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  10 ,2023

プロフィール

小々次郎

Author:小々次郎
SR400 に乗っておっかなびっくりいろんな所に出かけては、いろいろ感じる 50代。

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Category: 2023年04月29日 会津若松

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会津若松 その6
夏はとっくに過ぎ去って 横広がりな風が気持ちいい 本当にいい季節ですね そんなセプテンバー 絶好のツーリング日和に目を背けて 毎度のことながらお仕事しかしていません(涙) こうなったらもう一刻も早く定年を迎えたい中途半端なお年頃です  でもこの前 チーム小々次郎に新たな仲間が加わったから そんなに悪いことばっかりでもないんですけどね  その話はまた今度ゆっくり聞いてください  

本編はまたまた遡ってしまうんですけど 新潟の空に戻ります これしかないんでごめんなさいね

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遠くからひとりぼっちでやって来て 性格がかわるくらい改造されちゃった「西川橋梁」にさよなら云った時にはもう 雨は上がっていたから 「旭町」の交差点を左折してしばらく行った 大鳥居をくぐるときにはもう道路も乾いてきてた  見て、もうすぐ赤いトラクターが赤い大鳥居をくぐるよ さすが米どころだね

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かわいい鹿が迎えてくれた「彌彦神社 」の狛犬ちゃん達は筋肉質だけどどちらも笑っていたから さぞ愉快な神社なんでしょう 

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おみくじも大吉だったし 大きな木に守られた格式高い神社のわりに 親しみやすそうで気さくな神様の存在を感じたから きっとそうなんだと思います 
 
多分雨に打たれ続けて弱っていたからなんだろうけど おみくじの「思うこと 思うがまゝに なしとげて 思うことなき家の内哉」 が妙に心に染みた ありがたい 

つつっといく

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「彌彦神社 」にお礼を云い  次の橋は国道289号まで戻って29.8~9kmぐらい北上する。 この辺りは航空写真を見ればわかるけど どこまでも どこまでも田んぼだらけ 無限に並んだ苗のお行儀がいいことったらない  「彌彦神社 」でカッパを脱いだからか 服が湿気を纏う田園の国道289号をストトトトーーと 久しぶりに快走。 ナビに施されて国道289号を降りてすぐ 発見! なんだコレ?

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上の写真じゃ分かりにくいけど この橋、イヤ、どの橋も川(海、谷)を跨ぐのが当たり前 その役目はクリアしていて そんなに珍しい形式でもないし 配色的にオシャレはしているけど 地味めな橋。 

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知っててもびっくり 2本の川がトラス橋で立体交差している 橋の下を流れているのが新川で 橋の中を流れているのがさっきの「西川橋梁」が架かっていた西川。 西川はちゃんとした一級河川で、 新川は1820年(文政3年)に、かつての大潟から五十嵐浜河口の間を開削して作られた人工河川。その後の改修で旧鎧潟までが新川となり 長さが13.49kmになったと 

まだ新川がなかった時代 この辺りの低平地の水が抜けないから排水のために元々あった西川の下を掘って水路を通し土地を堀割ってできたのが新川だそうです  新潟への船運や灌漑用水路として役立っていた西川の機能を損なわないことを条件に 江戸時代に西川の下に木製の”底桶”を埋め込んで造らたのが初代で  大正2年には耐久性のあるコンクリートとレンガで作り替えられた(二代目)ものの 新川の排水能力の向上など抜本的改良工事が必要となって 1955年(昭和30年)現在の鉄製トラス橋(三代目)が架けられ 今も西川の流れがつづいています

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「西川水路橋」名前は銘板にこう彫られていました

開通 1955年(昭和30年) その銘板には1954年(昭和29年)と記載(制作年)
橋長 37mあまりが2連
下路のワーレントラス

新潟は潟って云うぐらいだから 信濃川と阿賀野川の大きな川に挟まれて 水問題が悩ましいところ そこを土木の力で補っている 美味しいお米を作るのにも 自然まかせじゃない 先人の知恵と技術力が文字通り実をむすんでいるんですね ありがとうございます

