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  05 ,2020

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2019年12月31日  隅田川

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本文: 15  Trackback: 0

隅田川 その7
GWは家の大掃除をしていました Amazonの段ボール箱とかアルミ缶とか着なくなった服なんかを捨てさせてもらえる 街のリサイクル業者さんが設置してくれている無人のコンテナが近所にあって そこぐらいしか外出しなかったので  普段昼間にいない人がずーっと居るからか うちのココさん(猫)からウザがられて 令和になってから1番の悲しい思いもしました(涙) あの時からすると今は銭湯も営業してるし随分縛りが緩くなってきましたね 運が良ければボンにはどこか旅に出れるかな なんて夢見ています 無理かな

だからまた去年の年末の話だけど「隅田川」はボンまでに終わらせればいいやって 余裕もブッこいてます まぁ元々はその7ぐらいで完結するハズだったのに 余計なことばっかり云ってるからと まだ下流側に13本も残ってるのがいけないんだけどね  この調子だとボンまでも怪しくなってきたな

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シレッと「蔵前国技館」”跡地”を回り込むように「蔵前橋通り」に出てすぐ「浅草御蔵跡」の碑が建っていた ステンレス製の案内板によると「浅草御蔵は江戸幕府が全国に散在する直轄地 すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である」とアル。 「江戸中期から幕末まで浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた」とも「現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは、昭和九年のことである。」ともアリました

「浅草御蔵跡」の碑からすぐ 正面に向き直ると東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す「蔵前橋」。

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「蔵前橋」の西詰め、親柱の位置から隅田川テラスに降りられたから 降りてみた。 上路式のアーチは路面からだとただの道路にしか見えないから 蔵前だけに「稲穂のごとく黄金に輝く橋」は下から見ないともったいない 東京都の偉い人もその辺りのことをわかっていて隅田川テラスの遊歩道を整備してくれたんじゃないのかな 現場では「わかってるぅ〜」って口笛が出た 大感謝です。

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午後の折り返しを過ぎて やわらいできた日差しに水面を輝かせる隅田川。 「蔵前橋」はテラスに降りて この時間帯が一番綺麗に映えるんなんじゃないかと思う(夜ライトアップしてるみたい) でも不思議と女性らしさは感じない 「勘定奉行」っぽいからかな カタブツでおっさんおっさんしている。
 
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下流側に振り返ると NTT東日本蔵前通信ビルと対岸を結ぶ「蔵前専用橋」。通信ケーブルの他に水道橋も兼ねてるとアル。

「蔵前専用橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 155.4m
3径間連続鋼箱桁橋



「蔵前橋」の橋上に戻って「蔵前橋」で隅田川を渡る途中の欄干には蔵前の土地柄から力士のレリーフがデザインされていた パーマボサボサ薄毛がバレるから嫌だったんだけど コレしかピントが合ってないし 力士もあんまり強そうには写ってないね。 やっぱり「富士見の渡し」(御蔵の渡し)とも称された 渡しがあった場所 関東大震災の発生前まで運行されていたそうなので「蔵前橋」は現在の橋が初代。

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「蔵前橋」
竣工 1927年(昭和2年)11月
橋長 173.4m 幅員 22.0m
上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ3径間連続 他

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「蔵前橋」の橋上からさっき渡った「厩橋」の全景。 波打ってるように見えますね 後からできた首都高速6号 向島線が「厩橋」のアーチを避けるように気持ち浮き上がっているのがわかる  落ち着きのない首都高速6号 向島線に比べて「厩橋」は鈍臭そうだけど渋い緑青色も手伝って 堂々として見えるのは 下路式の3連アーチは隅田川では他にないから。 オレなんかは橋の上にアーチが見えてる方が大好きだけど 当時景色を隠す上路式アーチは嫌われていて でも「厩橋」の両岸は土地が低くてどうしても上路式にしなければならないために アーチをつなぐ上横構材を少なくして出来るだけ空が見えるように工夫して設計したそうです 当時の橋梁課長 谷井陽之介先生も与えられた条件の中で大変でしたね ありがとうございます

