12 ,2015
北陸の空part2 その5
今日はダメだけど おととい みたいに澄みきった いい天気の日は 職場の窓から御嶽山の先っぽの方が見えるんです 急かされすぎて 見てるようで見てなかったんですけど、 不謹慎かもしれませんが いつの間にか びっちっりと雪化粧をしています また、おかかえのメイクさんがカリスマで ちょっと うっとり。 もうすっかり冬ですね 秋めいていた北陸の空も 今となっては遠い記憶。 でも懲りずにシレッとつづけます ごめんなさいね
前回は「テルメ金沢」で雑魚寝したんだけど 今回は「ゆめのゆ」でやっぱり雑魚寝した(笑) 今まで行った 全国の健康ランドの中でも最大級だったし 比例して寝れるイスの数も多かったんだけど 文字どうりイス取り合戦に負けて 急遽開放してくれた 会議室みたいなところの硬い床でなんとか寝むり 5時41分に目覚めた。 でもサウナは室内温度を下げない為の入口の配置や 出口で自動的にシャワーが汗を流すシステムで衛生面も配慮してあったし お風呂も素晴らしかった

まだ朝の6時34分なのに黒山の人だかり 金沢駅大人気。 だからなのか 早朝からパトカーやお巡りさんも結構目に付いて 勝手にビビってた。
お巡りさんと目が合わないように 駅前をコソッと抜け出し お目見えしたばかりの朝日に導かれて 浅野川に出ると、 ポストとなんらかの「契り」をかわした親柱を発見「中島大橋」。

一見、ボーストリングトラスのように見えるけど まぁ今となってはボーストリングトラスでいいんでしょうけど 斜材は後から追加して補強された為に 元々は垂直材だけで吊っていた「ローゼ」橋 なんだそう。 猫とかも おおきな手術をすると性格が変わったりするって 云うもんね

「中島大橋」
竣工 1955年(昭和30年)5月
橋長 37m 幅員 13m
どちらにしても下路のアーチ橋で1連
オレはこの姿しか知らないけど 人が変わっちまった「中島大橋」に さよなら云って 城下町ックな風情漂う浅野川沿い、 左岸の細い一方通行を 流れに逆らって上ること300m。 亜鉛が含まれるシルバー塗料で身を固めた頑固者「昌永橋」を即発見。

30代の人しか渡っちゃダメなのかな と 一瞬だけ思っちゃたじゃないかい。 この橋もさっきの「中島大橋」と同い年で 両方とも東京鐵骨橋梁製作所製なんだけど 幅員が細いから形状も全然違うし 色も手伝って「昌永橋」の方が老けて見える そのせいか人通りも少ない 日陰の橋。
「昌永橋」
竣工 1955年(昭和30年)
橋長 38m 幅員 4.5m
下路のポニーワーレントラスで1連
イヤ、本当は 日は当たっていたから 裏の世界の住人でもない「昌永橋」で浅野川を渡り 今度は一方通行じゃない 右岸沿いをしばらく進み 出くわした「彦三大橋」で浅野川を渡り また左岸に移ってすぐ。 さっきと似たような感じの「小橋」。

「小橋」って云うわりには ギリギリだけど2車線ある。 大きさを競っているのは「昌永橋」とじゃないみたいで いつできたかは、はっきりしないけど歴史的には「小橋」の方が断然古い 奥の有名な飴屋さんよりもずっとずっと古い。 「小橋」は、1922年(大正11年)と1953年(昭和28年)の大洪水で流されて それぞれ架け替えられているんだけど 大正時代に流される前は、欄干に擬宝珠が付いた木橋だったそう。 それだったら きっとこの町内には似合っていたんでしょうね

「小橋」
竣工 1953年(昭和28年)10月
橋長 36.1m 幅員 10.5m
下路のポニーワーレントラス 1連
「小橋」で浅野川を渡り 俵屋さんはまだ営業してなかったからUターンして ちょっとこみいった町内を抜けると 木製の歩道橋を発見したから 寄ってみた「中の橋」。

昔は「小橋」もこんな感じだったんでしょうね 対岸は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている主計町のお茶屋街。 なんか自分は近寄っちゃいけない気がして「中の橋」の中央でUターンしてきた。 Uターンした場所で上流側に目を細めると 「小橋」、「中の橋」ときて、当たり前だろって感じで ふんぞりかえっていました「浅野川大橋」。

「浅野川大橋」
竣工 1922年(大正11年)
橋長 55.0m 幅員 15.6m
上路で3径間連続のコンクリートアーチ
「犀川大橋」と人気を二分する金沢の代表選手。 今の地図を見るとさっきまでは「御影大橋」がそうかと思ったけど 「浅野川大橋」から お城を囲むように武蔵が辻、香林坊を経て「犀川大橋」に続く道が旧国道8号だった。 結構ずーっと眺めてた。 1594年(文禄3年)に、自分でさえ名前を知っている 初代加賀藩主の前田利家が架けてくれたのが始まり 強くておっかない人だったのでしょうけど 未来につなげる橋も架けたのね。 何度も架け替えられて 必要だから在りつづけ 戦国の世が終わって平和が訪れ保守的になっても 病気や事故の失望感でふらふらと欄干を背に座りこんでしまう人や ほんの一時だけど思惑にはまり 転がるように笑いながら渡っていく人 もっといろいろ いろんなドラマが見えてしまいました。
うーん どうか ほんとーに いろいろ 明日とかも ハレマスヨウ二。
北陸の空part2 完結につづく橋
前回は「テルメ金沢」で雑魚寝したんだけど 今回は「ゆめのゆ」でやっぱり雑魚寝した(笑) 今まで行った 全国の健康ランドの中でも最大級だったし 比例して寝れるイスの数も多かったんだけど 文字どうりイス取り合戦に負けて 急遽開放してくれた 会議室みたいなところの硬い床でなんとか寝むり 5時41分に目覚めた。 でもサウナは室内温度を下げない為の入口の配置や 出口で自動的にシャワーが汗を流すシステムで衛生面も配慮してあったし お風呂も素晴らしかった

