11 ,2012
実は、トレッスル橋脚ってのをはじめてみた 橋脚じゃなくて鉄塔とかでは、なじみが深い形だからなのか 初対面って気がしないね ご無沙汰って感じ。
今年のお盆休みが雨で邪魔されなかったら 一部保存されてるであろう トレッスル橋脚の第一人者。 今は亡き「余部橋梁」に会いに行く予定だったけど その夢は叶わなかった あのとき考えたルートは、来年どこかのタイミングで達成したい。 オレ勝手に全国から呼ばれてると思ってるから大変だ 相手はそこを動けないし、出来ればみんな単車でまわりたい
「下の川橋梁」にさよなら云ってUターン。 また「笠置大橋」で木津川を渡って国道163号に戻り木津川沿いを上る トンネル抜けてしばらく行くと 少し水面が下がった位置に簡素な橋が見えて寄ってみた

種類的には沈下橋。 この橋には親柱も銘板も無いから名前がわからないけど 対岸に渡ったところに設置してあった「東海自然歩道」の案内看板には、「潜没橋」と気の毒な名前が書いてあった 名前なのかな
この橋に寄ったのは、お目当ての「木津川橋梁」(関西本線)の真横だったから 出ました すげー大きいぞ その先に「相楽発電所」があるけど やっぱりダムっぽくはないな

「木津川橋梁」(関西本線)は大河原駅と笠置駅間の木津川に架かる橋。
1897年(明治30年)架設の3連。全体的に60°の斜橋で歪んで見える
両脇の 各30mは、はじめ下路のポニーワーレンのピントラスだったっけど1925年(大正14年)に補強工事がされてポニーの上にアーチの曲弦が造られてランガー橋になった ランガーはオーストリアのジョセフランガーさんが考えた構造だから。 よく見ると後乗せがバレバレ
真ん中の 62.4mは、1925年(大正15年)に架け替えられた横河橋梁製の2代目。それまでは全員パテントシャフト&アクスルトゥリー社製のイギリス人だった

間違いなく蒸気機関車も走った ものすごく古い橋。 残って居てくれてありがとう やっぱりジェントルマンは雰囲気が違う 鼻の下に豊かな白い髭を生やしていそう
なかなか近づけなかったけど橋脚も石積みなのは確認出来た 天気のいい日にまた来ます さようなら。
国道163号に戻ると 川のうねりを避けるために、この「木津川橋梁」で木津川を渡ってきた関西本線と並走。少しだけ線路の方が高い位置を行く しばらくすると もう一本、沈下橋が現れた.

すすきは 何にも云わずにゆれてるだけで 木津川は 流れの割におとなしくて 誰もいないし 物悲しい雰囲気。 そんな場所に架かっていた橋の名前が 「恋路橋」。

この橋の向こうに どんなラブストーリーがあるんでしょうね 叶っているならいいんですが 叶ってないなら川から手が出てきて引っぱられそうだから渡るのイヤだな 悪い予感が当たるのもイヤだから調べるのやめよう
人の恋路に首をつっこむのはやめて 国道163号にもどり 信号で 京都府82号に右折。 右折してすぐの「大河原発電所」 ここはまだ木津川。

木津川はここから高山ダムのすこし手前で東に遡り 伊賀上野 辺りでまた大きく方向をかえ 伊賀神戸の辺りで名前を見失う。 反対に京都府道82号で 高山ダム方面に段々と上っていく。

一秒も のぞいてくれない晴れ間なんかは、もう無視。 京都府道82号で程なく高山ダム はスルー ここからは名張川に名前を変えて再出発。
段々と上って行くと「高山大橋」と遭遇。 図体が大きいだけであまり特徴のない吊り橋 補剛の赤色はこの景色によく似合ってるけどさ

「高山大橋」
1967年(昭和42年)12月竣工
橋長 195.8m 幅員 5.2m
トラス補剛の吊り橋
警備員さんがいて渡れなかった 高山ダムで塞き止めて名張川に出来たこの湖は「月ノ瀬湖」。1969年(昭和44年)に完成した「高山ダム」は旧高山村が水没しているので名前をもらい 「月ノ瀬湖」は湖畔にある名勝「月ヶ瀬梅林」から名付けられたとアル。

