05 ,2019
北海道が39度ってどういうこと? 去年の夏は今まで経験したことがないくらいの猛暑つづきで 災害も多くて大変だったですもんね 今年は今からこんなだと どうなっちゃうのかな キャンプでも使えるはずだから「ポータブル電源」ての?検討してみようと思う なんにしろいろいろと心配になってくるような暑さででも 汗はいっぱいかくから代謝はいいはずなのに いまだに正月太りが解消しないってのが 本当にどういうこと?(涙)
体重のことは一旦置いといて(危機感0) 自販機の天ぷらうどん(一体なんの天ぷらだったんだろう)を5秒ぐらいでお出汁まで飲み干して(ぬるい) 「ドライブイン ダルマ」 を後にした日のつづき
国道178号に戻り 由良川沿いをいい風受けて 真正面というよりはだいぶ上の空の方を見ながら快走すること1kmぐらい

単車なのにゆっくり動く景色の中 いっそうのんびりと架かる「由良川橋梁」が ハレわたった青空と日本海の水平線を分けていました ご無沙汰しています ただいまです
「由良川橋梁」 京都丹後鉄道 丹後神崎駅ー丹後由良駅間
竣工 1924年(大正13年)
橋長 551m
単線 上路のプレートガーターで24連
前は「北近畿タンゴ鉄道」だったけど2015年4月1日から「京都丹後鉄道」に変わったみたい 第三セクターで特に懐具合が良くないって噂だったから なんでかってあんまり聞かないであげてね
心の中で静かに廃線を危惧し 大きな声で「由良川橋梁」にサヨナラ云った。 また来ますからね いつまでも居てくださいよ
「由良川橋梁」の横の土手を挟んだ「由良架道橋」をくぐって しばらく 香りはしないんだけど 潮風だとわかるいい風をまた受けて 西へ西へと進み ほんとは寄るつもりだったけど付き合っていられないぐらい 多分「天橋立」へとつづく大渋滞中の車を横目にやり過ごし 国道が312号に変わって すぐぐらいだったと思う

「この人とっても古いです」と その丸っこい人柄を新緑達に推薦されるように 石積みの高潔の士が 高々とプレートガーター橋を持ち上げていました 超ハンサムで力持ち
多分鉄橋部もそうだと思うけど この橋脚は国鉄時代の「丹後山田駅」(現 与謝野駅)開業の1925年(大正14年)7月31日から 次の駅、国鉄時代の「口大野駅」(現 京丹後大宮駅)開業の1925年(大正14年)11月3日までの間に竣工しているハズ。 きっと94歳。 もうちょっとでアンティークですね ほんとにお疲れ様です
「水戸谷川橋梁」の大きさのわりには控えめな影を遠慮がちに踏んずけて くぐらせてもらい 日本海に呼び寄せられるように それでも西に向かってズンズン進み 国道を逸れると また田んぼだらけの道になって いい天気 フフン。

田植えはもう終わっているみたいで 雲も人もいないけど ニヤニヤしながらゆっくり走ったおかげで 土の匂いを久しぶりに嗅いだし どこまでも見渡せる空を見てたら30メートルぐらいなら飛べる気がしてきた。 ハッパキメなくてもぶっ飛べる京丹後市久美浜町の農道、 誰もいないから気兼ねなく スピッツに代わった鼻歌最大ボリュームで ストトトトーと駆け抜けた

折り目正しい京丹後鉄道の「小天橋駅」。 今回のルートを考えているときに地図上で変わった地形を見つけて 寄ってみようと思った「小天橋」は 実際行ってみると 地図で見た方が変わってるのがわかりやすい これかぁっていう決め手がないからちょっとうろうろした

小天橋海水浴場で泳いでる人はさすがにいなかったけど たくさんの人がビーチサンダルをはいてBBQ。その横を2メートルぐらいもある蛇が全身を反らしながら跳ねるようにあわてて移動して行った 蛇にしてみれば走ってるつもりなのかな 蛇も久しぶりに見たな なんでも「天橋立」の小さい版だから「小天橋」っていうみたい

小天橋で久美浜湾を半周して ”府”道11号に移って三原峠を越えると兵庫県に入ったからそのまま”県”道11号になって、この兵庫県道11号で円山川を渡る橋が「港大橋」。 円山川が津居山湾(日本海)に流れ出る少し手前に架かっている橋だから 塩分の取りすぎで 橋脚がサビサビの気の毒な橋

気の毒って云えば ご覧の通り元々は跳開式の可動橋としてかけられたんだけど 今は体が固まって動けない状態(涙)
「港大橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 328m 幅員
9径間連続 綱合成鈑桁橋
跳開式可動橋(現在は固定)
もう跳ね上がることはないのか 男としてはこんなに悲しいことはないな(涙) 立派に跳ね上がっていたあの頃を偲び「港大橋」に さようなら
「港大橋」で円山川を渡りきったドン突きを右折して 自分も走って来ましたよ 「但馬漁火ライン」 木が生い茂っているところは別として 高台から日本海のキラメキを見下ろしながらつづく素敵な道 福井県のしおかぜラインも素敵なんだけど 高いところを走ってるから飛んでるような錯覚 フフン。 でも 落ちたら死ぬ!!よ 間違いなく

