12 ,2015
冬至の日、よく行く日帰り温泉施設の ”日替わりの湯” に黄色いのがたくさん浮かんでいたから おーっ 柚子湯か と 感心したのに よく見たらアヒルのおもちゃだった(涙) あれ絶対わざとなのに 誰もツッコまないのが不思議なんだけど ツッコむと店のお茶目担当者をつけ上がらせちゃうからかな それともみんな大人なのに柚子だと思い込んで気づかないのかな。 そういうオレも気づかないフリをしてたけど もうすっかり年の瀬。 秋の話を終わらせないと 年が越せないような 気もしないでもない
えーっと 今頃は あわただしいドラマが 繰り広げられてるであろう「浅野川大橋」にさよなら云って またちょっと 込み入った町内を抜け「浅野川大橋」のある国道を横断してすぐ。 ひがし茶屋街のメインストリートにSRをのせた

まだ朝早いから お店はどこも営業してない というか今さっき閉店したばっかり? 残念ながら角度的に こちらのかっこいいお姉さんが覗くファインダーにSRは いないだろうけど SRは以外と古い街並みにも似合う。 と思う。
お店も閉まってるし 条例なのか自販機さえないから 仕方なく、 朝は空気がちょっとしっとりしてる 古いようで 近未来的な 街並みを抜けて 方角だけを頼りに しばらく進むと ちょうどいいところに出た 「天神橋」。

「天神橋」
竣工 1955年(昭和30年)
橋長 48.1m 幅員 13.6m
下路のタイドアーチで1連
橋の上空、卯辰山の頂上に天神を祀った社があったから 最強の名前をもらったありがたい橋。 完成形と云えば そうかも知れないけど 昭和も、30年になってくると 親柱のアールデコ風味が食傷ぎみ。 でも大好物な「天神橋」に さよならを云って ゆっくり渡り 下流側を見渡すと 2015年のSW。 個人的に、住みたいランキング急上昇の小粋な街。 金沢とも とうとうおわかれ お世話になりました またお邪魔しますね
この部分は結構残ってる 後ろ髪を思いっきり引っぱられ 国道157号から国道8号に移り 人生初の「すしべん」福留店 に入店。 まずコンビニコーナーからおにぎりを買ってきて ドキドキしながらも きつねじゃなくて いなりうどんを頼んで 両方ともレストランコーナーのカウンターでクールに食べた。 店の人はきっと地元の人間だと思ったに違いない フフン。
期待していたとおりのお味で大満足。 ”まいげん”でしたと ごちそうさまを云って、SRのご当地ナンバーが店内に見えないように素早く また国道8号に戻り 程なく手取川に出ると 1kmぐらい上流に発見「手取川橋」。

いま気づいて 北陸本線のトラスを見逃してきたのもダメだけど お天気もいまいち。 手取川も噂に聞くほど暴れ川には見えないし たぶん奥にうっすら見えているのは 北アルプスじゃ ないと思う。 一昨年行った富山県と同じで この辺りもGWぐらいが一番ハレてるのかな

「手取川橋」
竣工 1932年(昭和7年)10月
橋長 406.0m 幅員 7.3m
下路の曲弦ワーレントラスで8連
この場所が「粟生の渡し」だったと 横に案内板がありました その案内板によると 手取川にロープを張って、そのロープをたぐり寄せるように進む「綱ぐり渡船」だったとアル。 ということは 時を渡る船にオールはなかったのね 粟生の宿駅と右岸の交通はこれしかなかったので 増水時は何日も足止めされた旅人もあった ともありました ほらねっ 昔から橋は旅人の 夢 なんです イェーイ。
昭和7年竣工ってことは まちがいなく旧国道8号だった「手取川橋」に大きく手を振って さよーなら。 ここからは小松、粟津、と ぬくそうな 街を抜けて 一番ぬくそうな 開湯1300年の山中温泉に呼ばれた はいはーい

でも山中温泉には浸かってない(涙)

松尾芭蕉が行脚の楽しみここにありと 称賛した景勝地。 昔は那谷道を通って この「黒谷橋」を渡り 多くの旅人が山中を訪れたんだそう。
「黒谷橋」現在の橋
竣工 1935年(昭和10年)8月
橋長 36m
コンクリートアーチ橋で1連
大聖寺川に迫り出すように建ち並ぶ温泉旅館の裏路地を「黒谷橋」から上流にさかのぼること500m。 行ってみるとわかるけど 以外に、裏すぎて見つけにくいし みんなに親しまれてるっていう感じがしない「あやとりはし」を無事発見。