今年の4月1日 月ヶ瀬梅林公園からの月ノ瀬湖。
そう云えばこの日も曇ってたし 梅も少し早かった 写ってる対岸の道を今日は走ってる
高山大橋にさよなら云って ここからの京都府道82号は水面からかなり離れて高い所を走るし 暗くて細い 結構なクネクネ道。 急かされるように奈良県との境を過ぎると自然に奈良県道4号に変わった
奈良県道4号で名張川沿いをしばらく進んで行くと いました これもおまちかねの 「五月橋」発見。 国道と云っても旧道で人通りの少ない のどかな場所に「我関せず」と云った表情で 名倉川に架かっていました

「五月橋」(さつきばし)は、旧の国道25号の名張川に架かる橋
供用: 1927年(昭和2年)
延長: 95.4m
下路の平行弦プラットトラス 50.82m
両脇は下路のポニーワーレントラス

錆びてなければ保護色でもある 松葉色のペンキがハゲハゲになってペキペキ。 きっと親柱の上部には6面体のランプが輝いていたんでしょう けど 今はもう見る影も無い 平行弦のプラットトラスがクールすぎるからか 頑固さが際立ってしまうな

奈良県のプレートに誰かのサインが見える どこかの怪しい組織がチェックを入れてったんだろうか 今後、五月橋はどうなるんだろう 悪い事に使われなければいいけど 心配になってきた
一旦、「五月橋」を離れて 4月に車で 梅を見に来た時に発見して 気になってた廃橋を確認しに行く と難なく発見。

こうやって見ると もうほとんど土に還りかけてるように見えてわかりにくいけど コンクリートアーチが架かってるのわかるかな

「長尾橋」 上路のコンクリートアーチで1連 下を流れてるのは「遅瀬川」。
満足。ここでUターンして「五月橋」で名張川を渡り 旧国道25号をズンズン上る 地図には「大和街道」とアル。
「大和街道」は東海道53次の宿 「関」の西の追分で加太峠を越えて「伊賀上野」→「島ヶ原」→木津川沿いに「奈良」(大和地方)へつづく街道。
松尾芭蕉さんの故郷がこの伊賀上野辺り。 「野ざらし紀行」では、大和街道を通って奈良→吉野→京都と足跡が残ってる。 「野ざらし紀行」の途中、9月8日に故郷に帰ったらお母さんが亡くなっていて いい歌を謳ってる。
秋口に芭蕉さんこの辺にいたんだな もっと自然豊かだったとは思うけど 同じ様な景色をみても オレに歌は浮かんでこない この時 芭蕉さん41歳。 うそだ、芭蕉さんが年下なんて一生信じられない。
旧の国道25号は、まだ紅葉していない緑豊かな 頼りない道になってきた 寒いけどのんびりクルーズ。

この道は 一部産業道路になっていて、大型のダンプカーが土煙をあげ何台も通って行くから この辺りは完全にダート。 ダンプカーに罪がある訳ではないし 休日出勤だからなおの事 ご苦労様です。