本日(2日目)の橋はここでおしまい で 本日のお宿はここから11.1~2kmぐらいの 東横イン新潟古町。 

道路がんぴょう

なんで東横イン新潟古町かというと 明日の朝イチ物件から近いのと 地図中央の「本町交差点」には新潟市の道路元標があって しかもこの交差点は国道7号、国道8号、国道113号、国道289号、国道350号の起点と 国道17号、国道116号、国道402号の終点 実に一般国道8路線の起終点が集中していて これは高知県高知市の県庁前交差点と並んで日本最多の交差点なんです まぁ東横イン新潟古町がお値打ちだったんですけどね

しっかり写真も撮ったハズなのに何故か消えちゃってないんです(涙)消しちゃったのかな

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カメラが違うからか晩御飯の茶色ばっかりの焼き鳥の写真はある 栄養はなくカロリーだけな気がする 美味しいお米とかいいながら 思えば新潟では一粒も食べてないバチ当たり者 でも日本酒はしっかりいただいたから大丈夫だと思いたい


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翌朝、5月1日6時36分 いい天気。 昨日の雨走行で SRもだいぶやつれたな 帰ったら磨いてやるからね 3日目の今日が今回の旅のメインイベント 今日の行き先にはどこにも雨マークがない それだけでめちゃくちゃ嬉しい 気を良くして SRももちろんキック一発 おはよう 出発。


晴天の会津若松 その7 につづく



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Category: 2023年04月29日 会津若松

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本文: 6  Trackback: 0

会津若松 その5
夏休みもそろそろお終いですね もう宿題は済んだのでしょうか お盆休みは1日だけ毎年恒例の福井県の海水浴場に嫁と出かけました まだ台風が来るちょっと前だったから天気は良かったんですけど コロナの年より人は少なかったです それとテトラポットより岸側は濁って水中の視界が悪かった もうそこまで台風が来てたからなのかな。 

新潟や会津若松はもう遠い空だけど まだまだ続くので 雨降りのGWにシレッと戻ります 季節感がめちゃめちゃでごめんなさいね


名門出身なんだけど似合わない服を着せられたジェントルマンにさよなら云って 一段と明るくはなってきた県道72号を北東に6kmぐらい進んだところにコメリがあって助かった。 カッパを着たままコメリに入店して SRのテールランプの球を買って直した。 1球しかいらないのに2個入りだったから まだあの時のサイドバックに1個入ったままだな

コメリハード&グリーン宮内店にありがとうを云って ほとんど雨は降ってなかったけどカッパを着たまま出発 何にも迷うことなくコメリからすぐ近くの公園に この方は短くされて手厚く保存されていました

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この方も元々は「不動沢橋」や「岩田橋」と同じ「旧浦村鉄橋」の一員でジェントルマンなのは間違い無いんだけど。

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一番最初の「浦村鉄橋」と名乗っていた鉄道橋時代は6連で そのうちの2連がそのままの形で「岩田橋」と「不動沢橋」になって各地に着き、 残りの4連が2車線分に幅員を広げられ 新設の2連を従えて道路橋の「越路橋」に生まれ変わって信濃川にかけられました その期間が1959年(昭和34年)〜1998年(平成10年)。 道路橋としても役目を終えた1連が5スパン分短くされて この公園内の歩道橋として保存されています ありがとうございます

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橋門構の××の真ん中あたりが幅員を伸ばした分間伸びしてるのはしょうがないいんだけど 介護のつもりか垂直材の度に橋脚の束石があって 随分舐められたもんだなと云ってやりたい いっときは200ftの長さを一跨ぎで機関車だって車だって渡していたのにね

