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  04 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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隅田川 その6
4月のはじめにAmazonさんにお願いしていたマスクがいまだ届きません「お荷物の状況を確認できません」って云ってる やっぱり詐欺なんでしょうか 割とお高めだったし 欲張って100枚も頼んじゃったから 結構な痛手  朝早くからドラッグストアーに並んでご苦労様ですなんて思っていたけど 現物を見て買う安心さをあらためて思い知りました  慣れきった通販な体質も改善しないとダメだな  負け犬は使い捨てのヤツも2回は洗濯して使っています(涙)

泣いてばかりもいられないし 外出も深呼吸もできませんので また「吾妻橋」からシレッとはじめますよ ごめんなさいね

「吾妻橋東詰」から隅田川を「吾妻橋」で渡りきると「浅草」の交差点。 向こう角に建つ「神谷バー」の洋館が懐かしい。 あなた全然変わらないね  30年近く前「電気ブラン」をチェイサーがわりに生ビールをよく飲んだものです 銘柄は当然ご近所の「アサヒビール」。 バーというよりはレストラン使いだったのを覚えてる

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Kさんを押して「雷門」をくぐり  今では考えられないけど おしくらまんじゅうでもしているような大混雑の「仲見世商店街」を器用に抜け 「伝法院通り」を西にしばらく行くと 思った通りここにも行列ができていました「洋食ヨシカミ」。

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田舎者は謝られるほど美味しいって評判のお店にずっと憧れていたから 入り口の張り紙には45分待ちとアルけどしょうがない やっと念願叶うんだから 待ちますよって名前を記入してきた  店頭に並んでるだけじゃなくて30分ぐらいどっかぶらぶらしてる人もいるんじゃないかな  でも10分もしないうちにお一人様の小々次郎様って呼ばれて オレだけ先に入れてもらえたのは嬉しいんだけど 清潔感がない本当に狭い席だった(涙)

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両方ともピントが合ってないし 見た目よりは美味しかったんだけど  謝られるほどかと云うと「申し訳ないス!」の「ス!」のあたりにちょっとふざけてるような 気がしたり しなかったり。 エビフライは名古屋にある「はね海老」さんの圧勝。でもナポリタンのマッシュルームが缶詰のじゃなくて生なヤツだったし 謎が深まるインゲンもまぁまぁバランス取れてておいしかった パスタもモッチリと太麺で好みのタイプでしたよ ごちそうさまでした

また一段と多くなった席待ち客を横目に 混雑を避け「仲見世商店街」までは戻らずに アスファルトまでオレンジ色に塗ってある「オレンジ通り」で「雷門通り」まで出て渡り「駒形一丁目」の交差点を右折してしばらくすると、 あなたも塗ってもらったばっかりかな ビシッと決めた「駒形橋」が 頭上にいるお日様のおかげで 光沢と高い信頼を纏っていました

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「駒形橋」
竣工 1927年(昭和2年)
橋長 149.6m 幅員 22.9m
32.461+74.676+32.461mの3径間
 上路 + 中路 +上路
2ヒンジソリットリブアーチ

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隅田川はなんとセーヌ川と友好河川と云うだけあって 薄っぺらい顔した人間さえ写ってなければ ちょっとだけシャンゼリゼな風が吹いてる 気がしたり しなかったり。 街路灯にチョコンといる小鳥ちゃんもわかっていてそんな風を見つめているのかもしれない  昭和の2年の竣工ってことで 熟考を重ねた親柱のアール・デコ様式のデザインが頂点に達していてカッコイイ。 
 
駒形堂

ここもやっぱり江戸時代から「駒形の渡し」(竹町の渡し)があった場所。駒形の名は上の写真奥に写っている 「馬頭観世音」を安置している「駒形堂」に由来。 この堂宇は当初隅田川に向かって東向に建っていたのが現在は隅田川を背に西向きに建っている 江戸っ子は濁さずに「こまかた」と発音するとアル いまいち江戸っ子のルールがわかんないな

「駒形橋」で隅田川を往復して渡り 首都高速6号向島線が影を落とす暗い道を隅田川の流れに合わせて下ること400m。隅田川の上流から数えて27本目の橋は「厩橋」。

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ここにもやっぱり江戸時代から「御厩の渡し」があって人や物資の輸送に役立っていたとアル。橋名は浅草の米蔵に付属する「御厩」(馬屋)が かつてこの地にたくさんあったことに由来。 なので馬の意匠が随所に施されています

