10 ,2013
お仕事の予定と秋の空。 と 云う事で 前日に急遽予定が無くなった体育の日。 いいのか悪いのかはあまり考えずに 行く気満々で早起きして見た秋の空は もう隅々まで太陽の光が届いて 高いし 奥の宇宙の暗闇が透けて見えるぐらいに蒼かった。 絶好の運動会日和、イコール 絶好のツーリング日和。 少なくても天気は歓迎ムードだったから心配事をよそに浮かれることができた。 前日の夜に近所で花火大会が開催されてて SRに乗って行ったから 今日はキック一発。6時半頃出発。

いつもの国道22号、新木曽川大橋の橋上に取付けてある温度計は14℃を示してた いつもの国道21号に合流すると いつものように速度が一段階UPするから 走っていると寒い寒い でも、もうこの時間帯からすれ違う単車は多いし みんな今だけ寒さに耐えてニヤけてる はず。 いい天気だもん すぐ暖かくなるのはお見通し。
垂井を過ぎて片側1車線になった国道21号だけど まだ車も少なくて快走。 でも国道8号に合流する手前に取付けてあった温度計も14℃のまま そろそろお日様にも本気出してもらわないと 肩凝ってマジヤバい。 それでも国道8号に合流して彦根を順調にすぎると いつもこの辺りから威厳のたっぷりこもった低い声が聞こえてくる ここまで来たら無視できないジェントルマンにご挨拶。

国道8号のすぐ横 近江鉄道本線の愛知川を渡すイギリス人 おひさしぶりです 低い声の持ち主とは思えないポップな出で立ちは相変わらずだけど かわい子ちゃんなのか頑固じいさんなのか判断が難しいところ ハイジに用があって行ったのに怒ってるオンジしかいなかった時みたい だいぶペンキは剥げてきたけど元気そうで何よりです
「愛知川橋梁」
近江鉄道本線の愛知川駅-五箇荘駅間の愛知川に架かる橋
1897年(明治30年)ハンディサイド製
橋長 239m
下路で平行弦のポニーワーレントラス(ピントラス) 30.1m 1連
上路のプレートガーダー 22m 2〜9連
元々は木津川沿いで見に行った事のある関西鉄道の「木津川橋梁」の初代の1連か3連。斜橋を直橋に直して こちらにおいでなさったようです もう一人はどこにいったのかな それか直橋に直す時に2コ1にしたのかもしれない 近いんでまた来ますね (もう一回 調べたら製作会社も違うし関西鉄道の「木津川橋梁」の初代は補強されてまだ現役みたい 調査中。)
「愛知川橋梁」にさよなら云って 前回、思いのほか時間がかかった失敗から 気持ちのいい湖岸道路はあきらめてそのまま国道8号を進み しばらくすると自然に国道1号になった この辺りは国道1号が2本あるけど、前回の宿題が残ってたから大津側の国道1号を選択した 大津駅を横目にしばらくすると 前回停まれなかった名神高速道路の「蝉丸橋」を発見。 発見はするんだけど やっぱり停まれるところが無くてくぐっちゃた くぐって少ししたら空き家があったんでなんとか停まれた フー。

でもなんのイヤがらせなのか足場が組んであって良く見えない(大泣)。 写真左側が蝉丸トンネルで橋をはさんで大津トンネルにつづく。 小さいけど山と山の間のこの道が東海道。 国道1号になれたのが当然で実績のある 古くからの道なんです
「名神高速道路蝉丸橋」
上りも下りも 上路のスパンドルブレースアーチで1連
元はアーチ橋として架かり1991年に改良されて斜材が追加されたそうです
足場がバレた後にまた来ないといかんね 達成感もなく「蝉丸橋」をあとにして しばらく国道1号を進むと これも前回素通りしてきた「逢坂の関」。橋もトンネルもレンガの跨線橋だってみんな「蝉丸」なのに 前回は蝉丸と聞いてもピンとこないオタワケにはなんの変哲もない坂でした(涙)