「越路橋」だった頃
竣工 1959年(昭和34年)
橋長 669m 車道幅員5.5m
下路プラットトラス4連 新設分下路ワーレントラス2連

地図上では何度も何度も訪れたことがあるこの場所に来れて お会いできて本当によかった これからの人生でまたお会いできる日が来たときは どうか ハレマスヨウニ。

イギリスのハンディサイド通りに想いを馳せ「越路橋」だったツワモノにさよなら云って再出発。 

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って云ってもすごくご近所の信越本線の「信濃川橋梁」。 青い方が下り線で緑色が上り線。 青い方対岸の方わかるかな なんでかわわからないけど1連だけ曲弦のワーレントラスになってる 他の平行弦にもみんな点検のために上弦を歩けるようにかな? 手すりが付けてあるけど あれだけ歩きにくいだろうな SRのテールランプが点いてるのがわかるかな

「信濃川橋梁」信越本線 上り(緑色の方が古い)来迎寺駅-前川駅間
竣工 1952(昭和27年)
橋長 599m
1〜6連単線下路平行弦ワーレントラス
7〜17連単線下路プレートガーター

「信濃川橋梁」信越本線 下り
竣工 1970(昭和45年)
橋長 602.0m
1〜6連単線下路平行弦ワーレントラス
7連 単線下路曲弦ワーレントラス
8、9連単線下路平行弦ワーレントラス

つつっと行く
「信濃川橋梁」の横に架かっている現在の「越路橋」は渡らずに 信濃川の左岸側の堤防道路を北上すること7.5kmぐらい 国道351号を右折してすぐ この方もお会いしたかった「長生橋」が また降り出してきそうな空に角を突き立てるように信濃川を大きく跨いでいました

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新潟県では信濃川に架けられた最初の橋で現在のこの橋は3代目。 ウィキペディア先生はこの橋の形式 「多連・上曲弦方式のトラス橋(カンチレバートラス)としては日本国内で唯一現存する橋梁である。」とあるけど 静岡県の天竜川にかかる「掛塚橋」は「長生橋」よりも若いけど多連で同形式の長い橋は存在しているけどね 何か役が足らないのかな 確かに2010まで使われていた大阪の「鳥飼大橋」は同形式だったけど2013年に行った時はもう完全に撤去されてたから 唯一と云いたくなるのはわかるけど 古さで云ったら「掛塚橋」だって68歳だけどね ウィキペディア先生に文句を云った方がいいのかな

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でも、現代の日本三大花火大会である 「長岡まつり「大花火大会」では、長生橋と大手大橋からナイアガラ花火が打ち落とされる。夜空の下、上空の花火に仄かに照らされる長生橋のトラスは、長岡市の夏の風物詩でもある。」ってことは確かなのでウィキペディア先生に文句は云いません

「長生橋」(ちょうせいばし)ながいきじゃない
竣工 1937年(昭和12年)10月12日
橋長 850.8m 幅員 7m
67.5m×11+65m+67.5m 13連
下路カンチレバートラス橋

そー云えば すれ違う車のナンバープレートには背景に花火が咲いていたからニヤッとなったのを思い出した 

つつっと行く。「長生橋」で信濃川を渡り「長生橋東詰広場」のとこの交差点を左折して 右岸側の堤防道路に上がりミストみたいな雨を吸い込みながら 北に進んで ちゃんと写真は撮ったんだけど「与板橋」に手を上げてそのまま5kmぐらい信濃川に沿って下ると 信濃川と大河津分水路の分岐近くの「本川橋」ニールセンローゼの橋上で「洗堰」を横目に細くなった信濃川を渡った

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信濃川大河津資料館HPより写真拝借

写真右端の赤いニールセンローゼ橋が「本川橋」。 「洗堰」の正式名称は「大河津洗堰」信濃川本川に流す水量をコントロールして 普段は日々の生活や田畑で使う水を一定量流し続けながら万一の水害から守る役目を果たしてくれています この時は全然知らなかったから写真もないんだけど 信濃川大河津資料館によってくればよかった(涙)

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何も知らない自分は 大河津分水路(上の上の写真可動堰)その先にいた 「信濃川分水橋梁」とにこやかに記念撮影。 苗を植えたばかりのこの田んぼの水も可動堰のおかげなんですね 一辺倒にも程があります 勉強して出直しますね

「信濃川分水橋梁」JR東日本 越後線 寺泊駅-分水駅間
竣工 1949年(昭和24年)
橋長 572m
10,11,12連 単線下路ワーレントラス
1〜9,13〜21単線上路プレートガーダー