「あやとりはし」は 映画監督や いけばな、陶芸、舞台美術、オペラなどなんでもできちゃう 今は亡き「勅使河原宏」さんデザインの橋。 きっと地元の人は どうしてここに あやとり? なのかなと 思ってるけど 黙ってるんだと思う。

「あやとりはし」
竣工 1991年(平成3年)
橋長 94.7m 幅員 1.5m
単純 曲線 三絃トラス
ウィキペディア先生は ”単純” とおっしゃられていますので 3径間連続にも見えますが 「1連」でまちがいないのだと思います。 もう家元も亡くなられていますし ご自分もこの地について24年。 いつまでもとんがってないで もうそろそろ 山中の町内の方々とも仲良くできるように 心を開いてくれると いいけどね。
ここにSRを留守番させて「あやとりはし」で大聖寺川を渡り 対岸の鶴仙渓散歩コースを徒歩で 上流にさかのぼること今度は800m。 はじめは江戸時代に造られたと伝えられる「こおろぎ橋」に 到ーーー着。

「こおろぎ橋」(現在の橋)
1990年(平成2年)架け替え
橋長 20.8m 幅員 4.0m
檜作りの頬杖橋
さすがに 江戸時代から受け継がれているだけあって「こおろぎ橋」はこの町内によく馴染んでる 見てこなかったけど お土産に かりん糖こうろぎ橋 とか、こうろぎ橋漬け や、こうろぎ橋柄のネクタイ とか売ってそうなぐらい馴染んでた でも「あやとりはし」の問題は時間が解決してくれるような 簡単な問題じゃない気がする。
「こうろぎ橋」で大聖寺川を渡り 今度は ゆげ街道 をぶらぶらして SRを停めてある「あやとりはし」に戻ってきた。 不憫に思いながらも かけてやる言葉も見つからず「あやとりはし」には さよなら云ってUターン。 また来ますね
山中温泉街から 大聖寺川沿いをくだること 3kmぐらい コメリの信号を左折して より、大聖寺川に降りていくと 真正面に登場「二天橋」。

山中節に 「ハァー 送りましょうか 送られましょうか せめて二天の橋までも」と 「ハアー 笠を忘れて 二天の橋で 西が曇れば思い出す」と 「ハアー 恋のしがらみ かわいやおつる 泣いて別れた二天橋」の3フレーズに登場する橋。 嗚呼、橋上ドラマッチック (はぁと)

斜材と垂直材が合わさるプレートに いちいちカーブが切ってある 丁寧でおしゃれな作り。 特徴的だから制作会社ぐらいすぐわかると思ったけど わかんない 東京鐵骨橋梁製作所かな(勘)
「二天橋」
下路のポニー ボーストリング プラットトラスの1連
謎を残しつつも「二天橋」に さよならいって 国道に登り、国道8号も横断して 大聖寺の表向きの町を抜けると 途端に 城下町の雰囲気。 だから道も細くなるし 結構迷って 発見「福田橋」。

斜角がついてるけど 大きさといい プレートのカーブも然り、「二天橋」と瓜が二つ。「福田橋」には制作会社名がわかる銘板が付いていたと思われる跡が残ってた 残念。

こんなに近い場所だし 制作会社も年代も同じはず。 「福田橋」の親柱にはめ込まれている銘板には昭和十一年六月竣工と彫られてたから 「二天橋」もその頃だと思う

横に立ってた町の歴史案内板に「福田橋」の完成当時の古い写真が掲載されていました

「福田橋」
竣工 1936年(昭和11年)6月
下路のポニー ボーストリング プラットトラスの1連

ホース格納箱に圧迫される「二天橋」の親柱。
「二天橋」の親柱の側面についてるボタンは何だろうと思っていたけど 「福田橋」の古い写真を見ると手摺の跡だとわかった。 と同時にもう一つ思い出した

上の写真は朝2番に寄った 浅野川に架かる「昌永橋」の親柱。 年代は違うけど「昌永橋」は東京鐵骨橋梁製作所 製。 勘は当たってるんじゃないかな フフン。
いろいろとヒントをくれて 人のいい「福田橋」に さよなら を云ったら もう石川県ともおわかれ ありがとうございました 今度はカニを食べにまた来ます。