蝉丸さんはここ、逢坂の関に庵をむすんで、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだ歌人で音楽家。 勝手に女の人かと思ったけど全然違って坊さんっぽい 「東国へ旅立つ人も、その人を見送って引き返す人も、ここで別れを繰り返すし、知っている同士も、知らない同士も、ここで出逢いすれ違うんだなぁ」みたいな。 今はアスファルトが敷いてある坂道だけど幅は昔とそんなに変わってないんじゃないかな 日陰になりがちなゆっくりした下り坂を行く後ろ姿を涙ながらに見えなくなるまで見送った人や これからはじまる長い旅の先に思いを馳せ晴れやかに坂道を踏みしめた人。 それはそれは沢山のドラマがあった事でしょう
上の写真をもう少し右側に振るとちゃんと下り坂なんですよ いくら探しても坂が写った写真がない残念。 ほとんどは山の陰になってたけど ところどころに朝露がキラキラと日の光を反射して すこし怖いぐらい 情念渦巻く坂道でした(笑)
一つ賢くなって、今度はちゃんと蝉丸さんにさよなら云った。 そのまま国道1号で京都に入り 今回はスルーしようかなって 一瞬思ったけど見るだけでもと思いなおし やっぱり府道にのりかえて「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)に会いにいった どこにでもある街並はかわりなけど今回は渋滞もなくすんなり到着「澱川橋梁」。

ちょっと見ないあいだにまた大きくなったんじゃないの? 今回は「観月橋」を渡らなかったから右岸側から接近 結構人がいる。 堤防の坂道を利用して一心不乱に体を鍛えてる人達は ここが元、帝国陸軍の架橋演習場(渡河訓練場)だった事を知ってて突き動かされているのかもしれない 「澱川橋梁」はどんなふうに映ってるんだろう 邪魔?

大きな大きな体を支え続ける 支承部。やっぱりかなり大きい 1977年、この辺りに損傷が見つかって1983年に各部交換や補修が実施された以外 完成以来80年以上にわたりほぼ竣工時のままのお姿だから 近寄るとやっぱり年相応でリベットが沢山のイボイボ肌。 何回も何回も重ね塗りされたペンキでマカロンみたいになってるから もう最初に締めたときのスパナじゃ回せないでしょうね 抹茶じゃなくて青汁のマカロンだからまずそうだけど

「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)
近畿日本鉄道京都線の桃山御陵前駅-向島駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 164.6mの1連の複線
下路曲弦プラット分格トラス(ペンシルバニアトラス)
右岸側からだとすごく近づけたし こちら側に文化財のプレートが付いてたのも確認できた チラッと見るだけのつもりで行ったのに 気づいたら30分ぐらい経ってた。 あなたやっぱり魅力ありすぎ なかなか離れられない
罪作りな「澱川橋梁」に なんとかさよなら云って 淀川沿い その2につづく

いつもの国道22号、新木曽川大橋の橋上に取付けてある温度計は14℃を示してた いつもの国道21号に合流すると いつものように速度が一段階UPするから 走っていると寒い寒い でも、もうこの時間帯からすれ違う単車は多いし みんな今だけ寒さに耐えてニヤけてる はず。 いい天気だもん すぐ暖かくなるのはお見通し。
垂井を過ぎて片側1車線になった国道21号だけど まだ車も少なくて快走。 でも国道8号に合流する手前に取付けてあった温度計も14℃のまま そろそろお日様にも本気出してもらわないと 肩凝ってマジヤバい。 それでも国道8号に合流して彦根を順調にすぎると いつもこの辺りから威厳のたっぷりこもった低い声が聞こえてくる ここまで来たら無視できないジェントルマンにご挨拶。

国道8号のすぐ横 近江鉄道本線の愛知川を渡すイギリス人 おひさしぶりです 低い声の持ち主とは思えないポップな出で立ちは相変わらずだけど かわい子ちゃんなのか頑固じいさんなのか判断が難しいところ ハイジに用があって行ったのに怒ってるオンジしかいなかった時みたい だいぶペンキは剥げてきたけど元気そうで何よりです
「愛知川橋梁」
近江鉄道本線の愛知川駅-五箇荘駅間の愛知川に架かる橋
1897年(明治30年)ハンディサイド製
橋長 239m
下路で平行弦のポニーワーレントラス(ピントラス) 30.1m 1連
上路のプレートガーダー 22m 2〜9連
元々は木津川沿いで見に行った事のある関西鉄道の「木津川橋梁」の初代の1連か3連。斜橋を直橋に直して こちらにおいでなさったようです もう一人はどこにいったのかな それか直橋に直す時に2コ1にしたのかもしれない 近いんでまた来ますね (もう一回 調べたら製作会社も違うし関西鉄道の「木津川橋梁」の初代は補強されてまだ現役みたい 調査中。)
「愛知川橋梁」にさよなら云って 前回、思いのほか時間がかかった失敗から 気持ちのいい湖岸道路はあきらめてそのまま国道8号を進み しばらくすると自然に国道1号になった この辺りは国道1号が2本あるけど、前回の宿題が残ってたから大津側の国道1号を選択した 大津駅を横目にしばらくすると 前回停まれなかった名神高速道路の「蝉丸橋」を発見。 発見はするんだけど やっぱり停まれるところが無くてくぐっちゃた くぐって少ししたら空き家があったんでなんとか停まれた フー。

