01 ,2014
正月明けから忙しいのはいいことなんだけど ここ何年もこんなことなかったからスロースターターの自分にしてみれば まだ手首、足首も回してなかったのに いきなり犬山マラソンに参加させられちゃって 今ちょうど横っ腹が痛くなってきた って感じ。 なんなの今年 給水所まではまだまだ遠い(汗)

渡月橋が最初に架けられたのは平安時代だから 名前しか知らないその頃の有名人も渡った事があるんだろうなと想像する 桂川の右岸側にある法輪寺に 恋愛や健康、賢くなりたいとか いろんな願掛けに神妙な顔して渡月橋を渡って行く平安美人が見えた気がした。 今の渡月橋は昭和になってから架け替えられたから橋脚も桁もコンクリートで趣も半減だけど 渡って行く人の願い事は何百年経っても内容はそんなに変わってないんじゃないのかな なんにしろ叶うといいね
「渡月橋」
現在の橋 1934年(昭和9年)
橋長 155m 幅員 11m
コンクリート桁橋 欄干は木造
「くまなき月の渡るに似る」満月がこの橋の上空を移動していくのを見た鎌倉時代の偉い人が 月が橋を渡ってるみたいだ と 素敵な事を云ったから「渡月橋」だなんて風流な名前がもらえた幸せな橋。
SRで時代ごと桂川を渡って すぐUターンしてまた現代に戻ってきた そのまま 参道なのかな 両側にお土産屋さんが所狭しと並んだ町内をスルーして 山の方にスルスルと府道の50号を登りはじめたら急に道が狭くなって 所々いつの雪なのか路面に張り付いてるし アスファルトじゃなくて石畳のところもあったりして滑りそうでヤバいなと思いながら 朱い鳥居を横目にしばらく騙し騙し進んだ。

こりゃいかん。 見えにくいけどあの奥、道幅一杯にカチンコチンの雪が残ってる この先をもうしばらく行って 六丁峠を越える辺りで保津川を見下ろせば トロッコ電車の「保津川橋梁」がいるはずなんだけど カチンコチンにうんざりしたからあきらめた また今度 「保津川橋梁」はいつか行く予定の「余部橋梁」編 の帰り道に入ってるからあわててない

さっき素通りした朱い鳥居まで戻ってきた この時は神社関係の建物だと思って疑ってなかったけど 今調べたら鳥居の奥の建物は「平野屋」さん 400年も前からつづく茶店 なんだそう 「鮎よろし」って書いてある 鮎がおいしいよ って意味だろうか オレよく手づかみで食べてそうって云われるけど 本当は川魚は苦手。
もういいや 体ガチガチだし 少し早いけど本日のお宿に向う 突発的な修行の旅ですからお宿はもちろんサウナ。 桂川沿いをしばらく下り四条通にでて京都市内を横断。 なにか事件が発生してるわけでもなさそうだし どこかのお偉いさんを警護してるようでもないんだけど 四条通にはのんびりしたパトカーが目立つ。 やたらマックがあったような気もする 程なく祇園に着いて 調べてあった駐輪場も無事発見。

野良だと思うけど 毛並みもゴールドに輝いているし うちのおデブちゃんに負けない貫禄。 あいさつしたら 目を瞑ったまま一回こっちを見てくれたけど またすぐ瞑想に帰っていった ひょっとしたら オレが知らないだけで この辺を舞台にした小説の中に出てくる有名なネコなのかもしれないな
サウナは一回入っちゃうと帰るまで外出できないから せっかくだし 一人だけど暮れだした京都の街をちょっとだけブラついてみた 6月にもお仕事で来たし この辺りはほんとよく来るんだけど 普通の都会と違って歴史というか ものすごく古いのもが簡単にそこらじゅうに見えてるから 毎回ワクワクする

「四条大橋」
竣工 1942年(昭和17年)
橋長 64.8m 幅員 24m
上路のカンチレバープレートガーターの3径間
八坂神社の「社家記録」によると1142年(永治2年)に架けられたのが最初。 両脇の三条大橋や五条大橋が街道の起点(終点)であったのに対して 四条大橋は八坂神社への参詣路だから ちょっと小さめだとアル。 やっぱり古くから架かっている橋だから何度も流されては架け替えられて現在至る。
左側に看板だけ写ってる「東華菜館 」。 二十歳になったばっかりのころに友達4人で食事した事がある エレベーターのドアが手動式だからエレベーターボーイがいたし 棒状の折りたためる柵みたいなドアは向こう側が見えて怖かった。 ペンとメモを持ってきたウエイターに「唐揚げ」をたのむと 片言の日本語で「なんの?」と聞き返されて また怖くなった思い出。 外からはその頃と全く変わらないように見える
これははじめて見たけど「四条大橋」のすぐ横でどなたか踊ってる 調べてみたら 出雲 阿国さん