現在のこの橋が何代目かは知らないですけど 初代「信濃川分水橋梁」は東海道本線天竜川橋梁200ftダブルワーレントラス19連兄弟のうち9連がこの地に架けられ 以前紹介した「早川橋梁」が一人同じ兄弟たちと離れ箱根の山に架けられました 寂しい思いはしましたけども 結果一人だけ生き残って 今ではかながわの橋100選で登録有形文化財の勲章持ち 運が良かったのかな 残り9連もまだどこかに居るのかな 北恵那鉄道の「木曽川橋梁」も同じ兄弟だったのかも知れない ロマンです


気持ちを切り替えてつつっといきます

大河津分水路を離れ 大河津分水路から分岐した西川沿いをJRの吉田駅に向かう途中即発見しました それこそこじんまりと一人で寂しそうな「西川橋梁」がその西川をちょこんと跨いでいました

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「西川橋梁」もつつっとやれるハズもなくて この方は2代目なんだけど 初代は1921年(大正10年)に当時の国鉄から払い下げた東北本線旧利根川橋梁の一部を転用していたんだけど老朽化のため撤去 そのあと2代目となるこの方が福知山線の第四武庫川橋梁の中央格間を省いて短縮改造されてこの地に架かりました 腕には製造銘板(英文)と改造銘板(和文)の双方が付けられていて 英文には「PENCOYDIRON WORKS PENKOYD PA. U.S.A 1898」と書かれているそうです このA&Pロバーツ ペンコイド社は後にアメリカンブリッジ社と統合するアメリカの老舗ブッランド。

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わかるかな銘板は見えているけどもちろん読めない  

「西川橋梁」JR東日本弥彦線 吉田駅-矢作駅間
竣工 1954年(昭和29年)
橋長 29.972m 幅員 単線
下路平行弦プラットトラス 1連

アメリカからはどこの港に上がったのか 京都からは分解して電車で線路に乗って運んできたのかな 謎は深まりばかりで夏は過ぎようとしているのに まだGW2日目の14時11分。 なかなかに進まない(涙)

そう云えばこの日(4月30日)も昼食をとってない 会津若松 その6につづく


04

Category: 2023年04月29日 会津若松

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会津若松 その4
梅雨なんてウメっぽさが微塵もなくなった今日この頃 毎日 ゲゾゲゾ暑い ですね。 イヤこんなオノマトペはないんですけど ジャゴジャゴ暑い のほうがいいですかね ジーゴジーゴ暑かばい! の方がもうやめてくれ感があっていいかも知れませんけど まあイマイチはイマイチだな(涙) メソメソすんな! とか ガッカリ って その様子をピッタリ当てはめた人ってすごいな なにか流行語大賞よりもランク高な賞を貰ってもいいと思う。

そんな8月に入っちゃったから チャチャ っといきます 

二人で一つだったのに「鷺之島橋」という相方を失った「小坂橋」を労って(小坂橋も架け替え計画があるそうです) 国道沿いから少しでも裏に入ると すぐ田んぼだらけの町内を 雨粒を浴びながら水飛沫を作って走ること4.5kmぐらい お約束通り19世紀製の「不動沢橋」なんだけど せっかくのジェントル面が 顰めっ面で濡れ鼠。 うーんでも会いたかったよう

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おでこの皺(橋門構の××)が特徴的なイギリスのハンディサイド社製のプラットトラス。 元々は新潟県私鉄の「北越鉄道」(1907年(明治40年)国有化)が1898年(明治31年)信濃川に架けた輸入品の「旧浦村鉄橋」6人兄弟のうちの一人

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元々の「旧浦村鉄橋」、鉄道橋をほぼそのまま道路橋として移築保存しているから 幅員が単線分しかないのはわかるんだけど 高さも当時の機関車がよく通り抜けれたな? 調べてみたら1898年にナスミス・ウィルソン社で、北越鉄道が導入した形式C(8 - 12)は 全高:3,696mmとあるからギリギリ通れそうかも

