和6年)製作年は1895年(明治28年)
橋長 30.175m 幅員 5.5m
ポニーワーレントラス(ピントラス)の1連

なんでも南口の整備で近々撤去されるそうな この時は全然知らなかったし 撤去されるのは残念だけど 居なくなる前に会えてよかった 古い鉄橋なんだから また来るねって 軽々しく云うもんじゃないね 今生の別れだったかもしれない「十条跨線橋」にさよなら云った時のことをしっかり覚えてない(涙)


「東十条駅」から「南浦和駅」で武蔵野線に乗り換えて「東浦和駅」で下車 Kさんを組み立てて 本日のお宿「健康ランド武蔵野」に向かう

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30日の年末でも駐車場はギッシリで大賑わい 結構年季の入った健康ランドだったけど 掃除は行き届いて清潔感があったし イベントだったのか「奥飛騨の湯」ってのがあってニヤっとした トイレもみんなシャワートイレだったしね

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ただ Kさん初野宿。 駐輪場には屋根もなくて寒いし雨も降りそうだったから気の毒だった これからのKさんとの旅はこう云うことも考えていかないといけない ごめんなさいね


でも翌朝から晴天で念願の 隅田川沿い その1につづく