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  07 ,2017

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 40代。 もう後半に突入

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Category: 2017年05月05日  吾嬬橋

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吾嬬橋
前半の連休は気休め程度にお仕事をして 後半のGWに2泊3日で信州と少しだけ群馬県を回ってきた 3連休って何年ぶりだろう  あぁ 年末年始とかもっと休んでるな。

例年には珍しく 朝から13度ぐらいあった憲法記念日。 一応薄手の冬用グローブを選択して 6時ちょっと過ぎにキック15発(涙)で 出発。 うすーく 雲がにじんでいるせいで 透明感はないけど まぁまぁいい天気 おかげで適温 ありがたい  あっち方面に行く時の 仕来たりに従って 春日井から国道19号に入ると スピードは1段階上がったんだけど 朝から交通量が多いなぁ〜  中でもトラックや キャリアに脚立を結んだワンボックスカーが目立つ みんな普通にお仕事してるんだね ご苦労様です

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内津峠をトンネルで越えてズンズン進み 中津川の市街地をやり過ごして 「落合川」を渡ると 道はだんだんと中山道らしくなっていく 沿線に咲く 白や赤や黄色、 なんてったってサクラの花が 今日オレが通るのを知っていて 散らずに待っててくれました おはようございます  帰りも通りますから もうちょっと頑張ってね 

2017年GW 記念すべき本日の橋1本目、 今年は渡りましたよ「木曽の大橋」。 こんなところにも中国人観光客が何人かお見えになりました いったい何が狙いなんだろう 漆器かな

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「誰のために〜咲いたの〜♪ それはあなたのためよ〜♪」 鼻歌のトーンも気温も急上昇! ハンドルより先に鼻を突き出して 風薫る国道19号 清香をかき分けて 中央本線と並走。 

口を半開きにして 塩尻まで下りてくると 道はそのまま国道20号になったけど 中山道の文字は消えなくて また徐々に登り始める。 まだ11時前だったけど 高台のどこかの道の駅で あたたかい信州そばを食べた

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国道20号に戻ってしばらくすると 国道142号に突き当り その国道142号を10kmぐらい登った 分かれ道。 3年前は直進の「新和田山トンネル」を通って 千曲川に出たなぁ 川の中に立たされたままだった「布引電気鉄道 千曲川橋梁」の橋脚は 今もちゃんと立っているんでしょうか  今回はビシッと左折して 念願のビーナスラインに挑む。

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国道142号で和田峠をトンネルで越えて すぐの分岐路で 無事ビーナスラインに入った  だからここは ビーナスで云うと”つま先”の辺りかな 

はじめのうちは誰もいなくて 美しいビーナスを独り占めだったんだけど 上に行くに従って 道も細くなるし 停められるスペースもないから クネクネ道に車も詰まってきて ちょっと渋滞気味。 でも追い立てられるのもイヤだし おかげでオレにしてみれば 安心のゆっくりペースで ビーナスをなめまわしてきた フフン。

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雪が残っているのわかるかな  今度は車で 自分が渋滞の先頭になって 嫁にも見せてあげたい 

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たぶん一番奥が浅間山だと思う  深呼吸が癖になるね  でも自分、 深呼吸するとき 必ず 「ちぃ〜らし〜すしなぁ〜あぁらっ♪」って聞こえてくるんです きれいな景色がちょっと台無し(涙)

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後半の ”ビーナス”の脇下から首筋にかけても 存分に味わって 麓に下りてきた。 美ヶ原高原美術館の駐車場から こちらの上田側に下りてくる人は ほとんどいないようで 後半はここで一台のバイクに抜かされただけだった みんな知っているのかもしれないけど こちら側は路面状態があんまり良くなかった  だからすげービビったし 「存分に味わった」 は 云い過ぎた(涙)


ビーナスラインを制覇したから 良しとして 吾嬬橋 その2につづく



 