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製作から125年も経ってるから文化財の勲章がもらえた立派なアンティーク製品。 11年前(2012年)に長野県まで会いに行った同社製でまだ現存している「穂高川橋梁」(下の写真)の橋門構と比べてみると「不動沢橋」の方が断然低い(全高は両者共7,772mmと同じ)

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「穂高川橋梁」はJR大糸線の穂高駅-有明駅間の穂高川に架かる橋なんだけど 1897年(明治30年)に製造されていて 常磐線阿武隈川より移設され 1948年(昭和23年)に穂高川に架けられたそうで やっぱり橋門構部は改造されているみたい 橋門構は「鷺之島橋」がオリジナルって事 貴重だね(後で資料をよく読んでみたら橋門構下部が少し改造されているみたい)


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それとプレハブ式とはあるけど アメリカ式みたいに下弦材と垂直材が集まる格点はピン結合じゃなくてそれぞれリベット留めだし 引張りの斜材は下弦材のリブにクサビみたいなのを打ち込んで留めてあったから やっぱり古い橋には職人的な技術も必要なんだなと、 クールなはずの鉄なのに血の通いというか温かみを感じた。 

「不動沢橋」
製作1897年(明治30年)ハンディサイド製
この場所にかけられたのは1959年(昭和34年)
橋長 62.738m 幅員 
下路プラットトラスの1連

「不動沢橋」に再会を約束してさよならをいい 正確にはまだ雨は降ってるんだけど行先の空が明るくなってきた渋海川沿いをほんの1km北上したら ご兄弟の「岩田橋」を即発見。

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わかるかなこちらも当然文化財のプレートが埋め込まれている でも似合わない服を着せられてやっぱりちょっと顰めっ面 絶対赤い方がイギリス人ぽくジェントルマンに見えるのにね(超絶個人的) 事の重大さが全然わかってない人たちに色を決められる本人たちの悲しみをちょっとでも伝えられたらなと思う

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200フィートもある大きな体の割にはやっぱり高さが低い気がするな 同じイギリス人でも違う製作会社のパテント・シャフト社が製作して1985年(明治18年)頃に輸入されたダブルワーレントラス(下の写真)に比べてみると随分華奢になってアメリカ式寄りになってるのがわかる 

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1985年(明治18年)製 旧東海道本線揖斐川橋梁 現揖斐川橋 C.A.W,ポーナルさんの設計。 ポーナルさんは日本の幹線鉄道のために御尽力頂いた英国人技師長(当時の名称は建築師長)在日期間は 1882年(明治15年)~1896年(明治29年)。ポーナルさんがお役御免で国に帰った後 クーパーさん率いるアメリカ式のピントラスにひっくり返されることになる この年の差の12年ぐらいの間で鉄橋の歴史が大きく変わった 


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「岩田橋」
製作1897年(明治30年)ハンディサイド製
この場所にかけられたのは1958年(昭和33年)
橋長 62.738m 幅員 
下路プラットトラスの1連プラス上路プレートガーダー

P4300338.jpg

少なくとも日本に現存しているハンディサイド社製の橋は1897年製造ばかりなのでハンディサイド社はオリジナル感は出しつつもアメリカ式に則って製作して行ったのかな 機関車とかレールはイギリスの方がだいぶ先を行ってたはずなのにこの頃になるとアメリカの勢いが強くなってくる 「ハンディサイド社の創業者アンドリューが1887年に死去。ハンディサイドは20世紀前半の閉鎖までに徐々に規模を縮小し 鋳造所の敷地は宅地化されて 現在はハンディサイド通りという通りに名称を遺している。」とアル。


全然チャチャとしてないし 別にアメリカ式も大好物  会津若松 その5 につづく


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Category: 2023年04月29日 会津若松

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会津若松 その3
更新しない間にまた一つ年を取りました(涙) その1でしっかりと「霞橋」を紹介しているのに「生地中橋」を記念すべき2023年のGW、本日の橋一本目。とか紹介しちゃってごめんなさいね きっとツッコミ入れられた方も見えると思いますが(いないか) 書いてるそばから 文字どうり記憶にカスミがかかっていくお年頃。 こっからの1年1年をただの通過点にしない為に なんでもない1日でも人生の一部だと目ぇを見開いて日々を過ごしていかないといかんなと誓った誕生日でした

