05 ,2014
渡良瀬川 その3
今になって聞けば聞くほど 峠の釜飯のドライブインを素通りしなくてよかったなぁと 一安心。 反対車線側だったし その時、たまたまパトカーも停まっていたから 入るのよそうかなと 一瞬思ったのは本当。 昔から悪い事もしてないのに パトカーと警官には構えてしまう癖がある(笑) 釜の再利用をクグっていると 無理してでも 持って帰ってくればよかったと反省もしています いつかでっかい茶碗蒸しをつくってみたいし プリンもオシャレだと思う
おなかポンポンで出発。 おぎのやドライブインを出たのがちょうど13時34分。 またしばらく国道18号を進むと 信越本線の松井田駅にちょっと呼ばれた

へー 1885年(明治18年)10月15日 開業の古い駅なんだ ふーん 昔はスイッチバック方式の停車場だったのか てのも そんなに興味はない でも松井田駅、 跨線橋が古レールで出来たプラットトラスだったぁ スーゲェー。 いい色ですね
まぁでも松井田駅にも簡単にさよならいって すぐ近くの”本命”を探しに 少し下界に下りる感じで碓氷川に出ると とってもお会いしたかった 古老の「上碓氷川橋梁」が その淡くやさしい白緑色を 若い新緑達にからかわれているようでした

SRを土手に留守番させて川原に下りてみた 碓氷川は水量も少なくて穏やかな流れ 水の色は 誰かが川上の方でバスクリンでも混ぜたのかなと 思うぐらい ちょっと蛍光がっかてた。
上の写真では 手前に上り線のプレートガーター橋が重なって見にくいけど くぐって反対から見る 下り線のプラットトラスは 現存する群馬県の鉄道橋では最古。 しかもパテントシャフト製の イギリス人 なるほど英国紳士的な出で立ち。 おじいさんでもピシィっとしてるね

「上碓氷川橋梁」JR信越本線
松井田駅-西松井田駅間
竣工 1940年(昭和15年)
上路の平行弦プラットトラス 1連
製作されたのは1910年(明治43年)で 国内のどこかで使われたのち1940年(昭和15年)にこの地につきました この第二の故郷での生活の方が随分長いから それまで何処の景色を見てたのかは もう覚えてないみたい 一番左端には信越線が開通した当時の1885(明治18)年に竣工したレンガ積みの橋台も残ってる 130年の歴史。 文字通り「積み重ね」 ですね 是非また来たいと思います さようならー
待たせっぱなしで悪いなと あわてて戻ってきたのに意外に楽しそうなSR。

天気もおりかえしをすぎて少し曇ってきたから ちょっとスピードを上げて 国道18号のまま高崎市に入ると すぐ国道17号にのりかえて 群馬県庁の方に呼ばれた この道「東国文化歴史街道」とアル いくらなんでも大げさじゃない? かな

「群馬大橋」
1953年(昭和28年)
下路のランガートラスで4連
「群馬大橋」は利根川なんだ 遠くまで来たなぁ。 また「東国文化歴史街道」を戻るかたちで 鳥川沿いに進んで 「聖石橋」や 高崎線の「鳥川橋梁」にも寄ったけど だいぶ端折って「柳瀬橋」。

「柳瀬橋」
1930年(昭和5年)まず9連が竣工 日本橋梁製
1952年(昭和27年)に1連が延長 櫻田機械工業製
下路の平行弦ポニーワーレントラス 10連

右岸側にはなかったし なにをイメージしてるのかは 全くわからないけど 左岸側にはちょっとモダンな親柱が残ってる 違う種類の石を組み合わせてなかなかに凝った造り。 この年代のデザインに対する手探り感というか 迷いみたいなのは好感が持てる
雲行きが心配だから「柳瀬橋」にも簡単にさよなら云って 国道17号にまた戻ると ますます曇ってきて風も強くなってきた 今日の最後の橋と決めていた 鳥川と合体したばかりの利根川に架かる「坂東大橋」の橋上では強風に加えてポツポツと大粒の雨も降り出してきたけど 雨をなんとかこらえて 左岸側に渡ったさきに 部分保存されていました「旧坂東大橋」。

「旧坂東大橋」
竣工 1931年(昭和6年)
橋長 917.5m 幅員5.5m
下路の曲弦ワーレントラス 62mが6連
6連と18連のプレートガーター
2004年に新橋が架かるまで 戦前から川幅のある利根川を簡単に渡れて みんなから親しまれていた 長い長い橋も 今は切り詰められ ポリカボネードの屋根も付いたし ベンチが置かれて チャリダーさんも小粋に雨宿りする 憩いの場所となって ゆっくりと隠居生活をおくっていました ほんとにお疲れさまでした。 オレにしてみれば こんなになっても 残っててくれるだけでもありがたい事 ありがとうございます また来ますね
写真を撮ってたら 雨も上がって チャリダーさんは猛ダッシュして行った あとを追うように新坂東大橋で利根川を渡り直して また国道17号に戻り 沿線の本日のお宿、サイタマ健康ランドに着いたのは17時半をまわった頃。 本日の走行距離は410km。 さすがに疲れた
初日終了 渡良瀬川 その4につづく
おなかポンポンで出発。 おぎのやドライブインを出たのがちょうど13時34分。 またしばらく国道18号を進むと 信越本線の松井田駅にちょっと呼ばれた