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Category: 2017年03月19日 淀川後編

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本文: 6  Trackback: 0

淀川後編 完結
GWは 3日、4日、5日と3連休できたから 久しぶりに信州に行ってきました もちろんSRと。 激混みのビーナスラインだったけど5年ぶりにリベンジできたし 翌日は やっぱり激混みの 志賀高原-草津道で 大感動の雪の回廊を抜けてきました 寒かったけどね またちょっとゆっくり聞いてください  その前に淀川後編を終わらせないとね ねっ いらない?(涙)


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「十三大橋」で新淀川を渡り左岸堤防に登ると 「長柄運河」の跡地をまたぐ「十三”小”橋」。そのお隣に 古い鉄橋が なんとも しんどそうに架かっていました  せっかくの白んだ空色でも 爽やかさは感じない どころか このずんぐりした無骨さは さすがイギリス式の「浜中津橋」。

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新淀川改造前の淀川の河口付近は、神崎川、中津川(十三川)、大川(旧淀川)の三川に分かれていて その中津川(十三川)を渡す東海道本線の「下十三川橋梁」の9連の一員だったのが この 「浜中津橋」。 新淀川になると 中津川(十三川)は廃河川となって 大きな新淀川一本になったから 前回出たアメリカ式の「下淀川橋梁」が東海道本線の橋梁として 新たに架けられて 「下十三川橋梁」は撤去されたんだけど もったいないから 改造されて道路橋の 「十三”小”橋」的 意味合いで「長柄運河」にかけられたそうです 

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今は、「長柄運河」は埋め立てられて 風とコンビニ袋が流れる空き地を跨いでいます

1872年(明治5年)に開業した新橋 - 横浜間の場合、橋梁は全て木製だったから 1874年(明治7年)の阪神間鉄道開業の際にイギリスから輸入された このトラスは日本で最初の鉄道用の鉄橋ってことで間違いないです。 143年前のトラスが現存してるってだけでも 鳥皮ものですよ ゾゾゾ。  串に刺して炭火で焼くとうまいけどね。   栃木県の足尾市に行った時に 渡良瀬川に架かっていた 「古河橋」、竣工 1891年(明治24年)を あの時は、日本最長老って云ったけど 「古河橋」は一度も架け替えられずに”原位置で架かる”日本で最長老のお方。 お間違えのないようにお願いします(笑)

「浜中津橋」
竣工  1935年(昭和10年)5月(現在の位置)
橋長 22.434m 幅員 4.5m
ポニーワーレントラス(ピントラス)1連


「浜中津橋」に さよなら云って 「十三小橋」と「長柄運河橋梁」(阪急線)をくぐり 長柄運河跡の空き地の横の道をさかのぼること1km強。 

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今はもう使われていなくて 解体執行を震えながら待っている「水管橋」に到着 かけてあげられる言葉も見つからない(涙)。  もう4年近く前になるのか 2013年10月13日 淀川前編では この「水管橋」を憂いて終わっていますので ここから上流の橋は きっと楽しめないだろうけど 2013年10月13日 淀川前編 でお楽しみください あの頃は「赤川鉄橋」が徒歩だけど 渡れたのでオススメですよ よっ いらない?(涙)


淀川後編 完結 2日間の走行距離 422km

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Category: 2017年03月19日 淀川後編

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本文: 8  Trackback: 0

淀川後編 その3
しばらく間が空いたおかげで 自分なりに気を落ち着かせて よく見てみたら 「岩崎運河橋梁」 は別にサビサビでほっとかれてるわけじゃないようにみえる。 「木津川橋梁」だって前回塗られた時期が一番早かっただけで 当然錆びるのも一番早いから 今回塗ってもらえたわけだし 多少時期的には前後するけど 各々の塗膜の厚みの減少は変わらないんじゃないのかなと思えてきた。 でも「岩崎運河橋梁」がいじめられてるように見えたのは 白色じゃないから オレが勝手にみすぼらしく感じてしまったのかもしれないな 一番のいじめっ子は 知らないうちにオレの心の中で目覚めた偏見の目。 きっと どうでもいいだろうけど 本当に反省しています ごめんなさいね