つつっと行きます

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ハレマスヨウニと願って眠ったハズなのに運命と天気予報はかわらない 翌朝7時12分。 チェックインの時は かろうじてエントランスの庇下に停めれたからシートはそれほど濡れていなかったけど やっぱりしっかりちゃんと雨が降ってる カメラは防水袋に入れてリュックの底にしまい リュックにはカバーをかけて 自身はGoldwinのカッパを着てブーツカバーを履き、防水グローブをつけた そう 完全装備だけれども これから冷たい群雨に立ち向かわなければならないかと思うと 気もハレない(涙)

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「アルファー1上越」にさよなら云ったら マックの交差点を左折して国道8号に入り「関川大橋」で関川を渡ってからは 大分端折るけど 国道253号に移り どこにでもありそうな町内の交差点を左折して 途中1車線しかない田舎の山道だけど歴とした国道の403号をバチバチと雨を弾きながら シールドにへばりつく雨粒を払い払い やっとの思いで ”あの”峠の展望台にたどり着いたのは宿を出てちょうど1時間01分後の8時13分。(上の写真)

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写真のブロガーさんのところで拝見した「星峠の棚田」。 それ以来行ってみたいと夢見てきましたけれども結果は昨日の時点でわかってました(涙) カメラはリュックの底にしまったままなので iphone ですけど 田に水を張ってあるのか ただの水溜まりなのか区別がつかんし ご覧の通りこんな雨の中人っ子一人居ませんでした また(涙)。

一人は初めからだし、慣れっこですから 被ったままのヘルメットの中で「お疲れさまでした」と呟いて しょうがなく憧れの峠を後にした。

いつもは iphoneに落としたナビアプリを使って移動しているんだけど 流石にこの雨では感電すると思ってカッパのポケットにしまっていたのがいかんかった

IMG_1947.jpeg

「仙田橋」
竣工 1961年(昭和36年)
橋長 42m
幅員 5,5m
下路 ボーストリングストラス

星峠から道なりに降りてきて 国道403号に左折して 渋海川 沿いを北上するはずが 左折場所を見逃して 信濃川まで出てしまい 変だと思いながも雨の中だから確かめられずに北上を試みて 行き過ぎているだろうけど また確かめられないまま感覚で西に向かったら しばらくして国道403号にでた 流石に単車を止めて地図を確かめたら近所に はじめましての「仙田橋」を発見した 
「仙田橋」に会ったからもうわかった そのまま国道403号を星峠方面に少し戻って こんにちは「室島橋」

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「室島橋」も当然初めましてなんだけど「仙田橋」と瓜が二つだから また迷って戻ってきたのかと思った 1本道なんだけどね 本当なら星峠から来ると先にこの「室島橋」にたどり着くハズなのに 雨のセイで 雨なのに随分大回りしてしまった 

「室島橋」
竣工 1959年(昭和34年)
橋長 42m?
幅員 5,5m?
下路ボーストリングストラス

資料に「仙田橋」と同サイズとあったのでこう載せた でも年代と型式は間違いないけど 制作会社は違うようなのでちょっと違うかも知れない  資料通り「仙田橋」の親柱には照明が乗っかってる以外、塗装の色褪せ具合も含めて見た目の違いはなかったと思う いずれにしろハレていれば新緑たちの賑わいも変わって見えたに違いない

カッパのファスナーを上まで引っ張り直して「室島橋」にはさよなら云って Uターン 当たり前だけどもう一回「仙田橋」を横目にさよなら云って まあまあ雨降ってて誰も居ない 国道403号で北上すること5kmぐらい