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大きな山アーチの終わりが落ちずにもう一度浮き上がるように小さな谷アーチが作ってある 遠くからなら連なった波を描いたように見えるハズ  美しいと云う人もいるでしょう  でも昭和の大型工業製品みたいな緑青色も手伝ってオレにはバタ臭く見える。 イヤ バタ臭くていい感じ。 街路灯の柱にもワントーン色を薄くして馬の彫刻が施されていて手がかかっているね

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「厩橋」の橋上で上流側に振り返って「駒形橋」の全貌。 こうして見ると「バランスドアーチ」だとわかる 隅田川の川幅は150mぐらい ここまで来ると風も強くなって波も騒がしくなってきた 磯の香りはしなかったけど もう完全に海の色だな 次回はカナブンみたいなあの船に乗ってみたい 「厩橋」の橋上13時36分。

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よく見えないけど 親柱にも馬のステンドグラスが嵌め込まれているから夜は綺麗なんだそう 「厩橋」が初めて架橋されたのが 1874年(明治7年)民間の有志による木橋が初代 1887年(明治20年)に東京府に移管され 1893年(明治26年)に鋼トラス橋に架け替えられた2代目は関東大震災で木製だった橋板が炎上して大破  現在の橋が3代目。

「厩橋」(うまやはし)
竣工 1929年(昭和4)年9月
橋長 151.4m 幅員 22.0m
45.720+54.864+45.720mの3径間
下路のタイドアーチ 3連

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葛飾北斎 富嶽三十六景「御厩川岸より両国橋夕陽見」


家でジッとして 隅田川 その7につづく

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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本文: 12  Trackback: 0

隅田川 その5
バイクでひとり旅だとどこにも密はないハズだけど このままだとGWのお出かけは中止だな 4月中に車検を通してもらって 遠くまでSRに連れってってもらう約束はしているんだけど カッパを着ていけば大丈夫かな ってバカモノ! 自分自身も具合が悪くなる可能性だってあるから ルートだけ作って行けないけど ルート作ってる時が一番楽しいし ダメでも生きてればまたの機会に走ればいいから命優先 目には見えないけど 最近は空だけじゃなくて変な空気もハレマスヨウニと願っております

すっかり怖じ気ついていますけど また年末の話と足場の呪いがかかったままの「白鬚橋」まで戻ったつづきから シレッとはじめます 

「白鬚橋西詰」の交差点を左折して 隅田川とはワンブロック挟んだ道を流れに合わせてしばらく下ると 隅田公園の奥から歓声が聞こえてくる 年末なのに何かスポーツでもやってるみたい 観光バスが何台も路駐してるから プロっぽいスポーツなんだろうか と よそ見をしながらKさんを漕いでいたら 橋の親柱にぶつかりそうになって急ブレーキ。

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山谷堀にまだ水が流れていた頃 隅田川に出る直前にかかってた橋 下の写真で見ると上路の鋼アーチ橋だったことがわかる「今戸橋ブリッジ」。 今地図で見ると山谷堀は埋め戻されてグリーンベルトになっているし 高さから見てもアーチ部は発掘したらそのまま出てくるんじゃないかな 

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かわいそうに「生き埋めの刑」を受けているけど 山谷堀の跡の先には吉原大門の地名が残っているように 吉原通いの船(親不孝船)がこの橋をたくさん潜ったそうなので 「今戸橋」には罪はないハズなのに まだまだ実刑はつづくようです(涙) あんまりにも気の毒なんで隅田川の橋じゃないのに寄り道したった 

いつか罪がハレマスヨウニと願って またしばらく進み「言問橋」の橋上から上流側を振り返ると「桜橋」が 冷たそうな隅田川に マーガリン色をにじませているから そこだけ温そうだった

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真横から撮っているから全くわからないと思いますが 上から見ると Xの 形をしている 歩道橋だからちょっと遊んじゃった橋。「桜橋」って名前の橋は何本かお会いしたことがある 名古屋にもあるし 東京にはあと2本もある 会ったコトはないけど福島にも三重県にも岡山にも広島にも台湾にだってある 金沢の「桜橋」は「犀川大橋」から見えたし 近づいたとき「薄」っと思った そーいえば富山の「桜橋」はさっきの「今戸橋」に似ているな 名古屋以外はみんな桜の名所で間違いない