気をとりなおして みなと通りから国道43号に移り 「安治川」だけじゃなくて周辺の町内も大きく跨ぐとき すぐ隣の河口側に「安治川大水門」が見えたけど もちろん写真はなくて そのまま「新伝法大橋」で「淀川」を渡った。

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よく見えないけど 写真中央あたりの橋にアーチが見えるのが「伝法大橋」で 全然わからないけど そのすぐ右横(河口側)に「新伝法大橋」が架かってる。 それで、もっとわかりにくいけど左側にぼんやりトラスが見えるのが「淀川橋梁」(阪神なんば線)。1924年(大正13年)に竣工した この橋梁は最近架け替えが決まったようです 古いのもそうなんだけど 大阪湾の平均海面から橋桁までが4.28メートルと低い位置に架かっていて 洪水時に水の流れを阻害する恐れがあるのと、線路は堤防より1.8m低い所を走っているから 高潮時には堤防の「防潮扉」を閉じるため電車の運行ができなくなっていたんだそう。 そんな珍しい「防潮扉」があるなんて また見てこないといかんな。


つつっといく 上流に向かって 次のトラスは 淀川橋梁(阪神電鉄本線)。

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上の写真の向こう 対岸の「淀川駅」に 旧橋の支承部を保存してくれているんだけど 持ち運べるまでに切り刻まれてるから この駅を毎日利用してる人でも ぱっと見 何かわかってる人は少ないと思う。 下の写真は前回来た時のものなんだけど オレが「駅の入場券ってありますか?」と駅員さんに尋ねたら 「どうしたいのか」と逆に問われたので 「その支承の写真が撮りたい」と答えたら 無言でゲートを開けてくれた 若いのにめっちゃいい人だったけど これが何かは知らなかったみたい

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1連の橋のほとんどの部分がなくなっているからわかりにくいけど 橋脚と接する部分。 これは「ピン支承」と呼ばれていて ボルトみたいな部分(ピン)によって1方向の回転機構を有する固定支承。がっちりと剛結合するんじゃなくて 振動とかの力を吸収するように考えられている 

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切られて離れてるからわかりづらいけど 一つ上の写真の左右は 大きな一つの橋の左右の支承部。つまり一体物だったんだけど 右と左で構造が違う 左側の支承はピンとは別の下側に棒状のローラーがあるのがわかると思います これによって熱膨張や衝撃を水平方向にも逃がすようになっている ローラーの真ん中のくびれは横ズレ防止だし 単純だけどめっちゃめっちゃいいアイディア!  今度から電車に乗って川を鉄橋で渡るときに 1連の鉄橋の真ん中あたりに来た時は 「あぁいま少し水平方向に逃げたな」と体感できるはずですから そんな鉄橋の息づかいに耳を澄ましてみてください フフン


さて、お天気もいまいちな淀川沿い 上流に向かって 次のトラスは国道2号の「淀川大橋」。

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北詰めしか拝見してませんが この親柱はかっこいいのかな? はいアールデコ! とは断言できないし ランプは橋姫さんがろうそくを立てるためにかぶった鉄輪を連想してしまう 大正生まれだからな でも図面描いた人は絶対真顔。 

「淀川大橋」
竣工 1926年(大正15年)
橋長 724.0m 幅員 20.1m
上路のワーレントラス 他


「淀川大橋」から淀川を遡ること700m。次のトラスは「下淀川橋梁」(東海道本線)。

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「下淀川橋梁」(東海道本線)
建設 1964年(昭和39年)12月 - 1974年(昭和49年)3月
橋長 790m
下路のワーレントラス 11連 他

今、地図を見るとこの辺りは「新淀川」って書いてある 「淀川前編」の時にも云ったけど 今の淀川は明治18年の大洪水をきっかけに明治30年から明治43年までかけて大改造された人工の川。 この橋は改造後に架けられたんだけど 初代の橋はイギリス人の建築師長のポーナルさんが明治29年に帰国(多分お払い箱 (涙))した後だったんで シレッとアメリカのクーパーさん達が設計を担当。 その初代複線(1902年(明治35年)竣工)の下流側に 新しく桁橋の複線が1935年(昭和10年)に竣工。 この時初代は上り線になり 新しい桁橋は下り線になって 線路が合計4本の複々線になりました はぁー