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今初めて知ったんだけど「美しい日本のむら景観コンテスト」で、最高賞の農林水産大臣賞を受賞した「小白倉集落」。 当日はそんなこと何にも知らなかったんだけど 雨で視界が狭まって前しか見えない状態なのに単車止めて写真撮ったぐらいだから 綺麗に撮れてる撮れてないや もっといいアングルがあるとかないとかは別として こんな凝り固まった自分でも特別な景色だと感じたんだと思う 

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「小白倉集落」から15kmぐらい北に進んだ場所 ここに「鷺之島橋」、下路のボーストリングストラスが架かっていたんだけど ご覧のように隣に新橋が出来てその「鷺之島橋」は撤去されていた もうずっと前から知っていたんだけどやっぱり悔しいから新橋が同じ名前なのかは見ずに無視してきた  ここはボーストリングストラスが連続して2橋架かっている場所として知られていたんだけど「鷺之島橋」は撤去されたから 奥に見えてる「小坂橋」が相方を失って寂しそうにしてる

新潟

2012年4月の上空から見た写真には蛇行する渋海川を404号に変わった国道が一直線に貫けるように「鷺之島橋」と「小坂橋」が連続して架かっていた 普通の道路のように知らないうちに川を渡るより アーチ橋をくぐり抜けて川を渡る方がありがたみがあると思うし ましてや古くてあまり見かけないボーストリングストラスが連続してだったらニヤけ度が違うハズ。 もちろんハレてたら満貫。

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名前を知らない現橋で一回渋海川を渡らせてもらい つづけてもう一度渋海川を渡る「小坂橋」。 前出の「室島橋」、「仙田橋」、今は亡き「鷺之島橋」とこの「小坂橋」4本ともがボーストリングトラスなのは場所と年代が近いのと橋長がほとんど同じだからかなとも思うけど 「仙田橋」が造られる時の広報に「ボーストリングトラス橋は雪国の鉄橋としては最も合理的に設計され、積雪や寒さで鉄骨のくるう心配はほとんどないそう」とアルからそうなんだと思うけど 合理的の根拠は謎。

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「小坂橋」
竣工 1955年(昭和30年)11月
橋長 42.70m 
幅員 6.00m
下路のボーストリングストラス 1連


当日自分はここで気がついたんだけど  SRのテールランプの球が切れてる 遡ってみると「仙田橋」の時には既に切れてるから 知らないって恐ろしいことだけど 気づいたこっからの方が恐怖 止まる度にハザードを点灯させたぐらいめちゃめちゃ緊張した でもそんな人通りもなかったんだけどね

次回19世紀の橋が登場 会津若松 その4 につづく



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Category: 2023年04月29日 会津若松

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会津若松 その2
大体台風は毎年19号あたりが悪さをするってイメージがあったんだけど 早くも2号にかなりのダメージ受けたこちら地方です 前線の位置が日本にかかってるなと心配していたら 台風2号から流れてくるぬるくて湿った空気が前線をヤダ 刺激しちゃうもんだから 線状降水帯が発生してひどい雨が降りました そのことは云い訳にできませんけども 気づいたら梅雨に突入していますし GWからはもう一月以上が経ってしまいました(涙) ここまできて、この年になるともう この間のことなのか 何年か前に行ったことなのか自分でもわからないぐらい同じような記憶になってしまっているのにちょっと恐怖を感じます(怖)

でも ぜひ見てもらいたい イカした橋がいくつもありますから 自分も写真とメモを見て思い出しながら ちょっと聞いてもらってもよかかしら

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金額じゃぁないよねと云い聞かせて 今日旅に出られた感謝の気持ちと 今回の旅も必ず無事故無違反で帰りますと宣言して「日枝社」にさよならいった また来ますね

きっと昔は国道8号だったであろう県道の1号に戻り また水平線と並走。 「早月橋」で早月川を渡り ミラージュランドの観覧車を横目に より海側を走りたいから今度は県道の2号に移って その「しんきろうロード」で潮風を嗅ぎ分けながらストトトトーと北上をつづける

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しばらくすると 地元の内海あたりと変わらないような懐かしい町内の雰囲気がしてきたから 鼻を効かせて二股を左に進むと 懐かしさが現実に変わってポンポンポンと記憶が蘇った