でもなんのイヤがらせなのか足場が組んであって良く見えない(大泣)。 写真左側が蝉丸トンネルで橋をはさんで大津トンネルにつづく。 小さいけど山と山の間のこの道が東海道。 国道1号になれたのが当然で実績のある 古くからの道なんです
「名神高速道路蝉丸橋」
上りも下りも 上路のスパンドルブレースアーチで1連
元はアーチ橋として架かり1991年に改良されて斜材が追加されたそうです
足場がバレた後にまた来ないといかんね 達成感もなく「蝉丸橋」をあとにして しばらく国道1号を進むと これも前回素通りしてきた「逢坂の関」。橋もトンネルもレンガの跨線橋だってみんな「蝉丸」なのに 前回は蝉丸と聞いてもピンとこないオタワケにはなんの変哲もない坂でした(涙)

蝉丸さんはここ、逢坂の関に庵をむすんで、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだ歌人で音楽家。 勝手に女の人かと思ったけど全然違って坊さんっぽい 「東国へ旅立つ人も、その人を見送って引き返す人も、ここで別れを繰り返すし、知っている同士も、知らない同士も、ここで出逢いすれ違うんだなぁ」みたいな。 今はアスファルトが敷いてある坂道だけど幅は昔とそんなに変わってないんじゃないかな 日陰になりがちなゆっくりした下り坂を行く後ろ姿を涙ながらに見えなくなるまで見送った人や これからはじまる長い旅の先に思いを馳せ晴れやかに坂道を踏みしめた人。 それはそれは沢山のドラマがあった事でしょう
上の写真をもう少し右側に振るとちゃんと下り坂なんですよ いくら探しても坂が写った写真がない残念。 ほとんどは山の陰になってたけど ところどころに朝露がキラキラと日の光を反射して すこし怖いぐらい 情念渦巻く坂道でした(笑)
一つ賢くなって、今度はちゃんと蝉丸さんにさよなら云った。 そのまま国道1号で京都に入り 今回はスルーしようかなって 一瞬思ったけど見るだけでもと思いなおし やっぱり府道にのりかえて「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)に会いにいった どこにでもある街並はかわりなけど今回は渋滞もなくすんなり到着「澱川橋梁」。

ちょっと見ないあいだにまた大きくなったんじゃないの? 今回は「観月橋」を渡らなかったから右岸側から接近 結構人がいる。 堤防の坂道を利用して一心不乱に体を鍛えてる人達は ここが元、帝国陸軍の架橋演習場(渡河訓練場)だった事を知ってて突き動かされているのかもしれない 「澱川橋梁」はどんなふうに映ってるんだろう 邪魔?

大きな大きな体を支え続ける 支承部。やっぱりかなり大きい 1977年、この辺りに損傷が見つかって1983年に各部交換や補修が実施された以外 完成以来80年以上にわたりほぼ竣工時のままのお姿だから 近寄るとやっぱり年相応でリベットが沢山のイボイボ肌。 何回も何回も重ね塗りされたペンキでマカロンみたいになってるから もう最初に締めたときのスパナじゃ回せないでしょうね 抹茶じゃなくて青汁のマカロンだからまずそうだけど

「澱川橋梁」(近畿日本鉄道)
近畿日本鉄道京都線の桃山御陵前駅-向島駅間
竣工 1928年(昭和3年)
橋長 164.6mの1連の複線
下路曲弦プラット分格トラス(ペンシルバニアトラス)
右岸側からだとすごく近づけたし こちら側に文化財のプレートが付いてたのも確認できた チラッと見るだけのつもりで行ったのに 気づいたら30分ぐらい経ってた。 あなたやっぱり魅力ありすぎ なかなか離れられない
罪作りな「澱川橋梁」に なんとかさよなら云って 淀川沿い その2につづく
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