04 ,2013
久しぶりに「第九根尾川橋梁」に会えて万感の思い。 あの頃より少なくとも経験を積んで沢山の人を運んできたはずのに いつまでたっても謙虚なお姿。 こいつはあの時となんにも変わっちゃぁいなかった。 人ごみに流されて変わって行くわたしを時々叱ってもらうためにも 節目、節目に会いにこようと思う。 また来るね
「第九根尾川橋梁」にさよなら云ってUターン。 一段と細くなったとはいえ列記とした県道255号を我関せずとゆーっくり 堂々と横断していく一匹の猫。 けんか慣れして見事カギ型に曲がったシッポが指し示す方。 寂しそうな後ろ姿を見つけちゃった

ここを動かなくなってしばらくたつね。 いつまでも大事そうに積んでる そのテレビ達は地デジに対応していないタイプだから 今はもう映らないんだよ とは とても云えなかった

でも前に回ると な〜んだ兄弟。 そんなに落ち込んでないじゃない 田舎で楽しくやってるのか このまま土に還るのも悪くないと云ったご様子に一安心。 それにしても今は見ないチャーミングなお顔立ち このまま再販すれば爆発的にヒットすると思うけど 独特の表情を再現するにはコスト的に難しいのかな
県道255号に戻って今度は「日当駅」。あたたかそうな駅名のおかげか ひなた駅には車で来ている夫婦風のカメラマンが先客。 首にカメラをぶら下げて走ってきたオレを見つけると ベスポジを取られまいとホームに駆け下りて行ったけど 大丈夫。 オレ電車に興味はないですから 電車が来るのを待たずに日当駅のすぐ横に架かる「第八根尾川橋梁」だけ撮って帰るオレをすごく不思議そうに見てるから なんだかとっても優越感。 あなた達と違って時刻表に振り回された事は一度もない。 へへーん

「第八根尾川橋梁」。短いトンネルを挟んで「第七根尾川橋梁」もちょこっと見えた こんにちはー。

上の写真は県道255号から 以外な高さの空中に「第七根尾川橋梁」。
しばらくして「第六根尾川橋梁」。電車は「第六根尾川橋梁」で根尾川を渡り県道の下をくぐって行く

また県道255号をしばらく。 この辺りは少し線路と離れるし背の高い木の影になって 天気がいいのに日が届かない 薄暗くて音のない道。 だから自然にちょっと早足になったぐらいの時に コンクリ−トの塊を見つけて急停車。

すぐ横に架かる「かなやまはし」の前橋の主塔部がなんの役にもたたずに突っ立てた 壊すとただのゴミだから 今は役目が無くても立ってた方が威厳があるってもんですよ 後半の人生は実績がものを云うはずだから。 新橋の橋上から「第四根尾川橋梁」が見えたけど わかるかな

「第九」から「第四」までの「第五」以外はみんな平行弦のワーレントラスで1連。
どうして「第五」をやっきになって探さないのか聞いてもいいよ 「好みじゃないから。」 同じ理由で「第三」も「第二」もスルーしたら「谷汲口駅」発見。 この駅には自販機があったからお茶を飲んで樽見鉄道に貢献した

遮断機のない踏切で線路を渡り より川沿いの道をしばらくいくと やっぱり何にしても「第一」な だけはある 年代からくる風格をさらりと身に纏い 「第一根尾川橋梁」が昼下がりの日差しにシルエットを浮かびあげていました やーまた来たよ

「第一根尾川橋梁」
供用 1956年(昭和31年)樽見線の開通年
橋長 210mの8連。
1〜5と8連は単線で上路のプレートガーター。
6と7連は 1910年(明治43年)アメリカンブリッジ社製
単線下路で平行弦のプラットトラスでピントラス。
当然だけど 元東海道本線の木曽川橋梁だった6と7連がお目当て。 でも今日も朝、来るときに見たけど東海道本線の木曽川橋梁は単線の橋が2本平行に架けられて復線化されてるから 複線化の為の架け替えじゃないってことになる この6と7連は老朽化して捨てられた東海道本線の木曽川橋梁をゴミ箱から拾ってきて再利用したことになるのかな まぁ何にしろ助かって良かった 早いとこ文化財にならんものかね
8連のプレートガーターをくぐって反対側に出ると さっきは影になっててわからなかったけど なんでか 6連だけ千歳緑色で塗装完了。

さっき「谷汲口駅」でお茶飲んで貢献したから気をきかせたんだと思うけど 頼んでもいないのに電車きた。 やっぱり誰も乗ってなかったから オレだけの為に間違いない かえって悪いことしたね
塗ってない7連は相変わらず細くて繊細な感じがするけど 塗っちゃった方は なんかドシンと重くなって頑固じじい度がアップしたなぁ 色決めの会議に出席するにはどんな資格がいるんだろう
細いのは細くて繊細なんだけどけど 長い年月架けてこそ風格が身につくってことなのかな 枯れ葉も山の賑わいって云うし 錆びも一日にしてならず。か ちょっと違うかな まあまた来ます
県道255号から「万代橋」で対岸に渡り県道40号に入ってすぐはずれて根尾川の左岸堤防に出ると割とすぐ 「住友大阪セメント岐阜工場」の工場の専用のトラス橋。銘板は無いけど結構古いと思う

