04 ,2012
2010年8月12日 富山県 その2
国道158号に一瞬だけのって 高山市街はスルーしたかったんで また岐阜県道73号に左折して入った。
高山本線の上枝駅前を通過したら、急に道が細くなちゃったんで、不安になり 上枝駅前にあった道路標識を見に戻ったら その標識に右折で国道41号に出れるって書いてあったんで 上枝駅前を右折して国道41号に左折して入った。 入る時に「八千代橋」で宮川を渡った。 上枝って書いて たかもく 絶対に読めん。
うまく高山市街を通らずに国道41号に入れた 高山までぐらいなら日帰りでも橋物件調査出来るだろうと国道41号は、通らずに「せせらぎ街道」を選んでた。 今度は、宮川沿いに国道41号を上って行く。
普通に大きい街中の国道で、量販店が並んでいる。 程なく「道の駅アルプ飛騨古川」発見して、風呂ないかなぁと駐車場に入るも 無さげで駐車場を一周して一回も足をつけずに また国道41号に戻った。まだ食欲もナッシング。
「新鮎之瀬橋」の看板は良く覚えてる なんか長良川に架かってそうな橋の名前だなぁ と思ったから 「新鮎之瀬橋」で宮川を渡って、国道471号と国道41号の分岐。 国道471号の方に高山本線がついて行くから国道471号を走った方が いろいろ物件もあっただろうけど 今回は、「神岡」に寄って 旧神岡鉄道の橋梁達に会おうと思ってた。
山あいの国道41号、東街道を上って行く。 山間に入るとワントーン暗く感じて少し不気味。 雨の道を シャーって音をたてて走る。
「神岡」の文字が見えて国道41号を下りて行くと「ようこそ宇宙なんとか神岡」ってなんの話?と思いながら川沿いを少し上るけど 閉鎖間のある下町風の街並。 うーん 会いたい橋はこの辺ではなく、もっと先の神岡町だろうと 雨のせいで地図も確かめずに、また国道41号に戻ったのがいかんかった。
国道41号に戻ってすぐの「船津北」の信号の下で 高原川が41号に追いついた。国道41号で高原川沿いを上って行く。
しばらくすると「割石温泉」の看板。 なんの知識もなく、この温泉に入ろうと思った。一回も休憩してないし、雨だけど だいぶ時間短縮してるんじゃないかと思ったんで 山間の温泉にトキメイたよ。 信号があって、また「割石温泉」は こっちの誘導看板。 信号を左に登って行く 国道41号よりさらに高い位置にあるらしい「温泉」に向かって山をくねくねと 高さで30〜40メートルぐらい登ったかな そしたらあったよ 「割石温泉」結構古くて小さめで、平屋だった。温泉の建物と云うよりは、町の公民館の様で、車は、1台も停まっておらず 営業してるかどうかも確かめずに 今来た道を降りる。 やっぱりやめた 晴れてたら入ったと思うけど あれではベチャベチャが目立ちすぎてしまう 「割石温泉」に罪はない。
下りて行って国道41号の信号待ち 国道41号に入る所に大きな鉄板が敷いてあって、滑らない様に注意して入った。
この辺りは、川面と道とで かなりの高低差があって国道41号の山側からロックシェッドが張り出している所が何ヶ所もずっと続く。 おおきく左にカーブしながらロックシェッドとロックシェッドの合い間の明かりとりで 見えたよ「高原川橋梁」。オレンジ色とブルーに塗り分けられた その橋梁は、現役バリバリに見えるけど、今はもう使われていない可哀想な橋。

この時は、神岡鉄道1本目ー って大喜びだったけど、だいぶ雨のせいで これ以前にいた橋をスルーしてしまってた このあと何本か長めのトンネルを抜けて、地図を確かめなくても記憶にあった「猪谷」の信号の漢字にピクンと反応して、この信号左折して「神狭橋」で高原川を渡ったすぐの商店の自販機でお茶を買い たまたま雨が止んでたんで地図をだすと、 もう富山県に入ってるのに気づいた。 大ショック。 この「高原川橋梁 神岡鉄道」以前の何本かは、日帰り調査の道程に入れんといかんくなった。 とほほん
そのうちの1本「霞橋」なんかは、「アルプ飛騨古川」と「新鮎之瀬橋」の間におった。アルプ寄って地図を確かめてたら全部 取りこぼすことなかったのに、温泉見に行ったりして うかれとる うかれとらんか。 みんな雨のせい まぁいい。再調査。
「第二高原川橋梁」と第二だった 「高原川橋梁」はすでに撤去されてた。取りこぼすわけだ
「第二高原川橋梁」旧神岡鉄道 漆山駅と神岡鉱山前駅間。
単線の下路で曲弦プラットトラスの一連。
まだ廃線から4年なんでペンキの具合 肌つやもいい。
猪谷の商店で愕然となったけど引き返す元気はない 長めのトンネル3つも戻りたくない。先に行く。