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、安土桃山時代の女性芸能者で、「ややこ踊り」を基にしてかぶき踊りを創始した女の人。このかぶき踊りがいろいろあって、現在の歌舞伎が出来上がったとアル
ここがかぶき発祥の地なんだそう。 かぶきをはじめたのは女の人なんだね 女形とかあるし 女人禁制なイメージだったけど違うんだ ややこしい経緯がありそうだから 首をつっこみたくない
歩いて「四条大橋」で鴨川を渡る。 日が陰ったせいでまた冷たくなった北風に足が止まったのかと思ったけど この橋の上で立ち止まるのは観光客だけで 地元の人はクールにただの道路使いだから一目で分かる

鴨川を渡った途端に狭い路地の飲食店に明かりが灯ったから 昼間とは全く別物の観光が輝きはじめて 家に帰る人は足早になるのがわかった 一人だけど泊まってくオレは時間たっぷりあるから 用もないのにスマした金持ちのふりして先斗町を一応パトロールしたけど バレバレ?

なんか そんなに もっと絵になる場所はなかったのか 柳ヶ瀬とかわらない写真しかない 一見さんがどうとか なんて威張った店もないようです よし異常なし!!
パトロールを終了して 京極のアーケードに向う 一人でも大丈夫そうなお目当ての店が記憶にある 結構歩いてたどり着いたアーケドの中に小さな「錦天満宮」があったから実に京都らしいとニヤッとなって 思い出した 姪っ子が今年高校受験。 天満宮だから学問の神様の菅原道真さんが祀られててちょうどよかった ごうかくをもじって五角 五角形をしたお守りを一つ買った 神社から100mいかない位置に記憶どおりちゃんとお店もあった

煮込みとかハムポテトサラダとかべつに特別なにがおいしいってわけでもないんだけど なんかむかしの銭湯の脱衣場にいるみたいで お客さん同士が狭い店を気遣ってぺこぺこ笑い合ってるし タバコの煙は天井に向って吐き出すような気のきいた暗黙のルールが存在する 素敵なお店 一人だからそんなに頼めなくて申しわけなかった 今度は嫁をつれてまた来ます ごちそうさまでした

堅くなったブーツで靴擦れができて 痛む足を引きずってサウナに到着。 まだまだ知らない京都がたくさんある カッコいい。
初日終了で 気まぐれ京都 その3につづく

渡月橋が最初に架けられたのは平安時代だから 名前しか知らないその頃の有名人も渡った事があるんだろうなと想像する 桂川の右岸側にある法輪寺に 恋愛や健康、賢くなりたいとか いろんな願掛けに神妙な顔して渡月橋を渡って行く平安美人が見えた気がした。 今の渡月橋は昭和になってから架け替えられたから橋脚も桁もコンクリートで趣も半減だけど 渡って行く人の願い事は何百年経っても内容はそんなに変わってないんじゃないのかな なんにしろ叶うといいね
「渡月橋」
現在の橋 1934年(昭和9年)
橋長 155m 幅員 11m
コンクリート桁橋 欄干は木造
「くまなき月の渡るに似る」満月がこの橋の上空を移動していくのを見た鎌倉時代の偉い人が 月が橋を渡ってるみたいだ と 素敵な事を云ったから「渡月橋」だなんて風流な名前がもらえた幸せな橋。
SRで時代ごと桂川を渡って すぐUターンしてまた現代に戻ってきた そのまま 参道なのかな 両側にお土産屋さんが所狭しと並んだ町内をスルーして 山の方にスルスルと府道の50号を登りはじめたら急に道が狭くなって 所々いつの雪なのか路面に張り付いてるし アスファルトじゃなくて石畳のところもあったりして滑りそうでヤバいなと思いながら 朱い鳥居を横目にしばらく騙し騙し進んだ。

こりゃいかん。 見えにくいけどあの奥、道幅一杯にカチンコチンの雪が残ってる この先をもうしばらく行って 六丁峠を越える辺りで保津川を見下ろせば トロッコ電車の「保津川橋梁」がいるはずなんだけど カチンコチンにうんざりしたからあきらめた また今度 「保津川橋梁」はいつか行く予定の「余部橋梁」編 の帰り道に入ってるからあわててない