「河川許可標」ってのが掲示してあって「河川占用期間」なる項目がある 見ると10年スパンで更新しいてるようで 借地ってことなのね 上空占用って聞くけど許可は取れるのかな 例えば大きな橋をくぐる堤防道路にしてみれば上空占用されてるわけだし そうするとその大きな橋は「河川占用」と「上空占用」をダブルで取らなきゃだめなのかー うーんどうでもいいー でも個人で鉄橋を持ってるなんて素敵だね 誰か誕生日にくれないかな できたらアーチ橋がいい。
仮「住友大阪セメント岐阜工場歩道橋」
平行弦のワーレントラスで3連。
またしばらく根尾川の左岸堤防道路を走っていると 右岸側から揖斐川が追いついてきて合流。 根尾川も揖斐川になった。 よくある話で宝くじ当たったらどうする? って云うけど オレまさかどうだろう 造っちゃうのかな 造るならなにかな なんて考えてたら 樽見線の「揖斐川橋梁」発見。 うー 美しすぎるシルエットにうっとりするなぁ。

「揖斐川橋梁 樽見線」
供用 1953年(昭和31年)樽見線開通の年
延長 321.7mの6連
支間 1連29.87m
支間 2〜6連62.408m
1連は、1916年(大正5年)川崎造船所製と日本人。下路の平行弦のプラットトラス。
2〜6連は、1900年(明治33年)AアンドP・ロバーツ製(同年アメリカンブリッジに統合)下路曲弦のプラットトラスのピントラス。 業界(なんの?)では設計者の名前をもらってシュエドラートラスと云われる雰囲気のいい華奢なじいさん AアンドP・ロバーツ製と云えばあんかけパスタの時の「向野跨線橋」もそうだけどやっぱり似てるね
よく見ると全部千歳緑に塗装されてる あーわかった 「揖斐川橋梁」塗ってちょっと余ったから「第一根尾川橋梁」塗ったんだ6連は塗れたけど7連までは足りなかったんだな きっと。 やっぱり重く見えるなぁ でも塗ったと云うことは まだまだ頑張ると云う事で 当分は廃線の心配が無くなったのを良しとして 樽見線復習を完結。ありがとうございました
本日の走行161km

もちろん隣のジェントルマン「揖斐川橋」も見てきたけど樽見線じゃないから また今度。
「第九根尾川橋梁」にさよなら云ってUターン。 一段と細くなったとはいえ列記とした県道255号を我関せずとゆーっくり 堂々と横断していく一匹の猫。 けんか慣れして見事カギ型に曲がったシッポが指し示す方。 寂しそうな後ろ姿を見つけちゃった

ここを動かなくなってしばらくたつね。 いつまでも大事そうに積んでる そのテレビ達は地デジに対応していないタイプだから 今はもう映らないんだよ とは とても云えなかった

でも前に回ると な〜んだ兄弟。 そんなに落ち込んでないじゃない 田舎で楽しくやってるのか このまま土に還るのも悪くないと云ったご様子に一安心。 それにしても今は見ないチャーミングなお顔立ち このまま再販すれば爆発的にヒットすると思うけど 独特の表情を再現するにはコスト的に難しいのかな
県道255号に戻って今度は「日当駅」。あたたかそうな駅名のおかげか ひなた駅には車で来ている夫婦風のカメラマンが先客。 首にカメラをぶら下げて走ってきたオレを見つけると ベスポジを取られまいとホームに駆け下りて行ったけど 大丈夫。 オレ電車に興味はないですから 電車が来るのを待たずに日当駅のすぐ横に架かる「第八根尾川橋梁」だけ撮って帰るオレをすごく不思議そうに見てるから なんだかとっても優越感。 あなた達と違って時刻表に振り回された事は一度もない。 へへーん

「第八根尾川橋梁」。短いトンネルを挟んで「第七根尾川橋梁」もちょこっと見えた こんにちはー。

上の写真は県道255号から 以外な高さの空中に「第七根尾川橋梁」。
しばらくして「第六根尾川橋梁」。電車は「第六根尾川橋梁」で根尾川を渡り県道の下をくぐって行く

また県道255号をしばらく。 この辺りは少し線路と離れるし背の高い木の影になって 天気がいいのに日が届かない 薄暗くて音のない道。 だから自然にちょっと早足になったぐらいの時に コンクリ−トの塊を見つけて急停車。

すぐ横に架かる「かなやまはし」の前橋の主塔部がなんの役にもたたずに突っ立てた 壊すとただのゴミだから 今は役目が無くても立ってた方が威厳があるってもんですよ 後半の人生は実績がものを云うはずだから。 新橋の橋上から「第四根尾川橋梁」が見えたけど わかるかな

