FC2ブログ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
21
22
23
24
25
26
27
28
29
  02 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

アクセスカウンター
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
20

Category: 2019年12月31日  隅田川

Tags: ---

本文: 12  Trackback: 0

隅田川 その3
腹筋を鍛えるのに一生懸命すぎるために うわの空で「空を見る少女」にはさよならを云って  バイクは乗り入れ禁止だけど Kさんとなら通れる 隅田川沿いの「遊歩道」?とまでは云えない 通路を川の流れと合わせて下ること500m。 さっき「小台橋 」の橋上 から眺めた「尾久橋」と「日暮里・舎人ライナー 隅田川橋梁」をくぐった。

PC310152.jpg

上の写真右側、青竹色の箱桁が「尾久橋」の上りと下り。  左側の背高ノッポさんが「日暮里・舎人ライナー 隅田川橋梁」。 交通量が多い「尾久橋」だけど裏側は 隅田川の水面同様のんびりしている  ここからしばらく行った「尾久橋スカイハイツ」東側に設けてある「小台東公園」から先はこの通路が無くなってしまい「小台東公園」の中を通って これまた交通量が多い都道に追いやられてしまう  大きなトラックの大きなタイヤが耳元で回る都道の端を 小さなKさんとプルプルしながらおっかなびっくり進み 追い立てられるようにして「通り抜けできません」と書かれた公園に逃げ込んだ  その「尾竹橋公園」を"通り抜けた" 先に 「尾竹橋」が無風の冬の青空にも引けを取らない その青さを より高く誇っているようでした

PC310169.jpg

「尾竹橋」
竣工 1992年(平成4年)
橋長 130.3m 幅員 15.0m
ローゼ他

「小台橋」と同じバブリーな時代生まれなのに「豊島橋」とそっくりで地味目の橋。 イヤもともとローゼ橋自体はオシャレさんだから地味って云われる筋合いもないけど 同じ区なのにどうして「小台橋」だけがゴージャスなのか意味が知りたい。 「尾竹橋」も「尾竹の渡し」があった場所。 元々は足立区側にお茶屋があったから「お茶屋の渡し」と呼ばれていたんだけど そのお茶屋さんに「おたけさん」っていう看板娘がいたことから こう呼ばれるようになったとアル。 ベッピンさんというよりはチャキチャキ系だったんじゃないのかな

「おたけさん」にニヤッとなって「尾竹橋」にはさよなら云って下流側に向き直ると「おばけ煙突」のモニュメントを発見

PC310159.jpg

個人的にこち亀の両さんの少年時代を描いた「おばけ煙突が消えた日」は超名作だと思ってる そうか 子供の頃から知っている 両さんのナワバリに近づいてきたんだな   画像検索すると 欄干とランプがお洒落な「旧尾竹橋」のゲルバー桁橋から撮影された「おばけ煙突」の白黒写真が沢山出てくる  解体が決まってから 解体に反対する人が煙突によじ登って84時間も篭城したり 解体間際の1964年(昭和39年)8月26日には煙突の下で地元住民による「煙突とお別れの会」が開催されたそうで 両さんだけじゃなくてみんなから愛され親しまれていたことがわかる

案内板にプリントされた「おばけ煙突」と町内風景の白黒写真を見て ちょっとだけおセンチな気分になったけど 気を取り直して 小綺麗に整備された遊歩道と水面が見える隅田川に沿ってこぎだしたのはいいんだけど しばらくしたら また防潮堤が出てきて 住宅も混み合ってきたから ほんとはここ通っちゃいけない道なんじゃないの?

PC310170.jpg

途中Kさんを担いで階段を降りたり 木造3階建てが当たり前な町内に紛れ込んだりしちゃったけど なんとか 浅いグレーに塗られた防潮堤に食らいついていくと限られた視界の中、なんの罪もない青空の中にいる「隅田川橋梁」(京成本線)の鉄橋をくぐった。 この辺りは従来のいわゆるカミソリ堤防に阻まれて隅田川の水面は全く見えない

PC310171.jpeg

「隅田川橋梁」(京成本線)をくぐったら否応なしに川沿いを離れ 何かの工場や住宅が混在する町内に迷い込む 曲がり角にある大きな和菓子屋の工場前に 道路に向いて設置してある自動販売機で小さくて冷たいお茶を買い 一気飲みするときに仰ぎみた工場のベランダで 従業員さんであろう作業服の男性がうまそうにタバコを吹かしていた 和菓子屋さんって年末も年始もないんだね お疲れ様です   やっと見えたカミソリ堤防の端っこは階段になってて またKさんを担いで堤防の向こうにまわり 振り返った「隅田川橋梁」(京成本線)。