自分が潮風になったつもりで目が細まったり口が半開きになったりはするんだけど 調子には乗らなかったから 無事竹野海岸まで降りて来てちょっと行った「はさかり岩」。 日本海って深くて波が荒いのかな 色々とあきさせないね おかあさん
「はさかり」って「はさまり」の方言なのかな あなたなら歯と歯の間にはさかった物は何ですか?
はさかり岩でUターンして本日の「但馬漁火ライン」はここまでで 竹野川に一本呼ばれてる
山陰本線と並走して竹野川沿いを遡ること5kmぐらい すごく注意してみてたから難なく発見! 大変お会いしたかった「竹野川橋梁」。

発見したのはいいんだけど遠い。 手前で畑仕事をしていたおかあさんに断って ギリギリまで近ずいてもここまでだった(涙) 思いついて向こう岸に渡ってみたけど向こう岸からは見えなかったし 大きな鹿が死んでいて うまそうじゃない感じの ドライエイジングがだいぶすすんでいたから うっかり思いついて行かなきゃよかった
「竹野川橋梁」(JR西日本山陰本線)
城崎駅ー竹野駅間
開通 1911年(明治44年)
橋長 101.21m 幅員 単線
1,2,3,5連が上路プレートガーダー 4連が上路格桁
1両目と2両目の車両が乗っかってる部分の桁は日本で3本しか現存しない貴重な桁なんだけど やっぱりよく見えない(涙) 望遠鏡を持ってまた来ます

死んだ目をした 死んでる鹿に見送られ 気をたしかに持ってUターン やっぱり山陰本線と並走して竹野川沿いを1kmぐらい下り 静かな山陰本線の踏切を渡った県道9号で 鹿がいっぱい居そうでちょっとおっかない鋳物師戻峠をトンネルで越えた 今でも時々あの死んだ目を思い出して吐きそうになる アーメン。

鋳物師戻峠をスルスルと下ってきたら 楽しみにしていた城崎温泉街に到着 日帰り温泉の「さとの湯」に浸かってきたんだけど ただ単に自分が疲れてただけかも知れないけど ドーンと疲れるちょっと硬い温泉だった。 さとの湯の男湯では10人に3人の割合で外国人と混浴したし10人に2人の割合で刺青背負った日本人と混浴した いろんな意味で目のやり場に困ったッス。
さっぱりしたからよしとして 西遊記 その3につづく
体重のことは一旦置いといて(危機感0) 自販機の天ぷらうどん(一体なんの天ぷらだったんだろう)を5秒ぐらいでお出汁まで飲み干して(ぬるい) 「ドライブイン ダルマ」 を後にした日のつづき
国道178号に戻り 由良川沿いをいい風受けて 真正面というよりはだいぶ上の空の方を見ながら快走すること1kmぐらい

単車なのにゆっくり動く景色の中 いっそうのんびりと架かる「由良川橋梁」が ハレわたった青空と日本海の水平線を分けていました ご無沙汰しています ただいまです
「由良川橋梁」 京都丹後鉄道 丹後神崎駅ー丹後由良駅間
竣工 1924年(大正13年)
橋長 551m
単線 上路のプレートガーターで24連
前は「北近畿タンゴ鉄道」だったけど2015年4月1日から「京都丹後鉄道」に変わったみたい 第三セクターで特に懐具合が良くないって噂だったから なんでかってあんまり聞かないであげてね
心の中で静かに廃線を危惧し 大きな声で「由良川橋梁」にサヨナラ云った。 また来ますからね いつまでも居てくださいよ
「由良川橋梁」の横の土手を挟んだ「由良架道橋」をくぐって しばらく 香りはしないんだけど 潮風だとわかるいい風をまた受けて 西へ西へと進み ほんとは寄るつもりだったけど付き合っていられないぐらい 多分「天橋立」へとつづく大渋滞中の車を横目にやり過ごし 国道が312号に変わって すぐぐらいだったと思う

「この人とっても古いです」と その丸っこい人柄を新緑達に推薦されるように 石積みの高潔の士が 高々とプレートガーター橋を持ち上げていました 超ハンサムで力持ち
多分鉄橋部もそうだと思うけど この橋脚は国鉄時代の「丹後山田駅」(現 与謝野駅)開業の1925年(大正14年)7月31日から 次の駅、国鉄時代の「口大野駅」(現 京丹後大宮駅)開業の1925年(大正14年)11月3日までの間に竣工しているハズ。 きっと94歳。 もうちょっとでアンティークですね ほんとにお疲れ様です
「水戸谷川橋梁」の大きさのわりには控えめな影を遠慮がちに踏んずけて くぐらせてもらい 日本海に呼び寄せられるように それでも西に向かってズンズン進み 国道を逸れると また田んぼだらけの道になって いい天気 フフン。

