01 ,2013
いやだぁ 雨のハッピーマンデー。 新成人おめでとうございます こんな日は、タクシーに泥水かけられて折角の晴れ着を台無しにされた なんてニュースがそこらじゅうから聞こえて来そう いい思い出になる事でしょう まぁここに来て下さる方に新成人はいないだろうし きっとほとんどの方は、軽く2回は成人してると思いますけど(ごめんなさい ごめんなさい)
昨日の、この地方は 午後から曇ってきたものの 寒さも控えめだったんで近場物件の調査に出掛けた

実は 走り始め じゃぁない 3日の日に大阪方面に向うも途中雪が降ってきて断念 命からがら引き返してきたから今年2回目の出陣。 そのおかげでキック3発と少なくすんで 8時25分出発。
いつもの国道22号 吐く息でシールドは曇るけど、朝日に向って走るからそんなに寒くは感じない 太陽エネルギーにプラス膝に貼ったホッカイロのおかげ ホッカイロは商品名かな コピー機の事を未だにゼロックスと云う人がいるけど そんな感じ?
康生通りを左折して、浄心の辺り 空気中の見えない水分の一つ一つが太陽の光をもらいキラキラと輝いてた 天気が良ければ澄んでいる分 冬も悪くない 弁天通りを過ぎると「名城公園」に到着 文字通り名古屋城の公園。 ここから堀川と一緒に下って行こうと思う
記念すべき2013年 本日の橋一本目は「中土戸橋」

あんまりコンクリートの橋に興味はないんだけど 避けては通れないし 一応やっとく

「中土戸橋」(なかつちとはし)
架設 1932年(昭和7年)
コンクリート桁橋
と かなり古いけどランプ以外は、全国に2万本ぐらい架かってるんじゃないかなって思える欄干のデザイン。型を使い回してたりしてね さくらの咲く頃だともっと印象が違ったかもしれない
渡ってUターンしてまた堀川沿いに下る と すぐ次の橋発見。「堀端橋」。

やったね これは間違いなく鋼橋。見えてるし だけど、方杖はついてるけどラーメンじゃないし なんだろな

奥に居らせますのは「名古屋城」様であらせられます おはようございます
「堀端橋」(ほりばたはし)
竣工 1933年(昭和8年)
鋼桁
羊羹を立てた様な素っ気ない親柱には、わざわざ「昭和53年10月改築」と書かれた銘板がはめ込まれてた なんでそこを強調するのかは謎。
堀川は元々、1610年に福島正則さんが名古屋城築城に際して、資材運搬を目的とした水路として掘削したといわれてて その後、明治初期に庄内川からの取水が始まり庄内川水系に仲間入り 流れてない様に見えるし きちゃない川だけど何を隠そう一級河川。 折角立派になられたんだからもうちょっときれいになったほうがいいなと思いながら進むと 名古屋城のお堀の角のところに新たな橋発見。「筋違橋」。

とんでもない親不孝をしでかしたのか、それとも関係ない人が死んでしまったのか とにかくなにかの不合理があったのは間違いない じゃないとこんな名前がつくはずがない この近辺で起きた誰かの不合理なエピソードを昔の人はおもしろがって橋にこんな名前を付けたのか それとも戒めのためなのか

調べて見ると、東京にも大阪にも「筋違橋」は存在する 全国的な逸話なのか と思ってよく調べるとなんてことはない「スジチガイ」と読むから逸話も聞こえてきそうだけど「スジカイ」なら話は別 今ではあまり使われなくなったけど 建築業界では交差すると云う意味。 なんだぁちょっと残念
「筋違橋」(すじかいはし)
竣工 1933年(昭和8年)
方丈ラーメンと鋼桁(北側と南側で構造が違うみたい また行ってこなきゃな)

とっても寒いのにお堀の周りをジョギングする人が沢山いた オレも正月太りをなんとかしないとSRの燃費に影響が出てるし しかしこれは本当に一時的な正月太りなんだろうか ちょっとその辺一走りして、腹筋してくるから
堀川沿い その2につづく
昨日の、この地方は 午後から曇ってきたものの 寒さも控えめだったんで近場物件の調査に出掛けた

実は 走り始め じゃぁない 3日の日に大阪方面に向うも途中雪が降ってきて断念 命からがら引き返してきたから今年2回目の出陣。 そのおかげでキック3発と少なくすんで 8時25分出発。
いつもの国道22号 吐く息でシールドは曇るけど、朝日に向って走るからそんなに寒くは感じない 太陽エネルギーにプラス膝に貼ったホッカイロのおかげ ホッカイロは商品名かな コピー機の事を未だにゼロックスと云う人がいるけど そんな感じ?
康生通りを左折して、浄心の辺り 空気中の見えない水分の一つ一つが太陽の光をもらいキラキラと輝いてた 天気が良ければ澄んでいる分 冬も悪くない 弁天通りを過ぎると「名城公園」に到着 文字通り名古屋城の公園。 ここから堀川と一緒に下って行こうと思う
記念すべき2013年 本日の橋一本目は「中土戸橋」

あんまりコンクリートの橋に興味はないんだけど 避けては通れないし 一応やっとく

「中土戸橋」(なかつちとはし)
架設 1932年(昭和7年)
コンクリート桁橋
と かなり古いけどランプ以外は、全国に2万本ぐらい架かってるんじゃないかなって思える欄干のデザイン。型を使い回してたりしてね さくらの咲く頃だともっと印象が違ったかもしれない
渡ってUターンしてまた堀川沿いに下る と すぐ次の橋発見。「堀端橋」。

やったね これは間違いなく鋼橋。見えてるし だけど、方杖はついてるけどラーメンじゃないし なんだろな

奥に居らせますのは「名古屋城」様であらせられます おはようございます
「堀端橋」(ほりばたはし)
竣工 1933年(昭和8年)
鋼桁
羊羹を立てた様な素っ気ない親柱には、わざわざ「昭和53年10月改築」と書かれた銘板がはめ込まれてた なんでそこを強調するのかは謎。
堀川は元々、1610年に福島正則さんが名古屋城築城に際して、資材運搬を目的とした水路として掘削したといわれてて その後、明治初期に庄内川からの取水が始まり庄内川水系に仲間入り 流れてない様に見えるし きちゃない川だけど何を隠そう一級河川。 折角立派になられたんだからもうちょっときれいになったほうがいいなと思いながら進むと 名古屋城のお堀の角のところに新たな橋発見。「筋違橋」。

とんでもない親不孝をしでかしたのか、それとも関係ない人が死んでしまったのか とにかくなにかの不合理があったのは間違いない じゃないとこんな名前がつくはずがない この近辺で起きた誰かの不合理なエピソードを昔の人はおもしろがって橋にこんな名前を付けたのか それとも戒めのためなのか

調べて見ると、東京にも大阪にも「筋違橋」は存在する 全国的な逸話なのか と思ってよく調べるとなんてことはない「スジチガイ」と読むから逸話も聞こえてきそうだけど「スジカイ」なら話は別 今ではあまり使われなくなったけど 建築業界では交差すると云う意味。 なんだぁちょっと残念
「筋違橋」(すじかいはし)
竣工 1933年(昭和8年)
方丈ラーメンと鋼桁(北側と南側で構造が違うみたい また行ってこなきゃな)

とっても寒いのにお堀の周りをジョギングする人が沢山いた オレも正月太りをなんとかしないとSRの燃費に影響が出てるし しかしこれは本当に一時的な正月太りなんだろうか ちょっとその辺一走りして、腹筋してくるから
堀川沿い その2につづく
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