それで、今の2代目の工事着工が1966年(昭和41年)。 この頃になると もう老朽化した初代の取り替え工事だと コノヤロウ。 仕方がないので さらに下流側に新しい(今の)下り線を新設して 初代を撤去(涙)。 その後、既存の下り線の橋桁を撤去して 基礎や橋脚を改築、補強し 新しくトラスを架設して 上り線となったのが1974年(昭和49年)。 現在に至ります はぁー  何が云いたいのかって 協定が結ばれてから工事完了まで10年ですよ そりゃオレも老けますわ(涙)


オレより年下な「下淀川橋梁」上り線から また新淀川を遡ること約1.5km。 昭和の大物を発見「十三大橋」。

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その前に「十三渡し跡」の石碑が北詰めの堤防に立っていました 「十三渡し」の名前の由来は 淀川の渡しのうち、上から数えて13番目であったこととする説が有力とのこと。 1878年(明治11年)に「十三橋」と云う木橋ができて 渡しは廃止 さらに淀川大改修で川幅が広がったために 川の南側の乗り場は川底に沈んでしまったけど 北側の乗り場はこの石碑の辺りだったと記されていました

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向かって右が大阪から西へ向かう中国街道、現国道176号の「十三大橋」。

「十三大橋」(じゅうそうおおはし)
竣工 1932年(昭和7年)
橋長 681.2 m 幅員  20.0 m
下路のブレースドリブタイドアーチ 5連 他

設計は埼玉県で見た 荒川にかかっていた 大きなアーチ橋「荒川橋」も設計された 鋼アーチ橋の魔術師 増田淳大先生。 でも甲殻類に見える(涙)


向かって左側は「新淀川橋梁」(阪急線)。

「新淀川橋梁」(阪急線)
竣工 1926年(大正15年)
橋長 668m
複線下路プラットトラス 10連 他

川岸に降りてみたら やっぱり磯の香りがしたし 小さなカニの死骸が目立った。 この橋の橋脚から上流は「淀川」で下流側が「新淀川」と地図には記されています


あとちょっとなんだけど 淀川後編 完結につづく



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Category: 2017年03月19日 淀川後編

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淀川後編 その2
週末はご機嫌ナナメ。 な お天気がつづくこちら地方ですが 平日はあたたか だったりしたので「木曽川堤サクラ」は一気に満開になり 雨上がりの日は 風も強くて もうだいぶ散ってしまいました。 まるで自分を避けるようにこっそり咲き、目の前で見せつけるようにハデに散る。 この先 サクラと自分の関係性が改善されることはあるのでしょうか 本当に3度目は正直なのでしょうか(涙) 仕方がないので また ため息をつき 下を向いて花びらを数え 蕾もなかった春分の日の空を見上げます。

連休初日に都会に行くもんじゃないね 渋滞のおかげで「瑞光寺」を後にしたのは16時近く。 それでも もう一軒、気になっていた「お寺」に寄り 「新淀川橋」で淀川を渡って 大阪の街を縦断、 「新今宮駅」近くの 本日のお宿に到着したのは17時を少し回ってた

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翌朝7時16分

来た時は1階から入場したから 気づかなかったけど 健康ランドの2階にあるエントランスで振り返ると おぉー 初めましての通天閣 おはよーございます イメージではチンピラみたいな塔だと思っていたけど 実際に会ってみると以外と無口だし キチッとして背も高く 賢そうだった。  勝手に悪いイメージ持ってて ごめんなさいね  気になって漢字の意味を調べてみたら 通天は「天に届くこと。また、それほど高いこと。」 閣は「御殿・見晴らし台など、高く構えた建物」 とあった うん、とっても普通。