P4290285のコピー

10年ぶりです お久しぶりの「生地中橋」。お互い様だけど あなたもお腹にサビを垂らして歳をとったね そりゃハレの日ばかりじゃないもんね 一緒一緒。 一見、普通の箱桁橋に見えますけど ここは運河。 この橋 船を通す為に回ちゃうんです フフン。  あれ?まともにやるのは今日初めてだな 記念すべき2023年GW 本日の橋一本目。

「生地中橋」(いくじなかばし)
橋長 38.4m
幅員 7m
重さ 約307t
1982年(昭和57年)
旋回式可動橋

ボケボケしてるとまた来るよと さよなら云って「生地中橋」で運河をゆっくり渡り また前を向いて北上する この時ちょうど13時26分。 初日は移動日とすることが多くて距離を走る時は別に決めてないけど食事をしないことがよくある 今日も朝から何にも食べてない

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「生地中橋」がある運河沿いの町内 13時26分。


こっからは未開の地。 腹具合は宿についてから考えようと すっかり鼠色になったアスファルトが部分的にサビ色に染まっている国道8号を流れに合わせてスッ飛ばしていたら 後ろの赤い軽自動車のおねぇさんがベッタリ引っ付いてきてヤナ感じ。 なんだけど 進むにつれて曇ってきた日本海を見ていたら なんかじんわりとしてきて 優しい気持ちにさえなってきて きっとおねぇさんも悪気はないんだろうなと思えてきたから じゃ一緒に走りましょうかと先導することにした 

気持ちを切り替えて おねぇさんと勝手にランデブー しばらくしたら 縦書きで「親不知」の看板発見 なんか聞いたことあるなと思ったから 次のパーキングスペースにウインカーを出して おねぇさんとはお別れ またねぇー

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飛騨山脈(北アルプス)の北端が日本海によって侵食されたために生まれたもので、崖の高さは300 - 400mもあるんだそう あのあたりかな 山脈をジワジワと崩してく日本海も執念深いな  断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで古くから交通の難所として知られるとアル。 ちょっと見たら歌川広重も浮世絵にしてて結構有名だったみたい 「親不知」の名称の由来は諸説あって一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道なのでこの名が付いたとされてるってアル 哀しいエピソードもたくさんあるみたい アーメン。

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振り返ると SRは全く興味がない様子「まだぁー」って云ってる 他に人影もないし その深い歴史のわりに人気がない まぁもっとハレてれば印象も変わったと思う  今調べてみたら旧北陸本線の親不知トンネル(土木学会選奨土木遺産)が保存されていたり 近くのえちごトキめき鉄道「市振駅」の駅舎とランプ小屋や えちごトキめき鉄道「親不知駅」駅舎は文化財に登録されていたから いつものことながら寄って来ればよかった(涙)


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その後、国道8号線沿いの全然回転していない風力発電の大きな風車が隣接する道の駅の駐車場には寄ったけど(上の写真)もう15時を大きく回っていたから やっぱり何も食べずに16時過ぎには本日のお宿「ホテルアルファー1上越」に無事到着。 実に予約は3月2日に入れていました はるばる来ましたよ

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色々と色にはうるさいオレだけど 気づくと持ち物はほとんど黒色になってる  SRもまぁ黒って言えば黒だしね あと5年もすれば真っ赤かになるのかな それはそれで楽しみですけども。 チャチャっとシャワーを浴びて いい時間になったからホテル裏の焼き鳥屋さんに入店。

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実は評判を見てホテルの予約時点でもう決めてました だからお昼も我慢できたのかも知れない 誰にいいところを見せるわけでもないのにこれプラスオニオンスライスを一人で食べました 大満足。 とりあえずビールの後には せっかくの日本三大酒どころだしと義務感もあったから しっかりと日本酒もいただきましたよ フフン。 えっ酒どころ日本一は兵庫県なの?


結局「生地中橋」が本日最初で最後の橋になったし 明日は全日雨予報ですけど 初日終了で 会津若松 その3につづく