こちら「神狭橋」(じんきょうはし) 視界悪い
国道41号に戻り、わりとすぐに「道の駅 細入」の看板に寄った。嫁にメールしようとしたら 携帯電話がない。そういえば鏡台で充電しててバックに入れた記憶がない。 忘れた。 嫁の携帯番号は、便利な世の中の為暗記してない。唯一暗記していた実家に電話して嫁の番号を聞き、公衆電話からかけて、その事留守電に入電した。
一つしかないと思われる電話BOXの横に「林々」とパンダのなまえの看板があったけど「道の駅 細入」で間違いない 電話BOXには、十何年ぶりぐらいに入った。
雨は、ミストの様になっていて、どちらかと云えば降ってない状態だったので、下のカッパは履いたまま、上だけ脱いで 天ぷらそばを食べた 食べてたら ライダー2人入ってきて やっぱりそばを注文してた。 おれは、長Tシャツまで濡れて本来より濃い色になってるけど この人達は、ハジいてるのか濡れてない。きっと高級カッパなんだろう 結構おじさんだけどスマートな2人組だった。 そばはオレの方がいいのを食べてるんで まぁいい。
でも典型的な冷凍麺。天ぷらも粉っぽい。500円ぐらいだったと思う券売機なんでレシートがない ちょっと休憩。 もう富山県に入ってる 10時20分。
単車に戻るとおじさんライダーのSS がSRの横に2台停まってた 同じ乗り物としてくくるのは、申し訳ないぐらいに速そうだ。
カッパを着てエンジンを掛けたとたんに 笑えて来るぐらいの土砂降り。 休憩中は降ってなくて出発しようとすると 土砂降り。 富山県の悪口を言い過ぎた報いなんだと思う、本人は、冗談のつもりだったのに、富山県には通じない。やっぱりきらいだ富山県。 やけくそで出発。
目の前にいつのまにか高山本線が追いついて来た。 高山本線と並走する。
すぐに1kmをこえるトンネル。「庵谷トンネル」古いけど明るめのトンネルの前に「雨天走行注意」の電光掲示板の文字。 やさしいな ありがとう注意するよ 電光掲示板に気づかわれそのトンネルを抜けると、川面が近くなって、巨大な橋脚の遺構が川の中に残っていた。

コンクリートの橋台は1つが6〜7m角ぐらいのが2台が川の中にあって、対岸の丘にも1つコンクリートの塊が見える。

この橋台の上に鋼橋がのっていて対岸の丘から鉄道を渡していたのは、昭和6年から昭和42年までの間。 「神岡軌道」の「神通川橋梁」としてがんばっていた。 2006年に廃線になった「神岡鉄道」と区別されるのは、 もっと前の鉄道で「三井鉱山株式会社」が敷設した鉄道。 当初は、鉱山専用軌道だった。
この遺構の残る「神通川橋梁」は
供用が 1931年(昭和6年9月16日)
全長 294m
水面からの高さ 57mまで持ち上げた桁。
使用鉄骨 550t
身長57m 体重550tと云えば そう コンバトラーVと同じ。 巨体がうなるぞ空飛ぶぞ。
総工費15万円と格安。 当時、基礎工事を飛島組。 設計制作を東京鉄骨橋梁製作所。組み立て架設を清水組が担当してJV組んでた。 飛島組が担当した基礎だけが残っているってことか 550tもの鉄骨は、一度、融けてまたなにか重要な役目を何処かで果たしているに違いない。 鉄は、再利用出来るから解体されるけど、コンクリートは、ただのゴミになってあしまうし、ハツルの大変だもん ロマンを感じながら見ているこの橋台も、実はめんどうで残っているだけなのかな 川に影響がなければこういった遺構は残しといてもらえれば、また変人がありがたがって拝みにくるだろう。