まだ朝の6時34分なのに黒山の人だかり 金沢駅大人気。 だからなのか 早朝からパトカーやお巡りさんも結構目に付いて 勝手にビビってた。
お巡りさんと目が合わないように 駅前をコソッと抜け出し お目見えしたばかりの朝日に導かれて 浅野川に出ると、 ポストとなんらかの「契り」をかわした親柱を発見「中島大橋」。

一見、ボーストリングトラスのように見えるけど まぁ今となってはボーストリングトラスでいいんでしょうけど 斜材は後から追加して補強された為に 元々は垂直材だけで吊っていた「ローゼ」橋 なんだそう。 猫とかも おおきな手術をすると性格が変わったりするって 云うもんね

「中島大橋」
竣工 1955年(昭和30年)5月
橋長 37m 幅員 13m
どちらにしても下路のアーチ橋で1連
オレはこの姿しか知らないけど 人が変わっちまった「中島大橋」に さよなら云って 城下町ックな風情漂う浅野川沿い、 左岸の細い一方通行を 流れに逆らって上ること300m。 亜鉛が含まれるシルバー塗料で身を固めた頑固者「昌永橋」を即発見。

30代の人しか渡っちゃダメなのかな と 一瞬だけ思っちゃたじゃないかい。 この橋もさっきの「中島大橋」と同い年で 両方とも東京鐵骨橋梁製作所製なんだけど 幅員が細いから形状も全然違うし 色も手伝って「昌永橋」の方が老けて見える そのせいか人通りも少ない 日陰の橋。
「昌永橋」
竣工 1955年(昭和30年)
橋長 38m 幅員 4.5m
下路のポニーワーレントラスで1連
イヤ、本当は 日は当たっていたから 裏の世界の住人でもない「昌永橋」で浅野川を渡り 今度は一方通行じゃない 右岸沿いをしばらく進み 出くわした「彦三大橋」で浅野川を渡り また左岸に移ってすぐ。 さっきと似たような感じの「小橋」。

「小橋」って云うわりには ギリギリだけど2車線ある。 大きさを競っているのは「昌永橋」とじゃないみたいで いつできたかは、はっきりしないけど歴史的には「小橋」の方が断然古い 奥の有名な飴屋さんよりもずっとずっと古い。 「小橋」は、1922年(大正11年)と1953年(昭和28年)の大洪水で流されて それぞれ架け替えられているんだけど 大正時代に流される前は、欄干に擬宝珠が付いた木橋だったそう。 それだったら きっとこの町内には似合っていたんでしょうね

「小橋」
竣工 1953年(昭和28年)10月
橋長 36.1m 幅員 10.5m
下路のポニーワーレントラス 1連
「小橋」で浅野川を渡り 俵屋さんはまだ営業してなかったからUターンして ちょっとこみいった町内を抜けると 木製の歩道橋を発見したから 寄ってみた「中の橋」。

昔は「小橋」もこんな感じだったんでしょうね 対岸は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている主計町のお茶屋街。 なんか自分は近寄っちゃいけない気がして「中の橋」の中央でUターンしてきた。 Uターンした場所で上流側に目を細めると 「小橋」、「中の橋」ときて、当たり前だろって感じで ふんぞりかえっていました「浅野川大橋」。

「浅野川大橋」
竣工 1922年(大正11年)
橋長 55.0m 幅員 15.6m
上路で3径間連続のコンクリートアーチ
「犀川大橋」と人気を二分する金沢の代表選手。 今の地図を見るとさっきまでは「御影大橋」がそうかと思ったけど 「浅野川大橋」から お城を囲むように武蔵が辻、香林坊を経て「犀川大橋」に続く道が旧国道8号だった。 結構ずーっと眺めてた。 1594年(文禄3年)に、自分でさえ名前を知っている 初代加賀藩主の前田利家が架けてくれたのが始まり 強くておっかない人だったのでしょうけど 未来につなげる橋も架けたのね。 何度も架け替えられて 必要だから在りつづけ 戦国の世が終わって平和が訪れ保守的になっても 病気や事故の失望感でふらふらと欄干を背に座りこんでしまう人や ほんの一時だけど思惑にはまり 転がるように笑いながら渡っていく人 もっといろいろ いろんなドラマが見えてしまいました。
うーん どうか ほんとーに いろいろ 明日とかも ハレマスヨウ二。
北陸の空part2 完結につづく橋
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浅野川近辺は実家からも今の家からも近いので
なじみ深いんですよ。
小橋とか昔はよく歩いて渡ったなぁとか。
浅野川大橋が前田利家公にまでさかのぼるような歴史があるなんてびっくりです。
そっか〜橋ができたことで浅野川大橋の近くは
城下町として栄えた跡が今も残ってるんだね。
ちょっと私もそのドラマ、妄想してしましましたw