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通天閣と和解して キック一発 出発して 150mぐらい 「新今宮駅」の これはなんの部分だろう 跨線橋じゃぁないな ただの通路かな が!珍しい 「ハウトラス」だった 分格まで入ってる カッケー。  でも近くに自分より少し上ぐらいのおじさんが頭を上下になんども頷くように振ってブツブツ言いながら立ってたから ちょっと怖かった 絶対酔っ払い。 自分も人のこと言えないけどね  おじさんと目が合わないように こっそりと京セラドーム方面に向かう。 

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ナビの云うことを聞いて 新なにわ筋を北に向かい 頃合いを見て左折すると さっきまではコチコチに冷たかったであろう「大浪橋」が 朝日を浴び 目を細めて 弛緩しはじめていました おはようございます

「大浪橋」
竣工 1937年(昭和12年)3月
橋長 81.5m 幅員 21.7m
下路ブレースドリブタイドアーチの1連


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「大浪橋」で木津川を渡る橋上で 上流側のすぐお隣に 確認しました 大きな「木津川橋梁」(JR西日本大阪環状線)が磯の香りがする木津川を一跨ぎ。 新しく白く塗ってもらえたからか 斜めに架かっているからなのかな このダブルワーレントラスはアーガイル柄が素敵。

「木津川橋梁」(JR西日本大阪環状線)
芦原橋駅-大正駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 106m
下路ダブルワーレントラスの1連

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振り返って さっき渡ってきた「大浪橋」 の全貌。  両方ともにさようならを云い 方角を頼りに大正通りまで出て 高架の手前を左折すると この時間はのれんが掛かっていないけど 魅力的な高架下の飲食店を横目に 線路沿いを遡ること200m。  大きな船のような「岩崎運河橋梁」がこちらに船首を向けていました

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「岩崎運河橋梁」(JR西日本大阪環状線)
大正駅-弁天町駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 91m
下路ダブルワーレントラスの1連

以前来た時は さっきの「木津川橋梁」もこの「岩崎運河橋梁」と同じ松葉色をしていたんだけど 「岩崎運河橋梁」は塗ってもらえない 同じ会社で 同い年で 同じような体格をしてるのにね 朝晩の冷え込みは塗料一枚でも違うだろうに お気の毒さまです(涙)


「岩崎運河橋梁」から尻無川沿いをまた遡ること80mぐらい先にもう見えています すっかり主役の座を白鳥に奪われている「尻無川橋梁」。

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「尻無川橋梁」(JR西日本大阪環状線)
大正駅-弁天町駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 46.04m
下路ワーレントラスの1連 他

やっぱり「岩崎運河橋梁」だけひどいイジメにあっています(涙)  「岩崎運河橋梁」も今は尻無川を跨いでいることになってるけど 「尻無川橋梁」はどっかの駐車場にあって川さえ跨いでいない 上から見るとこの辺りだけ川の形が変だし 「岩崎運河橋梁」が架かっている辺りは妙にまっすぐになっているから 川の形を無理くり変えたのがわかる  まぁ しょげないで お元気でいてくださいよ さようなら


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一方通行だから ちょっと雰囲気のいい港町を大回りしていたら バイクさえ入っていけない細い袋小路に いじめられっ子がちょっとだけ見えていた いつもは白色がいいって云ってるオレだけど ここから見る「岩崎運河橋梁」は松葉色がいいって思った(本気)


やっと淀川に向かいます 淀川後編 その3につづく


03

Category: 2017年03月19日 淀川後編

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淀川後編
今年はサクラが遅いです 昨日の木曽川堤サクラは 咲いてる木は咲いてるけど全体的には まだ三分咲き程度 春なのにね。

春なのに、 前日から大きな低気圧が停滞していて 当日は最低気温が3.6℃まで下がってた。 おかげで 軽くだけど二度寝したから 出発が7時をちょっと回ってしまった 花冷えの春分の日。(3月18日)  噂どうり大阪に行ってきた。

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春なのに 吐く息は白いから 思い切って ウインターグローブを選択。 天気もそんなに良くない 花曇りの国道22号、「新木曽川大橋」に取り付けられてる温度計は4℃を示していた。  スピードが乗る国道21号に合流すると 自分たちの影の方が少しだけ前を走る。 しばらくは日の温かみを背中に感じていたけど 関ヶ原の長い下り坂は まだ路面が濡れて光っていたから 頭の中で黄色い2つの回転灯が動き出して 冷たいビビリーセンサーにスイッチが入った