しばらくすると レンガ積みのポータルが見えて、ダンプカーは少しスピードを緩め こすらない様に慎重にくぐって行った

上を走る関西本線にしてみれば、これはトンネルじゃなくて橋梁。 「大和街道橋梁」だった メチャメチャ渋いぞ おじいさん
「大和街道橋梁」1889年(明治22年)単線のレンガアーチの1連
くぐる時、ゾックとはしたものの 短いからそこまで恐怖は感じなかった よく見るとお地蔵さんがいるな
この日のアルバムには この後、どこかの道の駅で食べた天婦羅うどんの写真しかない 日の暮れた国道1号をひたすら寒さと闘い 車のテールランプでライトアップされた「伊勢大橋」と「尾張大橋」を続けて渡り 国道155号で帰路につき 家に着いたのは、20時少し前。 寒くて大変肩がこった 422kmでした あれ何気に最高新記録だ
今年のお盆休みが雨で邪魔されなかったら 一部保存されてるであろう トレッスル橋脚の第一人者。 今は亡き「余部橋梁」に会いに行く予定だったけど その夢は叶わなかった あのとき考えたルートは、来年どこかのタイミングで達成したい。 オレ勝手に全国から呼ばれてると思ってるから大変だ 相手はそこを動けないし、出来ればみんな単車でまわりたい
「下の川橋梁」にさよなら云ってUターン。 また「笠置大橋」で木津川を渡って国道163号に戻り木津川沿いを上る トンネル抜けてしばらく行くと 少し水面が下がった位置に簡素な橋が見えて寄ってみた

種類的には沈下橋。 この橋には親柱も銘板も無いから名前がわからないけど 対岸に渡ったところに設置してあった「東海自然歩道」の案内看板には、「潜没橋」と気の毒な名前が書いてあった 名前なのかな
この橋に寄ったのは、お目当ての「木津川橋梁」(関西本線)の真横だったから 出ました すげー大きいぞ その先に「相楽発電所」があるけど やっぱりダムっぽくはないな

「木津川橋梁」(関西本線)は大河原駅と笠置駅間の木津川に架かる橋。
1897年(明治30年)架設の3連。全体的に60°の斜橋で歪んで見える
両脇の 各30mは、はじめ下路のポニーワーレンのピントラスだったっけど1925年(大正14年)に補強工事がされてポニーの上にアーチの曲弦が造られてランガー橋になった ランガーはオーストリアのジョセフランガーさんが考えた構造だから。 よく見ると後乗せがバレバレ
真ん中の 62.4mは、1925年(大正15年)に架け替えられた横河橋梁製の2代目。それまでは全員パテントシャフト&アクスルトゥリー社製のイギリス人だった

間違いなく蒸気機関車も走った ものすごく古い橋。 残って居てくれてありがとう やっぱりジェントルマンは雰囲気が違う 鼻の下に豊かな白い髭を生やしていそう
なかなか近づけなかったけど橋脚も石積みなのは確認出来た 天気のいい日にまた来ます さようなら。
国道163号に戻ると 川のうねりを避けるために、この「木津川橋梁」で木津川を渡ってきた関西本線と並走。少しだけ線路の方が高い位置を行く しばらくすると もう一本、沈下橋が現れた.

すすきは 何にも云わずにゆれてるだけで 木津川は 流れの割におとなしくて 誰もいないし 物悲しい雰囲気。 そんな場所に架かっていた橋の名前が 「恋路橋」。

この橋の向こうに どんなラブストーリーがあるんでしょうね 叶っているならいいんですが 叶ってないなら川から手が出てきて引っぱられそうだから渡るのイヤだな 悪い予感が当たるのもイヤだから調べるのやめよう
人の恋路に首をつっこむのはやめて 国道163号にもどり 信号で 京都府82号に右折。 右折してすぐの「大河原発電所」 ここはまだ木津川。

木津川はここから高山ダムのすこし手前で東に遡り 伊賀上野 辺りでまた大きく方向をかえ 伊賀神戸の辺りで名前を見失う。 反対に京都府道82号で 高山ダム方面に段々と上っていく。

一秒も のぞいてくれない晴れ間なんかは、もう無視。 京都府道82号で程なく高山ダム はスルー ここからは名張川に名前を変えて再出発。
段々と上って行くと「高山大橋」と遭遇。 図体が大きいだけであまり特徴のない吊り橋 補剛の赤色はこの景色によく似合ってるけどさ

「高山大橋」
1967年(昭和42年)12月竣工
橋長 195.8m 幅員 5.2m
トラス補剛の吊り橋
警備員さんがいて渡れなかった 高山ダムで塞き止めて名張川に出来たこの湖は「月ノ瀬湖」。1969年(昭和44年)に完成した「高山ダム」は旧高山村が水没しているので名前をもらい 「月ノ瀬湖」は湖畔にある名勝「月ヶ瀬梅林」から名付けられたとアル。