「第九」から「第四」までの「第五」以外はみんな平行弦のワーレントラスで1連。
どうして「第五」をやっきになって探さないのか聞いてもいいよ 「好みじゃないから。」 同じ理由で「第三」も「第二」もスルーしたら「谷汲口駅」発見。 この駅には自販機があったからお茶を飲んで樽見鉄道に貢献した

遮断機のない踏切で線路を渡り より川沿いの道をしばらくいくと やっぱり何にしても「第一」な だけはある 年代からくる風格をさらりと身に纏い 「第一根尾川橋梁」が昼下がりの日差しにシルエットを浮かびあげていました やーまた来たよ

「第一根尾川橋梁」
供用 1956年(昭和31年)樽見線の開通年
橋長 210mの8連。
1〜5と8連は単線で上路のプレートガーター。
6と7連は 1910年(明治43年)アメリカンブリッジ社製
単線下路で平行弦のプラットトラスでピントラス。
当然だけど 元東海道本線の木曽川橋梁だった6と7連がお目当て。 でも今日も朝、来るときに見たけど東海道本線の木曽川橋梁は単線の橋が2本平行に架けられて復線化されてるから 複線化の為の架け替えじゃないってことになる この6と7連は老朽化して捨てられた東海道本線の木曽川橋梁をゴミ箱から拾ってきて再利用したことになるのかな まぁ何にしろ助かって良かった 早いとこ文化財にならんものかね
8連のプレートガーターをくぐって反対側に出ると さっきは影になっててわからなかったけど なんでか 6連だけ千歳緑色で塗装完了。

さっき「谷汲口駅」でお茶飲んで貢献したから気をきかせたんだと思うけど 頼んでもいないのに電車きた。 やっぱり誰も乗ってなかったから オレだけの為に間違いない かえって悪いことしたね
塗ってない7連は相変わらず細くて繊細な感じがするけど 塗っちゃった方は なんかドシンと重くなって頑固じじい度がアップしたなぁ 色決めの会議に出席するにはどんな資格がいるんだろう
細いのは細くて繊細なんだけどけど 長い年月架けてこそ風格が身につくってことなのかな 枯れ葉も山の賑わいって云うし 錆びも一日にしてならず。か ちょっと違うかな まあまた来ます
県道255号から「万代橋」で対岸に渡り県道40号に入ってすぐはずれて根尾川の左岸堤防に出ると割とすぐ 「住友大阪セメント岐阜工場」の工場の専用のトラス橋。銘板は無いけど結構古いと思う

「河川許可標」ってのが掲示してあって「河川占用期間」なる項目がある 見ると10年スパンで更新しいてるようで 借地ってことなのね 上空占用って聞くけど許可は取れるのかな 例えば大きな橋をくぐる堤防道路にしてみれば上空占用されてるわけだし そうするとその大きな橋は「河川占用」と「上空占用」をダブルで取らなきゃだめなのかー うーんどうでもいいー でも個人で鉄橋を持ってるなんて素敵だね 誰か誕生日にくれないかな できたらアーチ橋がいい。
仮「住友大阪セメント岐阜工場歩道橋」
平行弦のワーレントラスで3連。
またしばらく根尾川の左岸堤防道路を走っていると 右岸側から揖斐川が追いついてきて合流。 根尾川も揖斐川になった。 よくある話で宝くじ当たったらどうする? って云うけど オレまさかどうだろう 造っちゃうのかな 造るならなにかな なんて考えてたら 樽見線の「揖斐川橋梁」発見。 うー 美しすぎるシルエットにうっとりするなぁ。

「揖斐川橋梁 樽見線」
供用 1953年(昭和31年)樽見線開通の年
延長 321.7mの6連
支間 1連29.87m
支間 2〜6連62.408m
1連は、1916年(大正5年)川崎造船所製と日本人。下路の平行弦のプラットトラス。
2〜6連は、1900年(明治33年)AアンドP・ロバーツ製(同年アメリカンブリッジに統合)下路曲弦のプラットトラスのピントラス。 業界(なんの?)では設計者の名前をもらってシュエドラートラスと云われる雰囲気のいい華奢なじいさん AアンドP・ロバーツ製と云えばあんかけパスタの時の「向野跨線橋」もそうだけどやっぱり似てるね
よく見ると全部千歳緑に塗装されてる あーわかった 「揖斐川橋梁」塗ってちょっと余ったから「第一根尾川橋梁」塗ったんだ6連は塗れたけど7連までは足りなかったんだな きっと。 やっぱり重く見えるなぁ でも塗ったと云うことは まだまだ頑張ると云う事で 当分は廃線の心配が無くなったのを良しとして 樽見線復習を完結。ありがとうございました
本日の走行161km

もちろん隣のジェントルマン「揖斐川橋」も見てきたけど樽見線じゃないから また今度。
スポンサーサイト