「蔵前橋」で隅田川を渡り 「蔵前橋」にさよならを云って 国技館通りを河口側にしばらく進むと アーチ型の窓が素敵な洋館の「両国駅」を発見した 1923年9月1日に発生した関東大震災で駅舎は倒壊しなかったものの 壊れたのをだましだまし営業していて 今のこの駅舎(当時新駅舎)が営業を開始したのは1929年12月30日とのこと。 昨日が90歳の誕生日だったのか おめでとうございます

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その「総武線」の高架をくぐった先を右折して 隅田川の防潮堤に上がる階段を何段か登って見つけました「隅田川橋梁」(総武本線)。 アーチ部より桁の方が太くて アーチ部材が補剛の形式をランガーといいます オーストリア人の考案者ランガーさん由来  今でこそどこかしこで拝見する形式ですが 日本で初めてこの形式を採用したのがこの「隅田川橋梁」(総武本線)。 当時は珍しいし 現在の方がよく見るからか 古く感じず若く見えますね またこの辺りに「横網の渡し」があったそうです

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「隅田川橋梁」(総武本線)両国駅-浅草橋駅間
竣工 1932年3月(昭和7年)
橋長 172m 複線
支間 38m + 96m + 38m
下路のゲルバー桁のランガー 3径間

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階段を何段か降りて マンションとマンションの間の一方通行を200mぐらい逆走すると 一際大きくて丸い「両国橋」の親柱が迎えてくれる 対岸の隅田川の右岸側には神田川が合流してくるのがわかる 見えている橋はかんざし飾りの「柳橋」。その奥には有名な「浅草橋」も現役。 でも「神田川」だからまた今度ゆっくり紹介するんだけど 江戸時代からの水運の様子が目に浮かびますね

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今の「両国橋」を架けたのは東京市の歴代の橋梁課長でただ一人、国(内務省)から東京市に来た岡部三郎先生。 東京帝都大学を首席で卒業し のちに「勝鬨橋」を架けた優秀な技術者です 「両国橋」は震災復興計画では当初架け替えずに1904年(明治37年)に竣工した旧橋を使用する計画だったけど 旧橋の幅員が前後の道路の半分の11mしかなくて 将来交通の障害になると考えた先生は 再度復興局に掛け合って難航の末 補助金や予算を引っ張り出して計画を変更させ 復興事業最後の橋として事業化しました この親柱の球は地球儀を表しています 先生は「両国橋の名前の由来になった、武蔵、下総の国境というよりは、もっと大きな意味で両国を結ぶという気分のものであった」とおっしゃています 頭のいい人は行く末が見えているから 説得力が増すんでしょうね 

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「厩橋」みたいに景色を隠す下路式は嫌われて 復興局が架けた上路式の「言問橋」が評判が良かったのもあってゲルバー桁が採用されたけど当時「言問橋」の工事費が180万円に対して「両国橋」の工事費は86万円。形式は同じ 橋長、幅員もほとんど変わらないのに半値でできたのは 「両国橋」は1904年(明治37年)に竣工した旧橋の橋台と橋脚を補強して再利用したから。 先生はやりくり上手でもあったんです  撤去された旧橋の1連は改造して「南高橋」と名前を変え 先の隅田川に流れ出る 亀島川に現在も架かっています  


「両国橋」
竣工 1932年(昭和7年)11月
橋長 164.5m 幅員 24.0m
ゲルバー式鋼鈑桁橋の3径間


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広重 新撰江戸名所 両国納涼花火ノ図

江戸時代に隅田川にかけられた5橋のうち「千住大橋」の次1661年(寛文元年)?に架けられた橋だから これまた江戸時代からつづく隅田川花火大会の様子が浮世絵にもおおく描かれていて 「両国橋」からは歴史ロマンの旅にも出かけられます

なかなか進まないけど着実に 隅田川 その8につづく


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