あとは、国道305号で地形をたどる日本海側の道「しおかぜライン」をゆっくりクルーズして帰りました
長々とすみません 北陸の空part2 完結 2日間の走行距離 556km
良いお年を!
えーっと 今頃は あわただしいドラマが 繰り広げられてるであろう「浅野川大橋」にさよなら云って またちょっと 込み入った町内を抜け「浅野川大橋」のある国道を横断してすぐ。 ひがし茶屋街のメインストリートにSRをのせた

まだ朝早いから お店はどこも営業してない というか今さっき閉店したばっかり? 残念ながら角度的に こちらのかっこいいお姉さんが覗くファインダーにSRは いないだろうけど SRは以外と古い街並みにも似合う。 と思う。
お店も閉まってるし 条例なのか自販機さえないから 仕方なく、 朝は空気がちょっとしっとりしてる 古いようで 近未来的な 街並みを抜けて 方角だけを頼りに しばらく進むと ちょうどいいところに出た 「天神橋」。

「天神橋」
竣工 1955年(昭和30年)
橋長 48.1m 幅員 13.6m
下路のタイドアーチで1連
橋の上空、卯辰山の頂上に天神を祀った社があったから 最強の名前をもらったありがたい橋。 完成形と云えば そうかも知れないけど 昭和も、30年になってくると 親柱のアールデコ風味が食傷ぎみ。 でも大好物な「天神橋」に さよならを云って ゆっくり渡り 下流側を見渡すと 2015年のSW。 個人的に、住みたいランキング急上昇の小粋な街。 金沢とも とうとうおわかれ お世話になりました またお邪魔しますね
この部分は結構残ってる 後ろ髪を思いっきり引っぱられ 国道157号から国道8号に移り 人生初の「すしべん」福留店 に入店。 まずコンビニコーナーからおにぎりを買ってきて ドキドキしながらも きつねじゃなくて いなりうどんを頼んで 両方ともレストランコーナーのカウンターでクールに食べた。 店の人はきっと地元の人間だと思ったに違いない フフン。
期待していたとおりのお味で大満足。 ”まいげん”でしたと ごちそうさまを云って、SRのご当地ナンバーが店内に見えないように素早く また国道8号に戻り 程なく手取川に出ると 1kmぐらい上流に発見「手取川橋」。

いま気づいて 北陸本線のトラスを見逃してきたのもダメだけど お天気もいまいち。 手取川も噂に聞くほど暴れ川には見えないし たぶん奥にうっすら見えているのは 北アルプスじゃ ないと思う。 一昨年行った富山県と同じで この辺りもGWぐらいが一番ハレてるのかな

「手取川橋」
竣工 1932年(昭和7年)10月
橋長 406.0m 幅員 7.3m
下路の曲弦ワーレントラスで8連
この場所が「粟生の渡し」だったと 横に案内板がありました その案内板によると 手取川にロープを張って、そのロープをたぐり寄せるように進む「綱ぐり渡船」だったとアル。 ということは 時を渡る船にオールはなかったのね 粟生の宿駅と右岸の交通はこれしかなかったので 増水時は何日も足止めされた旅人もあった ともありました ほらねっ 昔から橋は旅人の 夢 なんです イェーイ。
昭和7年竣工ってことは まちがいなく旧国道8号だった「手取川橋」に大きく手を振って さよーなら。 ここからは小松、粟津、と ぬくそうな 街を抜けて 一番ぬくそうな 開湯1300年の山中温泉に呼ばれた はいはーい

でも山中温泉には浸かってない(涙)

松尾芭蕉が行脚の楽しみここにありと 称賛した景勝地。 昔は那谷道を通って この「黒谷橋」を渡り 多くの旅人が山中を訪れたんだそう。
「黒谷橋」現在の橋
竣工 1935年(昭和10年)8月
橋長 36m
コンクリートアーチ橋で1連
大聖寺川に迫り出すように建ち並ぶ温泉旅館の裏路地を「黒谷橋」から上流にさかのぼること500m。 行ってみるとわかるけど 以外に、裏すぎて見つけにくいし みんなに親しまれてるっていう感じがしない「あやとりはし」を無事発見。