へー 1885年(明治18年)10月15日 開業の古い駅なんだ ふーん 昔はスイッチバック方式の停車場だったのか てのも そんなに興味はない でも松井田駅、 跨線橋が古レールで出来たプラットトラスだったぁ スーゲェー。 いい色ですね
まぁでも松井田駅にも簡単にさよならいって すぐ近くの”本命”を探しに 少し下界に下りる感じで碓氷川に出ると とってもお会いしたかった 古老の「上碓氷川橋梁」が その淡くやさしい白緑色を 若い新緑達にからかわれているようでした

SRを土手に留守番させて川原に下りてみた 碓氷川は水量も少なくて穏やかな流れ 水の色は 誰かが川上の方でバスクリンでも混ぜたのかなと 思うぐらい ちょっと蛍光がっかてた。
上の写真では 手前に上り線のプレートガーター橋が重なって見にくいけど くぐって反対から見る 下り線のプラットトラスは 現存する群馬県の鉄道橋では最古。 しかもパテントシャフト製の イギリス人 なるほど英国紳士的な出で立ち。 おじいさんでもピシィっとしてるね

「上碓氷川橋梁」JR信越本線
松井田駅-西松井田駅間
竣工 1940年(昭和15年)
上路の平行弦プラットトラス 1連
製作されたのは1910年(明治43年)で 国内のどこかで使われたのち1940年(昭和15年)にこの地につきました この第二の故郷での生活の方が随分長いから それまで何処の景色を見てたのかは もう覚えてないみたい 一番左端には信越線が開通した当時の1885(明治18)年に竣工したレンガ積みの橋台も残ってる 130年の歴史。 文字通り「積み重ね」 ですね 是非また来たいと思います さようならー
待たせっぱなしで悪いなと あわてて戻ってきたのに意外に楽しそうなSR。

天気もおりかえしをすぎて少し曇ってきたから ちょっとスピードを上げて 国道18号のまま高崎市に入ると すぐ国道17号にのりかえて 群馬県庁の方に呼ばれた この道「東国文化歴史街道」とアル いくらなんでも大げさじゃない? かな

「群馬大橋」
1953年(昭和28年)
下路のランガートラスで4連
「群馬大橋」は利根川なんだ 遠くまで来たなぁ。 また「東国文化歴史街道」を戻るかたちで 鳥川沿いに進んで 「聖石橋」や 高崎線の「鳥川橋梁」にも寄ったけど だいぶ端折って「柳瀬橋」。

「柳瀬橋」
1930年(昭和5年)まず9連が竣工 日本橋梁製
1952年(昭和27年)に1連が延長 櫻田機械工業製
下路の平行弦ポニーワーレントラス 10連

右岸側にはなかったし なにをイメージしてるのかは 全くわからないけど 左岸側にはちょっとモダンな親柱が残ってる 違う種類の石を組み合わせてなかなかに凝った造り。 この年代のデザインに対する手探り感というか 迷いみたいなのは好感が持てる
雲行きが心配だから「柳瀬橋」にも簡単にさよなら云って 国道17号にまた戻ると ますます曇ってきて風も強くなってきた 今日の最後の橋と決めていた 鳥川と合体したばかりの利根川に架かる「坂東大橋」の橋上では強風に加えてポツポツと大粒の雨も降り出してきたけど 雨をなんとかこらえて 左岸側に渡ったさきに 部分保存されていました「旧坂東大橋」。

「旧坂東大橋」
竣工 1931年(昭和6年)
橋長 917.5m 幅員5.5m
下路の曲弦ワーレントラス 62mが6連
6連と18連のプレートガーター
2004年に新橋が架かるまで 戦前から川幅のある利根川を簡単に渡れて みんなから親しまれていた 長い長い橋も 今は切り詰められ ポリカボネードの屋根も付いたし ベンチが置かれて チャリダーさんも小粋に雨宿りする 憩いの場所となって ゆっくりと隠居生活をおくっていました ほんとにお疲れさまでした。 オレにしてみれば こんなになっても 残っててくれるだけでもありがたい事 ありがとうございます また来ますね
写真を撮ってたら 雨も上がって チャリダーさんは猛ダッシュして行った あとを追うように新坂東大橋で利根川を渡り直して また国道17号に戻り 沿線の本日のお宿、サイタマ健康ランドに着いたのは17時半をまわった頃。 本日の走行距離は410km。 さすがに疲れた
初日終了 渡良瀬川 その4につづく
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おまわりさんとパトカーには、
いつになっても反応してしまいます。
茶碗蒸しをうまく作れたら料理の達人だと思います^^