ここからすぐ前方の国道41号が大きく右にカーブしているのが見える。 朱色のラーメン構造のロックシェッドの横 奥に「猪谷川橋梁」が見えてるよ すげーナ お宝いっぱい。 雨でもヘーキ テンション上がって来たよ。
ロックシェッドを抜けて「猪谷橋」で沢を渡るときすぐ横のわりと高い位置に「高山本線の猪谷川橋梁」が架かってた 国道41号のの「猪谷橋」ややこしい の横に停まって、少し歩いて「高山本線の猪谷川橋梁」に近づくと、すごく大きかったのに撮った写真で見ると小さくみえる なにか対象物があるといいなと思った。電車が走ってればその大きさもわかるだろうけど高山本線じゃ電車もそんなに走ってないし、カメラもフラッシュを炊くと変な色になるしいつか基本を勉強しんといかん

「猪谷川橋梁」(いのたにがわきょうりょう高山本線)は富山県富山市の猪谷駅と楡原駅間の猪谷川に架かるJR西日本、高山本線の橋梁である。
供用 1930年(昭和5年11月27日)
橋長 103.28m
1、4、5連が上路のプレートガーター
写真の2、3連が上路のワーレントラス
結構古い さっきより古いなちょっと感じが違うトラスだ。橋脚の根っこの場所が新しめに公園の様に整備されているのは、いいけど 橋脚はやっぱり古くて涙を流している 雨なんで空が白くてのっぺりとしている

これは、国道41号の「猪谷橋」上路のアーチ。
雨の中出発。 さようならまた来ると思います。
少し走ってると「第二砂場橋梁」が国道41号沿いの意外に近い位置にいたけどなぜかスルーしてしまった 目に留まったし形状も確認して ”おっ” って思ったのに停まらなかった。 もう1本白いトラスもそんな感じでスルーしてしまった すぐ停まれそうなスペースがなかったのもそうなんだけど やっぱり台風4号が先を急がせた。
まぁまた今度 本当に今度はあるのか
2010年8月12日 富山県 その3につづく
国道158号に一瞬だけのって 高山市街はスルーしたかったんで また岐阜県道73号に左折して入った。
高山本線の上枝駅前を通過したら、急に道が細くなちゃったんで、不安になり 上枝駅前にあった道路標識を見に戻ったら その標識に右折で国道41号に出れるって書いてあったんで 上枝駅前を右折して国道41号に左折して入った。 入る時に「八千代橋」で宮川を渡った。 上枝って書いて たかもく 絶対に読めん。
うまく高山市街を通らずに国道41号に入れた 高山までぐらいなら日帰りでも橋物件調査出来るだろうと国道41号は、通らずに「せせらぎ街道」を選んでた。 今度は、宮川沿いに国道41号を上って行く。
普通に大きい街中の国道で、量販店が並んでいる。 程なく「道の駅アルプ飛騨古川」発見して、風呂ないかなぁと駐車場に入るも 無さげで駐車場を一周して一回も足をつけずに また国道41号に戻った。まだ食欲もナッシング。
「新鮎之瀬橋」の看板は良く覚えてる なんか長良川に架かってそうな橋の名前だなぁ と思ったから 「新鮎之瀬橋」で宮川を渡って、国道471号と国道41号の分岐。 国道471号の方に高山本線がついて行くから国道471号を走った方が いろいろ物件もあっただろうけど 今回は、「神岡」に寄って 旧神岡鉄道の橋梁達に会おうと思ってた。
山あいの国道41号、東街道を上って行く。 山間に入るとワントーン暗く感じて少し不気味。 雨の道を シャーって音をたてて走る。
「神岡」の文字が見えて国道41号を下りて行くと「ようこそ宇宙なんとか神岡」ってなんの話?と思いながら川沿いを少し上るけど 閉鎖間のある下町風の街並。 うーん 会いたい橋はこの辺ではなく、もっと先の神岡町だろうと 雨のせいで地図も確かめずに、また国道41号に戻ったのがいかんかった。
国道41号に戻ってすぐの「船津北」の信号の下で 高原川が41号に追いついた。国道41号で高原川沿いを上って行く。
しばらくすると「割石温泉」の看板。 なんの知識もなく、この温泉に入ろうと思った。一回も休憩してないし、雨だけど だいぶ時間短縮してるんじゃないかと思ったんで 山間の温泉にトキメイたよ。 信号があって、また「割石温泉」は こっちの誘導看板。 信号を左に登って行く 国道41号よりさらに高い位置にあるらしい「温泉」に向かって山をくねくねと 高さで30〜40メートルぐらい登ったかな そしたらあったよ 「割石温泉」結構古くて小さめで、平屋だった。温泉の建物と云うよりは、町の公民館の様で、車は、1台も停まっておらず 営業してるかどうかも確かめずに 今来た道を降りる。 やっぱりやめた 晴れてたら入ったと思うけど あれではベチャベチャが目立ちすぎてしまう 「割石温泉」に罪はない。
下りて行って国道41号の信号待ち 国道41号に入る所に大きな鉄板が敷いてあって、滑らない様に注意して入った。
この辺りは、川面と道とで かなりの高低差があって国道41号の山側からロックシェッドが張り出している所が何ヶ所もずっと続く。 おおきく左にカーブしながらロックシェッドとロックシェッドの合い間の明かりとりで 見えたよ「高原川橋梁」。オレンジ色とブルーに塗り分けられた その橋梁は、現役バリバリに見えるけど、今はもう使われていない可哀想な橋。