「あやとりはし」は 映画監督や いけばな、陶芸、舞台美術、オペラなどなんでもできちゃう 今は亡き「勅使河原宏」さんデザインの橋。 きっと地元の人は どうしてここに あやとり? なのかなと 思ってるけど 黙ってるんだと思う。

「あやとりはし」
竣工 1991年(平成3年)
橋長 94.7m 幅員 1.5m
単純 曲線 三絃トラス
ウィキペディア先生は ”単純” とおっしゃられていますので 3径間連続にも見えますが 「1連」でまちがいないのだと思います。 もう家元も亡くなられていますし ご自分もこの地について24年。 いつまでもとんがってないで もうそろそろ 山中の町内の方々とも仲良くできるように 心を開いてくれると いいけどね。
ここにSRを留守番させて「あやとりはし」で大聖寺川を渡り 対岸の鶴仙渓散歩コースを徒歩で 上流にさかのぼること今度は800m。 はじめは江戸時代に造られたと伝えられる「こおろぎ橋」に 到ーーー着。

「こおろぎ橋」(現在の橋)
1990年(平成2年)架け替え
橋長 20.8m 幅員 4.0m
檜作りの頬杖橋
さすがに 江戸時代から受け継がれているだけあって「こおろぎ橋」はこの町内によく馴染んでる 見てこなかったけど お土産に かりん糖こうろぎ橋 とか、こうろぎ橋漬け や、こうろぎ橋柄のネクタイ とか売ってそうなぐらい馴染んでた でも「あやとりはし」の問題は時間が解決してくれるような 簡単な問題じゃない気がする。
「こうろぎ橋」で大聖寺川を渡り 今度は ゆげ街道 をぶらぶらして SRを停めてある「あやとりはし」に戻ってきた。 不憫に思いながらも かけてやる言葉も見つからず「あやとりはし」には さよなら云ってUターン。 また来ますね
山中温泉街から 大聖寺川沿いをくだること 3kmぐらい コメリの信号を左折して より、大聖寺川に降りていくと 真正面に登場「二天橋」。

山中節に 「ハァー 送りましょうか 送られましょうか せめて二天の橋までも」と 「ハアー 笠を忘れて 二天の橋で 西が曇れば思い出す」と 「ハアー 恋のしがらみ かわいやおつる 泣いて別れた二天橋」の3フレーズに登場する橋。 嗚呼、橋上ドラマッチック (はぁと)

斜材と垂直材が合わさるプレートに いちいちカーブが切ってある 丁寧でおしゃれな作り。 特徴的だから制作会社ぐらいすぐわかると思ったけど わかんない 東京鐵骨橋梁製作所かな(勘)
「二天橋」
下路のポニー ボーストリング プラットトラスの1連
謎を残しつつも「二天橋」に さよならいって 国道に登り、国道8号も横断して 大聖寺の表向きの町を抜けると 途端に 城下町の雰囲気。 だから道も細くなるし 結構迷って 発見「福田橋」。

斜角がついてるけど 大きさといい プレートのカーブも然り、「二天橋」と瓜が二つ。「福田橋」には制作会社名がわかる銘板が付いていたと思われる跡が残ってた 残念。

こんなに近い場所だし 制作会社も年代も同じはず。 「福田橋」の親柱にはめ込まれている銘板には昭和十一年六月竣工と彫られてたから 「二天橋」もその頃だと思う

横に立ってた町の歴史案内板に「福田橋」の完成当時の古い写真が掲載されていました

「福田橋」
竣工 1936年(昭和11年)6月
下路のポニー ボーストリング プラットトラスの1連

ホース格納箱に圧迫される「二天橋」の親柱。
「二天橋」の親柱の側面についてるボタンは何だろうと思っていたけど 「福田橋」の古い写真を見ると手摺の跡だとわかった。 と同時にもう一つ思い出した

上の写真は朝2番に寄った 浅野川に架かる「昌永橋」の親柱。 年代は違うけど「昌永橋」は東京鐵骨橋梁製作所 製。 勘は当たってるんじゃないかな フフン。
いろいろとヒントをくれて 人のいい「福田橋」に さよなら を云ったら もう石川県ともおわかれ ありがとうございました 今度はカニを食べにまた来ます。

あとは、国道305号で地形をたどる日本海側の道「しおかぜライン」をゆっくりクルーズして帰りました
長々とすみません 北陸の空part2 完結 2日間の走行距離 556km
良いお年を!
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