さっき素通りした朱い鳥居まで戻ってきた この時は神社関係の建物だと思って疑ってなかったけど 今調べたら鳥居の奥の建物は「平野屋」さん 400年も前からつづく茶店 なんだそう 「鮎よろし」って書いてある 鮎がおいしいよ って意味だろうか オレよく手づかみで食べてそうって云われるけど 本当は川魚は苦手。
もういいや 体ガチガチだし 少し早いけど本日のお宿に向う 突発的な修行の旅ですからお宿はもちろんサウナ。 桂川沿いをしばらく下り四条通にでて京都市内を横断。 なにか事件が発生してるわけでもなさそうだし どこかのお偉いさんを警護してるようでもないんだけど 四条通にはのんびりしたパトカーが目立つ。 やたらマックがあったような気もする 程なく祇園に着いて 調べてあった駐輪場も無事発見。

野良だと思うけど 毛並みもゴールドに輝いているし うちのおデブちゃんに負けない貫禄。 あいさつしたら 目を瞑ったまま一回こっちを見てくれたけど またすぐ瞑想に帰っていった ひょっとしたら オレが知らないだけで この辺を舞台にした小説の中に出てくる有名なネコなのかもしれないな
サウナは一回入っちゃうと帰るまで外出できないから せっかくだし 一人だけど暮れだした京都の街をちょっとだけブラついてみた 6月にもお仕事で来たし この辺りはほんとよく来るんだけど 普通の都会と違って歴史というか ものすごく古いのもが簡単にそこらじゅうに見えてるから 毎回ワクワクする

「四条大橋」
竣工 1942年(昭和17年)
橋長 64.8m 幅員 24m
上路のカンチレバープレートガーターの3径間
八坂神社の「社家記録」によると1142年(永治2年)に架けられたのが最初。 両脇の三条大橋や五条大橋が街道の起点(終点)であったのに対して 四条大橋は八坂神社への参詣路だから ちょっと小さめだとアル。 やっぱり古くから架かっている橋だから何度も流されては架け替えられて現在至る。
左側に看板だけ写ってる「東華菜館 」。 二十歳になったばっかりのころに友達4人で食事した事がある エレベーターのドアが手動式だからエレベーターボーイがいたし 棒状の折りたためる柵みたいなドアは向こう側が見えて怖かった。 ペンとメモを持ってきたウエイターに「唐揚げ」をたのむと 片言の日本語で「なんの?」と聞き返されて また怖くなった思い出。 外からはその頃と全く変わらないように見える
これははじめて見たけど「四条大橋」のすぐ横でどなたか踊ってる 調べてみたら 出雲 阿国さん

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、安土桃山時代の女性芸能者で、「ややこ踊り」を基にしてかぶき踊りを創始した女の人。このかぶき踊りがいろいろあって、現在の歌舞伎が出来上がったとアル
ここがかぶき発祥の地なんだそう。 かぶきをはじめたのは女の人なんだね 女形とかあるし 女人禁制なイメージだったけど違うんだ ややこしい経緯がありそうだから 首をつっこみたくない
歩いて「四条大橋」で鴨川を渡る。 日が陰ったせいでまた冷たくなった北風に足が止まったのかと思ったけど この橋の上で立ち止まるのは観光客だけで 地元の人はクールにただの道路使いだから一目で分かる

鴨川を渡った途端に狭い路地の飲食店に明かりが灯ったから 昼間とは全く別物の観光が輝きはじめて 家に帰る人は足早になるのがわかった 一人だけど泊まってくオレは時間たっぷりあるから 用もないのにスマした金持ちのふりして先斗町を一応パトロールしたけど バレバレ?

なんか そんなに もっと絵になる場所はなかったのか 柳ヶ瀬とかわらない写真しかない 一見さんがどうとか なんて威張った店もないようです よし異常なし!!
パトロールを終了して 京極のアーケードに向う 一人でも大丈夫そうなお目当ての店が記憶にある 結構歩いてたどり着いたアーケドの中に小さな「錦天満宮」があったから実に京都らしいとニヤッとなって 思い出した 姪っ子が今年高校受験。 天満宮だから学問の神様の菅原道真さんが祀られててちょうどよかった ごうかくをもじって五角 五角形をしたお守りを一つ買った 神社から100mいかない位置に記憶どおりちゃんとお店もあった

煮込みとかハムポテトサラダとかべつに特別なにがおいしいってわけでもないんだけど なんかむかしの銭湯の脱衣場にいるみたいで お客さん同士が狭い店を気遣ってぺこぺこ笑い合ってるし タバコの煙は天井に向って吐き出すような気のきいた暗黙のルールが存在する 素敵なお店 一人だからそんなに頼めなくて申しわけなかった 今度は嫁をつれてまた来ます ごちそうさまでした

堅くなったブーツで靴擦れができて 痛む足を引きずってサウナに到着。 まだまだ知らない京都がたくさんある カッコいい。
初日終了で 気まぐれ京都 その3につづく
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