隅田川にかかる「桜橋」
竣工 1985年(昭和60年)4月11日
橋長 169.5m 幅員 中央部 20m 取付部 6m
3径間連続X形曲線箱桁橋

また正面の「東京スカイツリー」に向き直り「言問橋」で隅田川を渡りきった位置にあって 漢字の銘板がはめ込まれた親柱。 1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲では多くの方が橋上で焼死しています この時あまりの火の強さに縁石のほとんどが欠けたと云われています この親柱にも痛々しく焼け跡が残っているし剛熱で欠けている

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「言問橋」は国道6号線、東京都道319号環状3号線の”言問通り”を通す橋 関東大震災後の震災復興橋梁として架橋が計画され「両国橋」や大阪の「天満橋」と並んで三大ゲルバー橋と呼ばれたとあります 大阪の「天満橋」会ったことある ここに繋がるのか フフン。   前出の「豊島橋」や「小台橋」、「尾竹橋」の初代はみんなこの形式の小ちゃい版。 「言問」という橋名は在原業平の詠んだ、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌に因むとアル 「ちはやふる」の人だよね

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当時は軍艦色だったんだけど 戦争のなくなった今は年甲斐も無く(失礼)爽やかな淡水色に塗ってもらって 空と隅田川を分けています

「言問橋」
竣工 1928年(昭和3年)2月10日
橋長 238.66m 幅員 22m
鋼ゲルバー鈑桁橋 3径間
横河橋梁製作所 製

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「言問橋」を降りて下流側に進むと この辺りはまだ古い防潮堤がついてくる でも防潮堤の裏側はちゃんと遊歩道になっていて やっぱり薄着で走っている人が何人かいた  ここはKさんを担がなくても裏側の遊歩道に坂道で降りられたから 自転車もOKなんだと思う

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なんなのかさっぱりわかんないと思うけど また足場で囲われて視界が悪い「隅田川橋梁」 (東武伊勢崎線)。(涙)

「隅田川橋梁」 (東武伊勢崎線) 浅草駅 -とうきょうスカイツリー駅間
竣工 昭和6年5月25日
橋長 166m 幅員 複線
中路のカンチレバーワーレントラス

さっきまでゲルバーゲルバーって云ってたのにここはカンチレバー。 なんか理由があるのかな それにせっかく帝都復興院 橋梁課長 田中 豊先生の設計だけど 協力的じゃないのでつつっと行きます


気温は16℃まで上がったけど 少し風が出てきた隅田川沿いを河口側に進み 東武伊勢崎線の高架を潜って 親柱のランプが素敵な「枕橋」で北十間川を渡ったのはいいんだけど「枕橋」の全体が撮りたくて隅田川からだいぶ離れちゃったから 戻ろうと思って大回りしたら キンタマ が挟まってた。

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キンタマ横目に浅草通りまで出たら「吾妻橋」の目の前。 「吾妻橋」辺りは赤いから華やいで見えるけど なんか途中で足場解体をやめてほかってある状態(涙) 塗装は完璧に終わっているけどね 浅草寺に色を合わせてあるんだろうな 当然「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所。 初めてこの地に橋が架かったのは 1774年(安永3)江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋。
当時の橋名は「大川橋」としていたんだけど 架橋工事中から「あずま橋」と呼ばれるようになったようで 江戸の東の橋として「東」を「吾妻」に置き換えたとか、左岸側にある「吾妻神社」への道をつなぐ橋の意味を重ねた とかいう説があります

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「吾妻橋」
竣工 1931(昭和6)年6月
橋長 150.114m 幅員 20m
上路の2ヒンジソリッドリブアーチ 3径間 他

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広重 駒形堂 吾妻橋

左岸側の「浅草通り」から「吾妻橋」を渡ると「雷門通り」になるんだ 「吾妻橋」は「雷門通り」に属しているみたい 「吾妻橋」で隅田川を渡ったのが ちょうど12時08分 フフン


浅草の老舗の洋食店でランチなので 隅田川 その6につづく