この時は、神岡鉄道1本目ー って大喜びだったけど、だいぶ雨のせいで これ以前にいた橋をスルーしてしまってた このあと何本か長めのトンネルを抜けて、地図を確かめなくても記憶にあった「猪谷」の信号の漢字にピクンと反応して、この信号左折して「神狭橋」で高原川を渡ったすぐの商店の自販機でお茶を買い たまたま雨が止んでたんで地図をだすと、 もう富山県に入ってるのに気づいた。 大ショック。 この「高原川橋梁 神岡鉄道」以前の何本かは、日帰り調査の道程に入れんといかんくなった。 とほほん
そのうちの1本「霞橋」なんかは、「アルプ飛騨古川」と「新鮎之瀬橋」の間におった。アルプ寄って地図を確かめてたら全部 取りこぼすことなかったのに、温泉見に行ったりして うかれとる うかれとらんか。 みんな雨のせい まぁいい。再調査。
「第二高原川橋梁」と第二だった 「高原川橋梁」はすでに撤去されてた。取りこぼすわけだ
「第二高原川橋梁」旧神岡鉄道 漆山駅と神岡鉱山前駅間。
単線の下路で曲弦プラットトラスの一連。
まだ廃線から4年なんでペンキの具合 肌つやもいい。
猪谷の商店で愕然となったけど引き返す元気はない 長めのトンネル3つも戻りたくない。先に行く。

こちら「神狭橋」(じんきょうはし) 視界悪い
国道41号に戻り、わりとすぐに「道の駅 細入」の看板に寄った。嫁にメールしようとしたら 携帯電話がない。そういえば鏡台で充電しててバックに入れた記憶がない。 忘れた。 嫁の携帯番号は、便利な世の中の為暗記してない。唯一暗記していた実家に電話して嫁の番号を聞き、公衆電話からかけて、その事留守電に入電した。
一つしかないと思われる電話BOXの横に「林々」とパンダのなまえの看板があったけど「道の駅 細入」で間違いない 電話BOXには、十何年ぶりぐらいに入った。
雨は、ミストの様になっていて、どちらかと云えば降ってない状態だったので、下のカッパは履いたまま、上だけ脱いで 天ぷらそばを食べた 食べてたら ライダー2人入ってきて やっぱりそばを注文してた。 おれは、長Tシャツまで濡れて本来より濃い色になってるけど この人達は、ハジいてるのか濡れてない。きっと高級カッパなんだろう 結構おじさんだけどスマートな2人組だった。 そばはオレの方がいいのを食べてるんで まぁいい。
でも典型的な冷凍麺。天ぷらも粉っぽい。500円ぐらいだったと思う券売機なんでレシートがない ちょっと休憩。 もう富山県に入ってる 10時20分。
単車に戻るとおじさんライダーのSS がSRの横に2台停まってた 同じ乗り物としてくくるのは、申し訳ないぐらいに速そうだ。
カッパを着てエンジンを掛けたとたんに 笑えて来るぐらいの土砂降り。 休憩中は降ってなくて出発しようとすると 土砂降り。 富山県の悪口を言い過ぎた報いなんだと思う、本人は、冗談のつもりだったのに、富山県には通じない。やっぱりきらいだ富山県。 やけくそで出発。
目の前にいつのまにか高山本線が追いついて来た。 高山本線と並走する。
すぐに1kmをこえるトンネル。「庵谷トンネル」古いけど明るめのトンネルの前に「雨天走行注意」の電光掲示板の文字。 やさしいな ありがとう注意するよ 電光掲示板に気づかわれそのトンネルを抜けると、川面が近くなって、巨大な橋脚の遺構が川の中に残っていた。