今年の4月1日 月ヶ瀬梅林公園からの月ノ瀬湖。
そう云えばこの日も曇ってたし 梅も少し早かった 写ってる対岸の道を今日は走ってる
高山大橋にさよなら云って ここからの京都府道82号は水面からかなり離れて高い所を走るし 暗くて細い 結構なクネクネ道。 急かされるように奈良県との境を過ぎると自然に奈良県道4号に変わった
奈良県道4号で名張川沿いをしばらく進んで行くと いました これもおまちかねの 「五月橋」発見。 国道と云っても旧道で人通りの少ない のどかな場所に「我関せず」と云った表情で 名倉川に架かっていました

「五月橋」(さつきばし)は、旧の国道25号の名張川に架かる橋
供用: 1927年(昭和2年)
延長: 95.4m
下路の平行弦プラットトラス 50.82m
両脇は下路のポニーワーレントラス

錆びてなければ保護色でもある 松葉色のペンキがハゲハゲになってペキペキ。 きっと親柱の上部には6面体のランプが輝いていたんでしょう けど 今はもう見る影も無い 平行弦のプラットトラスがクールすぎるからか 頑固さが際立ってしまうな

奈良県のプレートに誰かのサインが見える どこかの怪しい組織がチェックを入れてったんだろうか 今後、五月橋はどうなるんだろう 悪い事に使われなければいいけど 心配になってきた
一旦、「五月橋」を離れて 4月に車で 梅を見に来た時に発見して 気になってた廃橋を確認しに行く と難なく発見。

こうやって見ると もうほとんど土に還りかけてるように見えてわかりにくいけど コンクリートアーチが架かってるのわかるかな

「長尾橋」 上路のコンクリートアーチで1連 下を流れてるのは「遅瀬川」。
満足。ここでUターンして「五月橋」で名張川を渡り 旧国道25号をズンズン上る 地図には「大和街道」とアル。
「大和街道」は東海道53次の宿 「関」の西の追分で加太峠を越えて「伊賀上野」→「島ヶ原」→木津川沿いに「奈良」(大和地方)へつづく街道。
松尾芭蕉さんの故郷がこの伊賀上野辺り。 「野ざらし紀行」では、大和街道を通って奈良→吉野→京都と足跡が残ってる。 「野ざらし紀行」の途中、9月8日に故郷に帰ったらお母さんが亡くなっていて いい歌を謳ってる。
秋口に芭蕉さんこの辺にいたんだな もっと自然豊かだったとは思うけど 同じ様な景色をみても オレに歌は浮かんでこない この時 芭蕉さん41歳。 うそだ、芭蕉さんが年下なんて一生信じられない。
旧の国道25号は、まだ紅葉していない緑豊かな 頼りない道になってきた 寒いけどのんびりクルーズ。

この道は 一部産業道路になっていて、大型のダンプカーが土煙をあげ何台も通って行くから この辺りは完全にダート。 ダンプカーに罪がある訳ではないし 休日出勤だからなおの事 ご苦労様です。

しばらくすると レンガ積みのポータルが見えて、ダンプカーは少しスピードを緩め こすらない様に慎重にくぐって行った

上を走る関西本線にしてみれば、これはトンネルじゃなくて橋梁。 「大和街道橋梁」だった メチャメチャ渋いぞ おじいさん
「大和街道橋梁」1889年(明治22年)単線のレンガアーチの1連
くぐる時、ゾックとはしたものの 短いからそこまで恐怖は感じなかった よく見るとお地蔵さんがいるな
この日のアルバムには この後、どこかの道の駅で食べた天婦羅うどんの写真しかない 日の暮れた国道1号をひたすら寒さと闘い 車のテールランプでライトアップされた「伊勢大橋」と「尾張大橋」を続けて渡り 国道155号で帰路につき 家に着いたのは、20時少し前。 寒くて大変肩がこった 422kmでした あれ何気に最高新記録だ
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