国道8号に合流して 米原駅の青いワーレントラスの跨線橋を横目に しばらくすると ムーミン谷に通じる 入り口の街に建っていそうな 近江鉄道の「鳥居本駅」を発見して寄ってみた

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今まで何度となく通ったことのある国道8号だけど 初めて気がついた。 調べてみたら「鳥居本駅」の一日平均乗車人員は年々減少していて 2012年では140人ってことだから 今頃は100人もいないんじゃないかな  なんにしろ昭和6年からずーっと動かずに建っているわけだから もう少し早く見つけてやればよかったなと ごめんなさいして 再出発。

この辺りの国道8号線沿いは特にラーメン屋さんが多い。 しばらくすると「愛知川橋梁」がいるんだけど 年末年始に膝を突き合わせて挨拶してきたばっかりだから 今日は敬礼だけしてスルーした。 同じ理由で京都の街は信号待ち以外に足を地面につけてない

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それでも すごく渋滞していたから 予定より2時間以上遅れて 大阪茨木の「ねじりマンポ」に到着。 上を通るのはJR東海道本線。 東海道本線の大阪-京都間の開通は1877年(明治10年)だ そうなので竣工もそうだと思うし これは鉄道のために造られたんだから トンネルじゃなくて橋梁だと思う この写真では 全然、ねじりマンポ感は伝わらないけど 実際は計算し尽くされたレンガの配置や数の多さに気が遠くなるほど 緻密。 現場で何も考えず 力まかせにレンガを積んでたんじゃ こんなに完璧な仕上がりになるはずもない 古いものだけど いつもみたいに怖さはなく エネルギーを内包しながらもクールな美しさを感じました。 ポーナルさんが来日する前だけど平積み部はイギリス積みだった フフン。

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そんな名もない「細道橋梁」をくぐり 堤防を挟んで すぐお隣にお見えになります 「元茨木川橋梁」。 元茨木川とアルけど川じゃなくて道路をまたいでいる。 今の「元茨木川橋梁」が架かった当初は文字どうり元茨木川をまたいでいたけど 元茨木川は昭和24年に廃川となって 今は、元茨木川をグリーンベルトとして「元茨木川緑地」ってサクラが綺麗な公園に整備されていた。 桜の木も写ってるけど この時は蕾も見えない 今頃は賑わってるのでしょうか

「元茨木川橋梁」(JR西日本 東海道本線) 
摂津富田駅-茨木駅間
竣工 1912年(大正元年)
橋長 28m
下路のポニーワーレントラス
橋台はやっぱり1877年(明治10年)の竣工のようです

奥に写ってる 上り線たちにも さよなら云って再出発 また伺いますね。  家を出る時は、大阪の天気予報は”ハレ”って云ってたのにどんどん機嫌が悪くなってきて 気温も上がらないから ウインターグローブを選んで正解だったし  春なのに涙がこぼれます。 

県道じゃないや 府道の15号で「安威川」を渡り 16号に移って「神崎川」を渡ると 小学校とかもある住宅の込み入った町内に「瑞光寺」はありました 

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手水舎で一連の作法を行い「雪鯨橋」で「弘済池」を渡って 振り返ってみた「雪鯨橋」。墓石の下で ツボに入って直視しないで済むならまだしも ”骨”むき出しですからね 現場はかなりゾクゾクっとします  こちらの四代目の住職さんが 捕鯨で生計を立てていた和歌山県の港町に遊びに行った時に 豊漁祈願を頼まれてしたら 本当に豊漁になって お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進されてしまったから 住職さんが供養のためにクジラの骨を使って橋を造ったことが、「雪鯨橋」の始まりとのこと。 もしオレのところに骨を18本も持ってこられたら 強い意志を持って 何が何でも断ってやる 30両も もちろんいらない。

気味が悪いだけで 怒ってはいません 春なのにため息また一つ。

淀川後編 その2につづく