コンクリートの橋台は1つが6〜7m角ぐらいのが2台が川の中にあって、対岸の丘にも1つコンクリートの塊が見える。

この橋台の上に鋼橋がのっていて対岸の丘から鉄道を渡していたのは、昭和6年から昭和42年までの間。 「神岡軌道」の「神通川橋梁」としてがんばっていた。 2006年に廃線になった「神岡鉄道」と区別されるのは、 もっと前の鉄道で「三井鉱山株式会社」が敷設した鉄道。 当初は、鉱山専用軌道だった。
この遺構の残る「神通川橋梁」は
供用が 1931年(昭和6年9月16日)
全長 294m
水面からの高さ 57mまで持ち上げた桁。
使用鉄骨 550t
身長57m 体重550tと云えば そう コンバトラーVと同じ。 巨体がうなるぞ空飛ぶぞ。
総工費15万円と格安。 当時、基礎工事を飛島組。 設計制作を東京鉄骨橋梁製作所。組み立て架設を清水組が担当してJV組んでた。 飛島組が担当した基礎だけが残っているってことか 550tもの鉄骨は、一度、融けてまたなにか重要な役目を何処かで果たしているに違いない。 鉄は、再利用出来るから解体されるけど、コンクリートは、ただのゴミになってあしまうし、ハツルの大変だもん ロマンを感じながら見ているこの橋台も、実はめんどうで残っているだけなのかな 川に影響がなければこういった遺構は残しといてもらえれば、また変人がありがたがって拝みにくるだろう。

ここからすぐ前方の国道41号が大きく右にカーブしているのが見える。 朱色のラーメン構造のロックシェッドの横 奥に「猪谷川橋梁」が見えてるよ すげーナ お宝いっぱい。 雨でもヘーキ テンション上がって来たよ。
ロックシェッドを抜けて「猪谷橋」で沢を渡るときすぐ横のわりと高い位置に「高山本線の猪谷川橋梁」が架かってた 国道41号のの「猪谷橋」ややこしい の横に停まって、少し歩いて「高山本線の猪谷川橋梁」に近づくと、すごく大きかったのに撮った写真で見ると小さくみえる なにか対象物があるといいなと思った。電車が走ってればその大きさもわかるだろうけど高山本線じゃ電車もそんなに走ってないし、カメラもフラッシュを炊くと変な色になるしいつか基本を勉強しんといかん

「猪谷川橋梁」(いのたにがわきょうりょう高山本線)は富山県富山市の猪谷駅と楡原駅間の猪谷川に架かるJR西日本、高山本線の橋梁である。
供用 1930年(昭和5年11月27日)
橋長 103.28m
1、4、5連が上路のプレートガーター
写真の2、3連が上路のワーレントラス
結構古い さっきより古いなちょっと感じが違うトラスだ。橋脚の根っこの場所が新しめに公園の様に整備されているのは、いいけど 橋脚はやっぱり古くて涙を流している 雨なんで空が白くてのっぺりとしている

これは、国道41号の「猪谷橋」上路のアーチ。
雨の中出発。 さようならまた来ると思います。
少し走ってると「第二砂場橋梁」が国道41号沿いの意外に近い位置にいたけどなぜかスルーしてしまった 目に留まったし形状も確認して ”おっ” って思ったのに停まらなかった。 もう1本白いトラスもそんな感じでスルーしてしまった すぐ停まれそうなスペースがなかったのもそうなんだけど やっぱり台風4号が先を急がせた。
まぁまた今度 本当に今度はあるのか
2010年8月12日 富山県 その3につづく
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