田植えはもう終わっているみたいで 雲も人もいないけど ニヤニヤしながらゆっくり走ったおかげで 土の匂いを久しぶりに嗅いだし どこまでも見渡せる空を見てたら30メートルぐらいなら飛べる気がしてきた。 ハッパキメなくてもぶっ飛べる京丹後市久美浜町の農道、 誰もいないから気兼ねなく スピッツに代わった鼻歌最大ボリュームで ストトトトーと駆け抜けた

折り目正しい京丹後鉄道の「小天橋駅」。 今回のルートを考えているときに地図上で変わった地形を見つけて 寄ってみようと思った「小天橋」は 実際行ってみると 地図で見た方が変わってるのがわかりやすい これかぁっていう決め手がないからちょっとうろうろした

小天橋海水浴場で泳いでる人はさすがにいなかったけど たくさんの人がビーチサンダルをはいてBBQ。その横を2メートルぐらいもある蛇が全身を反らしながら跳ねるようにあわてて移動して行った 蛇にしてみれば走ってるつもりなのかな 蛇も久しぶりに見たな なんでも「天橋立」の小さい版だから「小天橋」っていうみたい

小天橋で久美浜湾を半周して ”府”道11号に移って三原峠を越えると兵庫県に入ったからそのまま”県”道11号になって、この兵庫県道11号で円山川を渡る橋が「港大橋」。 円山川が津居山湾(日本海)に流れ出る少し手前に架かっている橋だから 塩分の取りすぎで 橋脚がサビサビの気の毒な橋

気の毒って云えば ご覧の通り元々は跳開式の可動橋としてかけられたんだけど 今は体が固まって動けない状態(涙)
「港大橋」
竣工 1967年(昭和42年)
橋長 328m 幅員
9径間連続 綱合成鈑桁橋
跳開式可動橋(現在は固定)
もう跳ね上がることはないのか 男としてはこんなに悲しいことはないな(涙) 立派に跳ね上がっていたあの頃を偲び「港大橋」に さようなら
「港大橋」で円山川を渡りきったドン突きを右折して 自分も走って来ましたよ 「但馬漁火ライン」 木が生い茂っているところは別として 高台から日本海のキラメキを見下ろしながらつづく素敵な道 福井県のしおかぜラインも素敵なんだけど 高いところを走ってるから飛んでるような錯覚 フフン。 でも 落ちたら死ぬ!!よ 間違いなく

自分が潮風になったつもりで目が細まったり口が半開きになったりはするんだけど 調子には乗らなかったから 無事竹野海岸まで降りて来てちょっと行った「はさかり岩」。 日本海って深くて波が荒いのかな 色々とあきさせないね おかあさん
「はさかり」って「はさまり」の方言なのかな あなたなら歯と歯の間にはさかった物は何ですか?
はさかり岩でUターンして本日の「但馬漁火ライン」はここまでで 竹野川に一本呼ばれてる
山陰本線と並走して竹野川沿いを遡ること5kmぐらい すごく注意してみてたから難なく発見! 大変お会いしたかった「竹野川橋梁」。

発見したのはいいんだけど遠い。 手前で畑仕事をしていたおかあさんに断って ギリギリまで近ずいてもここまでだった(涙) 思いついて向こう岸に渡ってみたけど向こう岸からは見えなかったし 大きな鹿が死んでいて うまそうじゃない感じの ドライエイジングがだいぶすすんでいたから うっかり思いついて行かなきゃよかった
「竹野川橋梁」(JR西日本山陰本線)
城崎駅ー竹野駅間
開通 1911年(明治44年)
橋長 101.21m 幅員 単線
1,2,3,5連が上路プレートガーダー 4連が上路格桁
1両目と2両目の車両が乗っかってる部分の桁は日本で3本しか現存しない貴重な桁なんだけど やっぱりよく見えない(涙) 望遠鏡を持ってまた来ます

死んだ目をした 死んでる鹿に見送られ 気をたしかに持ってUターン やっぱり山陰本線と並走して竹野川沿いを1kmぐらい下り 静かな山陰本線の踏切を渡った県道9号で 鹿がいっぱい居そうでちょっとおっかない鋳物師戻峠をトンネルで越えた 今でも時々あの死んだ目を思い出して吐きそうになる アーメン。

鋳物師戻峠をスルスルと下ってきたら 楽しみにしていた城崎温泉街に到着 日帰り温泉の「さとの湯」に浸かってきたんだけど ただ単に自分が疲れてただけかも知れないけど ドーンと疲れるちょっと硬い温泉だった。 さとの湯の男湯では10人に3人の割合で外国人と混浴したし10人に2人の割合で刺青背負った日本人と混浴した いろんな意味で目のやり場に困ったッス。
さっぱりしたからよしとして 西遊記 その3につづく
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