PC310173.jpg

「荒川橋梁」(京成電鉄本線) 現「隅田川橋梁」(京成本線)
竣工 1931年(昭和6年)
橋長 115.37m 幅員 複線
下路曲弦ワーレントラスの2連

竣工時はまだ荒川だったんだ フフン。

チャチャっと行く
下流側に向き直ると この辺りはスーパー堤防が完成済みで カミソリ堤防の一部が石碑みたいに保存されていた 立ち退きとかいろいろ大変なんだろうね そういうのとか無理そうなところは「豊島橋」辺りのようにカミソリ堤防自体を補強する方向みたいだし

PC310177_20200214182146c69.jpg

「荒川橋梁」(京成電鉄本線)からは隅田川がまた蛇行しているから見えなかったけど 蛇行に沿って600mぐらい進んだ先、 その先にもまた大物が見えてるけど  とりあえずこちらの方は 人も電車も渡せない「東京電力荒川専用橋」そう電気が隅田川を渡る橋。 お名前に「荒川」とありますので さっきと同じように竣工時はまだ「荒川」だったのかとおもったけどはっきりしない 1957年の航空写真には写っていなくて 1961年の航空写真でお目見えになるので その間の架橋で間違いない この頃は昭和もしっとりと良い時代だから 昔の名前ぇーえで でてぇーいいまぁーあすぅー

「東京電力荒川専用橋」はランガー。

鼻歌を歌いながら下流側に向き直ると お待ちかねの「千住大橋」 とその手前(上流側)に「千住水管橋」がさっきから見えてて 鼻歌を歌ってごまかしてるけど 気が気じゃなかった

PC310192.jpg

映画にまでなった「荒川アンダー ザ ブリッジ」のブリッジ。 作者は元「荒川」だったのをご存知だったのか 国道4号(日光街道)が隅田川(荒川)を渡る橋を選ばられる辺り かなり精通されているとは思いますが 作中のアンダーさ加減は 実際よりかなり大きな広がりを感じます いやそれも橋の下への強い思いゆえなのでしょうか   またここから当時の「晩翠橋」にまで繋がってるのかと思うと ぢんとします

PC310198.jpg

上の写真に自転車に乗ったジェントルマンが写っていますから 大体 人との大きさの対比がわかると思います すでに昔からあるからシレッとして見えますけど もっと周りに何にもない昭和の2年、こんな橋が現れた時の地域の方々の気持ちはどんなだったでしょうか(笑) 間違いなく頼りにしたことでしょうね 設計は鋼アーチ橋の魔術師 増田淳大先生、先生の作品は他にも隅田川沿いにもまだこれから出てくるし 渡瀬川の帰り道でお会いした「荒川橋」やもう居なくなってしまったけど「天龍橋」なんかはこの「千住大橋」とやっぱりよく似ています

PC310200.jpg

日光、水戸、奥州三街道へと繋がる江戸の玄関口、奥州街道が隅田川を渡る「千住大橋」は徳川家康が江戸に入府直後の隅田川初の橋として1594年(文禄3年) 伊奈忠次「橋奉行」がかけた橋。 当時橋の長さは120m  家康の入府が1590年だからめっちゃ最初の指示の架橋 関東各地へのアクセスが重要になると考えてのことだとわかる 銘板にも「大橋」とアルように当初は「大橋」とだけ呼ばれていたけど 「両国橋」架橋後から「千住大橋」と呼ばれるようになったともアル。

PC310204_20200214182728faa.jpg

「千住大橋」
橋長  91.6m 幅員  24.2m
竣工 昭和2年(1927年)12月12日
鋼ブレスドリブタイドアーチ

「千住水管橋」もランガー。

ついでに「荒川橋」の親柱はすごく立派だなと当時思い わざわざ?親柱だけの写真を撮ったのを覚えてる 今回「千住大橋」の親柱を見て 先生のこだわりが見えた気がしました アメリカで橋梁の設計を学んでどこかの会社に勤めるのでなく個人事務所を構えて頑張られていた先生は親柱に少し「和」の繊細さを表現したかったのかもしれません 親柱のデザインは別の人かもしれないけどね

この場所が 松尾芭蕉さんの大作「奥の細道」のスタート地点でもあります 来れて、いい天気でほんとによかった

senju_great_bridge.jpg

広重 千住の大橋

隅田川 その4につづく

スポンサーサイト